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『びび太の部屋 – vivitter.com』の運営をしているびび太です。
私のプロフィールを、嘘偽り無く完全公開いたします。
それから、プロフィールのサブタイトルとして、、
~1度で2度オイシイ煩悩と
善の欲求ストーリー付w~
なんて書いてますので、「一体、ナンノコッチャ??」と思われてしまったお方もいらっしゃることと思います。
これはですね、まあ人間なんて煩悩の塊なわけじゃないですか?
僕もそう、あなたもそうでしょ??
“私の煩悩の部分を
隠し事一切抜きで
曝け出してしまっている
欲求丸出しなストーリー”
と、、
逆にそんな欲求丸出しで生きて来たから、その後にドカンと大きな失敗と挫折をやらかしてしまい、そこで深い人生の気づきがあったからこそ、
“善の道を極めて行こうと誓った
愛と感動のラブ(※注※)ストーリー”
※注※
人類愛みたいなストーリーです。
男女間のLOVEではありませんのでご了承願いますw
をお届けしているといった構成に、このプロフィールは仕上げているというわけです。
最後までお読みいただけると幸いです。m(_ _)m
(もう少しだけ私の戯言にお付き合いください…*^^*)
普通、プロフィールって、とてもシンプルにまとめ上げますよね?
でも、プロフィールって、実は読者に最も読まれる部分なわけで、「シンプルにまとめちゃってイイものなの?」と、私は常に疑問を感じていました。
本当に良い記事やコラムに出会った時、「その記事を書きあげた方ってどんな人なんだろう?」って、これは誰もが思うことだと思うのです。
そこで、私は自分のプロフィールは、徹底的にこだわり抜いて仕上げてみようと考えたわけです。
※このプロフィールの記事は、もう何度も更新していますww
私のプロフィールは、以下のようなスタイルを採用しています。
- 個人基本情報(※私の氏名や身長、体重等の公開できる範囲のもの)
- 個人年表(※何歳の時、どうだったの?といったもの)
- これまでに人生でインパクトの起きた出来事(※何本かのショートストーリーにまとめています)
おそらく、ネット上でもここまで凝ったプロフィールを書いている人って居ないと思います。
何かご縁を感じていただけると嬉しく思います。^^
個人基本情報
【氏名】びび太(ネットネーム)
※本名は、リアルで仲良くなったお方には全て公開しています。
【身長/体重/血液型】176cm/68kg/A型
【年齢】40代後半 ⇒ 50代に突入しました(泣)
【職業】IT会社社長+個人投資家
【趣味】ロードバイク、ドライブ、カラオケ、
ファッション(アメカジが主でしたが、最近はスーツ系が多いです。20代からクロムハーツ好きではありますが、コレクターではありませんw)、
音楽鑑賞、映画鑑賞、読書
【愛車】某メーカーのNEOクラシック・オープンカー
【愛時計】ROLEX Ref.1680 赤サブ
【座右の銘】人類みな兄弟
【座右の書】あしたのジョー
【今までに一番感動した映画】いま、会いにゆきます
【人生で影響を受けた人】父と息子、F時代の上司(Bさん)、尾崎豊、与沢翼(与沢塾 第三期 統括リーダーをやってました)
【好きなユーチューバー】ジャルジャル
【好きなアーティスト】米津玄師、Official髭dism、Ado、YOASOBI
【カラオケで良く歌うアーティスト】Official髭dism、米津玄師、Ado
【ものまねできるアーティスト】尾崎豊、吉川晃司、井上陽水、Official髭dism、EXILE ATSUSHI
【性格】人間大好きw
個人年表(経歴)
- 16歳~18歳:同棲&パチプロデビュー
※パチンコで毎月50万以上稼いでいました。 - 18歳:高校卒業と同時に駆け落ち&社会人デビュー
- 20歳:結婚
- 22歳:某国立大学 進学
※昼間は働き、夜間部の大学へ通いました。 - 26歳:某国立大学 卒業
- 27歳:趣味で始めたヴィンテージサイトが大ブレイク!!(後述)
※今から約20年以上前に1,600万円をたった5分で売り上げました。 - 30歳:大手一部上場電機メーカーへ転職。SEとなる。
※この時に、土日を返上してあるエンジン(プログラム)を開発し、この大手電機メーカーにおける技術賞を受賞。同時に特許[出願番号2002-286077/公開番号2004-126680]も取得する。 - 34歳:某大手外資系企業からヘッドハンティングを受け転職するものの、
わずか3ヵ月で鬱病とパニック障害を併発して自殺を試みる
※ここで信じられない凄い奇跡体験をする(宇宙となる)。
⇒ 詳細は、ココにストーリーを掲載しています。 - 35歳:某大手外資系MLMをスタート
※全くの未経験者でしたが背水の陣で挑みました。 - 40歳:高タイトル取得と同時に、投資家の道へ進むためにMLM活動停止
※リアルだけのMLMに限界を感じました。 - 40歳:ある投資に失敗し(1日で現金500万円を失った…)、ネットビジネスの道へ
※与沢塾 チーム福岡の代表となる。 - 42歳:ネットビジネスで月収200万円超の結果を出して起業
※その後、月収300万円超となる。 - 45歳:脱サラして完全独立
※ずっと二束の草鞋(ワラジ)状態でした。 - 49歳:ネットMLMの仕組み化に成功して特許を取得
※次世代型WEBビジネスを確立 - 54歳:次世代型WEBビジネスで、2日に一度20~30分程度のブログを書くだけの自由人として月収100万円超を達成し、継続中
私の性格や価値観、そして思想とは? ~私・びび太は、今から20年以上も前の26歳の頃に、インターネット上で大ブレイクさせています。そして、今・・・~
私は、幼少時代から今現在の大人になるまで、ずっと自分自身の信念として貫いて来たことがあります。
「人を喜ばせたい」
「人を楽しませたい」
「人を驚かせたい」
つまり、
「自分から見える世界を
笑顔で一杯にしたい」
なぜ、幼少時代からこのような気持ちになっていたのかと申しますと、おそらく一人っ子だったからだと思います。
兄弟が居ない私は、人気者になって友達を沢山作りたい一心で、常に周囲を笑わせたり、楽しませたりすることばかり考えて行動していました。
この気持ちが、大人になった今も全く色褪せることなく続いています。
今現在も、願わくば、人生の幕を閉じるギリギリまでこの精神を貫きたいと思っています。
この『びび太の部屋 – vivitter.com』も、こんな私の想いを込めて運営します。
※”びびったー”というサイト名も、人をびっくりさせたい(驚かせたい)という想いを込めています。*^^*
大人気の “完全ブログマスター講座” も、「こんな情報を無料で提供しちゃっても大丈夫なの?」と思われてしまうほどの高いクオリティでお届けしているのは、1人でも多くの人に喜んでいただきたいからです。^_^
さて、「とにかく人を喜ばせたい!」、そんな熱い想いを抱いたまま大人になってしまった私ですが、今から20年以上前に遡ること26歳の頃に、インターネット上でムーブメントを起こした経験があります。
なんと!あるモノをたった5分間で1,600万円も売り上げてしまったのですw
営業の経験も、マーケティングのスキルも、当時は一切何も持たなかった普通のサラリーマンだった私にとって、これは衝撃的な出来事であり、この経験があったからこそ、今の自分があることは間違いないと思います。
当時の私は、学生時代からオシャレ好きで、人とは違った洋服やアクセサリーを身に付けるようにしていました。
人とは違った逸品モノにとにかく弱くて、その結果、どうしてもレア物やヴィンテージ物を好むようになっていました。
私は、コダワリがハンパじゃなかったわけですが(今でもですがw)、ただレアでヴィンテージなものであれば何でもOKというわけではなく、きちんとその道のエキスパートな方々(コレクター)から価値が認められた、ある程度の高額な価格の付いたもので無ければ取り入れないと決めていました。
この条件に合致しているレアなヴィンテージアイテムとして、同じ趣味を持つコレクターの中で真っ先に脳裏に浮かぶものが以下です。
リーバイス501XX
リーバイス社のジーンズにはLot No.501の定番モデルがあり、“501こそがジーンズの原点” と言われていて、今から50年以上も前に作られていた501には “XX” という刻印がパッチに刻まれており、ジーンズフリークの中では『501XX』こそが、本物のヴィンテージジーンズと位置付けられ、誰もが喉から手が出るほどに欲しくてたまらないアイテムなのです。
この501XXのオリジナルヴィンテージジーンズは、質の高いものであれば、軽く1本100万円以上はするのです。
元SMAPの草なぎ君も、この当時、スマスマでご自身がヴィンテージジーンズコレクターということもあって、501XXのことを熱く語っていたことを懐かしく思います。
私は、この501XXを高校生の頃から手に入れたくて、ずっと独学で歴史やディティール(※糸や生地、リベット等 詳細な仕様のこと)を研究していました。
そして社会人となり、ようやく手に入れた501XX(正確には、ジッパータイプの501ZXXですが…)を、私の制作したホームページ上(当時はブログやSNSという概念はなかった)にアップして、詳しく紹介と解説をしたところ、ネットユーザーからのアクセスが急増しました。
そんなある日、国内のジーンズ生産のメッカとして知られる岡山県のジーンズ工場の社長から1通のメールをいただきます。
「あなたのオリジナルジーンズを作らせていただけませんか?」
私のヴィンテージジーンズに関するうんちくを読んでくれたプロのジーンズ職人が、私とのコラボでジーンズを開発したい、しかも無料で良いというわけです。
そんな上手い話があるわけないと思ったのですが、私のサイトは既に全国No.1のヴィンテージジーンズ情報発信サイトと化していたため、その価値が認められたのだと思い、二つ返事で快諾して、その後に製品化した私達のオリジナルジーンズは、なんと!サイト集客だけで5分で800本を売り上げてしまったのです。
1本2万円のジーンズがたったの5分で800本売れたということは、5分で1600万円となるわけですから、私達は時給2億円の仕事をしたのです。
これが “インターネットの可能性” なわけです。
この当時の出来事は、各種メディアで大きく取り上げられ、NHK教育テレビ(『未来潮流』という番組)に出演したり、IT関連の各種雑誌への掲載、そして、筑摩書房からは糸井重里さんプロデュースによる『空中ジーンズ工場』という書籍までも出版してしまうという、今でも信じられない人生の一大事を起こしてしまいました。
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あれから20年以上の歳月が流れ、当時ホームページを持っていること自体が珍しかった時代からは考えられないほどに、ブログやSNSを使って誰でも簡単に情報発信が出来る時代になりました。
そして、それらを用いて個人でビジネスをやっている人達も沢山います。
ちょっとスマホで “副業” や “サイドビジネス” 等のキーワードで検索すると、”楽して簡単にお金儲けができる” といった情報が、ネット上のあちこちに腐るほど飛び交っています。
そして、その多くは、詐欺まがいなものばかりです。
過去にネット上で一大ムーブメントを起こし、大きな富を手に入れた経験を持つ私から、今のネット上の現状を見ると、正直なところ呆れて果てて言葉が何一つ見つかりません。
私はホームページ上で大好きなことをノビノビと楽しくやってきて、そこに集まった多くの仲間達とワイワイガヤガヤやってきただけなのですが、そこにはインターネットの垣根を越えた仲間達との信頼関係が築けていたんだ、だからモノ(ジーンズ)が売れたんだなと、今になっては思います。
さて、私も、人生の折り返し地点を超えた辺りから、「自分に出来ることって何だろう?」と本気で考えるようになってきました。
どうせだったら、これまでの私の経験と実績で、一人でも多くの仲間の夢を叶えるお手伝いが出来るような、そんな情報発信が出来ればいいな♪と思うようになりました。
私は、この『びび太の部屋 – vivitter.com』という私の人生の掛けたサイト1本で、今度は私だけでなく、1人でも多くの仲間(あなたのことです!!*^^*)の人生を激変させることが出来るような夢の手段を提供して参ります。
私が完全なる自由を手に入れることが出来たキッカケとは? そして、新型コロナ感染症問題(パンデミック)が勃発した今、ある仕組み(自称・ネット業界の『ノアの箱舟』)を引っ提げて全国の人達を救出します!!!!!
前述したショートストーリー「私の性格や価値観、そして思想とは?」では、読者にとって当たり障りの無い私自身の過去の出来事(ネット上でジーンズが爆発的に売れたこと)と、この経験からこのサイトでどんなことをやって行こうとしているのか所信表明のようなメッセージをお届けしました。
これは、プロフィールの中に組み込んだちょっとした私自身のショートストーリーでしたので、このレベルで良いかなと思っていたのですが、2020年に入って直ぐに(厳密には、2019年年末あたりから)、戦後未曾有となる大事件『新型コロナ感染症』問題が勃発してから、ニュース番組で感染者数が日々増加していく惨事を見ていて
“これだけは伝えておこう”
と思う気持ちが日増しに高まるようになり、こうしてプロフィールに更にショートストーリーを追加しています。
それは、
“なぜ私は今、こうして
完全なる自由人となっているのか?”
という理由についてです。
ここまでの「個人情報」や「個人年表(経歴)」、「私の性格や価値観、そして思想とは?」といったショートストーリーをご覧になられたあなたは、
“それはあなたが単に、
サラリーマンが嫌だったからでしょう?”
と思われてしまうことと思います。
もちろん、それはそれで間違ってはいませんし、私は一人っ子でワガママな子供がそのまま大人になったような人間ですので否定はしません。
ただ、本当に脱サラして、自分の道を自分自身で切り拓いてここまで来た理由は、実は大きな2つのキッカケがあったからです。
-
- 34歳の頃の鬱病
- 2011年3月11日 東日本大震災(びび太41歳の頃)
この2つの事件が、私の中ではやはり人生の大きなターニングポイントとなっています。
34歳の頃の鬱病の時に、私が体験したある奇跡的な出来事は、その後の私の人生観を大きく変えました。
私の中で、“私は一度死んでおり、生き返った男である” と思っています。
一度死の瀬戸際まで行くと、人は強くなります。
私はその後に、世間から誤解され易いネットワークビジネス(MLM)を始め、そこで成功を納めます。
MLMをやっているからといって、周囲から誤解されようが、断られようが、一切気になりませんでした。
一度、精神的に堕ちるところまで堕ちて廃人になった自分だけど、絶対に何があっても成功してやると決意を固め、男一人で取り込んで結果を残してきました。
申し訳ないが、当然の結果だと自負していた。
(ここからちょっと口調変えますw)
それだけのことはやり切っていた(と思っていた)。
そして、3・11が日本列島を震撼させた。
言葉を失くした。
津波で家屋が流され、人が乗っている車が濁流にのまれる光景がTVモニターに映されているのを呆然と無言で見ていた。
オレは、今まで何をやって来たんだろうと思った。
そこには、MLMで月収50万円程度を手に入れ、同時に一部上場企業の社員として、またそこそこの評価を得ているサラリーマンな自分が居た。普通に生活する上では、もう何一つ不自由の無い暮らしをしていた。
3・11が起きて2日が経過した時、真昼間に私の携帯が鳴った。
大学時代の友達からだった。電話越しに号泣しながら彼は言った。
「妻の父と母が震災で流され、行方不明になった…。
びび太の人脈でなんとか探せないだろうか!?」
私は、MLMで成功して全国に人脈を持っていため、東北に住む知り合いにすぐに連絡を入れ、人海戦術で友達の奥さんのお父さんとお母さんを探してもらった。
そして、奇跡的に、お父さん・お母さん、お二人共、無事に救出されたのであった。
すぐに友達にその報告をしたところ、友達は電話越しで泣き崩れ、そして、私もその場で電話を持ったまま声を挙げて泣いた。
その時に、気づいたんだ・・・
オレ、今、何やっていたんだ・・・って。
一度、死んだ人間が何のんびりとサラリーマンなんてやってんだって・・・
そこからは、本気でもう一度、脱サラを目指した。
ダラダラとやっていたMLMも初心に帰って真剣にやったし、MLMはリアルの現場では徐々に結果を出すことが難しくなってきたので、ネットビジネスを始めて、それもまた死に物狂いでやりまくった。
ネットビジネスは経験が無かったので、与沢塾の第1期生の白坂さんという方からブログの書き方を教えてもらい、そこでトップの結果を叩き出し、その後に、その勢いのまま、与沢翼さんが主催する与沢塾 第3期に入った。
私の書いた記事は、ブログランキングのあらゆるジャンルで全国1位を独走状態だったこともあり、与沢塾ではチームリーダーに任命されて対応した。
但し、ここでも最終的にはすぐに結果は出せなかった…。
※出口戦略が弱かったんです。
路頭に迷い始めた私だったが、昔からの友達がサイトアフィリで月に70万円ほど1つのサイトで稼いでいることを知り、その友達に頭を下げてサイトアフィリを教えてもらった。
※サイトアフィリは、SEOをマスターする必要があります。
その結果、私自身サイトアフィリで月収200万円以上稼げるようになり、サラリーマンを辞めたのである。
そして、SEO専門の会社法人を立ち上げ、更に売上を爆発的に伸ばし、自らの役員報酬でダブついたお金を様々な投資へ回し、今では代表取締役 兼 個人投資家となった。
私は、決して奢(おご)らなかった。
お金はどんどん増えて行ったが、贅沢はしなかったし、今もしていない。
それは、私の成功の目的が、“いつでもどんな時でも自由に動ける自分作りをしておく” ことだったからである。
3・11の時に本気で誓った、
“自由自在な自分を常にキープしておく”
ことが重要だった。
そして、遂にその時がやってきた。
2020年
中国武漢からの
新型コロナウイルス
感染症拡大
私・びび太が本気で立ち上がる時が来たと確信している。
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この記事を書いている今現在(2020.04.26)、日本だけでなく世界中で世界大恐慌のような事態が起こっています。
基本、STAY HOME(外出禁止)となり、経済は激しく低下し、特にリアル店舗で営業をしていた多くの方々が路頭を彷徨い始めています。
私は、ずっとインターネット上での在宅ビジネスを究極化させるために探求・研究し続けて来たのですが、2019年の夏ごろに人生の集大成とも言える『個人が在宅で自立独立して経済力を手に入れることが出来る仕組み』を完成させていました。
※詳細はココ
そして、この新型コロナのパンデミック事件が起こったのです。
何年も在宅ワークをしてきた私は、新型コロナが騒がれ始めた頃は、正直、あまり自分事として捉えることができませんでした。
自分勝手で誤解を招くであろう言い方をあえてさせていただきますと、インターネット上でのビジネスを生業にしている私の会社には何も影響の無いことだと思ったからです。
ところが、毎日何十人、100人超、200人超と増加する新型コロナの感染者数の遷移を見ていて、徐々にこれは他人事では無いと思い始めました。
そして、喜んで良いのか複雑ではありますが、当社の売上は新型コロナの感染者数と比例して、インターネット上での売上が増加してきました。
この理由は、テレワーク等の在宅ワークの必要性を全国民が認識し始めて、当社のことやこのびび太サイトが口コミで知れ渡り始めたこと、更に私がインターネットビジネスで取り扱っているサービス(製品)が、まさに新型コロナ対策に打ってつけのものだったからに他ならないからです。
恥ずかしながら、この時に私は気づいたのです。
オレが立ち上がる時が来たんじゃないのか?
ということに。
3・11のあの事件から、今、そこから9年の歳月が流れている。
3・11の時に、本当に自由になりたいと思った。いつでもどこでも自由自在に動ける自分で居たいと思った。困った人達の役に立ちたい!!だから、オレは脱サラしたんだ!!!
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FREE MAN
18歳で派遣会社社員として社会人デビューし、そこの会社の先輩に誘われてサラリーマンバンドにボーカル&ギタリストとして参加し、最初に書いたオリジナル曲のタイトルが上記の『FREE MAN』でした。
傷ついた体を休め、冷めたベッドで眠りたい
もう何も気にすることない、オレはただのフリーマン・・・
『FREE MAN』(作詞/作曲 びび太) より
その当時のバンドのリーダー兼ベースの沼谷先輩(仮称)は、社内でスピード出世しましたが、癌になって他界しました。まだ、50歳手前の若さでした…。
私はサラリーマンバンドでは満足できずに、地元の楽器店に勤務していた凄まじくギターの上手い私よりも2つ年上の佐藤さん(仮称)と出逢い、佐藤さんが日立市役所前のワンルームマンションに住んでいたことにちなんで『日立市役所前ブルースバンド』という名前を付け、ブルースバンドを組みまして、これが大成功したのです。しかし、このバンドはバンドブーム(イカ天ブームというのがあった)が過ぎ去り、その後に解散…。
私は、その後もサラリーマン街道まっしぐらで、26歳の頃にUターン転職して地元の福岡へ戻りました。
ギタリストの佐藤さんは、楽器店から親父さんの縁故で日立系の会社へ転職したものの、バンド人生を諦めることが出来ずに、日立の街で弾き語りをしているという噂を耳にしていました。
「佐藤さんらしいな…」と思っていたのですが、その後、サラリーマンを辞め、定職に就くことなく酒に溺れて、挙句の果ては、日立の海に身を投げ出し、投身自殺してしまいました。享年34歳でした…。
その亡くなった佐藤さんに、私は34歳の頃に助けれられています。奇しくも、佐藤さんが海へと散った歳と同じ歳なのは偶然とは思えません。
※私の奇跡体験を綴った連載ストーリーをお読みください。
この時、私は人生は果敢無いものだと痛感させられてました。
そして、人生には絶対というものがある、それは『死』だということをあらためて思うようになりました。
あなたへ、見ていただきたい動画あります。
以下、原文になります。
私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。
他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。
しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。
私がずっとプライドを持っていたこと、認証(認められること)や富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。
この暗闇の中で、生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、機械的な音が耳に聞こえてくる。
神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。
今やっと理解したことがある。
人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。
もっと大切な何か他のこと。
それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。
終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。
神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、
愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。
私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。
これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるものあなたの道を照らしてくれるものだ。
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。行きたいところに行きなさい。
望むところまで高峰を登りなさい。
全てはあなたの心の中にある、全てはあなたの手の中にあるのだから。
世の中で、一番犠牲を払うことになる「ベッド」は、何か知っているかい?
シックベッド(病床)だよ。あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうことも出来る。
だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は見つけることは出来ない。物質的な物はなくなっても、また見つけられる。
しかし、一つだけ、なくなってしまっては、再度見つけられない物がある。
人生だよ。命だよ。
手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない本が1冊あったことに気付くんだ。
「健康な生活を送る本」
あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。
あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、あなたの友人のために。そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。
『スティーブジョブス最後の言葉』より
『スティーブジョブス最後の言葉』をご紹介させていただきましたが、あなたは私のこのプロフィールストーリーとスティーブジョブスのメッセージを読まれた今、どう感じていらっしゃいますでしょうか?
この記事を書いている今時点での、私の年齢は50歳です。
スティーブ・ジョブスが亡くなった歳が56歳。
今の私が、これから小学校に入学したとしたら、卒業を迎えた時点で人生は終わりということになります。
残り6年で死を迎えることになります。
私は今、インターネット関連の小さな会社を経営しています。
とてもとてもジョブスのような世界中が認める大企業になんてなれっこありませんし、ジョブスのことを凄いと思ったことはあっても、ジョブスのようになりたいと思ったことは一度もありません。
ましてや、このジョブスの最後の言葉を読んだ後、「オレはオレの生き方を貫いて来て良かった」とさえ思いました。
幼少時代、貧乏な家庭で生まれ育った私は、お金持ちにはなりかった…。
小さな頃、童話の世界で見た、どこかの異国の王様のような贅沢な生活に憧れていたような記憶があります。
今、正直、お金には全く困らない生活を送ることが出来ています。
でも、贅沢な暮らしをしているわけではありません。
派手なスポーツカーに乗っているわけでもなく、ラグジュアリーな豪邸に住んでいるわけでもありませんが、まあ、世間一般の平均的な生活水準よりは上であることは間違いないとは思います。
個人的な借金も一切ありませんし、会社もどこかしらからの借り入れがあるわけでもなく、完全なる無借金経営をしています。
事業計画を立てて、金融公庫からお金を借りて事業拡大に向けて動こうと思えば出来なくは無いのですが、そこにエネルギーを注ぐことが果たして正しいことなのか?私自身がやりたいことなのかと言えば、それは違いました。
私は、単に自由になりたかったんです。
ただ、やっぱりまだまだお洒落にお金も使いたいし、車だって元々メカニカルなことが好きなので、がっつりスポーツカーにもに乗りたい。
美味しい料理も食べたいし、世界中の世界遺産を見るために美しい国々を旅して周りたいとも思っています。
私は普通の人間ですので、しっかりと煩悩は働いていますし、贅沢をしたいという欲求はあります。
お金だって、もっともっと稼ぎたい。
そういう意味からすると、本当に全てのやりたいことが全う出来ているのかと言われると、そうでは無いことも事実です。
でも、一つだけ言えることがあって、、
私は、”死” という絶対に訪れる事実を受け入れているし、そのためには何が必要なのかも、普通の人に比べると強く意識しています。
『健康であること』
ここが人生で最も重要なポイントであることを理解していますし、実践しています。
その上で、ビジネスであり、時間の効率化を図ることだと考えています。
時間も、お金も、健康で無ければ、全くもって意味も価値すらももたらさないというのが自論です。
ジョブスは、最後の言葉の中で、次の言葉を投げ掛けています。
“人生において
十分にやっていけるだけの
富を積み上げた後は、
富とは関係のない他のことを
追い求めた方が良い。”
あなたは、ジョブズの最後の言葉の全文を読まれて、“お金以外よりも大切なものがあるということだよな” と解釈してしまっているかもしれませんが、ジョブスはそんなことは言っていません。
”富を積み上げた後は・・・”
と述べているのです。
言い方を変えると、まずは “富を築け!!“ と言っているんです。
ジョブスの最後の言葉を、自分の都合の良い風に解釈しないようにしてください。
まずは、稼ぐ力を身に付けなければ、健康であっても生き地獄の人生を送ることになるのです。
話をこのストーリーの冒頭に戻します。
私は、以下の理由について、このストーリーの中で述べると申しておりました。
“なぜ私は今、こうして
完全なる自由人となっているのか?”
この答えは、一人でも多くの方を稼がせる(=経済力を身に付けていただく)ために、自由人となったということです。
以下、いよいよ私があなたへお伝えしたい想いの本質についてまとめていきます。
新型コロナにより、悲惨な状況下に置かれ、多くの方々が困窮を極めています。
国がお金をばら撒いてくれることを、ひな鳥のようにあなたは待つのですか?
私は、あなたへ『ノアの箱舟』を届けます。
それが「ネットMLM」という私が開発した仕組みであり、間違いなく世界初のシステムです。
もう一度言っておきますが、私は元・富士通の社員であり、富士通時代に基幹システムのエンジンのプログラムをたった一人で書き上げ、特許も取得した者です。
※残念ながら富士通社員時代の特許なため、権利は富士通のものになっていますが…。
私は、これから独立後に開発したこのシステムを特許出願します。
既に、実稼働させて運営していますので、実用性の面でも特許化出来ると睨んでいますし、実はこのシステムとは別にもう1つシステム化を進めています。
ネット上でド派手な誇大広告で煽りまくっている、中身の無く実態が伴わないものとは完全に一線を画していることは言うまでもありません。
私がこのシステムを、こうして紹介差し上げているのには、次の2つの理由があります。
① 私に共感してくれる方を稼がせる!
そして、共に豊かな人生が送れる仲間となっていただく!
② 私自身がもっと稼ぐ!
②のお金を稼ぎたいという欲求だけなら、私はとっくに金融関係のビジネスに走っています。
そっちの方が単独で稼げることは間違いないからです。
でも、私はそっちの道を選ばなかった。
それは、これまでの私のストーリーを読んでいただければ、論理が結び付くと思うのです。
そして、上記の①⇒②は、私の中での優先順位となっていることも補足させていただきたいのです。
あなたのことを稼がせたいという想いの方が強いのには、きちんと理由があります。
既に、私は今時点でお金に困っていないからです。
言っておきますけど、稼ぎ切ってはいませんよ。
ただ、本当に好きなことを自由にやれていることは事実です。
ですので、
“①まずはあなたを稼がせる!”
そして、
“②私ももっと稼ぐ!”
となっています。
論理が明確でしょ?^^;;
ということで、本当にこんな私の長文に渡るプロフィールにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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特に、第3話は、既に私と仲間になってくださり、私の仕組みを用いて大きな結果を出され、人生を変えられた成功者の方々(22歳~72歳までの老若男女問わない男女4名様)の実践体験レポートをお届けしています。
「こんな話をよく無料で配信しようと思いましたね!?」と、あなたはきっと驚かれると思います。
私の本気のご提案を受け取ってくださいね♪^^
最後までお読みになってくださり、ありがとうございました♪^^
びび太
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