【アメリカ人とのパートナーシップ⑤】運命の相手・自分のツインの本当に意味するところは?ー第一弾

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こんにちは。

オトメと申します。☺

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールおよび連載ストーリーを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

最近ようやくプロフィールおよびオトメのここ数年の激動のアメリカ人生を綴った連載ストーリーが完成し、

気づけば日本、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、アジア、カナダなど方々からアクセスしていただけるようになりました。

オトメと一緒にこれからもアメリカのオトメ日常の疑似体験を楽しんでいただけることを願います😊。

さて今回のコラムは「運命の相手・自分のツインの本当に意味するところは?」についてお話ししてみたいとおもいます。

 

異性のパートナーという存在に興味がわいた私

私オトメはかれこれ2000年より20年間ちょっとアメリカで生き延びてきてしまったサバイバーです。

そして一応これでもバツイチ子持ちの40代半ばの女性です😊。

勉強ができず、勉強が大嫌いで、何か面白い生き方はないか、と就職大氷河期であった日本を2000年に脱出したあと、

勉強ができる → アメリカでの研究者キャリアを築く

のではなく、

生き延びるために仕方なく勉強して → 気が付いたらアメリカ政府に認められる研究者

になってしまっていたような人間です(詳しくは連載ストーリー参照)。

そして何をどう間違えたのか、今では女性に重きを置いた臨床系、公衆衛生系の医科学研究のプロとなってしまいました。
こんなハチャメチャな20年間を送ってきたので、2016年の春くらいまでアメリカのこの社会において外国人で弱小マイノリティのアジア人女性という社会的弱者でありながら、社会的にそして経済的に自分の身を立てること、それでいて生物学的に限界に至らないうちに出産育児を同時進行すること、などなどに追われて

 

純愛

とか

パートナーシップ

とか

 

そんなこと言ってる場合じゃねーよ!」状態でまっしぐらに駆け抜けてきたわけです。

実際に20代前半においては「絶対結婚しない宣言」していました。

なぜだか専業主婦として徹底した母親を見て残念ながら反面教師となってしまったんでしょうね。

いつも父親に対して不満を抱え、私から見れば本当に能力満ち溢れる帰国子女であるのに、当時の日本の女性としての固定概念にはまりまくった専業主婦としてどこか枠にはまりきらないでいる母親はあまり幸せそうには見えませんでした。

今では本人もとにかく父親と一緒にいた空間では彼女はいつもイライラしていたともらしているくらいです。

第一子として長女としてその「恩恵」をさずかった私は当然ながら慢性的な不安症となり、常に母親の機嫌をうかがいながら行動するという状態に陥ったわけです。

今でさえ随分穏やかになったとは思いますが、基本的には自分の思い通りに事が運ばないと相手が動かないとまるでロボットを動かすかのように無理やり相手を動かそうとするところは変わりません💦。

 

まあですから、アメリカという土地に降り立った時に、別にその時が初めてじゃなかったんですが、我関せずで自分の好きなように動き回る周りの様子にひどく解放感を覚えたものです。

そして異性関係にしてもまさに千人切りじゃないですが、どれだけいろんな男性を「知る」に至るか、要は経験のための経験としていろんな異性といろいろな形でお付き合いさせていただいたと思います。

もちろんそんな手玉にとれるほど賢くもなく、むしろ右も左もわからないアメリカという土地で相手にいいように利用されたり騙されたりしているほうが多かったとは思いますが。

そして三十路を手前に、ふと「これからの私のキャリアおよび人生はどうまとまっていくんだろう。」なんて先の見えない不安という闇と向き合っていた時に、柔術を通じて今や分かれた夫と出会うに至ったというわけなんです。

そして博士号を無事習得し、博士研究員として国の反対側までえっちらおっちらと元夫と移動しその移動した先で彼と結婚しました。

そして博士研究員が終了するころには長男をおなかに宿していたのです。

まあこんな感じでキャリアと生活が同時進行で絡み合って徐々に発展していきました。

 

今から考えれば、長男を産み、次男を産んだあたりがキャリア的にも結婚生活的にももっとも厳しかった時期だったといえるでしょう。

何しろ長男を産んでから、研究者としての本格的なそしてかなり不安定なキャリアが始まり、それと同時に新しい家に引っ越し、なかなか職の安定しない元夫を経済的にも社会的にも支え続け、そしてそんな中でなんとマッサージ師として働いていた元夫が軽い浮気に走ったのです。

私が夜の生活など満足に従事できない状態でしたから、衝動的にそういうことになったんだと思いますが、それにしても心身共にギリギリであった私に対してはあまりにひどい仕打ちでした。

しかしそれと同時に、こういった移動の多いキャリアに元夫を付き合わせて引きずり回してきたことに対しても罪悪感を感じましたので、怒りに猛り狂いながらも反省の気持ちでいっぱいになったのを覚えています。

そして魂的には全く納得していない状態でしたが、子供一人だけ産みっぱなしというのも何だと思い、結局他に相手がいるわけでもないですから、元夫との二人目の次男もできました。

しかしながら、心のどこかで無理をしてきたのがたたり、

 

次男を妊娠中になんと初めての浮気

 

をしてしまったのです💦。

心のどこかで元夫もしたんだからというわけのわからない言い訳をしていました。相手も既婚の方であったので、結局一夜の衝動的な関係で終わり、その後何度か話をしたものの、相手がキャリア上の問題でかなり精神的に追い込まれていたこともあり、自然消滅していったと思います。

またお互い様であったとは思いますが、お互い既婚同士の中途半端な覚悟も何もないお付き合いであったため、最初から最後までかなり独りよがりであったと思います。

でもものすごく久しぶりというか、アメリカに来て初めてといっていいくらい

好きって何?

愛し合うって何なんだろう?

男女関係って何なんだろう?

なんていうとっても根本的な愛と性に対する興味と疑問が自分の中で沸き起こってきたと思います。

 

 

次男を緊急帝王切開で死ぬ思いで産んでからしばらくは、そんな元夫と自分の浮気の過去などすっかり忘れて、まったく新鮮な気持ちで次男の子育てに励んでいたと思います。

次男を出産直後に、当時いた研究所からの解雇警告が下され、二人の息子たちの面倒を見るために住み込みのシッターさんをわざわざ日本から雇ったり、次男の母乳育児を徹底したり、そして元夫の相変わらずといっていいほどの不安定なキャリアで過去にこだわっているどころではない、ということもあったと思います。

産みあがりの体に鞭打って、次の就職先を見つけるべく、血眼になって駆けずり回っていた、それでいてやりかけの研究も同時にこなさなくてはならない、というとんでもない状況であったのを覚えています。

それでいてなかなか次の就職先が見つからず、文字通りアメリカの北の果ての田舎の小大学にまで応募してしまい、見事にオファーをいただいたものの、さすがに家族ごとそんな土地に引っ越す気にはとてもなれずに先行き不透明な状態であったにもかかわらず、お断りしてしまったのです。

なんて馬鹿なことしたんだろう、このまま家族ごとホームレスになって路頭に迷ったりしたらどうしたらいいんだろう、と自分から断っておいて茫然自失となっていたのを覚えています。

それでも自分が小規模なりにも築き上げつつあった研究課題をほっぽって行く気にもなれず、まったく前途不明な状態でどうしてよいかわからない状態でした。

そんな時ふと隣の州の大病院の先生たちと共同研究の話が持ち上がり、いろいろな人に紹介されていくうちに気が付けばへんぴな大学からのオファーを断って以来ものの二週間ほどで、地元にとどまりながら新しく設立された研究職に就くというこれ以上望むものはない、というほど理想的な転職を果たすに至ったのです。

 

ツインっていう概念にぶち当たった私

たまたま転職先の部門が産婦人科系だったので、たまたま共同研究の話を進めていた医学者の産婦人科医でもある先輩の白人男性に嬉々としてこの吉報をお伝えしたところ、大変珍しがって一気に二人の仲が近づきました。

日本では車で運転して二時間の距離なんて聞くと「遠い~」なんて思われるかもしれないんですが、アメリカですとご近所様扱いとなります。

お互い割と近所に住んでいるってことを知り、それぞれの研究発表を応援したり、それぞれの場所でお互いのネットワーキングをお手伝いしたり、と活発な交流を開始しました。

先輩にもあたる男性だったので、失礼のないように相手が生産的な時間を過ごせるようにと、至れり尽くせりだったんですけれども、あとから知ったことによれば、実はこの男性はアジア人女性好きだったんです。

彼の奥様もインド系の優秀な医学者であり、どうも彼は有能でユニークなアジア人女性の存在に惹かれるようです。

それに加えて彼自身は医学者でありながら、彼の研究の興味は行動治療やアプローチを取り入れることにあったので、私のような行動科学系のトレーニングを積んでいる研究者などは喉から手が出るほど欲しい存在であったと思われます。

しかも彼の大好きな音楽は私でさえも知らないような日本人女性がボーカルのアングラのロックバンドだったりしたものですから、産婦人科系の臨床医学研究の世界においてアメリカ社会で活躍する日本人女性など私以外にいないという現状で、私の存在はまさに

 

彼の理想の権化

 

であったとも言えます。

普段はどこまでもストイックで、産婦人科医でもあるために良くも悪くも女性慣れしており、彼自身女性的な部分があったりする人でしたから、必死に会話を持たせようと悪戦苦闘している私の姿をその彼がうっとりと見とれていたとしてもおかしくはないわけです。

ただ当時の私としてはいきなりとろけるような顔で彼が私を見つめているのに気づき、ぎょっとして戸惑うばかりでした。

ただ彼の奥底に潜む私という日本女性の存在に対する焦がれる思いを理解するにつれ、今度は「こんな奇妙な存在である私が理想だなんて思う男性が世の中に存在するなんて!」と私のほうが彼の存在に取りつかれていったように思います。

そんな中で、誰かがふと「オトメさん、その方きっとあなたのツインですよ」と教えてくれたのです。

 

実はツインという言葉は二人目を妊娠中にしていた一時の浮気相手と出会った時にも知ったことがあり、ツインと一言で言っても

  • ツインスター
  • ツインレイ
  • ツインフレーム
  • ツインソウル
  • ソウルメイト
  • デバインコンプリメント

等々、実はいろいろなタイプがあるということをインターネットで学びました。

タイプの違いについてはまた他のサイトで詳しく書かれていることと思いますが、最初に学んだときは「ツインレイとかそれ以上の関係ってなんか大変そう~」くらいに思って自分はツインフレームとかくらいが気楽で楽しくてよさそうだな、なんて考えていたのを覚えています。

また誰かにその白人男性と自分がツインの関係であると聞いたときに、ああまさにこういうカギとカギ穴がかっちりはまるような組み合わせが確かに唯一無二の相手であるツインってこともあるかもしれないな、と思ってもう少し真面目にそのコンセプトについて学び始めました。

当時2016年ころというのはありとあらゆるツインのブログサイトが立ち上がっており、いろいろなサイトと見比べながら自分なりに現実に照らし合わせたり理解を深めていったりしていきました。

まあ今振り返ればこの当時はツインという概念は一種の流行だったんだと思うのですが、面白いことに日本であれだけ一部の人間の間でもてはやされていたツインという概念は、もともと英語圏出身の概念であったにもかかわらず、アメリカや英語で書かれたサイトではここまでの細かい分析やブログの盛り上がりは見せていないのです。

そして2022年という今になってはあれだけ盛り上がっていたツインの概念も随分とおさまりをみせ、当時の半分以下の盛り上がり度にまで落ち着いてきたと思います。

 

今考えれば、自分も含めてですが、どうしてここまで男女関係においてツインという概念に日本人の方たちがこだわったかというのも、日本文化において男女関係のゴールはあくまで結婚であり、出産子育てという段階になってくると、女性は女性というよりは母親という存在またはもし子作りをしない家庭であれば家庭を支える妻という役割に転じていくのだと思います。

しかし女性はいつまでたっても女性であり、中年期になってやっと理解した感覚ですが、女性としての自分が体の衰えとともに、社会的にそして心理的にどんどん葬り去られていくのはまるで死に追いやられていくようで恐怖でしかありません。

もちろん一昔前ではそんな年の取り方は当たり前の話であり、一人の成熟した人間として還暦を迎えられれば女としての自分が機能しなくなっていくことなんて対して重要な問題ではなかったのだと思います。

従って高度経済成長期が社会にもたらした一種の豊かさの象徴でもあると思うのですが、そうなってくるとやはり自分の与えられた性を失っていく過程を実感するのは恐怖でもあるのです。

英語の世界においても、Mid-life crisisなんて言葉があるくらいですから、これは日本人に限った感覚ではなく全世界のある程度余裕のある中年期の人間たち共通の悩みだと私は思うのです。

従って自分自身も含め、このツインという現実逃避な男女関係を描く概念というのは、現実の社会における男女関係しか知らなかった人たちにとって、既婚であろうが不倫であろうが罪悪感なく、自分の女性としてのまたは男性としての性を活性化させる美しい男女関係として、現実と共存していける好都合な概念だったのだろうと思います。

社会に期待されたように生きてきてしまった私たちにとって、

 

自分自身にとっての愛って何か、性って何か、男女関係って何か

 

これを追求するきっかけを与えてくれる世界だったんですよね。

 

 

いろんなツインに会い始めた私

この共同研究をしばらくしていた産婦人科医の白人男性との交流がきっかけとなって私はずぶずぶとツインな世界に傾倒していきました。

ツイン系のサイトといっても多種多様で、それぞれのサイトから学ぶものは大きかったと思います。

その多くのサイトは今や消去されてしまっているようですが、女性が運営しているサイトがほとんどだったと思います。

ツインと思わしき男性と出会ってしまい、その男性との遠隔からのエンパスでツインの世界に関する一次情報、つまりご自分のリアルタイムの体験談としてブログを書かれている女性だったり、

ツイン男性と落ち着いたゆるやかな関係を保ちながら、それまでの関係構築で得た体験をもとに言葉を紡いでいる女性ブログだったり、

かなり分析的にツインの世界について説明をしたり読者からの質問に答えたりして、ツイン鑑定のサービスをしている方だったり、

ツインという世界も語りつつ、もっと魂の人生における旅について全体的な内容のブログを書いて、カウンセリングを受け付けている方だったり、

また男女カップルでサイトを運営して、女性のみならず男性からの視点も提供して、精神論だけではなくもっと現実的なそして性的な視点からツインの世界を語る方たちだったり、とにかくバラエティに富んでいたので、今日はこっちのサイトを読んでいろいろ考えてみようとか、とても良い刺激になりました。

 

日本という国は太平洋を越えて地球の反対側に位置するわけですから、時差も半日であり、やはりアメリカとの間に横たわる距離感というのは自分の中にもしっかりとしみわたっていたわけです。

同じ日本人でありながら、自分もちゃんと日本で育った身でありながら、どこか遠くの人たちという感覚がぬぐい切れず、今の時代ならクリック一つで世界のどこにいる方たちとも繋がれるというのにも関わらず、勝手に自分とそういった彼らとの間に隔たりを作っていたと思います。

従って、2017年後半にたまに電話カウンセリングをしていただいたりはしたものの、気軽にラインコミュニティに加わるとか、連絡を取ってみるとか、そういった考えは2019年終わりになるまで思い浮かぶこともありませんでした。

そんな風に随分と長い間、サイトを閲覧して楽しんだり考えに耽ったりする日々が続いたのです。

 

2017年後半で受けた電話鑑定によってやはり思った通り相手とはツイン関係であると知るに至りました。

2016年からの急接近とは裏腹に、お互い既婚者であり狭い研究の世界に共存することから、今度は現実的に見てもどんどん距離が離れていくばかりとなり、

私自身も相手に言わなくてもいいようなダイレクトな告白じみたメールを送り付けてみたり、ぐちゃぐちゃになっている混乱状態から何とか抜け出ようと解決の糸口を見つけようとジタバタしていました。

そして2017年の夏に、たまたま私が参加した学会が開かれた土地に、相手も最終便で最寄り駅まで乗り継ぎの際にやってくる、なんていうとんでもない偶然的な再会の機会が与えられたのです。

相手に最終便はいついつの何時に到着だから、出口で待っていてもいい?とメールを打ちましたが、彼からの返事はありません。

ちなみに、相手が最終便に載って学会の最寄り駅までやってくるという情報は彼が私も含まれているグループメールに向けて発信したものであり、当然相手も私を意識して送ったメール情報だったわけです。

実際に出口で待っていたら本当に最終便に乗ってその最寄り駅に相手が来たんです。

その光景自体が非常に不自然であったにもかかわらず、なぜか相手も特に疑問を投げかけることもせずに、二人で立ち話をしました。

相手「どうして今日はここにいるんだっけ?」

「(知ってるくせに)ええと、この辺の学会が明日からあってね、だから私もたまたま今日この街にいるの。」

相手「へえ。どんな学会なの?そこでなんか発表するわけ?」

「うん。そう。こうこうこういう内容の発表をするんだけどね。あ、この学会の前にも実は他で集まりがあって…」

相手「僕はここからまたタクシーに乗って少し離れた街で明日発表があってね。もう行かなくちゃいけないんだ。発表のパートナーとの打ち合わせも今晩あるしね。」

「あ、うん、そうだよね。いろいろ明日の準備大変だよね。…あの!」

まだツインの世界での旅も短く、自分のほとばしる感情に任せて行動してしまいがちであった当時の私は、その時になんと公衆の面前であったにもかかわらず、というかもしかしたら学会関係の知り合いなどウロウロしていたかもしれず、突然目の前に立っている相手に抱きついてしまったのです。

相手は本当にびっくりしてしまったようです。

相手「あの、ちょっと、やめてくれないかな。そんなことされても気分が悪いよ。」

と当たり前ですが、かなり強い口調で言われ、そのままそそくさと去っていったと思います。というか、正直なところどのようにその場で別れたのか記憶にございません💦。

そのまま当時住み込みシッターとして日本から来ていた若い女性に一生懸命電話で起きた出来事を話し、何とか頭と心を整理しようとしていたのを覚えています。

 

そして、その週末明けに彼からメールが入っており、これまで培った共同研究活動をすべて停止したい、私の言動は受け入れがたい失礼極まるし、これ以上直接連絡しないでほしい、等の旨が書かれていたと思います。

実際に日ごろから懇意にしている共同研究者から「いったい何があったんだ」とばかりに連絡は入ってくるし、他にも話を進めていた共同研究者からも断りのメールが来たり、踏んだり蹴ったりでした。

「もう二度と自分のキャリアに関係する男性に個人的感情を抱くことはしない。」

そう固く決意せざるを得ない瞬間でした。

それというのも私は稼ぎ手ですから、こんなことで自分のキャリアが傷つくようなことがあれば、収入源の削減にもつながり、二人の子供となかなか仕事の安定しない元夫、そして住み込みのシッターさんを抱えた生活の基盤自体が崩れていってしまうのです。

しかし同時に、こういう時に誰が自分の危機を救ってくれるのか、本当に大事にすべき研究同僚というのも浮き彫りとなってきます。

ご自分の利益しか考えずに行動する人間たちであふれている一方、認めている相手が何らかの危機に陥った時に醜い状態に陥った自分に手を差し伸べてくれる相手というのは確かに存在するのです。

それを悟った瞬間でもありました。

 

そしてその年の10月初め、私と元夫との結婚記念日の日に、若い日本男性が新しい住み込みシッターさんとして我が家に日本から到着したのです。

彼は人を喜ばせることが好きで、得意でもあったので、懐かしい日本文化や日本料理などで私たちを楽しませ癒してくれました。

あれだけものすごーく精神的なツインの世界に二年ほど浸りきっていたわけなんですが、同じ屋根の下においてこのような純粋に身体と心が喜ぶそして癒される生活を楽しむにつれ、だんだんと自分の中で一つの疑問が沸き起こってきました。

「でもさ、私は結局三次元の世界に住む身体を持つ一人の生身の女であって、ほとんどサイレントとかいって会えない触れられない相手と、いくらツインだからといって魂的には満たされたとしても、精神的にそして身体的にほとんど相手と交わる機会がないんじゃ、なんかわざわざ地球上に生まれてきた意味なくない?」

あとから電話鑑定により、この若い日本男性は三次元的ツイン、ツインフレームだということがわかりました。

ツインフレーム以上のツインの相手とすでに出会っている場合、こういったツインフレームの存在というのは女性が生活を維持しながら使命を全うするのを援助するという目的であることが多いようです。

そして三次元的に一緒に生活を共にし、激しいエネルギーのぶつかり合いというよりは、もっと穏やかで癒しのエネルギーに包まれた柔らかな関係であり、女性が自分の使命遂行に集中できるような環境づくりのお手伝い、まさに縁の下の力持ち的な存在となるようです。

まさに、彼の存在はそんな描写そのもの、という感じでしたね。

ではでは、第二弾においてどのように私オトメが一途にたった一人の異性を求めて旅を続けていったのか引き続き書いていきますね。

 

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