こんにちは。
オトメと申します。☺
今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。
プロフィールを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。
このページは、ここ最近の数年のオトメのフロンティア人生を連載ストーリー化した第十話が掲載されています。
第九話にて、オトメがもがきにもがいても孤高の人で有り続けるしかなかった、ということについてお話ししました。
私は何をどうあがいたとしても、誰とも寄り添うことのない、というか寄り添いたくても寄り添うことができない、まさに孤高の人でしかないのだ、と流石(さすが)に認めざるを得なくなったとき、一体私オトメに何が起きたと思いますか?
ただ無性に愛し愛されたい、そして愛に満たされた、楽しい時を残りの人生において過ごしたいという切なくも魂の底から沸き上がる想いでいっぱいになったのです。
人生のこの時点において、本当にそれだけが残りの人生において心から自分が望むことであったのです。
そしてそれがかなわない人生なぞ生きていても無意味だ、と無気力ながら自分の中でしっかり確信するようになっていました。
もちろん言うがやすしで行うは難し、これを実際に実現しようと思うと意外に簡単そうで実はそうでもなかったりします。
この第十話においては、オトメのそんな新しい人生の目標へ向かって、よちよち歩きで不器用に進んでいく様をお話していきたいと思います。
愛を経験したい想いに至るまで
さあて、今までのアメリカでの人生が人生だっただけに、一体どう新しい人生の目標に向かって舵(かじ)を切り替えていったら良いのか、全く検討もつかない状態でした。
そして、アメリカ社会ではお話したとおりに散々な目に会い続け、身近にいた日本人とも距離を縮めれば、基本的に受け身態勢である彼等には、日本にいたときほどひどい扱いは受けないまでも、
普通ではない人
として、どこかで宇宙人的な扱いをされて同胞の日本人として暖かく迎い入れてもらった、という感覚は最後までなかったわけです。
それどころか、距離が縮まり、関係が深まれば深まるほど、相手から無下な反応や、一種マウンティング的な高圧的な反応ばかりが返ってくるようになり、
だんだん相手と話すのが辛くなってしまった次第です。
おそらく相手にとって私の存在というのはそもそも、相手自身が自分の価値を確かめるために利用されているだけであり(詳しくは第九話参照)、
残念ながら彼等には、私という人間と関係をともに構築しようとか、一緒に何かを創造していこうとかいったことに全く興味がなかったからであろうと思われます。
例えば、最初は
「オトメさんには本当に頭が上がらないなあ。奇跡みたいな存在だなあ。」「オトメさんの存在を思い出した時、今の自分には一筋の希望の光なんだって思って。」とか
「やっと根無し草状態から自分の居場所ができた。」「このままだとオトメさんに甘えてしまいそう。」
など、ある意味私を神格化したり、救世主扱いしたりしてくるわけです。
実際人生において立ち往生している状態の人たちだったりしますから、こう言っている時の彼らは決して大げさに言ったり、私の気を引こうとしていたりしているわけではなかったと思います。
しかし、徐々に人間的な交流が増えていくにしたがって、それぞれの中にある「こうあるべきだ」という期待やルール、まあ簡単に言えばその人本人の持つ自我がだんだん私との関係に反映されてくるわけです。
というのも、私はそもそも神様ぶったり救世主ぶったりしてはいないので、相手の勝手な理想が最初は先行している状態といえます。
なので、ありのままで酸いも甘い面も持つ一人の当たり前の人間としてふるまっている私に彼らは徐々に幻滅していくわけです。
私は結構おっちょこちょいですから、たまに相手がビックリするようなミスをしたりもします。彼らはそういった私の行動は「意図的になされた」と判断するようになるのです。
そして勝手に逆恨み、逆切れし始めるのです。
「オトメさんが自白するまで俺は何も言わないでおくつもりだったよ。」とか共同研究をし始めた学者君(詳しくは第九話参照)などは陰険な発言をし始めるのです。
また私はとにかく自分の気持ちに素直になってシッター君に彼には自由になって幸せな自分の道を築いてほしいと思いつつも、それでも彼に沸いた愛着の気持ちに夜も昼も向かい続け、身も心もぐったりとなっていても
「あなたには僕がいないとダメでしょ。でも僕はいったん一人になってこれからどうなるか見届けたいんですよ。」「あなたと話していても怖いだけなんですよ。」
とどちらつかずの発言をしながら、逃げ腰になっているので、こちらが無理にでも前を向こうとすれば
「いや、また変わると思うし、ここにはきっと戻ってくるし。」
とまあ、気が付けばいつのまにか、優柔不断でどっちつかずのまあはっきり言ってしまえば自分勝手な発言に振り回されるようになっているのです。
そんな感情的に振り回してくる相手なぞ相手にしなければいいじゃない?ってきっとあなたは思ったと思います。
そこが当時のオトメの弱みでもありまして💦、相手が自分に依存していれば、自分が相手に必要とされていれば関係は続くのではないか、さもなければ自分なぞすぐ捨てられるような厄介な存在であろう、とどこかで自分を卑下(ひげ)していたのだろうと思います。
自分をそんな風に自分で価値のない存在に仕立て上げてしまうなんて、今のオトメからしたら信じられないとしか言いようがないのですが、長年培われてきた自分に対する思い込みってこれほどの威力を発揮するんですよね。お~コワい!!
そんなこんなで疲れ切ってしまったオトメは、愛ってそもそもなんだかよくわからないけど、でもそれでもこういう疲れたり否定的になったり不安になったり自己嫌悪にばかり陥るような関係じゃなくて、
お互いをいたわり癒していくような、それでいて身も心も焦がすような愛し合う関係を日本男性と経験したいな~っていう想いがどんどん自分の中で膨らんでいきました。
どうしてこの時点でこう思ったか、という話ですが、実はちょうどその頃少しだけ交流させていただいたある日本男性との出会いがきっかけだったのです。
アメリカ社会における子どもたちの日本語教育に関連して、公的な場で日本人の方々と交流する機会が週末にありました。
みなさん、日本人やハーフの子どもたちを持つ父兄の方々ばかりで、みなさん親御さんとして、教師として、または学校運営の係として、
このアメリカ社会においてどのように日本語教育のサポートしていったら良いのかというテーマに熱心に関わっておられる方達ばかりでした。
私オトメも主に思春期のハーフの子どもたちを相手に、試行錯誤を重ねておりましたが、日本人の父兄の方々というのは、子供がハーフであるにも関わらず、どこかで日本的な価値判断基準を子供に押し付けてしまう方が多く、
数少ない親御さんたちを除いては、ほとんどの父兄及び教師の方達とは残念ながら理解し合えない状態が続きました。
当然、私オトメは自分の経験から、真逆とも言える雰囲気にあふれる日本語教育環境において、ハーフの子どもたちがどれだけ居づらい思いをしているか、
思春期の彼等が日本語を皆の前で使うことによって低能に見えたり恥をかいたりすることをどれだけ恐れているか、重々承知でしたから、
彼等とは人間対人間として共感し合う対等なお付き合いをさせていただきましたし、そうした自分たちの人間としての尊厳に対して敏感である私オトメに対する彼等の支持は大きかったと思います。
中には常に人の影に隠れて自信なさそうにしていた生徒など、数年経つと積極的に日本語学習に取り組むようになっていたりしていましたから、バイリンガル教育の最重要因は
学校でどれだけいい成績をあげるか、ではなく、周りに自分の学習能力を信じ、学習のコツが掴めるまでともに試行錯誤してくれる大人がどれだけいるか、だと、自分の子供達を見ても日々実感している毎日です。
そもそもバイリンガル環境に育つ子どもたちの教育に対してどうしてここまでこだわるか、というのも、私の従兄弟に当たる兄弟が日本人の両親を持ちながら、アメリカで生まれ育っているのですが、
優秀な大学に無事進学した彼等も、家ではどこまでも日本的な家庭教育、そして外部ではハチャメチャな価値基準で満ち溢れるアメリカ社会、という真逆なまでのギャップの狭間において、
お兄ちゃんに当たる従兄弟はその後日本に留学するも、背が高く、昔の唐沢寿明なみの爽やかなイケメン、それに加えて流暢な英語を話しレディー・ファーストが徹底していたので、留学先で周りの男性から嫉妬を買い、結果激しいいじめに合い、
なんとその後パラノイアという妄想を抱く精神病を発症、今に至るまで幻覚、幻聴、妄想に悩まされ、ろくな仕事にも就けず、当時の彼など見る影もない、角刈り頭に牛乳瓶の底のようなメガネを掛けて、暗い顔で妄想をつぶやき続ける有様です。
弟の方は、なんとか優秀な大学院にて博士号まで取得するも、その後に就職した大学から結局追い出され、小さな私立の大学で教鞭をふるっているようです。
彼ほどの学歴を持つ人間は普通はノーベル賞獲得などに向けしのぎを削っていてもおかしくないはずなのですが…
つまり、二人に共通しているのは、
自分の中で「これだ」という視点や価値の基準となる芯がない
ということです。
これは普通に彼等の育った環境を考えてみればそう理解に難くもない話で、どちらの環境にもほんとうの意味で馴染めなかったわけですから、当たり前といえば当たり前の話です。
そんなこんなで、あいも変わらずバイリンガル環境に育つ人間に対する理解の欠ける日本語教育環境にいるうちに、
自分の子供達が自分の教え子達のように思春期になるに従って日本語や日本文化に対して苦手意識がでたり、はては忌(い)み嫌うようになってしまったらどうしよう、
というか、この環境にいたら全く同じパターンを繰り返すだけだ、それがわかっていてなぜ同じパターンを自分もまた繰り返そうとしているのだろう、と自問自答した挙げ句、
当時まだアメリカにいたシッター君からの支持もうけ、実家の母親からも了承を得て、コロナ禍直前の時期に子供たちを日本の実家に数ヶ月ごとに預ける方針を固めました。
あまりに長く離れているのも心配なので、まずは数ヶ月ごとに日米を行ったり来たりさせようと考えたのです。
私はこれを題して「渡り鳥計画」と呼んでいます。
どうせ、どちらの文化、社会にも心から馴染めないのであれば、最初からそんなことを心配せずに、どちらの社会でも生きていけるように思春期になる前に慣れさせようと考えたわけです。
一つありがたかったのは、このときすでに離婚をしており、経済的または実務的理由によりまだ同居している元夫はこの方針に対して全く反対しなかったことです。
そうして、2019年年末より三人で日本へ立ち、年明けとともに私だけアメリカに帰国しました。まさにコロナ禍直前でしたね。
実は彼等が実家にお世話になる直前に、例のシッター君が実家にしばらくお世話になっていたのですが、彼の身勝手な生活ぶりに実家に住む人間たちが心身ともに散々振り回され、
高齢であったことも重なり、みんな健康にまで異常をきたしてしまったのです。学者君に相談するも、
「でもそれはあくまで実家の人の視点であって、シッター君の側の言い分ではないよね。」
などと、まったく論点のずれた反応ばかり相変わらず返ってくるし、シッター君に少しはしっかりとコミュニケーションを取って、お世話になっている人たちにとって一番いい計らいをしてほしい、というも
「あ、あとからお金いれるつもりだったんですよ。いや、僕も僕なりに良いと思うことをしてきたんですけどねえ。」
と埒のあかない反応ばかりで、しかも最後の交流のあと一切彼の約束したような行動には出なかったどころか、誤魔化すような行動にでておりました。
自分が窮地に陥っていたり、まだ身が立っていない時に無償でお世話をしてくれた人達に対し私オトメは本当に感謝の気持、そして申し訳ない気持ちしかないので、
こういった彼等の言動は未だに理解に窮するところでございます。
想像するに、こういった言動に走る人たちというのは、周りに頼る以外、生活が成り立たない、自分の人生が前に進まない、という経験をしたことがないのではないのではないでしょうか。
私オトメが考察するに、人が自分のコントロールの効かない範囲のレベルで辛い経験をしたときに、ほぼ自動的に授かる経験からの贈り物、そしてそういった経験をしていない人間には永遠に授かることはないと思われる贈り物とは、
感謝の気持ち
だと断言できますね。
なんだ、そんなの、と思われるかもしれませんが、この自動的なまでに感じるようになる感謝の気持ち、
これは人生最高の贈り物、一人の人間が所有できるトップレベルの無形財産
だと思います。
どうしてこれが人生最高の贈り物と言えるのでしょう?
当時のオトメも含め、自分や人生に対して否定的に悲観的になってしまっているとき、何が起きているかと言えば、状況に対する感謝の気持ちが欠けているわけです。
究極の感謝の気持ちとはおそらく「自分は生かされている」という類の感謝でしょう。
これを戦争、大病、事故、またはオトメのアメリカでの20年間のような何らかのサバイバルな経験をしている人であれば、一度や二度は経験していると思います。
そうすると、無理に感謝の気持ちや笑顔にならなくとも、心のどこかで生きていること自体に前向きになれるわけです。
それではどうしてオトメは生かされているという究極の感謝の気持ちを経験したにもかかわらず、20年たった後で身も心も打ちひしがれてしまったのでしょう。
今から回想するに、嵐の前の静けさ、とはよく言ったものですが、アメリカにおける20年間の経験全てに感謝する出来事や出会いが訪れる(嵐の部分にあたる)直前というのは、嵐の前の静けさ、つまりプラスに転じる前のマイナスの状態、静けさの状態を徹底的に感じる必要があったのではないでしょうか。
そして電機のプラスとマイナスのように、マイナスを感じ切ると今度はプラスを感じることができるようになるのではないか、と思います。
基本的に「生かされていること」への感謝を一回でも経験している以上、このマイナスな状態を乗り越えるにはどんなプラスが自分には必要なのだろうか、とやはりどこかで生き続けようとするあがきをしていたのだと思います。
そしてある日本男性との短い交流から、プラス探しのよちよち歩きな旅をしていたオトメがたどり着いた結論が、日本男性とただ無性に愛し愛されたい、そして愛に満たされた、楽しい時を残りの人生において過ごしたい、だったのだと思います。
愛に憧れるようになる基となる経験
さて、渡り鳥計画を実行し、日本に子供たちを送り届けてからアメリカに帰り、いつものように週末に日本語教育に携わったときのことです。
今まで薄っすらとでしたが、なんとなく常にある人の視線が気になっていました。それは父兄の方の一人なんですが(ここでは仮に熱い視線の君としましょう)、
気がつくと誰かが視界に入っている、気がつくと目が合う、こっちを見ている、なんとなくいつも同じ人からの視線を感じる、
あなたもそういう経験ありませんか?
英語で表現すれば、Someone is always in my sight. って感じになりますかね。
常に自分の職務と自分の子供達のことで頭がいっぱいだったので、今まであまり気にしてこなかったのですが、子供たちがいなくなった瞬間に初めて
「そういえば…」
とその人からの視線に対して急に疑問と興味が湧いたのです。
それというのも、その人からのまとわりつくような視線攻撃はなんと数年に渡って経験していたからです。
「一体この人はどんなつもりでそうしてくるんだろう?」
純粋に不思議だと思いました。なぜなら、日本語教育環境に深く関わっている私に対して普通に話しかけてくることはなんらおかしなことでもないからです。
ここで女子力満載の女性ならば、
「あらいやだ。彼ったら私に気があるのね。ウフ💕」
という解釈にも自然になるのでしょうが、なにせ私は憎まれ口ばかりたたくし、父兄の間ではあまり評判がよろしくないし、お化粧も一切せず、髪も白髪だらけ、
基本的な身だしなみはもちろんある程度整えてはいましたが、素敵なお洋服で着飾るようなこともしていませんでしたから、
周りにそういった女子力かなり高めの女性たちで溢れかえっている環境において、どう考えてもこの彼が私に女性として惹かれているとはお世辞にも考え難かったのです。
家に帰ってからどんどんその疑問が強まり、しかし同時にいきなり私から直接彼に話しかけるのも不自然だと思い、考え抜いた挙げ句、一つの方法を思いつきました。
誰もが何らかの係についているので、彼の係に関係する質問を誰かに投げかけ、彼のメールアドレスを手に入れようと考えついたわけです。
案の定彼のメールアドレスを教えてもらうにいたり、彼の係に関係する内容について質問があるので、電話で一度話ができないか、とメールを打ってみたのです。
意外に早く彼から返事が来ました。その内容はとても好意的で、週日は忙しいので、できれば週末に時間が取れないか、という内容でした。
それでは、とお互いの電話番号を教え合い、週末の時間も指定して私オトメは会話に集中できるようにと、いつも行くジムの駐車場に車を止め、まだ冬の時期だったのですが、なぜか駐車場の近くのグラウンドのベンチに座って電話をするに至りました。
まさか、初めて会話した相手に電話越しで
「どうしてあなたはここ数年に渡って、私に話しかけもせず、ただひたすら視線攻撃をしつづけたのですか?」
などと聞くわけにも行かず、かと言って本当に彼になにか心から相談したいことがあったわけでもないので、電話に出た瞬間にものすごい緊張してしまい、
「あ、あのですね、ええと、ちょっと待ってくださいね。」
と、別に彼を待たせる必要は全くなかったのですが、駐車場のあたりをウロウロして見たりして、熱い視線の君に
「…大丈夫ですか?かけなおしましょうか?」
などと提案されてしまう始末でした。
どう何を切り出してよいかわからず、また相手になんとなく自分の所在なさも伝わってしまっているようで恥ずかしいし、
「あ、いえ大丈夫です。ええと、あのですね、まあ日ごろから私が少し考えていることがありまして…」
と何か教育環境に関する不満やそれにまつわってそろそろ自分も関わりあうのをやめようか、とかなんとかそういった内容の相談をしていたとおもいます。
その際にお互い全く知らない者同士だったので、とりあえずお互いの背景や状況を自己紹介しあう形へと会話が発展していきました。
熱い視線の君の仕事の内容などの話について行くのは少し大変でしたが、それでもかなり刺激になる面白い会話ができたと思います。
その日彼はたまたま家の暖房を修理するかなんかで一人で家にいたようで、なんだかんだいって二時間ほどお電話にお付き合いさせてしまったのですが、
それだけ話がつづくだけあって、私オトメはこれまで接した日本人達とは全く違った(詳しくは第九話参照)、
久しぶりの異性の日本人との癒される会話
に内心嬉々としておりました。
もちろん相手は生徒の父兄であり既婚者でもあるので、何とか警戒されないように、それでももう少し仲良くなってみたい、という想いをうまく伝えるのに一苦労しました。
熱い視線の君はここ数年の行動、そして電話アポへの素早い嬉々とした対応からみても、明らかに私に何らかの興味を示しているわけですが、
それでもいざ引き続き交流を続けていきたい、という想いを伝える段階になると、何をどう申してよいのか困ってしまいました。
二時間に及ぶ電話の会話においてさすがに外にいるのは寒くなったのでそろそろと駐車場に止めてある車の方へ移動しながら、
いつも週末は何をしていらっしゃるのですか、こんな風に時間が取れるのですか、と切り込んで聞いてみたと思います。
今週末はたまたまだ、といったような返事が返ってきたと思いますが、最終的に私オトメが、
「あの、またこんな感じでたまにでもいいので、お話しさせていただけると気が休まります。」
みたいなリクエストをしたと思います。それと同時にご迷惑ではないですか、とか何とか気にかけたとは思いますが、熱い視線の君は
「人間誰でも誰かとただ話をしたい、っていう時があって当たり前だと思います。」
みたいな返答が返ってきたと思います。そして、
「あなたは明日はまたいらっしゃるんですよね?」
と聞かれたので
「はい、もちろん。それではまた明日。」
といって電話を終わらせ、一体この電話は何だったのか、と冬でしたがカラッと気持ちよく晴れた空を車の中からじっと見上げながら、また深ーく考えこんでしまいました。
あまり他人に相談するような内容でもないし、相談する相手もいないわけですが、とりあえず次の日いつものように登場したところ、
あ、いましたいました、熱い視線の君が。いつもつるんでいる父兄の方と一緒に。
学校の事務室前の廊下の張り物を彼ら二人は眺めていたのですが、私は自分の教室に向かう途中で彼らの後ろをすり抜けることとなります。
すれ違いざまに軽く会釈するつもりで横をすり抜けようとしたら、その熱い視線の君はなんと以前にもまして正面から直視してきたと思ったら、
まさに瞳ロックオン状態…本当に一瞬の話でしたが。
わお!とあまりの熱い視線にビックリしてしまい、はっきりいってたじろいでしまいました。
な、な、な、なんだあ!?
今までこういった環境においてはしっかりとガードを固めてきた私は、生まれて初めて彼によって心の奥底まで見透かされたような気持になり、ものすごい恥ずかしい気分になってしまいました。
そしてなんと追い打ちをかけるように、その日はたまたま参観日だったこともあり、彼も含めてありとあらゆる人達が教育の場を出入りする状態でした。
今までだったら、どこの誰が自分の姿を見ていようと、全く無頓着だったのですが、急に裸になったような気分でいたうえに、気持ちを落ち着かせて職務に集中しようと思っても、そんな風に彼や他の人たちがウロウロされたらたまったものではありません。
そして、またさらに追い打ちをかけるように、私のことを日ごろからよく思っていない父兄の生徒が、私が彼らの年齢にあった教材を使用していないとかなんとかいう理由で激しく機嫌をそこねてしまったのを見て、
「ああ、もう自分の居場所はここにはないんだ」
という実感がわくとともに、
「つかれた」
と一気にやる気が失せていくのがわかりました。要は、自分だけが彼ら生徒の心に寄り添っているんだ、という自信がなくなったわけです。
やはりありとあらゆる方面にて限界に達していたのですよね。
そして、その夜速攻で職務を辞退する宣言をして家に帰ってきてから、何を思ったのか熱い視線の君に対してかなり感傷的なメールを打ったのを覚えています。
自分は今日をもって辞退することにしたが、それには彼との電話がきっかけとなっており、彼が私の存在に注意を払ってくれたことにより、もっと自分を大事にしようという決心がついた、彼に出会えて自分は幸せ者だ、とかなんとかそういった内容を書きしたためました。
当然と言えば当然ですが、それから彼から返事が来ることもなく、全くもって短い交流でしかなかったのですが、コロナ禍の影響もあり、どうやら今現在においては帰国なさっているようです。
そしてその短い彼との交流をきっかけに、癒され、勇気をもらい、自分を大事にする、という人生初めての経験をし、
日本語で自分の心の内を語れるってすばらしい
日本語でとことん理解してくれる、交流できる日本男性ってすばらしい、癒やされる
と、さらに身も心も焦がすような愛を求め、私オトメは大海原へと旅に出たのです。
※因みにですが、この熱い視線の君の数年にわたる私に対する本当の意図や気持ちというものは未だに不明です。
それでは第十一話において、オトメが出会いを求めてどう勝負に出たかお話ししますね。
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コメント
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