第七話:はっきり言って○○以外考えられないー精神的に奈落の底へ

こんにちは。

オトメと申します。☺

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

このページは、ここ最近の数年のオトメのフロンティア人生を連載ストーリー化した第七話が掲載されています。

第六話にて、オトメが謀反行為の疑いを一方的にかけられた話をしました。やはり、長年かけて築き上げてきたネットワークや信頼関係のない、全く新しいそして保守的な環境においては、何かあった時に真っ先に矛先を向けられるのは、やはり異邦人である私オトメだったわけです。

華々しく一人前の研究者入りを果たし、輝かしい未来が待ち受けていると思いきや(詳しくは第二話参照)、差別、搾取、および悪者扱いされるような出来事ばかりがおき、

私はいったい何を楽しみに、目標に、希望を感じて生きて行っていいのか、全く分からなくなっていったのです。

あらすじ:少しだけ回想をしながら、自分が今までどんな生き方をしてきたのかについて考察したいと思います。
私オトメは日本でもアメリカでもいつもどこかズレていて勘違いしている様子が一貫して見られました。
ズレている自分が一般的な人生を歩んでも失敗するに決まっている、という自覚症状から究極の自己防衛として、いつもとんでもない環境に自分を自ら放り込んできたことに気が付きます。
そして、どんなにあがいても自分が勝てる環境は人生は得られない、という絶望感から急に人間としても女性としてもなんとも中途半端な人生を歩んできてしまったことへの後悔の念が沸き起こるのです。それでは第七話をどうぞお楽しみください!

 

私は今までどうしてここまで必死に死に物狂いで生きてきたんだろうか

ここで少し日本を出るときの場面から回想してみたいと思います。

一つ一つの細かなエピソードや描写はまた他の機会にお話ししていきたいと思っていますが、私オトメの半生を通じて

 

「楽な状態」イコール「楽しい人生」ではなかった

 

ように思います。

 

アメリカを出る直前までお付き合いしていた男性が実はいたのですが、格式の高い家柄の長男だったために、付き合っているイコール結婚前提、という考えが彼の中にはあったようです。

お付き合いしていた男性自体も大企業で優秀なエンジニアでしたから、そのまま結婚していれば安定した専業主婦としての道が待っていたように思います。

ただ今でもずっと心に残っている彼との会話があり、もしかしたらこういった経験の積み重ねが、出来の悪い私を渡米に駆り立て、二度と日本に戻ってこない決心をに導いたのかもしれません。

 

私が常日頃から思うのは、

 

日本の人たちがいかに優秀な人材の集まりであるか

 

ということ。

 

そして残念ながらこれは今でもいえることですが、私自身は100%日本人であるにもかかわらず、そういった人材の一人ではない、ということです。

これは小さいころから常日頃感じていたことで、大学時代には一度私には一種の障害があるのではないか、と先輩に疑いをかけられたほどです。というか、今思えば今現在に至って「その可能性は十分ある」と思います。

 

なんか、ズレてるんですよね。

 

当時お付き合いしていた男性もそれに気が付いていたようで、ある日彼の離れの部屋で二人で渡米について話していたときのことです。

アメリカで大学院に留学して云々、と話をしていたら、彼がふと

「文系と言えども、博士号とか取ったら、俺も手放しで拍手して認めてやるよ。」

とわざとらしく私の前でかしこまって拍手してみせたのです。彼氏相手にも関わらず、

「てめえ、馬鹿にしやがって」

と思いました。しかし、本当にその時の私は出来が悪かったので、当時の彼の対応ははっきりいって当たり前の反応だったと思います。

 

分をわきまえろ、なんて言葉がありますが、飼い犬が飼い主と同じ人間だと思い込むように、自分の立場とか全く見えないんです。

英語で言えば、Know where you stand, Know your place, Know your positionとか言いますよね。

当時ももちろんそうでしたから、分をわきまえずに、

 

博士号を取得する、の意味もよくわからずに

 

「見てろよ、博士号取得したる。」

と決心してしまったんですよね。

 

こういった勘違いな行動はメンター氏の博士研究員をしていたときにも何度かありました(メンター氏との関わりについては詳しくは第五話参照)。

一番笑える勘違いを紹介しますと、メンター氏と論文を共著しているときに、彼が

「お前はミドル・ネームとかないのか?」

ととってもびっくりなさっていたのです。

そもそもキリスト教において聖書に出てくる名前を下の名前の他に付ける、という習慣から来ていますから、純日本人である場合、ほとんどの人はこういったミドル・ネームというものを持ちません。

他に共著した人間でミドル・ネームを持たない人もいたとは思うのですが、そこで彼は

 

まったくの冗談で

 

「そうかあ。じゃあ俺のをやるよ。」

とおっしゃったのです。

 

普通はですね、ったく面白いこと言うな、で終わるんですけども、私はそこで言葉を文字通り受け取ってしまい彼からミドル・ネームをいただいたことに感激してしまったのです。

そして論文に得意になってメンター氏のミドル・ネームを自分の名前に付けくわえたりして彼からあきれられてしまいました。

当時のこういった、お笑い芸人もビックリの勘違いぶりを思い出すと、顔から火が出そうなほど恥ずかしい思いに駆られます。

唯一救いなのは、アメリカの方たちの良いところとして、みなさん本当におおらかでさっぱりした部分がおありなため、しばらく時間がたつと結構忘れてしまってくれているのです。

というか、完全個人主義、自分中心主義の国の文化ならではこその特性かもしれません。別に他人の恥なんて自分の人生にとって特にも損にもなりはしないですからね。

 

渡米してからも、私の指導教授が私の語学力を心配して臨床系に進むなと助言すれば、またしても分をわきまえずに

「馬鹿にしやがって」

と、臨床系の博士課程ばかり選んで受験したりしていました。

そこで素直に彼の助言に従っていれば、もっとずっと楽な学問キャリアが待っていたと思います。

 

別にアマノジャクというわけでもなく、自分が納得する助言には素直に従っていたと思います。

あえて言えば、決めつけられたり、選択肢を妥協することに抵抗を覚えるようです。

承認欲求を満たそうとしていた、というのとも違うようで、むしろ自分は周りと何かズレている、決して出来が良くない、ということがわかっていたからこそ

もし決めつけられたとおりの自分を受け入れたら、わかりやすいレールに乗った選択肢を選んだら、分をわきまえた選択肢を選んだら、

 

自分は必ず失敗する

 

とどこかでおびえていたと思うのです。

 

つまり、わけのわからない選択肢ばかりに進み続けたのは、今から思えば

 

究極の自己防衛からくる行動だった

 

と思います。

 

わけのわからない選択肢を選べば、失敗とか成功とか、そういう視点で結果を判断しなくて済むのです。

どうせ失敗すると分かっていたから、だったら最初からダメ子ちゃんになってしまう環境を無意識のうちにあえて選んできたのかもしれません。

なぜなら最初に最悪地点に立っていれば、あとは昇るだけ、改善のみが待ち受けているからです。

 

そしてやっとのこと、改善に改善を重ね、

 

自分なりに納得のいく「結果」

 

に生まれて初めてたどり着いた

 

 

そこに待っていたのは天国ではなく、

 

暗くて醜い人間の本性のうずまく地獄

 

だったのです。

 

そして、どんなに強烈で絶対的な個性を築き上げてたとしても、

億単位の国家研究費が降りるという、生まれてはじめて華々しい人生の舞台にやっとの思いで立った途端に、

その暗くて醜い社会に潜む輩どもには、結局一人では太刀打ちできないどころか、奴らにその舞台から何度も引きずり降ろされそうになったわけです。

そしてさらに、そいつらを相手にずーっと戦い続けなくてはいけないっていうわけです。

この話を読まれているあなたはきっと、「聞いているだけで暗くなってくるわー」なんて思っていらっしゃることでしょう。

また少しだけ回想に入りますが、

 

「羊たちの沈黙」というハリウッドのサイコスリラー映画

 

にでてくる、

まさにアンソニー・ホプキンズの演じる天才的な精神異常者(役名:レクター)のような心理学士により(ここでは仮にレクターとしましょう)、

精神的・肉体的に軟禁状態に陥った時期がありまして(またこれについての詳しい話はコラムで…)、

 

彼からやっと解放される日が来た時に、最後のトドメとしてレクターが一言

 

「今は放っておいてやる。お前が博士号を取得するまで待ってやる。その瞬間に、お前を社会的に破滅するからな、楽しみに待ってろよ。」

 

と言い放ったのです。

政府の認める一人前の研究者となるまでに、博士号を取得してから随分時間が経っていましたし、

もちろん、私を華々しい人生の舞台から引きずり降ろそうとした輩たちがレクターとグルになっていたわけではありません。

 

しかし、この時になってふとレクターが言い放った最後の一言をなぜか思い出したのです。

まるで呪いの言葉を思い出すかのように。

 

まあ落ち込みますよね、この世に生きている限り

 

自分は勝てない

 

って絶望的になったと思います。

無理もないです。

これから人生心身共に年齢とともに衰えていくというのに、というか、既に限界を感じているのに、いままでのように、いや今まで以上に絶望感にまみれながら真っ暗なトンネルをさまよい続け、死ぬまでその状態がつづくわけですから。

 

人間としても女性としても中途半端な人生

またそのころになって今更ですが、

 

女性としての自分を今まで全く大事にしてこなかったという後悔

 

も徐々に湧き上がってきたのです。

 

何しろ周りを見ても私のようなハチャメチャな人生を自ら選択しつづけ良くも悪くも「謳歌(おうか)」している女性など、日本人はもとより他に見たことがありません

女性らしい人生、という既成概念やイメージからはあまりにかけ離れた、

 

逞(たくま)しい人生を歩んでしまった

 

わけです。

というか、女性らしい人生、というのと、人間として最大の可能性を試し続ける人生、という二つの概念とイメージは日本のみならずアメリカにおいても一致しないんですね。

 

男勝りに雄々しく生きている女性を見て、セクシー、とか美しい、とか一般的には中々表現しませんよね。

どちらかというと、批判的な目で見られ反感を買うことの方が多いようです。

もちろん、「お転婆な女性」に魅力を感じて近づいてくる男性もいますが、結局彼らは大抵私が本当に逞しく生きているから女性的魅力を感じているのではなく、そういった女性をある意味支配してむしろ

 

自分の力強さを実感したい

 

という逆の動機にもとづいていることが多いです。日本男性ではあまりこういったタイプは見かけないとは思いますが。

 

一人の人間として最大限の力を試した挙句に絶望の淵に落とされ、そして女性としての人生も満喫してこなかった

 

本格的な出来損ない

 

が私の目の前にはいたんです。なんとも人間としても女性としても中途半端な自分の存在に心からうんざりしてしまったわけです。

 

心身ともに徐々に限界に達してきたせいか、週末など子供の相手をする元気もなく、ただただ横になっているだけの日々が続きました。

また、そうなっていった他の理由として、自分は常にどこにいっても、醜いアヒルの子である、という小さいころからの妙な刷り込みがあり(詳しくは第一話参照)、

これは自分が周りとなんかズレているということに起因しており、したがって周りの人間から常にぞんざいに扱われたり、反感を買ったり、文句を言われたり、ようは

 

常に軋轢(あつれき)の塊でしかない人間関係が自分にとっては当たり前

 

だと思い込んでいたことにも関係していると思います。

 

こういった人間関係は私を本当に心から疲弊させ、慢性鬱の状態へと追いやっていったと思います。

今でもそうですが、離婚した相手と自分は常に共稼ぎでしたし、自分が稼ぎ頭ですから母乳育児以外ほとんどシッターさんに細かい子供の面倒を見てもらっています。

それでもそれは週日の話であり、週末になれば親子の時間があるわけですが、

実はこの状態に加えてさらに日曜日に毎週日本語の教師を頼まれてやっていた、ということもあり、

何かしなくてはいけないことがないと、子供達には申し訳なかったのですが、ただただ後の時間は横になっていたと思います。

こういう精神状態にあると、一体外は晴れなのか曇りなのか雨なのか、現在夏なのか冬なのか、そんな四季感覚さえ感じられなくなるほど、身も心も麻痺していってしまうのです。

その頃若い日本人女性のシッターさんが住み込みで子どもたちの面倒を見てくれていましたが、週末一切起きてこようともしない母親である私をみて呆れ返ってお腹が空いたと訴える子どもたちに週末なのに食事を用意してくれたりしていました。

もちろんそれ自体は非常にありがたいことなんですが、こういう状況を耳にするとさらに罪悪感で落ち込み、更に身も心もグッタリと重くなって何時間もトイレも行かず起き上がれない状態が続くのです。

 

まとめると、

 

  • そもそも自分は周りの人間からは常に文句を言われ疎まれる存在である、という小さい頃からの偏った認識があり、
  • したがって、蝶よ、花よ、とチヤホヤされるような、女性として満たされる半生を歩むこともとうに諦めており、
  • ならばせめて、実力をつけて社会的立場を確立すれば明るい未来が待っているに違いない、人生が開けるに違いないと、
  • また、結果さえ出せば周りの人間もどんなに疎ましい存在である私に対しても、認めざるを得なくなり、人間関係ももっとやりやすくなるのではないかと、

 

とにかく何でも良いから実力をつける

 

これぞと思う自分の立場なるものを模索し続け、社会的立場を確立していくことに全身全霊を捧げたわけですが、

明るい未来どころか、人生が開けるどころか、レクターの呪いの言葉のごとく、さらなる地獄が暗い闇が私の残りの半生を今か今かと待ち受けていたんです。

 

政府の認める一人前の研究者になる数年前から、少しずつ体力と気力の限界を感じ始め、上記したようにやらなければならないことがないと廃人のように横たわるばかりの日々が続いていましたが、

一旦華々しい人生の舞台にいきなりある日のしあげられ、そして次の瞬間から引きずり降ろされそうになる毎日に突入した時点において、

私オトメははっきりと自分の限界を自覚し、これからの人生には夢や希望は一切感じられず、

ただただ絶望の二文字しか見えず、人生の終了が非常に身近な存在として感じられるようになりました。

なにしろ、ものすごく激しく大変な毎日を送り、それでも何も良いことがない、楽しみもない、

周りの人間に対してはもはや憎悪や怒りを感じるエネルギーも残っておらず、

 

ただ残念な気持ち、空しい気持ちでいっぱいであり、

 

そしてその当時の自分の気力と体力の限界より、脱力感とともにそういった人生を生き続ける自信も、そういった人生で結果を出し続ける自信もやる気も全くといっていいほどなくなったわけです。

それでは第八話において私オトメが完全に尽きる前にどんな最後の賭けにでたか、お話しますね。

 

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コメント

  1. […] うまく言えないのですが、この一見自虐的(じぎゃくてき)にも見える行為は実は一種の自己防衛なのではないか、と後になって考察しております(詳しくは第七話参照)。 […]

  2. […] 第七話にて、オトメがどういった考えのもとに激しい人生を歩むべくに至ったか、そして絶望的な人生の壁にぶち当たったか、についてお話ししました。 […]

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