第一話:こんな私でもアメリカン・ドリーム実現は可能だった

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

 

アメリカン・ドリーム

 

この言葉を見て、あなたは何を想像しますか?

 

一攫千金

自由の獲得

地位の獲得

 

大体こんなイメージを持たれるのではないでしょうか。

 

ところが…

 

実はアメリカン・ドリームっていう言葉は1850年代のゴールドラッシュあたりに使われていた随分昔の古い言葉なんです(キッパリ)。

申し遅れました、私、オトメと申します。

現在、40代半ばに突入した、バツイチ及び子持ちの女性です。

なんていうと、おそらくあなたは日本にいる多くのバツイチで40代の女性を想像されるかもしれませんね。

 

私はちょっとだけ、変わったところがありまして…それというのも、24歳の頃に単独で渡米し、20年間もアメリカで暮らしてしまったからなんです。

 

ええ、そうです。バツイチである私の元夫はアメリカ人でして、二人の子供達もハーフです。

少しはこんな私にご興味を持ってくださったかもしれませんねww

※元々の性格からか、アメリカンナイズされてしまったからか、これから私の書いていくストーリーは一部表現が過激な部分もありますことをご容赦願います。

※でもここでは本来心の中で思っていたことをストレートに出したほうが、あなたを始めとした読者の多くの方の心のなかにググ~ッと入り込んでいけるのではないかと思い、なるべくオトメ流な言葉で綴っていきたいと思っています。

ワガママをお許しください。

 

このページは、ここ最近の数年のオトメのフロンティア人生を連載ストーリー化した第一話が掲載されています。

ここ数年に絞ったのも、このあっっっっっっっと言う間に経ってしまった20年間があまりに内容の濃い月日でありまして、それはもうアップダウンの激しい20年間でしたから、すべてを話し尽くすよりも、やはり今日に通じるここ数年に焦点を当てようと考えた次第です。

 

日本にいたときは言ってみればどうしようもない、特に才能もセンスもない、それでいて地雷ばかり踏んでいるような女子でした。

具体的に言えば、産まれた瞬間から泣き声がうるさい、と両親を悩ませ、ボケーッとしているので幼稚園・小学校低学年ではいいように周りの賢い女子たちに小突かれまくっていました。

フィギュアスケートを習い事としてやっていましたが、体育会系のスケートの先生から罵倒されまくり、殴りつけられ、

果てはスケートでも学校でも小学校高学年から大学卒業まで、友達、先生、教授総出でいじめられ、うざがられ、排他されるような存在でした。

 

まあ、一言で言えば出来の悪い、うっとおしい人間だったのです。

 

それが真実であるかどうかは別として、周り全員の自分に対する印象が一致すると、それはやはり悲しいかな、

自動的に自分像となって本当に出来の悪い、うっとおしい人間ができあがるように世の中出来ております。

 

ごく最近、44歳になってからです。

 

私の人生は周りの誰の人生と変わらないくらい対等な価値がある

 

と腑に落ちたのは。

もしかしたらこれを読んでいるあなたは、

「え、そんなアタリマエのこと、44歳の今更になってオトメさんやっと気がついたのー!!」

なんて思われてしまったかもしれません。

 

ええそうなんです、自己価値観の低さで言うところのスタートラインに関して言えば、この私オトメはなぜか

 

気温で例えるならば、マイナス30度

 

くらいから自己価値観を高めていく人生の旅が始まっているようでした…

 

そしてごく最近、よちよち歩きながら、やっと誰の許しも請わない、誰にも媚びない、どんな価値観にも惑わされない、

 

自分という存在価値が最大限に反映される人生

 

に向かって歩き出しました。

余談ですが、自分の価値って英語で言うところのSelf-esteemってやつです。実はアメリカ人だからと言って自動的に自分への価値観が高いっていうことはないんですよね。

世界のどこでもみなさん同じようなことでもがいているようです。

 

人生最初の記憶が三歳ころだとしたら、それから渡米するまでの20年間、人間として女性としての尊厳はこれでもかというくらい地の果てまで落とされ

そして2020年において渡米20周年記念になりますが、アメリカでの20年間はそういった自分をそして自分の女性性を挽回していく期間だったと言えるでしょう。

 

第二話にて実際にアメリカ社会でどういった過程を踏んでアメリカン・ドリームを実現していったかまたお話ししますが、ここで申し上げたいのは、アメリカン・ドリーム実現の本質は実は

 

自分の価値を徹底的に自覚して、

それを現実に人生に反映させていく

 

ことだということです。

 

アメリカ社会で一見キャリア成功しているように見えたとしても、個人的見解になりますが、必ずしもその人自身のアメリカン・ドリームを実現しているとは限りません。

実際私の周りにはアメリカ人に限らず、ありとあらゆる国出身のエリート君・エリートさんで溢れかえっていますし、

彼らのほうが自分などよりもよっぽどスムーズに社会進出・昇進を果たし、優秀な結果を残しておられます。

自分の関わっている分野が日本人的にみて特殊ということもあり、直接の知り合いはおりませんが、私の世代では何人か日本女性の博士・医学士でもアメリカ社会で躍進しておられる方も見かけます。

 

しかしここでは、どう外から見えるかよりも、彼ら自身がどういった思いで過程で今のキャリアを築いているのか、という話をしているのだと思います。

そういった意味では、アメリカにいなくとも、アメリカン・ドリームの実現は可能だということになりますね。

おそらくアメリカという国は自由の女神に象徴される、自由と尊厳の国であるがゆえに、すべて自己責任で結果を出していかないと先がないという厳しさのもと、

 

自分らしい人生の実現をアメリカン・ドリーム

 

といって称えるのでしょう。

 

逆を言えば、結果さえ出せば、ブスだろうが、馬鹿だろうが、貧乏だろうが、体が弱かろうが、関係のない世界なのです。当時の私にはうってつけの文化だったわけです。

そしてもう一つ、アメリカとは、守り(というか縛り)のある環境に自分を置かない限り、

 

自由と引き換えに、今度は自分らしい人生を歩まざるを得なくなる

 

という社会でもあります。

 

日本とは真逆かもしれませんね?

 

良い意味で自由に人生を設計できる一方、同じくらいひどい意味で自由に差別・搾取がはびこるからです。

 

つまり、良くも悪くもすべて自由なのです。

 

そんな中で出来ることといえば、周りを相手をそして環境を見極め、悔しい経験を何度も体験しながら、自分で自分の身を守っていくことくらいです。

しかしながら、地に足をつけて一歩一歩自分の力で前に進むしかない環境においては、自己嫌悪に陥ったり、相手や周りを非難して自分をかわいそうがっているヒマはあまりありません。

自分も何度も地に落ち、穴があったら入りたくなるような思い出したくもない悲惨な経験を何度もしましたし、自分のことが嫌になるような経験も幾度か体験せざるを得ませんでした。※また具体的な逸話は徐々に連載ストーリーおよび後のコラムでお話しできればと思います!

それでいて人間である以上、そういった感情に振り回されざるも得ません。

 

つまり、こういった過程において、

 

「自分って一体誰なのさ?」

 

という問いと向かい合ってきたのでしょう。

 

結果として、これが「自分だ」または「自分ではない」という経験を積むことによって、

 

結局は自分の体が、心が、魂がゼーンブ納得した状態

つまり

三位一体(さんみいったい)な状態

 

「自分」という誰かさんなのであり、

 

その状態をいっつもいっつも常に保ち続ける

ことはつまり、

自分らしく生きる人生を創造する 

 

っていうことなんだ、という超シンプルな結論にたどり着いたわけです。

 

それでは第二話では実際にどんなふうにして私のアメリカン・ドリームが実現したかお話ししますね^^

 

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目次後(第二話)へ

 

コメント

  1. […] 第一話にて、アメリカン・ドリームの実現とはまさに良くも悪くもすべてが自由なアメリカ社会において、自由を手に入れ完全なる自己責任のもと、自分らしい人生を具現化していくことだ、とお話ししました。 […]

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