ススムの懸命に生きた人生
ジェットコースターのような69年間、ありのままに。
こんにちは、ススムです。
NHKの大河ドラマほどの壮大さはないですが(笑)、まるでジェットコースターのような人生を歩んできました。そんな私ススムの人生を、ここに大公開します。どうぞ最後までお付き合いください。
そして2023年に他界された坂本龍一・高橋幸宏 合掌
個人年表(経歴)
ススムの人となり。どのような思いで生きてきたのか。
さてさて、もう少しお付き合いください(*^-^*)
皆さんは、自分をどう評価されますか?
実は私ススムの自己評価は、子どもの頃からずっと低いままでした。
自分は何もできない男である❗
何においても不器用である❗
真面目以外、何の取り柄もない男である❗
「えーっ、うそでしょ!」と思われるかもしれません。確かに、経歴を見ると成功しているように見える場面もあります。でも、その裏側では常に内なる自信のなさと格闘していました。
周りの評価と自分の感覚には、大きなギャップがあったのです。そしてその原動力こそが——
劣等感こそが、私を前に進めてきた原動力だと、今の私はわかっています。
なぜ自分をダメだと思ってしまうのか。その最大の理由は、父親の存在でした。母は幼い私にこう言い続けていたのです。
お父さんは凄い人なのよ。
お父さんのように立派になりなさい!
身近で父の凄さを感じるたびに萎縮し、どんどん内向的になっていきました。そして容易には自信を持てず、消極的になるばかりでした。
中学生〜高校生 明と暗
本格的な心の葛藤は中学生から始まりました。目立たないようにしているつもりなのに、不思議なことに、気がつくと様々なポジションに選ばれてしまうのです。
僕がクラス委員長? 生徒会長!?
サッカー部のキャプテン!? 英語劇の主演!?
なぜなんだ……
光栄なことだと思えず、「損な役回り」としか感じられなかった私は、真面目しか取り柄がないから必死に役目を果たすだけでした。いつもクタクタでした。
そして、中学3年になると、長男として父の建築事務所を継ぐため、自ら工業高校建築科への進学を決意します。本当は——
進学校でなくてもいい。普通科の高校に行って、大好きな英語を勉強したかった……
英語が好きになったきっかけは、小学生のときに同居していた叔父でした。洋楽を聴かせてもらい、歌詞の意味を知りたいと自然に英語に興味を持ち始めたのです。中学では英語塾にも通い、気づけば一番の得意科目に。でも数学は40点以上取ったことがなく——「英語しかできない僕が普通科に合格できるわけがない」と思い込んでいたのです。
結局、気持ちが不安定なまま工業高校へ進学しました。そこには予想通り——
リーゼント・長ラン・ボンタン姿の先輩たちがウジャウジャいました。一人で廊下を歩くことも、トイレに行くことも怖くてできない。さらに建築科の授業は苦手な理数系ばかり……
なんでここまで無理して学校に行かなければいけないんだ!
やっぱり僕はダメな男だ。
父とも一切口を聞かなくなり、ある日ついに荷物をまとめて家出を決意しました。肝っ玉母さんに「きちんとお父さんに話してから出ていきなさい」と言われ、2年以上口をきいていなかった父に決死の覚悟で打ち明けると——
お前に跡を継いでほしいと、一度でも言ったことがあるかい?
おまえの人生なんだから、好きなことをやっていいんだよ。😊
その言葉を聞いて、気持ちを抑えることができず、目から大粒の涙が溢れ出しました。
家を出ることはなくなり、自分の好きな道——大学で英語を学ぶ道を選ばせてもらいました。高校時代はほとんど勉強していなかったため、大学合格は無謀な挑戦でした。現役・1浪と全落ちが続き、浪人2年目に背水の陣で臨みました。
🎉 合格!
奇跡的に志望校に合格。掲示板に自分の番号を見つけても、受付で「間違えではないですか?」と聞いたほど信じられませんでした。しばらく呆然としたのち、ようやく心に浮かんだ言葉は——
「努力が報われたんだ!」
大学時代 復活
都内の有名大学の英語専攻に進んだものの、ネイティブ教授による英語での授業にはじめは全くついていけませんでした。夏休みを全て費やしてリスニングを猛特訓。後期の授業初日、思わず声を上げそうになりました。
わかるぞ!先生の英語が聞き取れる!
前の席に座って必死にノートを取っていると、優秀な現役入学の女子学生から「ノート貸して」と頼まれることも。ちょっと有頂天になりましたが、その後その女子の試験成績が自分より良いと知り、愕然……(笑)
それでも、音楽サークルに入ったことで状況は一変しました。タバコの煙が充満するサークル室、ロン毛の野暮ったい先輩たち——「ここなら僕でも大丈夫だ」と感じ入会。バンド活動や飲み会で仲間ができ、やっと居場所を見つけた気がしました。
一番左が学園祭でのライブ演奏中の私です。
やがてサークルを辞めようとした矢先、なんと会長に選出されてしまいました。副会長の仲間に熱心に説得され、ようやく気がつきました。
人は僕に信頼を寄せて、他の人間ではダメだから、僕を選んでくれているんだ。
サークルのことを最優先に、完全に全力投球しました。初めて自ら、人のために尽力した1年でした。学園祭が大盛況に終わり、片付けが終わると——仲間全員から胴上げされました。宙に浮く気持ちよさを感じながら、目から大粒の涙が溢れ止まりませんでした。
会長として活動する中で、多くの仲間から相談を受ける経験が、確信を生みました。
私は、本当に人のために尽くしたい。困っている人を助けたい。導いてあげたい——そうだ!教師になろう!
一番手前中央が私です。この直後、みんなから胴上げされました^^
教師時代 激動期
晴れて教員採用試験に一発合格し、念願の高校教師となりました。試験の倍率は高く「狭き門」と言われていましたが——
私のような情熱の高い人間が落ちるわけがない。教師になる運命にある——天が伝えてくれている。
採用面接では、面接官の英語の発音があまりにもひどく思わず睨みつけてしまったほど(生意気ですよね、笑)。日本語面接ではこう熱く語りました。
「私は、常に生徒のことを第一に考え、生徒のために全力を尽くす教師になりたいと思います。」
そして二次試験も合格。結果を知ったとき、嬉しさより武者震いの方が大きかったのを覚えています。いよいよ真剣勝負が始まる——そんな幕開けでした。
そして始まった教師生活は、26年間続きました。激動の時代でしたが、日々教育者として格闘することから決して逃げることなく——面接で言ったとおり、生徒たちのことを第一に考え、全力で仕事を全うしました。
いつしか教師の仕事を天職と捉え、理想の教師像に向かって走り続けた結果、生徒たちからはついに——
🏆 GTS(Great Teacher Susumu)
というあだ名をもらうまでになりました♪
この教師時代の詳細は、あまりにも長くなってしまうためここではすべてお話しできません。テレビドラマの教師を超えるストーリーだと自負しています(笑)。すべて実話です——ぜひ連載型ストーリーの第一部をお読みください。
また第二部では、私の恋愛のお話をご紹介しています。掲載するのに勇気が要りましたが、私ススムがどう一人の女性を愛したのかをお伝えしたいと考え、載せることにしました。
ぜひ、ハンカチを用意してお読みください(笑)
再生 そして希望へ
ところが、ある時、一人の方に出逢ったのです。
その方(W氏)は、ビジネスを通して自己成長できるように、多くの人たちを全力でサポートされている——大変利他的なお方です。
W氏は、私の過去の話を一生懸命聴いてくれました。そして——
さらに、その過去の話をブログに書くと良いと教えてくれたのです。
「デジタルとして、色褪せない記録として残り、
あなたの財産になります」
過去の辛い話であっても、それに関心を、あるいは共感を持ってくれる人たちが出てくる——だから、ブログで連載型ストーリーとして書きましょう、と言ってくれたのです。
たとえ暗い過去であっても、これから新たな人生を歩み、成功すれば、その過去に価値を与えることができる。
私は、そのお話にとても感銘を受け、夢を持ってこのブログを書くことを決意しました。
また、ブログビジネスのプロでもあるW氏から、ビジネスのノウハウも学ぶことができました。その後、W氏のビジネスパートナーとして、私自身もブログビジネスを手掛けるようになりました。
失敗を繰り返しながらも——
経済的基盤をしっかり作ることができました。
希望と夢に向かって
歩み始めているのです✨
長文、最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いします^^