【アメリカ体験談③】英会話を習得、マスターすることについて

こんにちは。

オトメと申します。☺

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールおよび連載ストーリーを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

最近ようやくプロフィールおよびオトメのここ数年の激動のアメリカ人生を綴った連載ストーリーが完成し、

気づけば日本、アメリカ、オーストラリア、フランスなど方々からアクセスしていただけるようになりました。

さて今回のコラムは「英会話を習得、マスターすること」についてお話しできればと思います。

 

私オトメがアメリカに来た当時

私オトメは日本でバッチリ大学卒業まで育っておきながら、その直後の2000年四月よりなんと20年以上にもわたってアメリカという世界のフロンティアを行く国で自力で生き延びてしまった、バツイチ子持ちの日本女性です。

勉強ができず、勉強が大嫌いで、何か面白い生き方はないか、と就職大氷河期であった日本を2000年に脱出したあと、

勉強ができる → アメリカでの研究者キャリアを築く

のではなく、

生き延びるために仕方なく勉強して → 気が付いたらアメリカ政府に認められる研究者

になってしまっていたような人間です(詳しくはプロフィールおよび連載ストーリー参照)。

 

想像に難くないと思いますが、これだけハチャメチャな人間の英語力などたかが知れたものでした。もちろん英語の論文や教科書などある程度の読む英語には大学在学中に触れていましたが、

TOEFLという英語習熟度を読み書きヒアリングに関して測るテストにおいては、もちろんアメリカ大学院入学で要求されていた基準をはるかに下回っていましたし、

 

実際の英会話力などにおいても、

How are you?

以降の会話は全くと言っていいほど理解できていませんでしたし、自分の発する英語も学術英語くらいしか触れていなかったため、

「気分が悪い」と一言いうにしても

I feel sick. と言うべきところを I have disease. などと表現してしまう始末でした。

※因みにこの二つの表現がどうしてそんなに違うのか、というニュアンスの話を少しだけさせてもらいますと、I have disease. という場合、

特に最近においては人に感染してしまう恐ろしい病気、例えばエイズとか淋病とか、エボラ熱とか、はたまた命取りとなりかねない致命的な病気、例えばガンなどの病気を持っている、という大層なニュアンスを持ってしまいます。

 

また日本人の多くに見られるケースですが、LとRの発音を聞き間違える、または言い間違えるということをよくするので、ちょうど2000年当時ブッシュ・ジュニアがアメリカの大統領に当選したころなど、

How is the presidential election? と聞くべきところを間違えて How is the presidential erection?と発音してしまったりしていたのです…

※因みに後者の発音になるとどのような意味になるかというと…大統領選挙どうなってる?じゃなくて大統領の勃起どうなってる?になってしまうのです!!!!

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President George W. Bush. Photo by Eric Draper, White House.

 

まあそんなレベルでしたから、推薦していただいた大学の先生には非常に申し訳ないことをしてしまいましたが、懇意にしていただいている先生からの推薦を受けた生徒として実力とは全く無関係に

 

完全なコネ

 

だけで留学してしまったおかげで、自分も大変苦労しましたが、受け入れ先の先生も相当ショックを受けておられたようです。

会話にならない会話の中で、受け入れ先の先生(ここでは仮にM先生としましょう)に言い渡されたことは

「君は大学院の授業を受けている場合じゃない。英語の勉強をしろ。」

でした。はい、ごもっともで。

 

残念なことに、アメリカに来たばかりの当時の話を今してもあまり言葉通りに受け取ってくれる方は今日そうそういません。

それくらい酷かったのであり、そしてほんの20年ちょっと前までそんな状態だった人間が、今ではアメリカ人でさえ中々たどり着くことが難しいであろう研究キャリアの道を歩んでいるわけですから、

 

信じないというよりは信じたくない

 

という気持ちもわからないではないです( ´艸`)。

日本にいてもたまにとっても外国人な見かけをしていらっしゃるのに、日本語はペラペラ、読み書きもそんじょそこらの日本人よりも出来て、日本でしっかりとキャリア積んでいらっしゃる方がいればきっとオトメも私の周りのアメリカ人と同じような気持ちになったと思います。

 

私の知り合いの同年代の男性が、「20代30代のころは時間があったからいいけど40代に入ったら本当に忙しくなった」とおっしゃった方がいますが、

私オトメは全くの逆でして、今でこそ大分落ち着いた生活のペースが掴めるようになってきましたが、20代なんて寝る暇もなかったですし、そのお陰で心身の健康を害し10か月の療養を迫られたほどです。

30代も体力精神力の限界を常に試されるような人生でした。とにかくアメリカにおいての生活、言語・文化習得、それに加えての超がつくほどチャレンジングなキャリア成長を同時進行でこなしていたわけですから、実質二つ三つのフルタイムの仕事を20年以上もの間、同時にこなしていたようなものです。

要はとんでもない質と量をこなさなくては今の私オトメは存在しえないということですね。

じゃあどうして大してできる人間でもなかったそしてやる気も大してなかった私オトメがこんなに長い間アメリカ社会でほとんど自力で自分の道を切り開いてこれたのか。

 

いくつか理由が考えられるとは思うのですが、今のところ印象に残っていることが二つあります。

一つは2000年の五月にアメリカの土地に降り立った時のことです。入学する予定であった大学院に向かう前に私オトメが学んでいる分野の国際学会がちょうどそのころ開かれたのです。

国際学会など生まれて初めて参加したので、何を期待してよいのかも全く分からず、むしろいかめしいイメージすら抱いており、ものすごく窮屈な思いで学会会場に降り立ったのです。

ところがです。

実際の学会会場の雰囲気と人々の私への対応は想像とは正反対と言ってもいいほど、大変明るく楽しく、英語を大して理解もしていない私に対してもありとあらゆる見かけをしている外国人の方たちが年齢・性別無関係に話しかけてきてくれたのです。

 

「なにこれ、ちょ~たのし~!!!」

 

単純でお祭り好きだったオトメはものすごく簡単に舞い上がってしまい、いろんな見かけの人が英語で発表している様子を博物館の標本でも見るような勢いで、完全に英語で行われているありとあらゆるセッションに顔を出しては雰囲気を楽しんでおりました。

もちろん、発表内容は全くと言っていいほど理解できていませんでしたが。

 

そして二つ目に記憶に残っているのは、ちょうど同じ時期に日本から留学されていた少しだけ年上の優秀な日本男性の方との会話です。

彼は同じ大学に在学中に留学していたこともあり、英語も堪能でしたし見かけも和風の美男子であり、自分たちの面倒を見てくれていた担当の先生にもひどく気に入られていました。

その彼と共に学会が終わってから夏休み中に行われた担当の先生によって開かれた大学院のプレ授業に参加したときのことです。

未だにお祭り気分で居た私オトメにその男性が

「ねえ、オトメさん。あのさ、そう言うナメた態度で授業に参加しているとひどい成績取ってさ、この国ってひどい成績取ると将来ないんだよね~。」

とくぎを刺してきたのです。私オトメはドキッとしました。彼の言っていたことは図星だったからです。

そうなのです、実力ゼロのくせして大学院のプレ授業が始まっているというのに、それでもまだ自覚できずにお祭り気分のままナメ切った態度で私オトメはプレ授業に参加していたのでした。

ムッとしたと同時に、だんだん焦る気持ちが湧いてきました。

「こんな楽しい国を追い出されて地獄のような日本にかえるのだけはゴメンだね。」

つまり、まず最初に蜜の味をたっぷりと味わい、そしてそれが奪い去られるかもしれない、奪い去られたくなければ自分が動くしかない

という人生全般に通じる教訓をその二つの出来事によって私オトメは一瞬で学んだんですね。

それくらい日本という国に自分の将来をみていませんでしたし、自分が心から良いと思ったそれまでの人生において数少ない機会が自分の目の前から消えてなくなるなんて冗談じゃなかったんです。

 

英会話に話を戻しますが、英会話の習得やマスターにおいて何よりも必要なのは

 

強迫観念にかられるほどのモチベーション

 

だと思います。

これさえあれば、英会話に限らず人間ほとんどのことは習得できるのではないか、と過去20年を振り返って実感する毎日です。

 

実際に私オトメが毎日していたこと

さて20年前というのは、インターネットやラップトップコンピュータなどはもちろん既に存在していましたが、YouTubeなどはまだ存在していたかいないか、スマホではなくガラケイの時代でしたから、

今のようにバーチャルで世界のどこからでも英語のレッスンだの、YouTubeで有名なタレントや有能な英会話講師にタダでアクセスするだの、またさらにグーグルの自動翻訳や発音機能など全く存在していませんでした。

 

どこからか学術書的な英語の発音について詳しく解説してある教科書のような本を見つけたので、今ではほとんど理解する必要もなくなったような英語の発音記号を解読し、

文字面と絵の解説を参考に、周りで聞く英語の発音と自分の発音を比べながら発音練習をしていきました。

その際に、Girl, Train, Spring, World, War, January, Natural など日本人には発音しにくい単語が繰り返し出てくるわけです。

それらを紙に書きだしてリストを作り、毎朝授業に行く前に一度でもいいのでそれぞれの言葉の発音練習をしていました。

いくつかの単語はずいぶん時間がたっても中々改善せず、ありとあらゆる口、あご、舌の筋肉を駆使しながらなるべくアメリカンな英語へと徐々に近づけていくしか方法はありませんでした。

一つだけ助けになったのは、私オトメが20年前に最初に三年間住んだ地域が、ほとんど白人しかいない、

 

寿司って何?

 

という世界にいたため、英語の発音に外国人としてのアクセントが少しでも混じったり、スタンダードな英語表現でない英語を耳にすると、即座に顔を背けたり眉根をひそめたり急に興味を失ったりされるわけです。

ひと昔前に、ラーメンズというお笑いのコンビが作り出した「日本の形」というユーチューブシリーズであるがありましたが、その中の一つに「鮨」という題目があります。

 

寿司屋で期待されるマナーから、ショウガの存在意義まで面白おかしく勘違いなお笑いにしたてあげているのですが、

この題目をたとえば当時私オトメがいた地域のローカルに見せれば、そのまま鵜呑みにして真面目に見て学ぼうとしてしまう、それくらい異文化に疎い地域でした。

というか、その前に

 

「生の魚を食べるなんてヤバーン!!!」

 

って頭をイヤイヤされてしまうでしょうがね。

 

 

私オトメのいた地域というのはアメリカの中でも最も標準的な英語の発音を耳にすることが出来ると言われている地域でしたから、少しでも異色な英語を耳にするとローカルの人たちは拒絶反応を示してしまったわけですね。

とにかく英語を使ってコミュニケーションを取れるようにならないと、と当時の私オトメはアメリカという土地で生き残ることに必死でしたから、こういう反応をされるとそれは嫌な気持ちにはなりましたが、

同時にそういう反応をされないようにするためにはどんな風に会話を改善していったらよいだろうか、ということに重きを置いて、会話の相手の反応は

 

スロットマシーンの当たりはずれ

 

くらいの感覚で受け取るようになりました( ´艸`)。

 

また、毎朝行っていた習慣として、テレビのニュースのサブタイトルをつけて、ニュースキャスターの後に続いて英語の発音やイントネーション、速さ、リズムなどを習得するよう心掛けました。

日本語というのは音の高低(ピッチと言いますね)の領域があまり大きくありません。

したがって、その領域で英語を聞こうとしたり話そうとしたりすると、うまく聞き取れなかったり、抑揚のない単調な英語になってしまったりするのです。

最初にお世話になった大学院に、日本人の奥さんを持つ白人男性の英語教師がいました。たまたま私の担当の先生とも知り合いだったということで、彼に英語の個人レッスンを頼みピッチについて学んだのです。

他にも、National Public Radio(NPR)という日本で言うところのNHKみたいなラジオのニュースチャンネルがあり、ここで使われている英語は言葉使いも発音も最上級だ、ということで運転中にはこのラジオキャスターの後追いをして英語の練習をしていました。

 

今であれば世界のどこに至ってほとんどの場合、ただでビデオコールなどできてしまう時代になりましたが、当時はまだスカイプくらいしかそんなオプションはありませんでした。

日本の友達や両親の間ではスカイプコールなどまだまだ主流ではありませんでしたから、結局安いテレフォンカードか何かを買ってそのクレジットを使って日本の家族や当時のボーイフレンドに電話をかけていたのを覚えています。

また英語に集中しなくてはいけないということで、日本の方たちとつるむこともしませんでしたし、そういった時代の背景も英会話の習得に集中するにはかえって適していたのかもしれません。

なんだかんだでなんと一年くらいたったあたりから、突然周りの白人の同僚の女性が一言

「私、オトメの言っていること理解できるようになってきたわ。」

とある日突然に発言したのです。

これまでの一年間は私の言っていることはちんぷんかんぷんだったのか…

そう考えると私オトメの英語の基準がどれだけ低かったかお分かりになりますよね( ´∀` )。

大学院側もよく私を自主退学させなかったなあとその忍耐強さに感謝したものです。

しかしながら、第一印象というのは恐ろしいもので、初めの印象があまりにもひどかったため、その後またとんでもない努力を続け、アメリカに来て三年後にはアメリカ人をも出し抜いて成績トップで西海岸にある博士課程に入学するに至ったのですが、

「え、入学って…まさかあんな優秀な大学院にあなたが入学するなんて。その土地に引っ越してそこで授業に潜りするってことでしょう?」

なんて信じられないような勘違いをされるほど、その後どんなに頑張っても最初に受け付けられた第一印象が解決することはありませんでした。

 

英会話の習得の過程で気が付いたこと

最近になって気が付いたことがあります。コロナ禍に入り、ネットフリックスでアメリカのドラマシリーズなどよく見るようになりました。

アメリカの女優達の英語の話し方を見て気が付いたのですが、みんな基本的に

 

笑顔で英語

 

を話しているのです。

 

もっと正確に言えば、英語という言語は口を開いて話す言語ですから、英語圏の方たちは歯並びや歯の白さなどに基本的にものすごくこだわります。

話している時に歯並びがひどかったり葉が黄ばんでいたりするとそこに注意が行ってしまうからですね。

どんな状況でも写真を撮る時にはかならず Smile!! と即されますし、笑顔になるまで写真家の人はじっと待ってたりするくらいです(笑)。

従って、小さい時から英語を話すようになると、周りの人間の話すときの口の開け方を自然に真似るようになるんでしょうね。

口を開けて話すときには、基本的には下唇を下げて開けるのではなく、上唇と口角筋を上げながら口を開けているようです。

そうすると、明るい表情で英語を話せますし、下の歯ではなく上の笑顔の時に見せる歯を普段から見せて英語を話すことになるのです。

私オトメも最近になってですが、常に上唇を完全にリラックスさせあまりピッタリと唇を閉じないように気を付けています。そうするだけでも少しだけ頬骨のあたりの筋肉と口角筋を常に意識するようになります。

そしてさらに気が付いたのが、Girl, Train, Spring, World, War, January, Natural など上記に述べた日本人には発音しにくい単語の発音があまり口の筋肉を激しく動かさなくても自然にはっきりと発音できるようになったのです。

また基本的に笑顔に近い表情を常に保つことで、気分も自然と上向きにポジティブになります。

落ち込んだ気分をどうにかしたいのなら笑顔を一日に40回以上作れ、なんて言った人がいますが、それくらい顔の表情をどう保つかと感情的な気分の間には関係があるのですね。

 

よく真面目な方ほどボキャブラリーを増やさないと、と頑張る人がいますが、第二言語を話している時に特に重要となるのは、語彙力よりも表現力です。

沢山の語彙を使うくらいなら、そのエネルギーを表現力に使ったほうがより伝わりやすい英語が話せるようになるでしょう。

それでは表現力と一口に言っても、具体的にはどういうことかと申しますと、

  • 言いたいことをハッキリと頭の中でビジュアルにイメージしてそのイメージを英語で描写する
  • 視線の使い方に気を付ける
  • 上半身の角度に気を付ける
  • 手のジェスチャーの使い方に気を付ける
  • 間を置くことに気を付ける
  • スピードの強弱に気を付ける

など、はっきり言ってこうなってくると英会話の習得というよりは演劇の練習に近いものになってきます。

実際にある程度英会話がこなせるようになったら、日本の方たちの場合は特に演劇のクラスでも取った方がよっぽどタメになるのではないか、というわけですね。

 

アメリカ社会の人は相手が何を言いたいのか、を理解しようとします。したがって、まず自分の中で言いたいことをハッキリとイメージできなくては話にならないわけですね。

過去に自分では意識していなかったのですが、一時お付き合いさせていただいた今では優秀な検察官となって活躍されている白人男性がおっしゃったことによれば、

「私オトメの中で言いたいことがハッキリしてイメージできている時のオトメの英語はとてもクリアでわかりやすい。」

ということだったのです。その時どうして彼がそんなことを言ったかと言えば、まだ私も彼も付き合い始めたばかりの時でした。

彼は前に付き合った女性がかなり感情的だったらしく、彼の気持ちを随分傷つけそのお陰で彼は純粋に女性と向き合うことができなくなったということにより、私オトメとの関係にもかなり躊躇しておりました。

その時に私オトメはどうして彼が損な心配をしなくてもいいか、恐がる必要がないか等、丁寧に一つずつ説明していったのを何となくですが覚えています。

 

また、研究の仕事においても、アイディアが自分の中でビジュアルにはっきりと描かれている時、英語で説明しても人に伝わりやすい、という経験を何度もしたことがあります。

ビジュアルでイメージできる時というのは、多くの場合そのビジュアルに関係するキーワードも頭の中にあらかじめ用意されていたりすると思うのです。

したがって、全体像をどう伝えるかに注意がいき、ボキャブラリーに気を取られたりしなくなるのでしょう。

 

視線の使い方に気を付ける、ということについてですが、かつてのオトメはしっかりと相手と目を合わせて話す、ということにこだわっておりました。

これは日本にいた時からそうだったのですが、アメリカ社会ではアイコンタクトをしない相手は自信がないまたは信用に値しないという烙印を押されてしまう、とよく聞くのでアメリカ社会では特にそれを意識して行っていました。

ですが実際は、相手の目を見て話すと、相手の顔の表情に気を取られてしまい、また相手の視線がそらされたり表情が曇ったりすると、それが気になってしまって自分の話に集中できなくなったりするわけです。

従って、自分の話に集中するときは目の前に自分の話したいことがビジュアルに描かれているかのように、空間の一点に一時的に集中したり、話している内容に合わせて顔の表情を変え、それに合わせて視線の位置もどんどん変えたりしていると、表情豊かで目の前の相手も飽きずに話を聞いてくれたりします。

アメリカ社会では言いたいことをハッキリと言うことによって、会話のキャッチボールを楽しみますから、相手は常に私が何を言いたいのかを探っています。

従ってあまりダラダラと要点のはっきりしない話し方だと相手がすぐに飽きてしまい、集中力が続かなくなるのです。

相手を飽きさせないためにも、視線を固定させすぎないことは重要だと思います。

 

同じ要領で、ビジュアルの部分で相手を飽きさせない方法として、上半身の角度や手を使ったジェスチャーも重要な役割を果たすと思います。

私が博士研究員だった頃に、私の面倒を見てくださった先生がスタッフや研究員の上半身の姿勢でその人のやる気や興味の度合いを推し量っていたことがあります。

上半身の角度って会話の相手に与える印象に大きく影響するのでないか、と私オトメも徐々にその先生の言っていることに納得するようになったと思います。

基本的に相手との会話に積極的に参加している、多大な興味を持っていることを示すために、上半身の角度は常にやや前傾であることは必須です。

そうすることで、対話における自分の存在感も相手に主張することができますし、会話のキャッチボールでいつでも相手からのボールをしっかり受け取り投げ返す準備になります。

頭の角度もとても重要ですね。相手の話を聞いているときなど、思案気でいるときなどは、少し頭をどちらかの方向にかしげたり、ゆっくり頷いてみせたり。

とにかく「私はあなたの会話をよぉーく聞いているんですよ。」というアピールをいろんな形でするんですよね。

そうすると、話している相手もこちらが一生懸命相手の言っていることを消化しているのだと安心して表現豊かに話をしてくれます。

 

自分が話しているときにどのように両手を使うかまたはどこに置いておくか、なども相手に与える印象に大きく影響するようです。

自分の感情や思い入れが高じてくればやはりそれに合わせて手の動きも大げさになっていくとよりこちらの想いが伝わるでしょうし、

強調したい部分があれば、文章でカギカッコをつけるように、人差し指と中指を一緒に動かして、文字通りカギカッコを空中に書いたりするわけです。

 

常にドタバタ両手を動かしていると今度はだんだん相手がその動きに麻痺してきてしまうので、たまには両手は膝の上においたり、と話し口調に強弱をつけるように自分の想いに沿って手のジェスチャーにも強弱をつけるといいと思います。

 

強弱をつけるということについては、英語を話すときも同じことが言えると思います。

間を言葉の間にどう置くか、どのくらいの間置くか、そしてスピードの強弱も抑揚をつけてみるとより生き生きした英会話になるでしょう。

よく英語を話す人のイメージで出てくるのが

 

「ペラペラ」ひっきりなしに何かを話している人

 

というやつですが、このイメージに多くの日本の方は引きずられているように思います。やたらめったら文字通りペラペラ話しているということははっきりいってないです。

むしろ、少し言葉を止めて思案してみたり、思い出そうとしてみたり、自分が強い想いを感じている部分に関しては少しゆっくり目のスピードで一言一言丁寧に話してみたりすると相手の注意をひきつけ続けることができます。

つまり、間というやつを有効活用するわけですね。言わずして想いを表現するわけです。「行間を読む」という表現がありますが、まさにその通りの表現方法ですね。

因みに英語で言うところの、Read between the lines というやつです。そのままの訳ですね(笑)。

混乱したり何を言いたいのかわからなくなったり、また力が入れば入るほど、むしろ早口になったりいわゆる Filling words で間を埋めようとしたり、つまり感情の高まりをごまかそうとしてしまう人のほうが多いと思いますが、こういったごまかし行為は相手をむしろ居心地悪くさせてしまうのです。

※因みにFilling wordsとは、Ah~, you know, well, など言葉がすぐに見つからないときに合間を埋める言葉のことをいいます。

つまり、逆効果となってお互い気まずい思いに襲われるのです。

 

まあこういった感じで私オトメは英会話を習得するというよりは

 

英語を話す人になる

 

訓練をアメリカ社会で直接揉まれることによって受けてきたように思います。

つまり、一人の外国人としての日本人が英会話に挑むというよりは、英会話も含めて英語を話す人になりきる、いわば演劇の一役を演じるためのトレーニングをしてきた、という感覚のほうが強いです。

10年ほど前に、研究職の関係で今住んでいる地域に引っ越してきましたが、ど田舎でバッチリ訓練を受けてきたせいか、周りの人は私は

 

アメリカで生まれ育った日系第二世であるアメリカ人

 

だと思いこんでいたようです。そうではないのだ、と説明したときの彼らのビックリした顔つきといったらありませんでした。

元夫の弟、元義弟なども「またまた大げさに言っちゃって~。」なんてからかってきたことすらありますから、私オトメのアメリカ社会での馴染みぶりは半端ではなかったのですよね。

アメリカ人と言っても多種多様ですから、実は標準英語を話すアメリカ人というのはそこまで多くはないんです。主にど田舎に住んでいらっしゃるアメリカ人の方たちとなりますね。

反対に、ある程度多様な人種が住む地域になると、どこの国の人だろうと首を傾げてしまうほど癖のある英語を話す人達にもたくさん会いました。アクセントやイントネーション、表現の使い方など、かなり多様となるのです。

そうなると、おそらくですが、日常の生活の中でいかに自然にリラックスして振る舞えるかを見て周りの人たちは私オトメがアメリカ社会で生まれ育ったと信じ切ったのでしょう。

 

第二外国語を話すようになると、どうしても母国語が影響して、一定の特徴を持った発音、話し方となります。しかし特徴を持った英語を話すからと言って必ずしも劣っているということではありません。

例えば、アクセントと言う言葉一つとっても、アクセントが強すぎて何言っているのかわからない、という意味で使われることもありますが、それと同じくらいキュートなセクシーなアクセントだ、という文脈で使われることもあるのです。

嫌悪感を持たれる類のアクセントというのは、英語を第二外国語として話している場合に、母国語が必要以上に影響してしまっている場合になります。

その点に関しては、日本語というのはあまり抑揚がない言語なので、アクセントらしいアクセントというのは実は日本人が英語を話す場合にはあまり存在しません。

ただ日本語の発音が英語ほど多種多様ではないために、LとRの発音や、Ing対Inなど、ちょっとした英語の発音がはっきりせずに伝わりにくい英語となってしまう危険はあります。

アクセントが強すぎて何を言っているのかわからない、というコメントは主にインドや中国の出身の方が英語を話しているときによく聞く話ですね。

反対に、イギリス出身の方の英語などはブリティッシュ・アクセントと言われるくらい、アメリカ人にとても人気のあるセクシーなアクセントらしいです。

確かに少し気品のあるイギリス英語を聞いていると、アメリカ英語というのは聞き慣れてはいるものの、すこしアメリカ英語のほうが庶民的な感じがしないでもありません。

 

まあそんなこんなでの本場アメリカにおける私オトメの英会話習得についてお話させていただきましたが、いかがでしたでしょうか!?

なかなか独特の視点を兼ね備えた内容であるようにも思いますが、楽しんでいただけたら幸いです。

また、こんな私オトメとぜひ直接コミュニケーションをとってもっと詳しくお話してみたい、という方、また私オトメから個人的にガイダンスを得たい、などと思われる方はぜひ以下の公式ラインにまず登録してみてください。

※この公式ラインは実は私オトメ個人のものではありません💦。私オトメが長年の激しいアメリカでの人生を経て、一時的に英語圏やアメリカ社会に対する拒絶反応に悩まされていたとき(詳しくは連載ストーリー参照)に精神的そして経済的に随分と支えていただいた方(びび太さんといいます)の公式ラインとなります。

このブログを書く決心に至ったのも、私オトメのような個性的な人生を歩んでしまった人間が少しでも多くの日本の方たちと出会い支え合える場があればよい、とオンラインマーケティング・ネットワーキングのプロであるびび太さんによるご提案になります。

お互いがお互いを精神的、現実的、そして経済的にどう支え世界を日本を舞台に共に活躍していけるか、そんなシステムを作り上げた方でもあり、最近はそのシステム自体に特許も降りたそうです(特許:これはびび太さんオリジナルのシステムですよ~という公式のスタンプ)。

こういった特許つきのユニークなネットワークのシステムを通じて、一人でも多くの方と出会いつながり、そして少しでも私オトメの20年以上にわたるアメリカにおける英会話・サバイバル体験があなたの日々のお役に立てれば、と願ってやみません。

それでは近いうちにお話できることを心より楽しみにしております^^

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