第1話:新米教師の悪戦苦闘の日々

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第1話:新米教師の悪戦苦闘の日々

「お前達!うるさい!
ちゃんと先生の話を聞きなさい!」

ストーリーをお話する前に...
あなたは、どんな高校生でしたか?
少し学校時代を思い出して見てください。

授業は、ちゃんと真面目に聴いていましたか?
新人の先生が赴任してきたら、どうでしたか?
ちょっと、その時のことを想像してみてください。


私ススムは、新人教師として、なかなか授業を生徒たちに聞いてもらえず、毎日悪戦苦闘の日々を送った。
しかし、ある先輩の先生からのアドバイスもあり、次第に、生徒たちに授業に耳を傾けてもらえようになる。

そして、ある日、自分でも驚くような、素晴らしい出来事が起こるのである…。


ススム、いよいよ教師として、初出勤!緊張の中、教師になった実感を抱く。

朝からススムは緊張しっ放しだった。

昨夜もよく眠れず、朝目が覚めても、これから社会人としてスタートする自分のことが想像できず、さらに、新人教師として赴任先の高校の門をくぐることは、いささか興奮もしていて、落ち着かなくなる一方であった。

電車に乗り、揺れ動く車両に合わせて、自分の身体が揺れるはずなのに、揺れ動くのは、ススムの気持ちばかりで、下車する駅が近づくにつれ、どんどんと身体が震えだしていた。

「ちゃんと教師として、
仕事が勤まるのだろうか?」

新しい環境に胸膨らませて、ワクワクしそうなものだが、

自分のこれから置かれる立場を考えたとき、つまり、「先生」という地位に就くということは、いろんな意味で、範を示せる人間であることが大前提になる。

なんてことを考えているだけでも、身震いが止まらないのだ。と、気がつくと、学校の校門の前に
ススムは立っていた。

すると、その横を「おはようございます!」と言いながら、生徒たちが通り過ぎて学校の中に入っていった。

「そうか!
僕は先生として見られているんだ!」

と思うやいなや、何だかとても心が高揚していた。
きっと生徒たちの爽やかな挨拶の声のお陰で、嬉しい気持ちになったのだと思う。

「僕は先生なんだ!」

いつしか緊張していた心はどこかに行き、ススムは校舎に入り、職員室へと向かった...

「えー、先生方、おはようございます。それでは朝の朝礼を始めます。まず初めに、本日は新任の先生達を紹介します。
左から、数学担当の小川先生、社会担当の木内先生、英語担当のススム先生です。お三方とも、新卒の先生方ですので、どう伸びるかは、先生方次第です(笑)。

よろしくお願いします。では、次に本日の始業式ですが…。」

神妙な面持ちで、教頭先生の横に立っていたススムは、恥ずかしくも、嬉しかった。

それは、、、

振り返ると、大学3年生のときに、サークルの会長として尽力し、その間、仲間や後輩に慕われ、
相談に乗ることが多くなっていったとき、ススムは人の役に立ちたいと思い始め、決断した進路が高校教師になることであった。

プロフィールにも、私ススムの大学時代のことが載っていますので、
ぜひお読みください♪)

ようやく願いが叶い、今こうして、初めて、学校の中で、ススム先生」と呼ばれたのだ!

(「先生」と呼ばれるって何だかこそばゆいですが、人間として認められた気分になるんですw

でも、気をつけないと驕りの気持ちを持ってしまうこともあるので、やはり、言葉は魔物にもなりますよね。言葉は人を作るし、人を変えるものです。
ただ、ススムはその「先生」という言葉によって、このストーリーの最後には救われれることになるのですが、それは先のお楽しみにしてくださいw)



その日から一週間、教頭先生や主任の先生から研修を受けた。

どちらかというと、担当分掌の事務的な仕事内容だったので、緊張は続いたが、あっという間の一週間だった。

その最終日に、教務主任の先生から、

「では、来週から授業を始めてもらいますね。担当クラスや時間割は、今渡した教務手帳に書き留めてください。ススム先生は3年生のクラスを主に担当してもらいますね。

3年生は、どのクラスも最上級生なので、
やりやすいと思いますよ。」

その言葉を聞いて、そうなんだ。それは良かったとホッとした。

その後、英語教師の先生達との打ち合わせがあり、色々とレクチャを受けた。

使用教科書、担当科目(皆さんもご存知のように、高校の英語の科目には、英語Ⅰ、英語Ⅱ、英語Ⅲ、長文読解、文法、英会話等、色々な科目がある)、担当クラスなどについて、教えていただいた。

ただ、このときは、先生方がそれぞれの*分掌やクラス担任の仕事でかなり忙しく、レクチャーはさらっと表面をなでるようなもので終わってしまった。

分掌:高校には、普通、クラス担任の他に、教務部、生活指導部、進路指導部、保健指導部、総務部などがあります。
私ススムは、生活指導部に配属されました。

打ち合わせの最後に一番ベテランの高原先生に

「まあ、初めはいろいろあると思うけど、慣れればなんてことないから、頑張ってね」と、励ましの言葉を頂いた。

(そうか、慣れれば大丈夫...)
(それはそうに決まっている!)
(もっとくわしく、
どんな風に授業をやったらよいか

教えてほしい!)

と思ったが、先輩の先生達は、そそくさとその場を離れてしまった。

(完全に、一人ぼっち状態です。それこそ、右も左もわからない新人が途方にくれているのに…
って、確かに甘えていますよね。でも、すぐに先生として、教壇に立たなければいけないプレッシャーは、ハンパなかったのです。

誰かに相談する勇気もないし、誰に話をすればよいのか職場に入りたてだと、それもわからず…。)


教師として、自信がないまま、初めての緊張の授業を行う。しかし、散々な結果に終わる。

最初の週末が来た。
僕は次の週から始まる授業準備のために、部屋に籠もった。いわゆる教案を作るのだ。

教科書と教科書の解説本(そうなんですよ。教科書には必ず丁寧な解説が載っている
マニュアルがあるんです)と、にらめっこしながら、教案を各科目、各担当クラスごとに書いていく。

【そのレッスンの主題となる英語表現(文法)の導入、次に模範リーディング、そして、本文の単の発音、意味の解説、英文の意味(和訳)、演習問題、解説、まとめ】などのような内容を考えていく。さらに、どこの箇所で、生徒にどのように質問するか、どんな例文がわかりやすいか、などなど、いろいろ授業を想定しながら、作成していくのである。

でも、これはあくまでも、机上での案である。生徒たちの前で、これをやれるかどうかは正に未知数である。

(大丈夫かな?英語は得意と言っても、
家庭教師で中学生一人と高校生一人しか
教えたことないし...)

(そうなんです。これが日本の学校教育の現状です。
教員採用試験に合格して採用されれば、新卒でもすぐに教壇に立てるのです。そして、先生になれてしまうのです。
私ススムは、ほとんど未経験に近いまま、教壇に立つことになるのです。

もちろん、教師の資格を取るためには、大学で教職課程で2週間の教育実習があります。

実際の学校で研修を受けますが、やはり、それほど上手くない授業でも、教育実習生として、いわゆるアマチュアとして、許されてしまいます。
実際の研修は、教壇に立ちながら、現場で受けなさいという考え方が、日本の教育養成のシステムだと思います。つまり、経験重視なのです。)

さて、話を元に戻します。

ススムは自信のないまま、翌週からの授業準備のため、土日を必死になって過ごした。週が開け、学校に出かけようとススムは支度をし、朝食を取った。ススムはいきなり、食べたものを吐いてしまった。

極度の緊張状態。

その様子を見ていた母が、「大丈夫?」と尋ねてくれるのだが、そんな母の言葉も耳に入らず、
顔面蒼白で学校へと向かうのであった。

(あ~あ、大学時代も、よく吐いたけど
あれは飲みすぎてのことだし
酒も飲んでいないのに、しかも、
朝から、いきなり吐くなんて。
大丈夫か? 自分?)

と、自分を慰めるとはなしに、職員室の机の前に座り、始業のチャイムを待っていた。
チャイムが鳴ると、ススムは、教科書、チョーク、出席簿、教務手帳(昔は、閻魔帳と言ってました)を両手で大事そうに抱え、これから授業を行う3年C組の教室に向かった。

ドキドキしている心臓の音が聞こえていないといいなと、ありえない心配をしながら、廊下を何かに引っ張れるように、速足で歩いて行った...

(さて、私ススムが赴任した高校は、商業高校でした。

商業高校は一般的に言って、女子の数が多く、この高校も、各学年とも約200名の女子に対して、男子は20名ほどしかいなかったのです。つまり、必然的に女子だけのクラスが、ほとんどでした。

今、ススムが教えようと入っていったクラスも、女子だけのクラスでした。)


「起立!」クラスの係の生徒が発声すると、教室にいた女子生徒たちは、一斉に立ち上がりました。
ススムが教壇の前まで来ると、「気をつけ!礼!」と係の声が続きました。

初めての生徒たちとの対面です。何だか生徒たちはニヤニヤしています。

「着席!」と声がすると、席についた生徒たちは、それぞれあらぬ方向を見て、勝手に話をしだしました。

(あれ?なんだ?
こっちを見ている生徒は、
ほんのわずかしかいないぞ!
なんだよ 挨拶のときだけ
神妙していたのかよ!)

そう思っているススムの心は、既に教室の外にありました。

早くこの場から立ち去りたい

(無理だよ! 無理!)

すると、一人の生徒が、「先生!出欠取らないんですか?」と言ってくれた。

そうだ、そうだった。一人一人の生徒の名前を読んで、出席確認するんだっけ。

「えーと、あんざいさん、いとうさん、いのうえさん、かわださん、...。」

生徒の返事をきちんと確認する余裕もなく、とにかく、生徒の名前を全員読み上げた。

「先生、私、呼ばれてません!」

「えっと!誰だっけ?」

「誰でしょう?」

教室に爆笑が湧き上がった。でも、それはススムに対して、笑ってくれたのではなく。わざとふざけた生徒に向けて、みんなが、喜んでいただけであった。

ススムは途方にくれたが、前に座っていた生徒が、「みわさんですよ」と助けてくれた。

でも、ススムは、

(この子達は、
僕をもてあそんでいるんだ。
負けちゃダメだ。)

と自分を奮い立たせ、自己紹介を英語で始めた。

「My name is Susumu Sawada.
I am 24 years old…..」

予め準備しておいた英文をスラスラと言った。英語には自信があったので、どうだと言わんばかりに最後まで言い終わった時、気がつくと、ほとんどの生徒はススムの方を見ていなかった。

身体が震えだすのを感じていたススムは、それでもなかば強引に、教案通りに一方的な授業を行った。

生徒たちの私語に終始した授業が、チャイムの音で終わった。

職員室に戻ったススムは、もう泣き出したかった。

でも、思ったことは

(生徒たちのせいじゃない!)

(自分が拙い授業を
やったからだ!)

結局、初日の授業は、他の教室に行っても、ほぼ同じようなものであった。仕事が終わり、帰宅途中の電車の中でも、帰宅しても、ずっと授業のことを考えていた。

仕事から開放された嬉しさなど、かけらもなかった。とにかく、また明日のために、しっかり準備しないと。

それと、

(どうやって、
生徒たちを静かにさせるかだ。)


どうすれば生徒達を振り向かせることができるのか? 思い切って取った行動、、、 それは “叱ること” だったが・・・

自分の部屋で、夕食を取ったことも忘れて、机に向かい、明日の授業の教案を考えた。そして、生徒たちのことを考え始めた。

今度はリアルに生徒の顔が浮かび、その様子も想像できる。でも、考えれば考えるほど、自信を失うのである。あの子たちをどうやって、こちらの話に耳を傾けさせればいいんだ。

実際、英語の教科書の内容は、あまり面白いものではない。

商業高校の生徒たちは、大学受験する生徒はほとんどいない。英語は必要な教科として、
彼女たちは見ていないのだ。

だから、なおさら英語の授業に耳を傾けさせるなんて、至難の技である。まして、私には必殺技を
まだ持ち合わせていないって、

こんな結論じゃ、明日も思いやられるだけだ

やっぱり、新人としてなめられているからだな 

やっぱり、一度ガツンと叱ってみよう)

次の日、一番私語がうるさいクラスの授業で、思い切って怒鳴ってみた。

「うるさい!先生の話を
ちゃんと聞きなさい!」

大きな声で言ったものの、そのススムの怒鳴り声も、集団の私語の音量の中では、かき消されるだけで、ぜんぜん効果はなかった。

(怒鳴るだけの先生は、いくら新人教師とは言え、失格ですよね。

それなのに、やらかしてしまうのです。)



ススムの授業は、何も好転せず、およそ3カ月が過ぎた。

ススムが朝、食後吐いて仕事に出かけることも、日常茶飯事になってしまっていた。そんなある日、とうとうススムは、授業で生徒たちに向かって、爆発させてしまった。

そのうるささに激昂し、一人の女子生徒めがけて、チョークを投げた。もちろん、当てるつもりはなかったが、チョークは顔をかすめたのである。

「先生!ひどい!
生徒にチョーク投げるなんて!
最低!」

投げられた生徒の横に座っていた別の生徒が、声を荒げた。

ススムは、ハッとした。自分はこともあろうに、生徒に何をやってしまったのだろう!

でも、手遅れだった。沢山の白い目がススムを見ている。

静まり返った教室で、ススムはその生徒に謝った。

「申し訳ない。
当てるつもりはなかったんだ。」

と、口から出てきた言葉も、謝罪ではなかった。白けた空気の中、ススムは仕方なく、授業を再開した。もう自分が何を話しているのかも上の空で、苦い気持ちのまま、教室を後にした。

(どうしよう!?...
一体、生徒に何をやっているんだ!)

(こんな授業をやっていて、
何が先生だ!)

ススムは、自分を責めた。

憧れていた教職に就いたのに。

ススムの心は傷んだ。何よりも大切にしなければいけない、何よりも愛情を注がねばならない生徒にむかって、取った行動は、完全に逆を行くものであった。いくら新任教師とは言え、人間として、人に対する振る舞い方に気を配ることくらい、できなければ嘘である。

感情に任せて、チョークを投げるなんて

完全に失格である。

ススムは、自分を責めに責めた。考えれば考えるほど自分が嫌になっていた。もう誰かに、思い切り殴ってもらわないと立ち直ることもできないとさえ、思った。



 

 

ススムは、教員採用試験のことを思い出していた。

採用試験の二次面接で、試験官に向かって、


「現代の学校での問題は、
生徒を思いやる心が欠けている教師が多いと思います。」


「教師にとって、一番大切なことは、生徒への愛情です!」
と、なかば興奮気味に堂々と話した。

勝手な妄想で、まだ見ぬ生徒たちへの思いを馳せて、採用試験の面接であることも忘れて、熱く語っていた。


 

そんなことを思い出したススムは、まさに穴があったら入りたい状態だった。職員室で暗い顔でうなだれているススムの肩を叩いてくる一人の男性教員がいた。

中田先生であった。

中田先生は、商業科目担当の先生で、いつも明るく元気一杯に振る舞っている若手のホープと言われている先生だった。

確かにいつも颯爽と大型バイクで登校してくるその姿は、ススムが憧れてしまう青春ドラマの主人公のようなタイプだった。もちろん、中田先生は女子生徒たちにも人気があった。

「よう! どうした? 元気なさそうだね?」

と、中田先生は、ススムに声をかけてきた。

(中田先生は、その後も、いつも私のことを気にかけてくれ、事あるごとに声をかけてくれました。

私は、生徒だけでなく、職場の仲間にも思いやりを示せる中田先生のような教師になりたいと思ったものです。

因みに、中田先生は、いくつかの高校に赴任した後、校長先生になりました。やはり、出来る人は、違うよな〜w)

ススムは、チョークを投げたことは黙っていたが、ずっと授業がうまくいかなくて、悩んでいることを告げた。

そうか...実際、どんな感じで授業をやっているんだい?…なるほど、それはなかなか厳しいね。

沢田先生は、真面目にやろうとしすぎているね。いや、もちろん、内容は真面目でなきゃだめだけど、展開の仕方が、平坦すぎる。特に、出だしが肝心だよ。

落語聞いたことあるかい?落語っていきなり本題に入らないでしょ。                   

まず、その場の空気を作るんだよ。本題に入る前に、ちょっと世間話をしたりするマクラ(枕)があるんだよ。一度、落語聞いてみたらいいよ。ヒントがあると思うよ。」

ススムは落語を聴くのは好きだった。既に「枕」があることも知っていた。でも、そうか、授業に応用すればいいんだ。

そう考えたススムは、少しだけ元気が出た。


先輩がくれたヒントが功を奏し、生徒の心が動き始めた!

翌日から、早速授業の始めに、ちょっとした雑談することにした。その日のニュースの話や、自分の大学時代の話、サークルの話、大好きな映画の話、音楽の話、好きな芸能人の話、などなど。

初めは、生徒たちもキョトンしていたが、いきなり硬い話を真面目にするではなく、雑談から始めるので、その分授業時間が少なくなると喜び、だんだんと、ススムの枕に、耳を傾けるようになっていった。

その後、「枕」に慣れてきたススムは、本題である英語の話も落ち着いて、話し始めた。

なぜ英語が必要なのか。英語はなぜ楽しいのか。

そして、教科書から離れて、英会話の表現も教え始めた。いつか海外に行って、あるいは国内で出会った外国人と英語が話せるといいねと、硬い内容の教案を度外視して、教科書には載っていない英語独特のフレーズを教え始めたのである。

ワンポイントレッスンと称して。

生徒たちは面白がって、ススムのあとについて、その会話表現を言い始めた。

例えば、ある授業では、

「では、今日のワンポイントレッスンは、
bullshit だ。意味はね。bullは雄牛 、shitはう◯こ。」

「きゃ〰、牛のう◯こ、だって」と嬉しそうな反応の声があがる。

(女子は、う◯こという言葉を聞くと、なぜか喜ぶことをこの時知ったのである。)

「その牛のう◯こは直訳で、実際の会話では、なんてことだい!のようなウンザリする気持ちを言いたい時に使うんだ。

例えば、こんな走らされて、全く嫌んなっちゃう、は、This running is total bullshit ! て、言うんだよ。OK? では、Repeat after me. 」

「This running is total bullshit!」(生徒たちが大きな声で、真似して後に続いて言う。)

「でも、いいかい、こんな表現は、絶対にフォーマルな場所で言ってはダメだよ。」

「えー、そんなこと言われたら、余計言いたくなっちゃう。Bullshit!」(爆笑)

こうして、授業の雰囲気が一変したのである。

でも、日によっては、やはり、英語嫌いが多いクラスでは、なかなかうまく行かないときもあったが、

ススムは、何だか晴れやかな気持ちになっていた。

自分の話に耳を傾けてくれる生徒が、増えている実感を持てたし、徐々に、クラスによっては、楽しい授業もできるようになっていたからである。


自分の語った話で、生徒の心を震わせることが出来た!

ある日、
とてもビックリすることが起きた。

ススムには、授業を楽しみにしているクラスがあった。

3年B組である。このクラスは、なぜだか馬が合う感じがしていて、教えていて楽しさを感じるのである。

特に、一人積極的に話しかけてくれる生徒がいて、ススムの話に、みんなに聞こえるように反応し、
授業をいわば盛り上げてくれていた。

クラスのリーダー格の生徒で、言ってみれば、私を助けてくるような存在だったのである。

(その後、私が担当するクラスには、必ずと言っていいほど、私を助けてくれる生徒が現れるのです。

そして、助けてくれる生徒の数が一つのクラスに一人ではなく、年を追うごとにどんどんと増えて行き、最後には、クラス全員が私を支えてくれるような時期が来ます。

そんな教師冥利に尽きる展開はまだまだ先の話です。)

この生徒が、その日、授業の初めに、ススムにこんなことを言ってきた。

「先生、私達、そろそろ進路先を決めなきゃいけないの。

商業高校だから、
ほとんど就職するんだけど、でも、本当にそれでいいのか悩んじゃったりするんだ。

やっぱ、大事なことだから、簡単には決められない。

働くことが嫌ではないけど、もう少し、勉強したいって気持ちもあるし、
でも、自分が本当は何に向いているのか、今は全然分からないし...

本当は、ちょっと美容師にもなりたいって思っているんだ。

先生、どう思う?」

英語の授業であることをお構いなしに、その生徒はそうススムに訊いてきた。

「そうか...じゃあ、ある女性の話をするね」

と、ススムは英語の授業をやめて、話し始めた。

(因みに、一般的にこんな授業をやることは、許されていません。きちんと指導計画に則って、カリキュラム通りにやることが教師の勤めとされています。

でも、ススムは、この時を皮切りに、普通じゃない先生になっていくのです。文科省の方、教育委員会の方、申し訳ありません。w)

僕の知り合いの女性なんだけど、
ごく普通の高校に入って、通っていたけど、
どちらかって言うとあまり勉強は好きではなく、
毎日楽しければいいって考えていて、
友達と遊んでばかりいたんだ。
高3になって、三者面談で担任の先生に、
進路どうすると訊かれて、

「何も考えてません。
第一、大学なんかには行けないし、
行きたいとも思っていなし。」

「そうだよな、こんな成績じゃ。
でも、だったらどうする?」

この女性は、その場で考えても、
答えが出なかったが、

「そういえば、おまえ服が好きだよな?
どうだ?服飾の専門学校に行くのは?」

女性は
「あっ、それでいいです」
と返事をした。

なぜなら、彼女は、確かに服が大好きで、
自分で布地を買ってきて、
見様見真似で自分のために
服を作っていたのだ。
世界で一点物よ、と周りに自慢していた。

そんなファッションに興味があった彼女は、
専門学校に行くものも悪くないなと、
思ったからであった。

その後、その女性は、軽い気持ちで、
ある服飾専門学校に入学したのである。

驚いたことに、それまで、
学校で学ぶことが嫌いだった彼女は、
水を得た魚のように、
夢中になって勉強し始めた。
服飾の学びが純粋に面白かったから。

毎日課題も出るのだが、
それを毎晩、徹夜してやってしまう。
そんな彼女は、最終学年の時、
学校で2番の成績を取った。

そして、学校から卒業後は、
この学校の教師として、
服飾の指導をしてくれないかと
依頼されたのである。
もちろん、彼女は断った。
先生という立場の人が苦手だったからである。

でも、まさか自分が先生にならないかと
誘われたことは、彼女は嬉しかった。

卒業後は、さらに服飾のことを極めたいと、
また別の学校に通った。

その時も、寝食を忘れて、
毎晩徹夜を繰り返し、
とうとうドクターストップがかかった。

これ以上、頑張ったら、
身体を壊し廃人になってしまうと。

それで、やむなく、1年間自宅で療養した。

1年の療養後、彼女は、
「そろそろ働かないとね」
と、就職先を探し始めた。

そして、新聞の求人欄に
小さく載っていた記事を見つけた。
それは、ある有名なデザイナーの会社が
事務員を募集しているものであった。

「私、ここがいい」

それを知った周りの人間は驚いた。

確かに、デザイナーの会社だけど、
事務員の求人だから、ありえないでしょ、と。
すると、彼女は、

「いや、いいの、
私このデザイナーさんの服が好きだから、
そこで、働かせてもらいたいの

だから、事務員じゃなくて、
ちゃんとデザイン部門で、
取ってもらうように受けて来る!」

こうして、彼女は、採用試験に行った。
まず一般教養の試験があり、
その後、面接試験があった。

面接官は、この試験結果では、
正直採用は厳しいですね、と言ってきた。
それに、彼女はこう切り返した。

「はい、わかってます。
一般教養は、全然勉強していないですし、
でも、服飾の専門の知識と技術は
誰にも負けません。
なので事務員ではなく、
デザイン部門で採用してほしいんです!」

面接官は驚いた。
しばらくすると、奥の部屋から、
外国人が現れた。副社長であった。
そのフランス人の副社長が、

自ら面白い子が受けに来ている、
と確かめに来たのだ。
もう一度、彼女は臆せず、副社長に言った。

「私をデザイン部門で働かせてください。
自信はあります」

副社長は、応えた。
「いいでしょう。
今から特別に試験をしてあげる。
課題を出すので、
午後その課題をやってください。」
(フランス語なまりで)

こうして、彼女だけ、
一人特別に試験を受けた。
その試験も終わり、
担当社員から、この結果は後日連絡します、
と言われた彼女の自宅に
翌日、合格です。採用されました。
と電話があった。
こうして、彼女は、
一流ファッショデザイナーの会社の第一線で、
念願の仕事をし始めたのである...

さて、こんな女性の話をどう思います?』

私の話が終わった後、一瞬、教室内が静まり返った…。

と次の瞬間、

クラスから大きな拍手が湧き上がった。

そして、
「先生、ありがとう!
私、感動しちゃった!」
と泣いている生徒もいた。

人生その場でのことだけでは、どうなるのかわからない、急いで決めなくてもよい、出会ったもの、与えられたものを一生懸命やっていると、その先には、大きな素晴らしいことが、起きるのだ。

このことを彼女たちは感じ取ってくれたのだと思う。

ススムは、まる一時間、英語の授業をつぶして、話して良かったと思った。

もちろん、話したススム自身も感動していた。自分が話したことに、生徒たちが感動してくれたからである。

職員室に戻ると、気持ちを抑えることが出来ず、中田先生にすぐ報告した。

「先生、生徒たちが私の話に感動してくれて、拍手してくれたんです!」

(このときの感動は、今でも忘れません。初めて、教壇に立って経験した大きな感動でした。

そして、この経験が私ススムの教師としての、大きな礎となったのです。)

(また、このときにはススムは気づいていないのですが、授業は教師からの一方通行では、生徒は話を聴いてくれないし、生徒と双方向でのやり取りで、生徒と共に作り上げるものなのです。

そのことによって、楽しい授業、受けてみたい授業になるのです。

また、時として、感動も生むのです。もちろん、教える教科の高い専門性も
求められますが、今後のススムの教師としての成長ぶりにも注目してください。^^)

そして、心の中では、感動と共に、自分の妹にそっと感謝もしていた。

話に出てきた女性とは“ススムの妹のこと” だったのである。

(この連載型ストーリーには、ススム家の人間を、この後も登場させようと思っています。

なぜなら、私の自慢の家族ですし、色々面白い話が一人一人ありますので、

乞うご期待♪)

(つづく)


<<次回予告>>

ある日、
数少ない男子生徒の何人かが、それまでなかったサッカー部の設立をススムに依頼してきた。ススムは、彼らの思いを訊き、快諾した。サッカー部を作るためには、職員会議で議案として提出し、先生たちの支持を得なければならない。しかし、体育のベテラン教師に猛反対されるのである…。

次(第2話)へ

 

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