ススムのプロフィール


〜ススムの懸命に生きた
人生〜

こんにちは
ススムです。

“人に歴史あり”

とはよく言いますが

私も人生のヒストリーをそれなりに紡いできたと思います。

NHKの大河ドラマほどの壮大さはありませんがw

まるでジェットコースターのような人生でした、、、

そんな私、ススムの人生を大公開しちゃいます。

まずは、プロフィールからご覧ください。

ではでは〜♪^^


個人基本情報

【氏名】ススム(ネットネーム)
 *本名はリアルで仲良くなったお方には、
 お伝えしています。

【身長/体重/血液型】173cm/67kg/0型

【年齢】64歳 66歳になりました^^;

【職業】英語講師(メイン)、心理カウンセラー(ボランティアでの仕事です)

【趣味】 
カラオケ(スタンダードジャズ♪)、スキー(SAJ1級)、英語の勉強(当たり前かw)、映画鑑賞、音楽鑑賞、読書(自己啓発、心理学、文学)、スポーツ観戦(サッカー日本代表サポーター歴50年)

【座右の銘】一期一会

【今までに一番感動した映画】
『生きる』(黒澤明監督)
*最近、カズオ・イシグロの脚色によってリメイクされました。
 アカデミー賞にノミネートされましたね♪

【人生で一番影響を受けた人】
中村天風、稲盛和夫、メンターであるW氏、父親

【好きなアーティスト】
サンタナ、サディスティック・ミカバンド、
高中正義、山下達郎、MISIA、
そして、
今年他界された坂本龍一・高橋幸弘 合掌

【憧れのヒーロー】バットマン🦇

個人年表(経歴)

・幼少期:いわゆる貧乏長屋のバラック小屋で過ごす。
*畳はなく、ゴザの上で生活を送る。
因みに、2軒先の家からボクシング世界チャンピオンが誕生しています。
(まるで「明日のジョー」の世界ですw)

・15歳(中3):学校のヒーローになる。
*英語劇(区大会)の主演、
サッカー部キャプテン、クラス委員長、3つの委員会委員長(規律委員会、保健委員会、クラス委員会)、
生徒会長の全てに就く⁉

・16歳〜18歳:工業高校に進学し、不登校となる。
*父の経営する建築事務所の跡取りとして、
自ら工業高校建築科を進学先に選ぶ。

・20歳:都内某有名私立大学に合格。
*父の会社の跡継ぎを断念し、2年間浪人し、
独学で猛勉強し合格を勝ち取る(^^♪

・22歳:大学の音楽サークルの会長に選ばれ、
サークルのために尽力する。
*有名なミュージシャンにも知られている名のあるサークルの会長として、多くの仲間や後輩に
慕われる存在となる。

・24歳:高校教員試験合格 高校教諭となる。
*当時のテレビの青春ドラマを地で行く
「高校英語教師でサッカー部顧問」という

夢を実現させる😊

・24歳〜50歳:高校教師として、
学園ドラマの主人公のような教員生活を送る。
ある赴任先の高校では、学校の人気者の教師となる。
*この学校では、GTS(Great Teacher Susumu)とあだ名がつけられる❤

・43歳:夜の女性に夢中になる。
*その女性(カナ)と恋仲になり、
密かに愛を育む💑

・45歳:カナが交通事故に遭い、首の骨を骨折する。その後、行方知らずとなる。

・46歳〜49歳:カナと奇跡の再会を果たすが、最後には別れが訪れる。

・50歳:家庭の事情で離職する。

・52歳〜64歳:英語講師として復活する。
*再び、生徒たちから慕われる存在になる。

・63歳:メンターに出会う
*メンターとの出会いによって、
自分の真の使命を知る✨

・現在:英語講師として仕事をする傍ら、新たな人生を歩み出している。

以上が私、ススムの経歴です^^


ススムの人となり。どのような思いで生きてきたのか。

さてさて、もう少しお付き合いください(*^-^*)

皆さんは自分をどう評価されてますか?
高評価ですか? それとも微妙ですか?

私、ススムの子供の頃から大人になるまでの
自己評価はずっと低いものでした。

自分は何もできない男である❕

何においても不器用である❕

自分は真面目以外、
何の取り柄もない男である❕

えーっ、うそー! 
と思われるかもしれませんね。
確かに、私の経歴のいくつかを見ると
にわかには信じ難いかもしれません。
成功しているときも、
それはあるにはありました。

でも、その成功している自分は
実は自信がなく
自分の思いと、周りの人の私への評価には
大きなギャップがありました。
常に、心の奥底にある自分への思いは
首尾一貫して変わらなかったのです。

自分はダメ男である!

(劣等感こそが、自分を推し進められた原動力だと、今の私はわかっています。)

なぜ自分をダメだと思ってしまうのか?
高いハードルを掲げて、
そこに到達していないから、
自己を認めることが出来ないと
思われかもしれませんね。

私の場合のハードルは
父親の存在でした。
その父のことを母は

お父さんは凄い人なのよ。
お父さんのように
立派になりなさい!

こう言い続けていたのです。
私はすっかりプレッシャーを
感じてしまいました。
また、実際に身近で父の凄さを感じる度に
どんどんと萎縮していったのです。
そして、容易には自信を持つことも出来ず
結果、どんどんと内向的に、
また消極的になってゆくのでした😢


中学生~高校生 明と暗

本格的な心の葛藤は
中学生になってから始まりました。

消極的な私はできるだけ目立たぬように
しているつもりなのですが
気がつくと不思議なことに
私は色々なポジションに人から選ばれてしまうのです。

僕がクラス委員長?

僕が生徒会長!?

サッカー部のキャプテン!?

英語劇の主演!?

なぜなんだと自問自答しました。

確かに、人柄は温厚で協調的だし、
サッカーは小学生の頃よりやっていたし、
英語も人よりは出来たとは思うけど、
だからと言って、
そこまで求められる力があるとは思えない...

本当に参るよな。
誰か助けてくれ〰

と心の中で叫んでも

神様が助けに現れるわけでもなく
皆さんならどう思われます?

光栄なことじゃないですか

って思われますか?

私には

損な役回り

としか考えられなかったのです。
やむなく、
真面目しか取り柄がない私は
必死になってその役目を果たすしかないのです。
いつもクタクタになっている自分がいました。

目立たず、独り静かに過ごしたいのに
なぜ周りの人は
放っといてくれないのだろう?


親の前でも必死になっていました。
長男である私は跡取りとして
期待されていることが
暗黙のうちに伝わってきたからです。

自分の本心とは裏腹に
中学3年生になると、
父の経営する建築事務所の跡を継ぐため
普通科の高校ではなく、
工業高校建築科に進学することを
決意したのです。

一方、中学校の先生たちは

ススムは優秀な生徒だ

と私を評価していました。

なので、私の選択に先生達は
本当に驚いていました。
(当時の工業高校はいわゆるヤンキーが
集まる高校だったのです)

職員室で私を可愛がってくれていた英語の先生に
工業高校に進学しますと、
話すと猛反対されました。
その会話を聞いていた先生達みんなも
同じ気持ちで私を見ていました。

その時、
私は、職員室じゅうが響くように

僕の人生なんだから、
いいじゃないですか!

と大声を上げました。

でも、本当は強がっていただけでした。
心の中では、みんなが期待している進学校なんかには、絶対合格しない!
だから、跡を継ぐという名目で工業高校を選べば
許されるんだと
言い訳として強がったのです。

本当は、本当は...

進学校でなくても、普通科の高校に行って
大好きな英語を勉強したかった😞

因みに、なぜ英語がそんなに好きなのかというと
小学生のときに同居していた高校生の叔父の影響なんです。
叔父はこの音楽カッコいいだろうと、
小学生の私に洋楽をしょっちゅう聴かせ
初めは訳もわからなかった私も段々とその音楽に魅せられていき
やはり歌っている意味を知りたいと
自然に英語に興味を持つことがきっかけでした。

その後沢山の洋楽のヒット曲を歌えるように
歌詞を覚えていくうちに、
英語そのものが好きになっていました。
すると、中学生になって学校で教科として
学ぶことになったとき
授業が楽しくて、
さらに英語塾にも通わせてもらい
結果、一番得意な科目になっていたのです✨

閑話休題
理数系科目は、からっきし苦手で
(例えば、数学は40点以上
取ったことがありません。)

英語しか出来ない私は
普通科には合格しない
叶わぬ夢だと考えていました。
行き場のない私にとっては工業高校への進学は
やむを得ない進路選択だったのです。

中学生の心には耐えられない命題でした。
結果、心の制御が出来なくなり
家に引き籠もってしまいました。
中学3の3学期は全く学校に行かず
自分の部屋に籠もり、
毎日ぼーっとしていました。
学校には行きたくなかったのです。

またもや、本題から余談に移りますが
心に負荷がかかりすぎた時、
例えば、親に過度の期待をされ
それが実現できるか
自信がもてなくなるような時、
思春期の子供は、
心そのものに意識を持つことが難しいので
つまり、自分を客観視することが出来ないので、
心が重荷を背負うことになり、そのことによって
心が動かなくなってしまうのです。

いわば心のエネルギーを使い果たし
それと連動して身体も動かなくなるのです。
結果、家から出られなくなり、
引き籠りになってしまうと考えられます。
もし、お子さんが、引きこもりの親御さんが
いらっしゃったら、
ご参考にしてください。

話を元に戻します。
学校に行けば進路について
先生達から反対意見を聞かされるし、
私への評価にうんざりしていました😢

結局、私は気持ちが不安定なまま
周囲の考えを振り切り
工業高校に進学することになるのです。



さて、実際に工業高校に進むと、
予想通りの展開が待っていました。

そこにはいわゆるヤンキーたちが
ウジャウジャいました。
ヤンキーがたくさんいる学校って
想像できますか?
本当に怖いです(汗)w

そこにいた先輩たちは、
髪はリーゼント、制服は長ラン、
ボンタンに腹巻き姿。
見事なまでの「つっぱり君」の出で立ちです。

怖くて一人で廊下を歩いたり、
トイレに行くことも出来ませんでした。
目が合えば、
おまえ今、眼(ガン)つけただろう!
といいががりをつけて
ボコボコにされる危険性があったからです。

うひゃー!
こんなところに毎日通うんだ!

別に高校に精神修行に
来たわけじゃないよw

こんなキツイ状況に加えて、
もう一つ厄介なことがありました。
建築科の授業は、私の不得意の理数系科目が
目白押しだからです。
必死になって授業を聞いても
チンプンカンプンで、
お手上げ状態が続くのです😞

なんでここまで無理して
学校に行かなければいけないんだろう?

悩みが始まりした。
このままだと卒業もおぼつかない
まして建築事務所の跡継ぎなんて不可能だ!
どうやって親に言い訳しよう。

来る日も来る日も考えていました。

真面目にやろうとしたって
土台無理な話だ!

英語しか出来ない僕が
乗り越えられるわけはない!

やっぱり僕はだめな男だ。



その思いがだんだんと大きな悩みに変わり
気がつくと父と一切口を聞かなくなり
顔も合わせることを
避けるようになっていました。

この人がいけないんだ!

この人がいるから
僕は苦しんでいるんだ!

父と息子のよくある確執だ
と思いますよね。

でも、それだけでは片付けられないものが
私にはのしかかっていたのです。
それは父の苦労してきた道です。

父は、ある地方の畳屋の丁稚奉公に入り
兄弟子達に散々いじめられ
逃げるように家出して東京に来ました。
その後、大工になり、
優秀な副棟梁になり、
将来は棟梁になる予定でした。

しかし、原因不明の病気で左手が
まったく動かなくなり、
切断するしかないと
診断されたのです。
(明日切断の手術という日に知り合いから
別の大学病院を紹介され、かろうじて
切断しないで済みましたが)

当然、父は大工をやめざるを得なくなり、
建築士になるべく、一から建築設計を学び
やっとの思いで、自分の建築事務所を
立ち上げたのです。

父の苦労を目の当たりにしてきた私は
父の会社を父の代で終わらせることはできないと
考えようになっていたのです。

私は完全に袋小路に入ってしまいました。
取った行動は学校をサボることでした。

朝、家を出ると、通学電車を途中下車し、
駅近くの公園のベンチに座り
一日をぼーっと過ごすのです。
そして昼になると母が作ってくれた弁当を広げ
涙を浮かべなら食べるのです。

僕は何をやっているのだろう!と。

やっとの思いで出した答えは、
跡を継ぐことは無理だから
家出しよう、でした。

この置かれた状況から逃げよう。
そのためには、
誰も知らないところに行けばいいんだ。

ススムの当時の結論です。
一人でいることが全く苦にならない私には
家出すれば一人勝手気ままに生きられるから、
こんな楽なことはないと
安易に考えていたのです。

ある日、家に帰り、夜こっそり部屋で
家出のために荷作りしていると
母がいきなり部屋に入ってきて

何をしているの?!と聞いてくるので

いいだろう! 
家出するんだから!

と返答しました。
母(肝っ玉母さんです)に

わかりました。
でも、きちんとお父さんに
話してから出ていきなさい

そう言われました。

はたと、困ってしまいました😞
高校生になってから、
2年以上口を聞いていなかったからです。
大嫌いになっていた父と話をしなければ
家は出られないんだ。
仕事から帰ってきた父に
決死の覚悟で、思いを伝えました。

ごめんなさい! 

僕は跡を継ぐことなんか出来ないよ!

役立たずだから、
家を出たいんだ!

勘当してくれても
構わないよ!

どうせ家に居たって

何にもできない
どうしようもない
奴なんだから!

父は落ち着いた声で
こう話してくれました。

お前に跡継いでほしいと
一度でも言ったことがあるかい?

それは親として跡を
継いでくれたら嬉しいよ

でも、おまえの人生なんだから😊

好きなことをやっていいんだよ。

その言葉を聞いて
気持ちを抑えることができず
目から涙がハラハラと溢れだし
声を出して泣きました。

結果、家を出ることはなくなり、
自分の好きな道を選ばせてもらいました。
大学に進学し、英語を学ぶという道でした。

とは言うものの、高校に入ってからは
不登校となり
勉強らしい勉強もほとんどやっていません。
大学に合格するなんて
無謀な挑戦でした。

でも、今回は心の底から自分が望んだ選択です。
簡単には諦めたくはありませんでした。

一世一代の大チャレンジをするだという
ちょっと大げさな思いもありました。
そして、猛勉強が始まりました。
一日中部屋に籠もり、毎日朝まで勉強しました。

でも、そうやすやすと受かるわけがありません。
現役では、どこも受からず。
1年浪人してもやはり全落ちでした。
浪人2年目に入り背水の陣で
死にものぐるいで勉強しました。
今度落ちたら働こうと覚悟を決めたからです。

果たして、その受験結果は



合格!

奇跡的に志望校に合格しました✨
大学構内にある合格発表掲示板に
私の受験番号があったのです。
信じることが出来ませんでした。

何かの間違えではないか。
入学手続きの書類をもらえる受付に行っても
私の番号があったのですが、
間違えではないですか?
と聞いたほどです。

僕のような英語しか出来ない人間が、
私立難関大学に、しかもその大学の看板学部に
受かるわけなんかない。
しばらく、呆然とその場に佇んでいました。

ようやく心に浮かんだ言葉は、

「努力が報われたんだ!」

でした。

こうして、晴れて大学で自分の学びたかった
英語を専攻することになったのです😊


大学時代 復活

ようやく春が訪れたかなと考えたいですよね。
確かに都内の有名大学の大学生になったわけですから
浮かた気持ちを持ったっていいじゃないかと

ところが、そうは行かなかったのです(汗)

私の所属する学科は、
英語を得意とする学生が集まるところです。
そこでの授業の多くは、
アメリカ人やイギリス人の教授によるもので、
もちろん、英語で行われます。

毎日必死でした。
何を教授たちが話しているのか
聞き取れないからでした。
このままではいけないと、
夏休みに1ヶ月遊ぶこともせず、
家でひたすらリスニングの勉強をしました。
夏休みが開け、後期の最初の講義を
ドキドキしながら受けました。

思わず声を上げそうになりました。
わかるぞ!
先生が言っている英語が聞き取れるぞ!

ようやく自分を取り戻した感じがしました。

そして、
少しだけ自信を持てた
気がしました。

なぜって、ハイレベルな英語の授業に
この僕がついていけていると
思ったからです。

それに、可能な時は一番前の席に座って、
一生懸命ノートを取っていた私は、
クラスメートの女子たちに
ねぇ、ススム君、ノート貸してくれないかな?
と頼まれることがあり
えっ、優秀な現役で入学してきた女子学生
(しかも可愛いw)が
僕にものを頼んでいるぞ!
ちょっとだけ有頂天になりました😃

でも、ノートを借りたクラスメートの
女子の方が、真面目に授業を受けていた僕より
その科目の試験の成績が良いことを知り、
愕然としました。

あぁ、やっぱりな。所詮そんなもんさ。一生懸命真面目にやったって
優秀なクラスメートの女子たちには
太刀打ちなんか出来ないんだ😞

またある日夜のテレビ番組を見ていると、
あれ?どこかで見たことがある女の子がいるぞ
クラスの私の出席番号の次の番号の
水木さん(仮名)でした。
教室でいつも隣に座っているので
間違えはありません。

その水木さんが水着を着て、
芸能人たちとゲームをやっている。
一体何のことなのか。
彼女は大学の準ミスに選ばれていて、
各大学のミスコンで1,2位になった
女子たちと番組を盛り上げるために
登場していたのです。

そうだよな。
頭がいいだけでなく、きれいで可愛いし、
こうやってチヤホヤされている女子が
僕のクラスメート?
少しだけ持つことが出来た自信も
脆くも崩れ去っていったのです😢

こんなこともありました。
英会話の授業を担当している
アメリカ人の女性の先生から、
今度パーティーをやるから
ぜひ遊びに来てと、誘われました。

パーティーなんて、初めてだ! 凄い!
この僕がアメリカ人の先生に招待された!

そのパーティー会場に行くと
同じ大学の学生たちがオシャレな服装をして
楽しそうに歓談していました。
私はもうその場を逃げ出したい
気持ちでいっぱいでした。

パーティーと言ったって、
学生達が集まるのだから、
カジュアルな服装でいいやと
勝手な判断で臨んだ私は、
ジーパンに薄汚れたトレーナーという
服装だったのです😲

しかも、パーティーのホストであ
アメリカ人の先生が
私の娘を紹介するわと、先生の後ろから、
金髪の目のくりっとしたきれいな女子が
現れたのです♡

先生は「若い者同士でお話してね」、
とその場から立ち去ってしまいました。

私は、そのきれいなモデルのような
アメリカ人のお嬢さんに
何を言っていいのか分からず、
頭が真っ白になり、Helloと言ったきり、
後はただそこに黙って立っているだけでした(-_-;)

当然、お嬢さんは、
ぷいっとパーティー会場の奥の方に
行ってしまいました。

後日、テレビに流れてきたある清涼飲料水の
コマーシャルを見ていると
あれ?この間、
紹介されたアメリカ人の先生の娘さんじゃないか!
そうなんです。
モデルのような女性ではなく、
本当にプロのモデルさんで、
お父様が日本支社の社長をされている企業の
商品のコマーシャルに
娘さんが出ていたのです✨

(↑パーティーの写真です。
一番手前、左に立っているのが、先生のお嬢さんです。
私は、一番奥の真ん中に
暗い顔をして立っていますw)

こんなことが度重なるうちに、
こう思うようになりました。

僕は選んだ大学を
間違えたのかもしれない。

居場所が見つからない大学に
来てしまったのではないか😞

またもや、うまく行かないダメ男の烙印を
自分に押しそうになり始めていました。

もがいていました。
何かしらの打開策を見つけないと。

そうだ大学と言ったら
サークル活動があるじゃないか!
って気づくのに随分時間がかかりましたw

大学にはたくさんのサークルがあったのですが、
小学生の頃より洋楽が好きだった私は
中学、高校とギターを趣味にしていたので、
音楽サークルに入ろうと決めました。
ただ、活動の見学に行くと、
どのサークルもレベルが高く、
無理無理と中々選べないでいました。

そこで、バンド活動がメインではなく
海外のアーティストたちの音楽そのものを研究する
サークルを見つけ、その部室の扉を開けました。

中はタバコの煙がモクモクと充満していて
汚いジーパンを履いた
ロン毛の学生たちがいました。
その先輩たちの姿を見て感じたことは

あれ?ここにいる人達は、
うちの大学のイメージとは
かなり、かけ離れているぞ!

あまり、かっこいいとは言えない
野暮ったい人たちだな。

という感想でした。
でも、何だか、ほっとして、
ここなら僕でも大丈夫だと
自分のことは棚に上げて、
入会することにしたのです。

しばらくすると、このサークルも
ただ洋楽の研究するだけでなく
バンド活動もやっていることを知りました。
メインは学園祭でライブ演奏をするためでした。
少しだけベースが弾けた私は
先輩のバンドに誘われ、
一緒に活動することになりました。

仲間が出来、バンド活動やら、飲み会やらで、
楽しみが増え
何だかやっと大学生になれた気がしました。😊

いつしか
入学した頃の悩みも消えていきました。
自分の居場所を見つけたことで
気持ちにゆとりが生まれ、
優秀な女子学生たちと自分とを
比較することもしないで
済むようになっていました。

自分は自分なんだ
と思えるほど
成長していったのだと思います♡

(↑一番左が、学園祭での
ライブ演奏中の私です。)

サークルでは、先輩たちが引退し
次の幹部を選ぶ選挙がありました。
ただこのとき、同輩の仲間に誘われて、
サークルを辞めるつもりでした。
楽しくても、英語専攻で入ったのだから、
しっかり英語の勉強をやりたいという
思いが強くなっていました。
だから、サークルの遊びなんかに
いつまでも、うつつを抜かして
ばかりはいられない、
そう思っていました。

サークルを辞めることは
前向きな選択だったので、
後悔はありませんでした。
ところが、選ばれてしまったのです(-_-;)

会長に

何ということでしょう。
またもや、自分が願うこととは
別の展開なのです。

今思えば、中学生の時といい、
大学生の今回といい、

私には人の中心になってしまう力
あるようです。

自分が意図しているわけでないのに
私は気がつくと、自分が正しいと思ったことを
人前で平気で発言してしまうのです。

心の底から、何かに突き動かされるように、
自分の考えを主張し、
それが、そこに居合わせた人達の
代表意見となるのです。

そんな力を人に見せた時、
私はリーダーに推挙されるのだと思います。

でも、当時の私は、そんなことは全くわかっておらず...

あ~あっ!何で僕なんだよ!

ただ、このとき、副会長に選ばれた仲間から
熱心に説得されました。

おまえしかないんだよ。
おまえが選ばれたのだから、
逃げられないんだよ。

俺が支えるから。
頼むから、引き受けてくれよ。

その彼の言葉は今でもその声の響きと共に
心に残っています。

そうか。僕は人に頼られているんだ。
ダメ男だと自分が思おうとも

人は僕に信頼を寄せて、
他の人間ではだめだから、
僕を選んでくれているんだ。
やっと、気づきました。

ダメ男の烙印は隠して、
本来の真面目さをサークルのために、
発揮しました。
完全に全力投球でした。
初めて自ら、人のために尽力しました。

このとき、繰り返しになりますが
人が僕をリーダーとして認め、
頼っているのだから
やるしかないと考えたことは事実ですし
そういう前向きな気持ちを
初めて持つことも出来ました。

でも、それとは別に、
自分の受け継いでいる遺伝子も意識したのです。

私のススム家は、祖父の代より、人のために、
力を尽くすことを厭わず

特に父は、見返りを求めることが苦手で
例えば、仕事の対価として当然
お金を受け取ってよいものを
大切なお客さんだから、
お金はもらえないと真剣に言うのです。
純粋に、その人のことしか考えられない、
自分のことは
どこかに行ってしまうのです。

さらに、父は多くの人を導ける
リーダーでもありました。
ある建築業界の全国の会長に
選ばれたこともあります。

そんな遺伝子を
私は受け継いでいると考えました。

自然と人の上に立ち、人をリードし
純粋に人に尽くす気質
僕も持っているのかなと。

意を決して、
私は会長職を引き受けました。
そして、私は1年間、
何よりもサークルのことを優先しました。
大学3年の秋に行われる学園祭を最後に
会長職を解かれるのですが、
その学園祭も大盛況に終わり、
最後の日、ライブ演奏を主体とした
模擬店の片付けが終わると

先輩の一人が、

おい!
ススムを胴上げするぞ!

と、その場にいたサークルの仲間たち全員が
僕を囲み、
何度となく僕の体を宙高く胴上げするのです。

初めての体験で宙に浮かぶって気持ちいいなと、
思うやいなや

目から大粒の涙が溢れて止まりませでした💦

ダメ男が何だかダメだと思う必要はないのかと、
この時人の評価を素直に
受け入れることが出来ました。

サークルの会長としての経験が、
私を成長させてくれたことは事実です。
そして、何より、
サークルの仲間や後輩たちのお陰で、
自分の進むべき道を定めることが出来たのです。

会長として活動している間、
実はたくさんの仲間、後輩たちから
相談を受けていました。

ススムさん、話をきいてもらえますか。
ススムさんに話をしてよかったです。
等など。

こんな経験があってこそ、
私は、本当に人のために尽くしたい。
困っている人を助けたい。
導いてあげたい。そう考えていたのです。
その思いを果たすには、

そうだ!教師になろう!

という決意を彼らが
私にもたらしてくれたのです。

その思いが強くなったのは、
あの胴上げをされている最中でした。

だから、みんなから、

会長お疲れ様!
会長ありがとう!

と言われているそばから、私は、心のなかで、

みんなありがとう!

と叫んでいました。

こうして、
私は、教師の道を歩むことになるのです✨

(音楽サークルの仲間と学園祭の片付けが
終わった後に撮った写真です。
一番手前中央にいるのが私です。
この直後に私はみんなから胴上げされました^^)


 

教師時代 激動期

晴れて、私は、教員採用試験に合格し、
念願の高校教師となりました。

採用試験の倍率は高倍率であり、
狭き門と言われていました。
しかし、私は一発合格でした。

採用試験のために、大学4年の一年間は、
受験勉強に費やしました。

受験科目であった一般教養、教育学、教育心理学、教育史、
そして、専門の英語のすべてに渡って、
毎日他のことはせず、勉強に励みました。

もちろん、絶対に教師になりたかったからです!

そして、一次の一般教養、教育学、英語などの
試験を受けました。
その試験に合格し、二次試験に臨みました。

二次試験は、小論文と二種類の面接
(英語と日本語)試験でした。

小論文のテーマは、確か、
「現代の教育に関わる問題点を一つ挙げ、
それについて自分の考えを述べよ。」
だったかと思います。

もう40年も前のことなので、どう書いたかは覚えていませんが、
おそらく、このような内容のことを書いたと思います。

教科の内容を詰め込もうとしている教育の現状を嘆き、
生徒の目線に合わせて、
丁寧に教育を施すこと、
そして、人間的成長を

一緒になって、
出来るようにすることが大切だ
と。

40年経っても、私の教育観はブレることなく、一貫しているので、
そう書いた可能性は高いと思います。

二種類の面接ですが、
英語の教員試験だったので、
当然英語の面接もあった訳です。

でも、当日の英語での面接は、
正直がっかりしました。

面接担当官の英語の発音があまりにもひどく
カタカナ英語に聴こえたからです。

私は、大学で英語を専門に学んできた者として、発音にも自信がありました。
いや、いやしくも英語の教師になるのなら、
発音もある程度の範を示す必要があります

なので、その面接官の話す英語に辟易し、
多分面接中に、私は、その面接官を睨んでいたと
思います。(生意気ですよねw)

さらに、日本語の面接では、
「あなたが教師になったら、どんな教師になりたいか?」
訊かれたと思います。

私は、こう答えました。

「今の教師には、生徒を思いやる教師が少ないと思います。
一番大切なことは、生徒への愛情です。

私は、常に生徒のことを第一に考え、
生徒のために全力を尽くす教師に
なりたいと思います。」

私は、まだ見ぬ生徒を想像して、
もう教師になったつもりで、
面接官の前で熱く語っていました💚

今、思い出しても、かなり不遜な受験生
だったと思いますが、
それでも、当時不思議なことに私は、
採用試験に合格し、
教師なるのは当然だと思っていました。

なぜなら、私のような教育に対する
情熱が高い人間が落ちるわけない、落としたら、
一体他にどんな人間を取るのだと、
相当な自信家でした。

普段は、自分に自信がなかなか持てないのに、
教師になることについては、誰かがまるで
後押ししてくれているような
内なるエネルギーが沸々と
体内から湧いてくるのでした。

そうなんです。

私は、教師になる運命にある

天が伝えてくれていたのだと思います✨

こうして、採用試験の二次試験も合格しました。

その結果を知ったとき、嬉しい気持ちより、

武者震いの方が大きかったです。

いよいよ、教師として、

真剣勝負が始まるのだという
幕開けを待つ身になっていました。

そして、教師時代が始まったのです😊



その教師生活が26年間、続きました。
まさに激動の時代でしたが、
日々教育者として、格闘することから
決して逃げることなく、
教員採用試験の面接で面接官に言ったように、

「生徒たちのことを第一に考え、全力で生徒たちのために」教師の仕事を全うしました。

いつしか、教師の仕事を天職と捉え、
理想の教師像に向かって、
走ってきました。

そして、生徒たちからは、いよいよ、


GTS(Great Teacher Susumu)

あだ名をもらうまでに至ったのです♪

こうして、学校の人気者になり、
理想の教師像に近づいた私は、

人間としても大きく
成長出来たのだと思います😊



この教師時代は本当に色々なことがありました。

ここですべてをお話するには
あまりにも長くなってしまいます。

なので、連載型ストーリーの
第一部にまとめましたので、
ぜひ、そちらをお読み頂ければと思います。

もちろん、すべて実話です。
テレビドラマの教師を超えるストーリーだと
自負しています。w

なお、連載型ストーリーの第二部では、
私の恋愛のお話をさせて頂きます。
(これを掲載するのは勇気が要ったのですが、
人の生きる姿として、
私ススムがどう一人の女性を愛したのかを
お伝えしたいと考え、載せることに致しました。

ぜひ、ハンカチを用意して、お読み下さい。w)


再生 そして希望へ

実は、私は、この人生を振り返り、
もう十分生きてきたという思いがあり、
余生のように残りの人生を捉えていました。

ところが、あるとき、人を介して出逢った方が
私の過去の話を聴いて、
一緒に泣いてくださったのです。

誰にも話していなかった過去の話なのに、
なぜか私は、知らず識らずのうちに
その方に、夢中になって語っていたのです。

その方をW氏と呼ぶことに致します。

W氏は、私の話に熱心に耳を傾けて下さり、
そして、私の過去の話を
色褪せないデジタルコンテンツとして
後世に残そうと提案して下さったのです。

こうして、このススムのブログが
誕生したのです。

今にして思えば、W氏との出逢いは、
偶然ではなく、必然だったと思います。

さらに、W氏の勧めで、
あるビジネスのコミュニティに
参加する機会を得ました。

初めは、正直、あまり期待していませんでした。

しかし、その集まりでは、ごく普通の人達
(どちからと言えば、私のように、年齢が行っている方達)が、和気あいあいと楽しそうに、
ビジネスを行っている世界が、私の目の前で広がっていました。

しかも、その方達は、自分の生き方を見直し、
自己成長させようと、
強い気持ちを持って、ビジネスのコミュニティに
臨まれていることを知りました。

翻って、自分の残りの人生を
余生と捉えていた考えとは
180度違いました。

いや、自分の考えは、なんだか恥ずかしくさえ
思いました。

そして、それを機に
自分の生き方を
変えようと決意したのです。

もっと自己成長できるはずだと。

教師時代に熱く生きた思いを思い出し、
年齢に関係なく
もう一度熱く生きようと
思うようになったのです。

そんな思いを持つ手助けをして頂いたのが
W氏です。

W氏は、今、私のメンターとなり
私の人生を導いてくださっています。

60歳を過ぎて、まさか
そんな存在に出逢えるとは
思ってもいませんでした。

しかし、W氏との対話を通して、
私は、悟ったのです。

私ススムが生まれてきた

真の使命とは何なのか!

それは、誉れ高いススム家の名誉を保ち、
ススム家の血の中に流れている生き方です。

人のために尽くすこと!

人の幸せを第一義に考え

出逢った人のために

全力を尽くすこと!

このことを、生涯に渡って、行うことこそが
私の真の使命であると。

また、それは、教師時代に培った生徒への献身の心と
私の愛したカナとの出逢いで学んだ
無償の愛で(連載型ストーリー第二部第11話
実現出来るということです。

今、私は、自分の使命のために
過去に学んだことを
生かすのだという思いに
心の中は
溢れています💛

こうして、私ススムは、

新たな人生を進むべく
希望と夢に向かって
歩み始めているのです✨


 

以上が、私ススムのプロフィールです。

長文、最後までお読み下さり
ありがとうございました。^^
ススム

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