第7話:いよいよ、学校のヒーローになる。「母さん、ありがとう!」

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第7話:いよいよ、学校のヒーローになる。

「母さん、ありがとう!」

ススムの高校教師としての話は、今回が最後です。こんな風に(第1話第2話第3話第4話第5話第6話)、生徒たちと、たくさんの素晴らしい経験を積んでこられて、本当に、ラッキーでした。それもこれも、出会った生徒たちのお陰です。

そんな感謝の気持ちを込めて、教師としての最後のストーリーを、書いていきたいと思います。


<<前回までのあらすじ>>

ススムは赴任した進学校の生徒たちが、勉強ばかりで、高校生活を楽しんでいない様子を見て、授業で訴えかけた。それが奏効したかは、わからないが、生徒たちが、自主的にイベントを開き、その力を見せてくれたのであった。


ススムは、突拍子もない数々のエピソードを経て、GTSと呼ばれるようになる。

進学校に赴任して、5年が過ぎた。その間、ススムは、生徒たちのために、相変わらず、全力で、力を尽くしていた。そして、数々のエピソードを生んでいた。

それは、こんな突拍子もない、エピソードであった。


自分のマンションの部屋を、生徒たちの勉強部屋として貸し、好きなように、使わせたり、、、(中には、キッチンでご飯を作って、ススムと一緒に夕飯を食べる生徒たちもいた♪)

男子生徒が、彼女を妊娠させてしまい、堕胎のための費用、20万円ほど、その男子生徒に貸したり、、、

両親が家を出てしまい、弟と二人きりの女子生徒が、生活費、アパート代、それに自分の学費を稼ぐために、人には言えない大人の仕事をしている生徒の心の支えになったり、、、

推薦入試で、大学に合格した男子生徒が、タバコの喫煙で、学校推薦が取り下げられるところを、必死になってかばい、推薦を再度認めてもらったり、、、。

また、こんなこともあった。

3年生の有志たちが文化祭で、クラブ(DJが音楽を流しダンスができる、いわゆるクラブ、アクセントはにあります。)をやる際に、ススムは有志の生徒に頼まれ、その責任者になることを、引き受けた。

そのクラブを行なう場所として、割り当てられたのは、男子更衣室だった。生徒たちは、そこをクラブの雰囲気を出すために、壁中を、ペンキで黒く塗ってしまった。

男子更衣室は、体育科が管理する施設だったのだが、それを見咎めた体育教師である佐野先生が、ススムのところにやってきて、問い詰めた。

「先生! 生徒たちが、とんでもないことをやってくれましたよ!男子更衣室をですね、ペンキで黒く塗ってしまったのです。どうしてくれますか!ススム先生!」

それを黙って、聞いていたススムが言った。

「だから、何なんですか!生徒たちは夢中になって、やったことですよ。生徒たちのやったことは、考えの足りないミスだったかもしれません。でも、それを責めることが、我々教員の仕事ですか!

高校生は失敗もします。その失敗から学ぶのです。そのことが、わからないのですか!?」

(ススムは、完全にブチ切れていたw)

(本当に、なぜ教師たちは、こうも、高校生のことを理解しようとしないだろう?なぜ、支えようとしないだろう?なぜ、自分の考えだけが正しいとおもうのだろう?)

ススムは、怒りを収めた。

(生徒たちのことを考えれば、得策ではないと、判断したのだ。)

結局、生徒たちと一緒に、体育科に謝罪し、黒く塗ってしまった壁のペンキを落とし(いや、本当に大変な作業でしたw)、

なんとか、文化祭に参加させてあげることが出来た。



このように、ちょっと、普通での教師ではありえない経験を、ススムはしたのです。

でも、べては、生徒たちのためです。ススムは、ある時から、気づいていました。この仕事は、
ススムにとって、天職である”と。

そして、嬉しいことに、ススムは、こんなあだ名を生徒たちから、もらったのである。

☆GTS☆ (Great Teacher Susumu)

(そうなんです。私は、学校の人気者になりました。私の知らないところで、ファンクラブも
出来ていたそうです^^

ようやく、自分が目指す教師像に、近づくことが出来ました。自画自賛にはなりますが、教師として、一生懸命生きてきた証として、生徒たちから、もらったあだ名です。どうか、褒めていただけたら、幸いです^^)


覇気のない進学校全体を変えられる大きなヒントを得る。それは、文化祭クラス演劇だった。

ススムは考えた。この学校の生徒達には、潜在的に力があると。

(進学校の生徒は、やはり頭が良いです。

その力を勉強だけでなく、他のことに向けても十分に、大きなことをやってくれると思ったのです。それに、生徒達はとても真面目ですから、何かをやり出せば、本当に一生懸命になって、事に当たるのです。

そう考えたススムは、彼らの力を、学校行事にも、発揮してもらおうと思ったのである。



そのきっかけとなったのは、ススムがこの学校に赴任して、4年目のことである。

その年、ススムは文化祭担当になっていた。ススムにとっては、教師生活の中で、4回目の文化祭担当であった。
(前に書きましたが、私には、相性のいい仕事だったのです。なぜだと思います?そうです。生徒たちと一緒になって、作り上げることが出来る素晴らしい仕事だからです♪)

その年の3年生のあるクラスが、クラス演劇を、文化祭の出し物として考えていた。ススムは、クラス代表の竹内と話をした。

「先生、僕は演劇が大好きなんです。よく舞台を見に行ったりしています。それで、今度の文化祭で
クラス演劇をやりたいと思い、クラスに話したのですが、ラッキーなことに、みんなOKしてくれたんです!

それで、やろうとしているのは、僕の提案で、オペラ座の怪人です。先生、知ってますか?劇団四季がやっているやつです。ちょっと凄いと思いません?

もう配役も決まってます。それに、劇中の音楽も、生でオルガンを演奏します。

でも、一つ心配なことがあって、うちの学校って、3年生は、受験生だから、文化祭に参加することを、先生たちが嫌がっていますよね。

それに、その舞台に考えている場所が、体育科施設の体操室なんです。あそこって、絶対体育科の先生たちは、反対しますよね?でも、舞台としては、ビッタリな構造なんです。

先生、なんとかなりませんか?」

その言葉に聞き入っていてススムは、言った。

「そうか、クラス演劇。素晴らしいね。オペラ座の怪人、知っているよ。映画にもなって、この間、見てきたばかりだよ。あれを文化祭でやれたら、お客さんたちの度肝を抜くよ。

ぜひ、成功させよう。大丈夫。僕に任せておいて。

みんなの思いを、職員会議で話すよ。必ず、受けて入れもらえるようにするから、安心していてね。」

(ススムの第2話を読まれたあなたなら、お気づきかと思います。ススムは職員会議で、おどおどして、発言していたことを。

もうススムは堂々と、発言が出来る教師になっていました。もちろん、会議で議案を通すことも、しっかりと出来る力を付けていました。)

なので、会議では、多少の反対意見はあったが、竹内のクラス演劇は、文化祭で出来ることとなった。

そして、大入り満員の中、高校生がやっているとは思えない素晴らしい『オペラ座の怪人』を、彼らは、見せてくれたのです。

ススムはこの3年生のクラス演劇を見て、強く思ったのです。

(これだ!この力をこれからの3年生のクラスにも発揮してもらおう。)

そして、この高校では、3年生のすべてのクラスが、クラス演劇をやるようになったのである。もちろん、、ススムの尽力で。(その後、クラス演劇は、この学校の文化祭の伝統となったのです。)

こうして、文化祭は、ススムが赴任してきたばかりの時とは、大違いの大盛況の文化祭になった。3年生の素晴らしい各クラス演劇を見て下級生たちは、大いに刺激を受けた。自分たちも、3年生になったら、凄いクラス演劇をやるぞ、と。(ここまでの話でしたら、これまでの話と同じ展開で、ハッピーエンドで終わってしまう感じですよね。でも、今回は、このあとに、うまく行かないことが、ススムには待ち受けているのです。)


覇気の感じられないクラス担任となり、悩み出したススムに、不幸が訪れる。最愛の母が亡くなるのである。

ススムがこの高校に赴任してから、6年が経過した。

校長先生から、担任になるように、言い渡された。と同時に、ススムは、学年主任にもなるように、任命された。

教師として、20年が経ち、もうその立場に立ってもおかしくはない経験を、ススムは十分、経験していた。

新しい学年主任になるときに、決めたことがあった。それは、学年6クラス、合計270名の生徒全員の名前を、まず覚えることだった。

自分のクラスだけでなく、学年主任としてよい学年にしたい、との思いからだった。

(実際は、270名の名前と顔を覚えるのは、本当に大変でした。新学年がスタートする前の春休みは、約2週間毎日、生徒の名簿とにらめっこして、必死になって覚えました。

でも、新学期がスタートしての入学式当日は、全員の名前を言えるようになっていましたが、そのことは、誰にも言ってません。ただ、新入生の生徒たちを前にして、武者震いしたことを覚えています。

ただ、生徒たちは、初対面なのに、もう自分の名前を知っている先生がいると、驚いていました。

やはり、名前を覚えてもらえているのって、嬉しいですよね。自分が迎え入れてもらえている気持ちになりますしね。

ススムの学年は、1年間、大きな出来事もなく、過ぎた。

そして、2学年になる前に、クラス替えを行なった。



ススムは、6組の担任になった。

新学年の始業式も終わり、ススムは、6組の教室に行き、出席を取った。

「あきやま、あだち、かとう、すずき、、、、、やまだ、わたべ。

はい、全員いますね。私は、この6組の担任になったススムです。去年みんなが1年生のときに、私が担任だった生徒もいるけど3分の2以上が、新しくこのクラスに入っています。段々と、私のことを知ってもらればいいけど、

担任として、一番に考えていることは、思い出作りです。

みんな知っているように、
もうクラス替えはありません。なので、この6組が、高校時代の最後のクラスです。高校時代の良い思い出を、この6組で作り上げていければ、と願っています。」

ススムは、一生懸命、新しいいクラスの生徒達に語りかけた。

ところが、、、

ススムの話を聞いているはずの生徒たちの顔には、精気が感じられなかった。元気がないというより、そんな話は、どうでもいいよ、というような顔つきだったのである。

確かに、出席を取っているときの生徒たちの返事も、覇気がなかった。

ススムは、思った。

(消極的な生徒たちが、集まったのかな?でも、まだ始まったばかりだし、これからこれから。)

ススムは、教師としての長年の経験と学びから、人は、必ず成長するものだ、とわかっていた。なので、焦ることはなかったし、生徒たちの成長を急いで、期待することもなかった。

そのはずだった...。

しかし、3ヶ月、半年と時が過ぎても、ススムのクラスは覇気がないままだった。そして、秋が来て、文化祭の季節がやってきた。ススムには、得意のパターンの行事だった。ススムのクラスは、いわゆる模擬店をやった。内装づくりは、かなり力を入れて作ってくれた。ススムは、こう考えた。

(そうか、この子たちは、消極的というより地道にやるタイプの生徒たちなんだな。それぞれが、一人ひとり、黙々と、与えられた仕事をこなすことができるんだ。

ただ、みな似たようなタイプなので、はた目には、クラスにはまとまりがなくバラバラに見えるだけなんだ。)

結果、文化祭以外の学校行事、合唱祭や体育祭では、ほとんど力を出せないまま、終わってしまっていた。

こうして、1年が過ぎ、6組の2学年の年が終わろうとしていた。




さすがのススムも、少し焦りを感じ始めていた。

(クラスに一体感が生まれないまま、3年生になり、最後の学年も、盛り上がらないうちに、卒業を迎えてしまうのだろうか。)


12月の初旬、早朝のことだった。

一本の電話が鳴った。叔母の声だった。一体、何事だろう?普段、かけてこない叔母からの電話。
その声は、

「ススム、今から、白坂病院に行って!あなたのお母さんが具合悪いの!」

急な話で驚いたが、ススムはすぐに応えた。

「仕事があるから、
無理です。」

すると、叔母が、

「何を言っているの! ススム、行かないと、一生後悔するわよ!」

その言葉でピン来た。母は危篤状態なのだと。

ススムは、急いで自分の車に乗り、叔母から教えられた病院に向かった。道中ずっと、自分に言い聞かせていた。

「僕の母さんなんだから、大丈夫。絶対に、大丈夫!」

そう思いながらも、ドキドキと、心臓の鼓動は止まらなかった。

ススムの車が病院に着くと、ススムは急いで、受付に行き、母は、どの病室にいるのかと。教えられた場所に向かうとしたとき、そこはありえない場所だった。

病院の裏から、外に出たからである。そして、着いた先の別棟の小さい建物の入り口の中で、うなだれている父の姿が、目に飛び込んできた。

ススムは、速足になった。父のところに行き、尋ねた。

「母さんは?」

「うん、奥にいるよ。覚悟して、入るんだよ。」

と、父は、泣きながら言った。

ススムは信じたくなかった。

奥の部屋(霊安室)には、安からかに、ベッドの上に、横たわっている母がいた。

ススムは、絶叫した。

「お母さーん!!!!」

「なんで、死んだんだよ!!!」


(母の死因は、病死です。公害認定患者で、長年、喘息などに苦しんでいたのでが、急死でした。)

私にとって、最愛の母の死は、あまりにも衝撃的過ぎて、それに、現実として、受け止めとることも出来ず、どうしていいのか、途方にくれました。

完全に自分を失い、無気力なまま、時が経っていきました。

それでも、私の心には、確実に、母への大きな思いが、膨らんでいました。

母は私に余りあるほどの
愛を注いでくれました。
母は、私を一生懸命
育ててくれました。
母は、私を厳しく
しつけてくれました。
母は、どんなときでも
私の応援者でした。
母は、本気で
叱ってくれました。
母は、誰よりも
私を愛してくれました。

そんな母の死は
辛いものでした。

でも、
母には、感謝の言葉しかありません。

そして、月日が経つに連れ
わかったことがあります。
それは、
母は私にとって
永遠の存在になったのだと。

母はいつも
私の心の中にいます。

母さん、ありがとう!


元気のなかったクラスが大きく変わる!それには、他界したばかりの母の助けがあったのだ!

母の葬儀、初七日も終わったが、心の中には、ぽっかりと穴が開いたようだった。

何とか、仕事に戻らなくてはと、思うものの、母のことをばかりを考えてしまう。ススムは、小さいときから、どれほど、愛してくれていたか、それを思い出してしまうのだ。気力を出したくても、出なかった。

♥ススムが、小学校4年生の時、初めて自転車に乗れるように、練習を始めた。でも、自転車は、大人用で、子供には、普通に跨ることは、難しい自転車だった。

その自転車で、小4のススムは、チャレンジした。どうしても、ススムは、自転車に乗れるようになりたかったからだ。そのことを、母に告げると、毎日練習を手伝ってくれると言う。

ススムは、学校から帰ると、大きな自転車に跨り、フラフラして、すぐに、足をついてしまう。なので、毎回、母が自転車の後ろの荷台を掴んで、支えになってくれた。ススムが自転車を漕ぎ出すと、それに合わせて、母は、後ろから荷台を持ちながら、一緒に走るのである。

ススムが、何度、失敗しようが、母は、後ろから、応援してくれる。

「ススム、うまい、うまい。後少し。がんばって!」

その言葉と、母がいつも後ろで支えてくれているので、ススムは頑張れた。1週間はかかったが、自転車に乗れるようになったのだ。そして、乗れるようになった瞬間、

「凄い!凄い! 上手!上手!」と、何度も褒めてくれた。

♥小6のとき、美術の工作で、ススムの作品が、校内で表彰された(校内6位だった)。
ススムは、それほどの作品だと思っていなかったが、校内の展示会に、母がやってきて、
廊下に展示してあったススムの作品を見つけて、大きな声で、褒めてくれた。

「ススム、凄いわね!」と、廊下中に母の声が響いた。

母は、いつも全力でススムを褒めてくれた。

褒めるだけでなく、怒る時は、本気で怒ってくれた。(いや、本当に怖かったですw)

♥小学生のある時、ススムはお使いを母に頼まれて、買い物に行った。そのとき、お釣りがあったのだが、その金額を誤魔化した。そのことに、気づいた母は、ススムを思い切り叩いた。

そして、「嘘をつくなんて、絶対にしてはいけません!」と、烈火の如く怒った。(そのときの母の叩いた力が強く、数メートルは、転がっていましたw)

♥小6の授業参観に母が来た時、ススムは、体育の授業の最後に、先生が話している間、仲間とふざけていた。ススムが、帰宅すると、いきなり、母の雷が落ちた。

「今日の授業態度は何ですか! 真面目にやりなさい! 授業でふざけるなんて、最低です!」

♥中学生の時、ススムがサッカーの練習で、誤って、左目を蹴られてしまった。

かなり痛かったが我慢して帰ると、母はススムの目を見て、驚くほど心配してくれた。すぐに、ススムを病院に連れて行ったが、待合室にいる間、ずっと、心配そうにススムに、

「大丈夫? 痛いでしょ? 」と、泣きながら言ってくれた。

こんなことを、思い出してばかりいた。 本当に、母はススムを愛してくれていたと。



ススムは、どうしたら、よいか見当もつかず、ただただ、時が過ぎていった。

泣き腫らした目も、なかなか元には戻らず、ススムは呆然と、日々を送った。

母の遺影を前にして…。

2週間が過ぎた頃、ススムの携帯が鳴った。着信番号を見ると、ススムの務める高校からだった。

電話の声の主は、教頭先生だった。

「この度は、大変ご愁傷様でした。さぞかし、肩を落とされていらっしゃると、拝察します。

こんな時に、なんですが、仕事の復帰はいつ頃と考えていますか。もちろん、ススム先生のお気持ちに任せますが、立場上、確認せねばならず、いかがいたしますか?」

ススムは、葬式に来てくれたお礼の言葉を告げたあと、すぐにこう言った。

「すぐに、学校に戻ります。来週月曜日から、お願いします。これまで、学校には
ご迷惑かけ、大変申し訳ありませんでした。宜しくお願い致します。」



ススムは、この教頭先生からの電話で、我に返った。

(そうだ!私には、大事な生徒たちがいるんだ!

いつまでも、悲しんでばかりいるな!

しっかりしろ、ススム!)

ススムは、母の遺影に向かって、言った。

「母さん、俺がんばるよ!

母さんが、俺の知らないところで、
いつも教師である俺を、人に褒めてくれていたんだよね。

ありがとう!


母さんに笑われないよう、
学校に戻って、生徒たちのために、しっかり仕事を全うするよ。」

こうして、ススムは、学校に復帰した。



ススムは、久しぶりに、自分が担任をしている3年6組の教室に入った。

朝の6時なので、教室にはまだ誰も生徒はいない。

(私は、この学年の主任になってから、誰よりも早く、学校に行くようになりました。もちろん、主任としての責任感からです。

でも、それが習慣となり、その後、どんな立場になっても、教師として、学校には一番乗りしていました。まあ、自己満足だったかもしれませんw

いえ、正直に言います。

自分は、誰よりも学校に尽くしているんだ、自分は、学校を背負っているだんという、自負心がありました。

ススムは、6組の担任になってから、朝一番に教室に行き、その日の連絡の他に、担任としての思いをメッセージとして黒板全体を使って、書いていた。

例えば、こんな風に、

【6組のみんなへ、おはよう!今日は、6時間目にホームルームがありますね。議題は、今度の合唱祭での発表曲ですね。みんなで、しっかり話し合って、納得の行く曲を決めてください。もちろん、僕も一緒に参加します。楽しみにしています。

それから、今週の掃除当番は、
3班が教室、5班が玄関です。今日の日直は、加藤、鈴木です。宜しくね。

今日も、良い一日を!6組担任 ススム】

そして、2週間の慶弔休暇から、復帰したススムは、久しぶりに、誰もいない教室で、一人、黙々と黒板に書いた。

【6組のみんなへ おはよう!
長い間、休んで、
本当にごめんなさい。

今日から、担任として、
しっかり

仕事していきますので、
安心してください。

2学期も、
もうすぐ終わりますね。

期末テストの準備は大丈夫ですか?
成績にも大きく
反映されるので、

自分に厳しく、
試験勉強してくださいね。

期末テストの試験範囲は、
明日にはわかるので、
それまで

待っていてください。

それから、、、
僕の母のことでは、
みんなに、迷惑と心配を
たくさんかけました。
でも、もう大丈夫です。

僕にとっては
最愛の母だったので、

とても辛い事実ですが、
亡くなった母は、
僕の仕事を

誇りに思ってくれていました。

今は、高校教師として、
天国にいる母に
さらに誇ってもらえるよう、
みんなのために
頑張ります!

6組担任、ススム】

ススムは、このメッセージを書き終わると、職員室に戻り、その日の授業準備を始めた。

時間も8時を回ると、かなりの先生たちが出勤してきた。

ススムは、それぞれの先生に、香典返しを渡しながら、葬儀列席のお礼を述べた。その時に、英語科の金崎先生が

「ススム先生、もう少し、休んでいていいんですよ。お母様を亡くされたのですから。それにしても、大きなお葬式でしたね。とても驚きました。」

と、言ってくれた。

その温かい言葉に、ススムは泣きそうになったが、ぐっと我慢して、言った。

「ありがとうございます。葬儀は、父の仕事仲間や友人、お客さんなど、ほとんどが
父の関係者なんですけど、1000人以上の人が、会葬に来ました。」

「えっ、そんなにたくさんも!一体、お父さんって、何をされている人なのですか?」

(あなたも、私の父のことが気になりますよね?

プロフィールにも書きましたが、父は、言ってみれば,、全国区の人でした。

ある建築業界の全国の会長をやっていたのですが、その人柄が多くの人に好かれ、業界の人気者でしたし、晩年は、業界の重鎮になって、多くの人の相談に乗っていました。黄綬褒章も受賞しています。

私にとっては、偉大な父です。)



ススムは、SHRに行った。

(SHR:ショートホームルームの略ですが、10分間のホームルームの時間で、担任が自分の担任するクラスに行き、出席を取ったり、連絡事項を伝えたりする時間です。)

教室に入り、黒板を見ると、早朝、自分が書いたメッセージの隙間に、クラスの生徒達が、思い思いに、言葉を付け加えていた。

「先生、大変でしたね。僕たちでも出来ることがあったら、何でも手伝います。」

「クラスのことは、全然何も心配いらないですよ。ゆっくり休んでください。」

「先生が戻ってきてくれて、正直、ホッとしています。」

「先生は、6組の担任なんですから、これからも、クラスのこと、一緒にがんばっていきしょ。」

「先生がいないと、何も始まらないですよ。大変だと思いますが、私達がついています。がんばってください。」

こんな言葉が、たくさん所狭しと、並んでいた。

ススムは、教壇に立ち、生徒たちの前で、泣くことを我慢しながら、静かに、こう言った。

「みんな、大変心配かけました。それから、迷惑もかけました。

でも、たくさんのメッセージありがとう。


僕は、担任として、みんなのために、
がんばります。

これからも、宜しく。」

ススムの目に、たくさんの涙が溢れていた。

そして、同じように、6組の生徒たちの目にも…。

ススムは、生徒たちの温かい心に触れ、感動していたが、それとは別に、こんな風に、自分の思いを
たとえ、黒板に書いたものとはいえ、しっかりと、見せてくれたことにも、嬉しさを感じていた。

それまで、あんなに内気だった生徒たちだったのに、今は、まっすぐに、ススムに向けて
気持ちを出してくれている。

本当に、嬉しかった。

そう思ったとき、ススムは、あることを、直感として、感じたのである。

それは、こんなに積極さを出せるように、

生徒たちに力を貸してくれたのは、私の母だ!

亡くなった母が、ススムのクラスのために、天国から、助け舟を出してくれたのだ!

そう強くススムは思った。霊感のようなものが、体の中を巡っていた。

そして、覇気が感じられず、まとまりのなかったススムのクラスが、激変するのである。
それは、新しい春を迎えてからのことだった。



6組の生徒たちは、3年生になった。無事に全員進級出来たことを、喜んだススムは、新学期最初のホームルームを行なった。

そこでは、各委員を選ぶことが、大きな議題だった。

(各委員:クラス委員、保健委員、体育委員、美化委員、進路委員、合唱祭委員、文化祭実行委員、など)

2年生だった去年は、誰も委員になりたがらず、担任のススムは、大いに困ってしまったのだが、今回は、驚くことに、すべての委員が立候補であっという間に、決まったのである。

(正直、この嬉しい変化には、ススムの口あんぐりだったw)

人が成長する様子を見るのは、とても嬉しいことですよね。お子さんがいるあなたなら、そんな変化を目の当たりにしたことが、あるのではないですか?)

クラス委員となった堀田が、議長となり、クラスの目標を、決めこととなった。

(この堀田も、2年生のときは、真面目だったが、おとなしく、自分から発言するような生徒では
なかった。

それが、今や、自ら立候補し、クラス委員となり、クラスをリードしようとしていた。)

「では、6組のクラス目標を決めたいと思います。挙手して、意見を言ってください。」

と、堀田がクラス委員らしく、凛とした態度で言った。

「はい! もう決まっていると思います。

行事で優勝することです。


合唱祭、体育祭応援団、文化祭の
すべてで優勝して、総合優勝を取ることです。だよな? みんな!?」

こんなことを堂々と言う小林の姿を、初めて見て、ススムは驚いていた。

みんながニコニコしながら、拍手した。

「わかりました。僕もそれがいいと思っていました。じゃあ、決定ですね」

「議長は、意見を言っちゃだめなんだぞ。」(笑)

「そうでしたね。だれか、他に意見とか、何かありますか。」

今度は、女子の保坂が落ち着いた調子で、みんなに語りかけるように、言った。

「はい!総合優勝を目標にするのは賛成ですが、

《総合優勝》という目標プラス
何か、モットーみたいのがあるといいと思います。」

すると、保坂と中の良い棚橋が、嬉しそうに言った。

「はい!えっと、《We’re No.1》って、どうですか?

英語で、格好いいでしょ?
担任は英語の先生だし。」(笑)

クラス全体の声が、一つになり、教室に響いた。

「賛成!」(パチパチパチ!)

(このように、ホームルームで、活発に意見を出し合う姿を、初めて見たススムは、それだけで、感激していた。)

こうして、6組の目標は、

《総合優勝》

モットーは

《We’re No.1!》

となったのである。



今回の話はいかがだったですか?

いよいよ、第1部のススムのストーリーは、次回8話で終わりです。

ぜひお楽しみにしていてください。^^


<<次回予告>>

ススムのクラスは、大きく変わり、3年生の最後の1年間を、良き思い出にしようと、一致団結して
頑張るのであった。

(つづく)

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