【アメリカで自分らしく生きる⑥】日本の塾教育がどうして不必要なのか

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こんにちは。

オトメと申します。☺

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールおよび連載ストーリーを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

最近ようやくプロフィールおよびオトメのここ数年の激動のアメリカ人生を綴った連載ストーリーが完成し、

気づけば日本、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、アジア、カナダなど方々からアクセスしていただけるようになりました。

オトメと一緒にこれからもアメリカのオトメ日常の疑似体験を楽しんでいただけることを願います😊。

さて今回のコラムは「日本の塾教育がどうして不必要なのか」についてお話ししてみたいとおもいます。

 

 

息子たちの日本の公立小学校を見て

コロナ禍が2020年より本格化し、アメリカでは2021年終わりの今ですらコロナ感染が心配で満足に子供に一般的な学校教育も保証できない状態が続いています。

2020年のコロナ禍の最中に実は私オトメはなんと六週間にわたって七月および八月の暑くて死にそうな時期に日本の母を訪ねておりました。

2017年の初めに地元の大学生たちを連れて仕事で一か月以上日本に滞在したことはありましたが、このように仕事とは無関係の私事で日本を訪れたのは2000年に渡米して以来のことでしたΣ(・□・;)。

日本の湿気の多い夏に体が慣れていないため、時差が取れるのに何日もかかりましたし、基本的に常に疲労状態が続いたように思います。

今でこそ、コロナ禍の最中で出会った日本の方たちを通じての健康情報、また母からの健康情報により慢性疲労状態および時差を抜け出しいち早く心身の健康を取り戻すことに成功するに至りましたが(※興味のある方はぜひこのページの一番下の公式ラインにご登録ください。お一人お一人様丁寧に個人対応いたします(^▽^)/)、

当時は心身ともに限界状態にあり、それに加えて慣れない日本の夏および時差の影響でせっかく日本に滞在していながらも、母とおしゃべりするか、横になっているか、または何か飲んだり食べたりしているか程度で、まともな心と体の状態ではなかったです。

 

それというのも、私オトメはかれこれ2000年より20年間ちょっとアメリカで生き延びてきてしまったサバイバーです。

そして一応これでもバツイチ子持ちの40代半ばの女性です😊。

勉強ができず、勉強が大嫌いで、何か面白い生き方はないか、と就職大氷河期であった日本を2000年に脱出したあと、

勉強ができる → アメリカでの研究者キャリアを築く

のではなく、

生き延びるために仕方なく勉強して → 気が付いたらアメリカ政府に認められる研究者

になってしまっていたような人間です(詳しくは連載ストーリー参照)。

そして何をどう間違えたのか、今では女性に重きを置いた臨床系、公衆衛生系の医科学研究のプロとなってしまいました。

自分では全く意図していなかった、引きずられるような波乱万丈な20年余りを過ごしてしまったため、研究者として一旗上げた瞬間にそれまで張りつめていたものが一気に緩みアメリカに来て初めて心身の限界を感じたのではないかと今では考察しています(詳しくはプロフィール参照)。

そもそもどうしてコロナ禍の最中に日本にしばらくの間行こうかと思ったかについてですが、まず最大要因はコロナ禍に入ってからほとんどすべての仕事がオンライン化してしまったということです。

家の仕事机に張り付いていても、地球の反対側にいても(時差という問題を除けば)、仕事は世界のどこにいてもできる時代に突入したのだ!なんて実感したかったのかも知れませんね。

とにもかくにも私オトメはふとある朝、2020年の夏の後半でないかぎり仕事や研究の都合で長期間にわたってやすやす日本に滞在することは難しいかもしれない、なんて思ったわけです。

と思ったら、その日に母からの知らせでしばらく床に臥せっていた80代の叔父が突然亡くなったことを知り、それを理由に母を訪ねて三千里、とばかりに日本行きを確定したのでした。

 

不思議なタイミングの良さで日本行きが決まり、一人で日本の暑い中ゆっくりと母やコロナ禍を通じて出会った日本の方たちと時間を過ごし心身ともに限界な状態にいながら自分を振り返る時間を十分にとることができました。

そういった時間を過ごす中、アメリカ社会ではまだ2020年中ごろの当時、ワクチンもなかった頃でしたからコロナ感染が急速に広まっており、バーチャルでしか他人や家族と交流できませんでしたが、

日本社会は基本的な衛生観念が総じて良好なため、感染は広まっていましたがそれでも日常はアメリカに比べるとはるかに普通な状態でした。

そんな二つの国の違いを観察しているうちに、私オトメはふと「子供たちを日本に”疎開”させてみようか。」なんて戦時中の親が考えそうな発想が浮かびました。

たまたま長男が日本国籍を取得していなかったため、再取得するには一年以上最低でも日本で過ごしていたという証拠が必要です。

また、たとえ日本国籍を取得していたとしても、日本社会でどう生活してよいのか右も左もわからない状態であれば、日本国籍を持っていてもあまり意味はありません。

したがって一石二鳥で息子二人を日本にしばらくの間疎開させることに決定したのです。

 

行政書士の方の協力でなんとか日本在留資格および日本行きのビザがおり、長男は無事に2021年の五月に日本入国を果たしましたv( ̄Д ̄)v !!

日本国籍を持っていないというだけでこういった時期には日本に入国するだけでもこんなに大変なのか、と改めて国籍所持の重要性を実感したものです。

それよりおよそ半年経ちましたが、息子二人とも地元の公立小学校に元気に楽しく通い、東京での充実した生活を満喫しています。

母を通じて息子たちが最近の公立小学校にてどんな扱いを受けているのかを私オトメも目の当たりにすることができたのですが、私オトメが小学生だったころに比べると公立の学校の先生たちの対応や教育方針が本当に事細かで丁寧な様子に本当に驚きました。

記憶は遠い昔となっており定かではありませんが💦、毎日のように連絡帳を通じて先生と親がコミュニケーションをとり、宿題等も毎日継続して出されます。

親との面接や学校行事などもコロナ禍においてもよく統制されており、何よりも驚きなのが給食のメニューのすばらしさです。

次男に日本で一番いいところは?ときいたところ

「ごはん」

という実にシンプルで明確な答えが返ってきましたが、かなりうなずける答えです。給食のメニューが本当にバラエティに富んでいて、栄養価もものすごく高いです。

アレルギー対応もしっかりしており、もしアレルゲンの入っているメニューの日には親がお弁当を作っていくのではなく、代替食が学校のほうから支給されるのです。

Lunch Box, Japanese Meal, Japanese Food, Grilled Fish

 

現在の小中学校では栄養士さんという方がいらっしゃるのが当たり前となってきましたが、私オトメの時代にはそんな職業も存在しなかったくらいですから、息子たちを見ていると「なんて大事に育てられているのだろう…」とうらやましくも思ったりします。

また、PTAが区と交渉し、学校の校庭を常時、年中ほとんどの授業以外の時間に開放するという同意を得たそうで、アメリカにおいては土地は広いもののどこに行くにも郊外や田舎においては運転していかなくてはならないところを、息子たちは歩いて学校まで行けば夕ご飯の時間まで、週末や休日も含めて広い校庭で友達と自由に走り回ることができるのです。

それに加えて母の提案で、週末は学校のサッカークラブの練習に参加、ロボット教室に入学、そして最近ではサッカーをちゃんとしたプロから学ぶべきということでサッカー教室にまで入学してしまったのです。

従って、アメリカでは考えられないほど日本ではかなり充実して忙しい毎日を元気に楽しく暮らしている息子たちなのです。

ほかの子供たちを観察していると小学校高学年からはそれに加えてみんな塾なるものに通い始めます、って私オトメもそんな時代を過ごしましたが。

私オトメの時代というのは、大学に進学してこそ明るい未来が待っている、というのが当時の世の常識でありましたから、まったく疑問も感ぜずに当たり前のように塾に通っていました。

しかしながら、これだけ公立の学校の教育水準があがり、毎日かなりしっかりと勉学に励むことのできる環境において、何かよっぽどの理由があったり進学校に進みたいというモチベーションがない限り、それに加えてさらに塾に通うというのは本当にこれからの先の見えない未来を生きる子供たちにとって最善の道なのだろうか、なんて波乱万丈なハチャメチャアメリカ半生を歩んでしまったオトメとしては思わず首をかしげてしまう瞬間だったりするのです。

 

 

ロボット教室・サッカー教室との出会い

さてさて、実は息子たちの自称「渡り鳥計画」はコロナ禍以前から計画していたことでもありました。

コロナ禍に突入する寸前まで実は息子たちは母親の実家でお世話になっていたのです。

もちろんその最中は息子たちがまだ小学校と幼稚園とで分かれていた上に、小学校の担任の先生と長男の相性が悪く、長男が学校に行きたがらなかったりしててんやわんやで大騒ぎでした。

そんなこんなしているうちにコロナ禍へ突入し、世界健康機関がパンデミック宣言をしたその直前に息子たちをアメリカに連れて帰ったりしていたのです(^0^;)

あのころは秒読み体制でハラハラドキドキもの、ハリウッド映画もびっくりの世界情勢でしたね。

しかしながら、コロナ禍で直接友達と会えずすべてバーチャル教育に置き換えられ、息子たちはかなりストレスがたまり性格も気難しくなっていったように思います。

そんな情勢の中、コロナ禍以前に息子たちが母親の実家にお世話になっていた頃出会ったのがレゴとプログラミングを組み合わせてAIの使い方を教えるロボット教室でした。

母はそういった地元で起きている事情に詳しく、家に入っていたチラシを見て長男が日本で学校以外に居場所を確保するためこういった習い事をしたらどうか、という提案をしてくれたのです。

幸いこのロボット教室は世界ロボット大会など海外市場にもパイプラインを構えていましたから、最初から日米を行き来する長男に対しては好意的であり、明るく知的な教室の雰囲気にもすぐになじんでくれたようです。

また学校にいきたがらなかった代わりに、ロボット教室のことはとても楽しみにしていたようで、ちょうどよい日本での心のよりどころとなったようですね。

従ってコロナ禍にはいってアメリカに帰国してからも長男のロボット教室はバーチャルで継続してきました。

しかしながら、ロボット教室のみならず、現地のアメリカの学校もバーチャル、週一で通っていた日曜日の日本語学校もバーチャル、すべてバーチャルになってしまい、直接の交流を好む長男には地獄の日々でしかなかったようです。

日常的に奇声を上げストレスで常に不機嫌な様子である長男とその長男に八つ当たりされる次男の様子は見ているだけで辛いものがありましたね(^0^;)。

 

そんなこんなですっかりバーチャル教室嫌いになってしまった長男なんですが、遠隔でお教室をやってもらっている間に、ロボット教室の先生から一通のメールがある日届いたんです。

一体なんぞやと思ってメールを読むと、ロボット教室の先生が学習態度における文化的違いを乗り越えてどのように長男と今後向き合っていったらよいか一生懸命考察した文書を添付して送ってくれていたのです。

長男がこれからも学習内容を習得しつつロボットつくりの楽しさを維持しつつけるうえで、一体教師として何をしていったらいいだろうか、とこの先生はものすごく真剣に考えてくださっていたのです。

Robot, Android, Futuristic, Robotic, Future, Machine

 

このように子供の特性を否定せずにどのように学習意欲を維持して実力を伸ばしていったらよいか謙虚に悩まれているこの先生の姿は、残念なことに週一回日曜日に通っている日本語学校も含めてなかなか日本人の教師を務める方に見られる姿勢ではありません。

子供一人一人の個性を見つめるよりも前に、集団教育としての画一的な生徒としての在り方を一方的に押し付ける教師が今日においてもほとんどを占めると思っています。

もちろんこういったお教室にはそれなりの給料を支払っているわけですから、教師陣も生徒をキープするために生徒のモチベーションを殺さずに学習効果も同時に高めていくというかなりの難題に対する結果を出すのが仕事だと言われればそれまでですが、

この先生においては、ご自分の持つ感覚と随分かけ離れた感覚を持ち合わせる長男を否定することもなく、なんとなく窓際に追いやって辞めてもらうことを願うわけでもなく、母親を非難することもなく、

 

大変な責任感

 

をもって息子と向かい合っている、いわゆる

 

プロとしての誇り

 

といったものを感じるのです。

そこには先生ご自身も長男と一緒に成長しようとする謙虚な姿がありました。その後も秀才と天才の違いは何だろうとか、それにまつわる日本語に翻訳した本などを先生に紹介したり、長男が半年間に日本で過ごした今に至るまで丁寧に面倒を見てもらっています。

 

そして息子達が半年前に日本に疎開して間もないころになりますが、もう一つの新しい出会いがありました。

次男は小学校一年生としてほかの日本人の子供たちと一斉に何でも始めているのであまり問題はないのですが、長男のほうはといえば小学校中学年で転入したために、学校の勉強はもとより、何でもかんでもすべて中途採用状態で多大な遅れをとっている状態でした。

週末に家でゴロゴロされると困るということで始めたのが通っている小学校で毎週末行われているサッカーでした。

これが意外に長男にウケて、まともなサッカーのスキルも理解もないのにもかかわらず、とにかくみんなと一緒に走り回ってボールを追いかけるのが楽しくて仕方ないようでした。

ただ残念なことに、小学校中学年くらいにもなると、周りの生徒たちがかなりマセてきており、ただ楽しそうに走り回る無邪気な長男の姿を見てからかったり、「馬鹿だ、うざい」などといった中傷誹謗な言葉を浴びせたりすることもあったようです。

極めつけはサッカークラブのコーチに

「お前は下手だから試合には出れない」

と(まあ事実なんですけどね)はっきりと言い下されてしまったことです。

これにはさすがの長男もしゅんとしてしまい、サッカーに対してさっそく興味を失っていってしまったようです。

実はここでびっくりしたのが私オトメの母親、息子たちの祖母のとった言動でした。

彼女は実はものすごい負けず嫌いなんだそうで、息子たちのそういった周りからの扱いに対して自分事のように頭に来てしまったそうです。

そこで彼女は何をしたかといえば、インターネットで地元にあるサッカー教室を探し出し、週一の頻度ならば可能だということで、地元の大きな公園のとても分かりにくい場所で行われている週一のサッカー教室に息子たちを申し込んでしまったのです。

アメリカという遠い国から見守っている私としては、ただただ応援するのみであり、週末に加えて彼らは本格的にサッカーの技術を学ぶ教室に通い始めたんですね。

Child, Soccer, Playing, Kick, Footballer, Ball

 

母の目利きのためか、このサッカー教室との出会いもとても印象的なものとなりました。

このサッカー教室というのはほかのサッカークラブとは違い、教育という目的に元にスポーツ教室を行っているというのです。

従ってほかのチームとの試合もないですし、あるのは年に数回ある合宿イベントのみです。

サッカーというのは試合をしてなんぼの世界ですから、このサッカー教室の方針は一見サッカーの世界にどっぷりつかっている人から見ると不自然にすら見えるかもしれません。

サッカー教室自体の内容は、ほかのサッカー教室とはあまり変わらず、準備体操をしてからドリブルやボールの扱いの練習をし、最後の半時間を使って交代で練習試合をするというものです。

私オトメも年末年始にかけて母と息子たちに会いに帰国していますが、最初は何とはなしにこのサッカー教室を遠くから見学しておりました。

ふと近寄ってきて挨拶してきたのがサッカー教室のコーチでした。

普通に挨拶してお話しているうちに、気づけばいつの間にかスポーツを通じてどれだけ人間としての基礎教育が可能であるか、体得して学習していくことがどれだけ若い人たちに自信を与えていくか、などについて熱く語ってしまったのです。

後からこのサッカー教室を開いている会社のウェブサイトを見てみたんですが、彼らにとってありとあらゆるスポーツというのは

 

あくまで教育の手段

 

であり、昔懐かしの個人個人の育成を重んじる

 

寺子屋スタイル

 

の教育方針をとっているということがわかったのです。

サッカーそのものというよりも、サッカー教育を通じて世界に通じる芯の一本通った人間つくりを目指している、といった感じです。

 

 

どうして塾教育というのは時代遅れなのか

日本の現代の公立学校の充実した様子や課外活動として関わらせていただいているロボット教室にサッカー教室、との出会いを通じて私オトメはある一つの自分の中での結論に至ったのです。それは、

 

今どき塾とかって時代遅れじゃね?

 

という考えです。

一昔前、つまりオトメがまだ学生だった頃の話になりますが、その時代においてはまだまだ有名どころの大学に行ってこそなんぼ、という価値観が一般的であり、いわゆる大学入学まではレールに乗った学生生活を期待されていたと思います。

従って小学生のうちからありとあらゆる塾に通い、高校時代なぞは学校生活そのものよりもいかに塾に通って「受験勉強に役立つ学力」を身に着けるか、がその後の道の草分けとなったと思います。

そうなんです。ここでもう一度強調しておきたいのが塾教育にて強調される学習内容や学力というのはその後の生徒の人生に役立つ内容というよりは、いかに大学の受験を突破するかに役立つ内容でしかなく

私オトメも含めて皆が経験することは、大学入学とともにほとんど塾で習得した内容は急激に忘れて行ってしまう、という悲しい事実なのです。

Schoolboy, Excellence, Lessons, Smart Ass, Five, Nerd

 

昔はそれでもそれなりの大学に入れば、その後の就職活動も楽になる、という一般常識があったからよかったものの、

今現代の日本社会を一望すれば、

  • 常にアメリカや中国から政治的圧力をかけられ、それに対してどうしてよいかわからず右往左往している日本政府
  • 有名大学出身かどうかとはほとんど無関係に成功している人はしているし、しない人はしない現実
  • どんどん安い賃金で猛烈に働きまくる外国人の数が増えているという現実
  • 大企業もいつつぶれるかわからない不安定な状態
  • 老後二千万円問題、といって実は老後に期待できる自動的資産というのは幻想であるという現実

などなど、挙げればきりがないほど

 

有名大学に入るために受験勉強をする

 

ことがどれだけその後の長い人生をみれば意味を失っているか、結構簡単にお分かりになると思います。

日本国内で一生過ごすおつもりの方がいらしたとしても、実は海に囲まれている日本だからと言って日本という殻に閉じこもっていられるというのはもはや幻想であり、豊かな経済大国であり、真面目で能力もあるのにもかかわらず、外交能力は一向にすぐれずに常にほかの国からの圧迫に戸惑っている日本というのは周りの国からの政治的攻撃・搾取や移民の対象国としてカッコウのターゲットであり続けるわけです。

ならば、日本国内でまたは日本社会でどれだけ評価されている大学に通おうとも、その大学の昔の卒業生や大学で教鞭をふるっている大人たちに指導される若者は同じ穴のムジナでしかなく、根本的な解決にはならないということになりますね。

事実今の日本の数学教育レベルは世界一といわれているほどになりましたし、昔も今も相変わらず日本製の製品は良質のものが多く、コロナ禍明けで最も旅行したいアジアの国はどこかと聞かれれば多くの人は日本と答えるそうですので、日本としての質が落ちた、という話をしているわけでもないわけです。

ただ人間として日本のみならず、世界のどこかに自分の居場所を構えようとするならば、言語や文化の違う人間たちとどのように自分軸を保ちながら渡り合っていくかなどのいわゆる

 

精神力や政治力

 

を鍛えていく必要性があるでしょう。

つまり、小手先の受験突破程度のための学力よりも、一人の個性ある人間として自分の人生全体をどうデザインして築き上げていくのかにつながる総合的な能力が問われる時代に私たちは突入したと思います。

アメリカの公立教育を息子たちを通じてみていると、確かに基礎的な学力(読解力や算数能力)も伝授していますが、先生やクラスの他の生徒たちとの活発な交流やディスカッション、ありとあらゆる方法による一人一人の個性の表現の場を何よりも重要視しているようにも思えます。

English, English Language, Language, Study, School

 

そのうえで何よりもまず早急に見直さなくてはならない日本人ならではの特徴ですが

 

英語に対する異常なコンプレックス

 

なんですね。

世界のどこをどう見ても、日本の方ほど英語に対して壮大な憧れとそして同時に強いコンプレックスを抱いている人種は他にいないと思うんです。

それというのも、私オトメは研究という仕事柄、ありとあらゆる背景の人たちと日常的に交流しなければいけません。

その中でも日本の方たちの持つ特有の英語コンプレックスにはまだ出会ったことはありません。

だいたい英語というのはあくまで自分の意見や要求を伝えるツールでしかなく、ただの手段である、というのが私オトメの周りの一般的見解です。

もちろんアクセントがあまりに強いためにコミュニケーションが取りづらい等の問題は日本人以外にもたくさんあるわけですが、

それでも日本人ほど自分に厳しく英語に対して畏怖の念を抱き、ここまでネイティブ英語教育に投資している社会や文化は他にないと思います。

まずは自分が何を言いたいのか、何を伝えたいのか、美しい英語を話そうとするよりも、自分を表現するツールとしての英語というスタンスで日本以外の人たちと会話を始めてみることをおススメします(^▽^)/。

 

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