こんにちは。
オトメと申します。☺
今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。
プロフィールおよび連載ストーリーを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。
最近ようやくプロフィールおよびオトメのここ数年の激動のアメリカ人生を綴った連載ストーリーが完成し、
気づけば日本、アメリカ、オーストラリア、フランスなど方々からアクセスしていただけるようになりました。
さらにさらに、なんとブログランキングにおける健康と医療の二部門において一位に輝いてしまいました!
オトメと一緒にこれからもアメリカのオトメ日常の疑似体験を楽しんでいただけることを願います😊。
さて今回のコラムは「新しい自分は相手自身だったりする」について少しあなたと一緒に考えてみたいとおもいます。
私オトメがパートナーを求めるとしたら
私オトメはかれこれもう20年以上もアメリカでほぼ自力で生き延びてきてしまったサバイバーです。
そして一応これでもバツイチ子持ちの40代半ばの女性です😊。
勉強ができず、勉強が大嫌いで、何か面白い生き方はないか、と就職大氷河期であった日本を2000年に脱出したあと、
勉強ができる → アメリカでの研究者キャリアを築く
のではなく、
生き延びるために仕方なく勉強して → 気が付いたらアメリカ政府に認められる研究者
になってしまっていたような人間です。
そんなオトメの心に浮かんだ最近の一節ですが、
大きなビジョンを持って生きてると
それをみた人は私に自分を重ね合わせ
自分の中にも大きなビジョンを見つけ出す
もしこれまでの自分の人生は
この人と逢うためにあったのだ
なんていう出会いがあるとすれば
きっとこれからの新しい自分は
相手自身だったりするのかもしれない
なんてことだったんですね。
もうそれはそれは、一人でやりたい放題やってきたオトメですから、どうしてある程度の距離間のある仲間とかならまだしも、今更パートナーとかこだわってるの?っていうはなしなんですが、
- 自分に何かあった時に自分の子供を託す相手
- 常に一緒に研究活動を支え合ってきたパートナー
- 人生を共に生きながらそれぞれのそれぞれの生き方を応援し支え合う仲間
なんかそういうパートナーがいたら心強いだろうななんて思うようになりました。
まあそれというのも、とにかく研究者として生計を立てていくのって本当に大変なのです(詳しくは連載ストーリー参照)。
ギャンブラーとあまり違わないじゃんっていうくらい、収入が不安定なのですよね。
何と勝率はたったの10%とされる国家研究費の申請をし、そこから自分の給料までもねん出しなくてはいけない、と実は
会社の経営者と何ら変わりのない世界
なんです。
会社の経営者ってわざわざ何年も修行して、最高学士を取得してなんていう必要性はまったくないですよね。
20代の若者だって10代の若者だって会社を立ち上げようと思えば明日にでも可能なわけです。
それを博士号取得の後に、博士研究員まで三年も務め、それでもこんな不安定な職業ってこれじゃ
ブラック企業と何ら変わりない
ってことに気が付きました。
それじゃオトメさん大学教授にでもなってもっと安定した職に就けばいいじゃないってあなただけでなく誰もが疑問に思ったものです。
実際に、2018年にアメリカ政府により一人前の研究者として認められた証に、億単位の研究費をいただくに至りました(詳しくは連載ストーリー参照)。
その一年間くらいはまさに億単位の金を持ち歩く金の卵状態ですから、どこの誰もが私オトメを雇いたがったものです。
それらにはもちろん大学からの誘いもいくつか含まれていましたが、私オトメは実はある大学在籍中に研究事務からひどい目にあいまして、研究者として自分の背景を活かしていくには大学という期間は理想ではない、ということを学んでしまったのです。
今では大学機関を危険視さえしているほどです。
大学にとってのお客さんや財産というのは生徒であり、そこで働く教授も含めた労働者は大企業のサラリーマンと何ら変わりのない、魂を売った奴隷なのです。
そして今現在在籍している研究所に遠隔雇用されるに至りました。周りの地元の人間達は全く理解できないと首をかしげておりましたが、
お陰様で自分の研究分野と大きく関りのある、長年知り合いで応援してくださっている年配の女性研究者とその後輩たちと、コロナ禍を経てもまったく自分の毎日の生活に影響もなく、気楽にそして真剣に研究をさせていただいております。
そして自分に合っている環境やキャリアが具体的に見えてくるにつれて、自分の持つ大きなビジョンというのは研究という分野をはるかに超えていきますから、
自分ではないもう一人の自分
の存在を徐々に求めるようになってある意味当然とも言えますね。
自分と全く同じでは偏ってしまいますから、お互いの存在でやろうとしていることの全体をうまく補い合えたら理想です。
自分を補えるもう一人の自分は二人いた
これまでにアメリカ人の白人男性ですが、二人だけ自分を補えるようなもう一人の自分みたいな人がいました。
二人ともそれぞれ私オトメの関わっている研究活動に関係する人です。
一人目ですが、私オトメのように研究者としてではないですが、医学者として研究活動に深くかかわっている人がいます。
私オトメは研究者として産婦人科関係の分野で研究していますが、医学者君は医学者として関わっているので、研究面と臨床面がうまい具合にカバーされて、全体的な視野を保ちながら活動することができます。
医学者君の存在のおかげで、自分が産婦人科系で活躍する研究者としてどんな立場にいるか、という自分の研究社会における立場を客観的にとらえることができます。
医学者君に出会うまでは、もう少し漠然と自分はこれとこれとこれに研究課題として興味があるんだけどな、これらを自分の中でどうやって一つに体系化していけばいいかなあ、と随分悩んだ時期がありました。
同じような研究をしている年配の女性研究者からも同じようなことを指摘され、研究者としてのアイデンティティは何であるかを自分ではっきり言えないと意識できないと研究者としての個性や分野での立ち位置が見えなくなってしまうよ、と忠告されたこともあります。
普通はどこかの組織や大学に所属しそこで地位を与えられてそれがイコール自分のキャリア上のアイデンティティになったりもするわけですが、研究者というのは自分で自分の研究者としてのブランドを打ち立てていかないといけないんですね。
そこまではっきりと意識しているかどうかは別として、自分のメンターたちも含め、彼らは
XX分野のXXで知られているXX先生
というようなブランドを確かに周りに認識されていたと思います。
そうでないと、たくさんいる研究者の中で埋もれてしまうわけですね。
多くの場合、大学に所属する研究者というのはクラスを教えたりとか大学内での仕事に追われて忙しいですから、研究課題というのは一つか多くても二つくらいに絞られるわけです。
だから彼らの主な研究課題イコール研究者としてのアイデンティティになるわけですが、私を指導してくださったメンターたちというのは
- 薬物依存の治療を代表する研究者
- 研究者を超えてホワイトハウスの内閣において健康保険の体制を大きく変えた
などなど、一課題をはるかに超えたスケールの大きい貢献をされていましたから、私オトメの想像力もそういったレベルで働いて当然だという意識があったのでしょう。
また、大学院時代、博士研究員時代、その後の研究者時代といろいろな偶然が重なって一つの研究課題に絞っていられない状況にあった、ということも貢献しています。
そういった中、この医学者君の登場というのはそういったオトメの中の研究者としてのモヤモヤを綺麗に整理するのに本当に助けとなりました。
産婦人科系の研究内容ですので、医学者君は当然産婦人科医なわけですが、彼は私オトメの研究背景はこれからの分野の治療発達には欠かせない、ということを熟知しているひとでした。
ここで一つ述べておきたいのは、アメリカにおいて研究博士であることと医師であることは必ずしもオーバーラップするものではありません。
医者の方たちは研究に興味がありつつも、私たちのような体系的な訓練を受けていませんから、分野についての知識や医学的経験は豊富でも必ずしも研究者として有能であるとは限らないのです。
しかしながら彼らはこういった私オトメのような研究者をハナから馬鹿にしている場合が多く、
「医者でもないお前に何がわかる?」
という態度で臨まれることは往々にしてあるのです。
※英語で行ってみれば、What do you know about medicine? って感じになりますかね。
従って研究者の方たちも偉そうな顔して研究者をまるで自分のアシスタントのようにあごで使おうとする医師にたいして大層な嫌悪感を抱きます。
つまり、医科学の分野にいながら医師と研究者というのは得てして仲が悪いんですね。
もちろんそんなこと言っていたら医科学の分野が改善しませんから、私オトメは両方とも仲良くし、自分の研究がうまくいくことだけに集中するようにしています。
そして医師の中での医学者君のようにそれなりに研究の訓練を積み、医学雑誌などにも学術論文を出版したりするような医学者さんたちもれっきとして存在するわけです。
結局お互いの立場への歩み寄りが最終的には重要となってくるわけです。
従って医学者君のように私オトメの研究内容の分野における重要性がしっかりわかっていらっしゃる医師の存在というのは大きな意味を持ちます。
そして、産婦人科医でもある彼は分野全体を視野に入れて、どういった部分に私オトメのような研究内容が特に生きてくるかを示唆することができるのです。
こういった方はオトメのような研究者には大きな味方ですし自分のこれからの研究の方向性や研究者としてのアイデンティティを確立するうえで非常に参考になる存在でもあるのです。
お陰様で研究者としてのオトメはついに自分のアイデンティティまたはブランドを明確にするに至ったのです。
もし私と医学者君が直接手を組んで共に臨床面でそして研究面で活躍していけばそれはそれは大きな成果を生むことが出来るでしょう。
しかし残念ながら、医学者君は既婚者であり奥様はその分野では割と名のしれている医学者さんでもあります。
こうなってくるとやや面倒くさくなり、実際に医学者君とコラボしている私の同僚の女性研究者は案の定その奥様に散々陰口をたたかれていました。
奥様は同じ医学者でありますが微妙に興味の分野が異なり、むしろコラボしにくい立場にあるのだと思います。
それだけに上手く興味と活動内容が補い合えるような研究者の存在というのはやっかみの対象となってしまうようです。
実は医学者君は日本のロックの隠れファンだったりしており、それも手伝って何だかだんだん私オトメも混乱するような複雑な感情に振り回される事態に陥り、そして文字通り散々振り回された挙句、
オトメは一方的に医学者君に縁を切られる
なんていういわゆる鏡のツインでいうサイレント期間なんていうどころの騒ぎではないとんでもない関係の終わり方をしてしまいました💦。
その当時は何が何だかわからずに自分を常に責めていましたが、今から振り返るとはっきりしない医学者君の態度があってこそのオトメの混乱状態だったと思うのでお互い様だと思うことにしております。
また医学者君というのは何かと保守的な人であり、それは彼の生き方にも十二分に表れていましたから、今から考えるとたとえ二人が個人的な仲になったとしても私オトメが窮屈な思いをしていたと思いますね。
つまりともにパートナーとして生きるのに適している相手というよりは自分の研究者としての社会における立ち位置を確認することで自分のこれからの生き方を方向付けていくための自分を補えるもう一人の自分であった、と言えると思います。
つまり、自分という存在を補えるそして二人で一つの全体像を描くことが出来る相手だからと言って密接な関係を築く必要のある相手であるとは限らないのですね。
また、自分の研究者としての立ち位置を確認するには重要人物だったとは思いますが、彼はあくまで医学者であり研究者ではないのです。
つまり研究活動に彼が直接関わるかどうかは実は私オトメの活動にはあまり決定的な影響は及ぼさないのですね。
あくまでお互いの存在によって自分の存在を確認する、ということにとどまる相手であります。
もう一人のアメリカ人の白人男性
自分の現在の社会における立場というものを把握するうえでこの一人目のアメリカ人の白人男性である医学者君の存在というのは決定的でした。
そういった意味では彼のような産婦人科の世界の中でも特異な存在は当時のオトメにとっては貴重でしたね。
しかし現状把握においていくら絶対的な影響を私オトメに与えていたとしても、必ずしもそれがこれからのオトメの人生にとって理想のパートナーであるとは限らないのです。
実際に理想のパートナーである以上、私オトメの生き方と現実的に見て相性がよくなければピッタリと心身ともにお互い張り付いて(≧∇≦)、二人が共有するビジョンをそれぞれの立場から一緒に完成させていくなんて無理な話です。
もちろん私オトメはすでにありとあらゆる人たちと一緒に研究をしているわけですから、別にわざわざ個人的な男女関係をある一定の方と結ばなくてはいけないという必要性は今のところないわけです。
むしろキャリア関係で出会った異性と個人的な男女の関係を結ぶことは私オトメは逆に躊躇してしまいます。
なぜなら何かあった場合に感情的な反応に悩まされながら相手の存在がちらつく環境で研究をし続けることほど地獄な話はないだろう、と勝手に予想するからです。
実際に私の周りの研究者たちを見てみても、夫婦で仲良く研究できているなんていうカップルには早々出会うことはありません。
大抵の場合、少しキャリア年齢の若い女性がその分野においてはセレブな男性と一緒になり、その男性によってあげマンならぬ、あげチン(≧∇≦)的貢献を受けキャリアにおいてものし上がっていくというパターンが多いです。
そういった場合には、最終的には男性の方が早く引退するわけですから、まるで一種のお荷物でも抱えたかのように女性側は大きな負担を感じるようになっていくようです。
もちろん同世代で同じキャリアの道を歩むご夫婦もお見掛けしますが、多くの場合離婚されています。
それだけ個人的な男女関係を結びながら、お互いのキャリアで切磋琢磨するどころか、お互いの存在によってそれぞれの人生が豊かになる、なんていう話は理想でありながら現実においては相当実現が難しいのだと思います。
結局個人的な男女関係を結ぶことでそこに二人は何を求めているのか、なぜ個人的な男女関係を結ばなくとも一緒に研究だの仕事だのしたければできるのにわざわざ個人的な関係を結ぼうと思ったのか、この辺りがハッキリしていないのだと思うのです。
私オトメが博士課程にいた時も、アドバイザーであった女性教授は同じ大学で有名であった男性教授と離婚なさっていましたし、離婚劇に至るまでには学校のキャンパスや家など、ありとあらゆる場面において二人が髪の毛をかき乱しながら怒鳴りあっているシーンが彼らの日常であったなんて話も聞きました。
その女性教授は非常に有能でやり手な教授でしたし、情熱的で自立した方でもあったのですが、やはりどこかで女性として大事にされたい、女性としての自分に自信がない、という弱みがあったようにも思います。
そういった女性としての劣等感や有能であるがゆえに沸き起こる女性特有の罪悪感を、同じく有能な男性教授格の方と個人的な関係を結ぶことで何とか満たそうと解決しようとしていたんだと思います。
その証拠に、離婚された後にお付き合いしていた違う学部の男性教授の方とも怒鳴り合いまではいかなくとも、お互いのエゴのぶつかり合いというのは日常茶飯事的に起きていて、私オトメも何度か目撃したものです。
実は私オトメも、20年間もアメリカで生き延びてきてしまったがために、今度は逆に世間一般でイメージされる女性像というものから自分自身があまりにかけ離れてしまっているためにそれが逆に女性としての劣等感につながった時期というのがありました(詳しくは連載ストーリー参照)。
だからその女性教授の気持ちは今になって痛いほど理解できちゃうのです。
結局彼女は男性パートナーの前では自分を相手より小さい存在に見せることでしか二人の個人的な関係をうまくいかせる方法はないのだ、と思い込んでいたように思います。
私オトメもこれまでに医学者君も含め、私オトメが自分のとても男性的で猛々しい部分をオンパレードにできる相手、それでもひるまない相手というのに出会ったことがありませんでした。
しかし自分という存在全てを活かしきれない関係において一番苦しむのは結局は自分自身なのです。
となると、何度か自分自身が苦しんだり相手の反応によって自分が混乱したりすることを繰り返すにつれ、セックスとかそういった交流はなくなってしまうけれども、それでも一人で静かに穏やかにそして自分の好きなように過ごしていたほうがよっぽど良い、ってそりゃなりますよ。
特に私オトメのいる研究環境というのは先ほども述べました通り本当に厳しいものでございます。
質素でもいいから少しでも自分が穏やかに安定していられる環境というのは何にも代えがたいものになるのです。
…という視点は、もし私オトメが今の生き方をずっと続けるとしたら、の話になります。
私オトメは実は現状維持ということにそもそもあまり興味がございません。生きるということは常にいやでも変化し続ける日常、世界、地球に肉体を持って存在し続ける、ということですから、
現状維持という考え自体が大きな勘違い
ということになります。
実際に2020年で世界中が飲み込まれたコロナ禍など良い例ですね。もうテクノロジーアレルギーなんて言っている場合じゃなくなるわけです。そんなこと言っていたら時代から取り残され、死んだも同然となるわけです。
だから私オトメはとことん質素な自分一人の生活というところまで断捨離したうえで、それでも自分という研究の世界でもアメリカでも日本でもかなり特殊な存在をこれからどのように最大限生かしていくのか、という視点で日常を送っているのです。
結局この地球上において男女という二つの性が人間や多くの生物に存在するように、
全ては二分化された存在によって一つの存在を完成する
ように成り立っています。
医学者君と私オトメもそうでしたね、彼の存在があるから私の研究者としての重要性や存在意義もはっきりしたし、彼から見ても同じことが言えたわけです。
しかし、いわゆる陰と陽という二つの二分化された鏡のような存在にはもう一つの種類があることに二人目のアメリカ人の白人男性との出会いによって気が付きました。
それは今の現状においていかに鏡の存在であるか、という意味での鏡の存在ではなく、
これからの自分の姿を相手の中に見る
という過去と未来という意味でのツインです。
つまり現状というのはこれまでの過去の集大成を象徴した現実ですよね。
しかし今の現状を基にしてこれからどのように自分の人生がそして自分のこれまでの人生全てに関わってきた要素がまた自分という一つのまとまった存在を通して変化していくのか、という未来も同時に象徴しているのが現実です。
こういった考え方は今まで自分の中に思い浮かぶことなどなかったのですが、いや実に人間との出会いというのはまことに面白いもので、ある一人の人間を通じてこれまでの自分全てを活かしていく未来やこれからの生き方を象徴的に見たりすることってあるんです。
実は何度かオトメ自身に対してそういった言葉を投げかけてきた人たちというのはいました。つまり私の存在が彼らの未来への道を開く、みたいな感じの言葉ですね。
それはそれでとてもうれしいのですが、私オトメの方としては、私という存在のある一面においてはそうだと確かに言えるが、私という存在全てを分かち合うというところまではいきませんでした。
例えば、医学者君も含め、日本のロックにハマっていた彼からすれば、日本育ちの自分が推奨するような研究をする私オトメの存在なんて理想の権化みたいなものだったかもしれません。
しかし私オトメからすると医学者君の存在というのは研究キャリアにおいては貴重だったといえども、そのほかの面に関してはむしろ面倒くさいというか関わらないほうが身のためみたいな矛盾があったように思います。
多くの場合がそうでした。
ただ最近やはり研究活動を通じて知り合った二人目のアメリカ人の白人男性に対しては今まで彼らが私に言ってきたような内容を私オトメは初めて理解することができたんです。
実はこの男性は世界最強の軍隊として恐れられ敬意を払われているアメリカの特殊部隊で八年もの間アフガニスタンで駐在していた元軍人さんでもあります。
研究成果を利用して会社経営しようとしている経営者、という立場から研究活動に携わっている情熱的なお方です。
しばらくの間、ズーム会議などで週一くらいでお目にかかっていた方ですが、今では彼のほうが忙しくなり、あまりお姿を見かけなくなりました。
それでも研究プロジェクトは前進しているため、何となく存在を近くに感じ続けるような相手であります。
それもそのはず、ズーム会議中の何気ない彼の私の発言に対する反応を見て、私オトメは生まれて初めて自分はこの男性にプロとして敬意を払われているって実感してしまったのです。
そして、異性の相手が猛々しい研究者としての私を前にひるんだり警戒したりするのではなく、敬意を払うという経験をすることで、
女性という枠を超えたそれでいて女性
という自分オトメに生まれて初めて女性としての自信が湧いたのです。
彼の何気ない、何気ないからこそ、そこに私個人に対する意図がなかったからこそ、むしろ彼の自然な私への敬意というのは伝わりやすかったのだと思います。
後から学んだことですが、アメリカの特殊部隊というのは引退後に個人がどんな分野でもプロとして活躍できるようにと、プロとしての訓練を徹底して行うようです。
そして、彼らのモットーはといえば、「抑圧からの解放」、まさに私オトメの20年間のアメリカでの生き方そのものを象徴した言葉ですね。
彼が私オトメから発せられる猛々しいオーラやプロとしての誇りに深く共鳴したのも無理はありません。
そして今回においては、元特殊部隊さんが何も私に言わなくとも、私オトメの方で勝手に彼の人生背景や経験を通じて、これからのオトメのアメリカや世界を舞台にした生き方を象徴する姿を見たのです。
アメリカで育ったわけでも、白人なわけでも、白人男性なわけでも、軍隊にいたわけでもなく、彼自身も研究活動で知り合ったとはいえども、彼自身は研究者ではありませんから、共通点の全くない彼にどうして自分の未来の姿を見たのか、ときっとあなたは不思議に思ったでしょう。
これからの自分、ですから、今までの積み重ねの上にある現状がこれからの自分の研究や生き方に全面的に生かされていけばいいのです。
例えば、
- 国際性に富む背景
- 行動科学、臨床医学、薬物依存、女性医療
- マイノリティとして猛々しく生きた背景
実は彼のこれまでのやはり国際性に富むそれでいて猛々しい人生背景やこれからの彼の経営者としての興味・目的などを深く考察していくと、実にこれからのオトメの姿を考えた時に彼に重なるところがあるんですね。
そして、これまで私オトメの姿に未来を垣間見てくださった方々以上に、おそらくですが私オトメの存在というのはこの元特殊部隊さんのこれからにとってかなり決定的な影響を及ぼすものと思われます。
一種、お互いがお互いの中にこれからの自分そのものの姿を見ている、ということになりますね。
おそらく今までの方の場合は、私オトメを通じてご自分の夢が叶えやすくなる、という意味で私オトメの姿のご自分の未来を見ていたのだと思います。
自分そのもののこれからの姿を私オトメの中に見ていた、というのとはかなり違うのだと思います。
こういった二人のアメリカ人の白人男性との出会いを通じて、私オトメは自分の社会における立ち位置を把握し、そしてこれからの自分を具体的に描く、に至ったわけです。
まさに二人目の方との出会いは、
大きなビジョンを持って生きてると
それをみた人は私に自分を重ね合わせ
自分の中にも大きなビジョンを見つけ出す
もしこれまでの自分の人生は
この人と逢うためにあったのだ
なんていう出会いがあるとすれば
きっとこれからの新しい自分は
相手自身だったりするのかもしれない
ですね!
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