こんにちは。
オトメと申します。☺
今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。
プロフィールを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。
このページは、ここ最近の数年のオトメのフロンティア人生を連載ストーリー化した第十一話が掲載されています。
第十話にて、オトメが生まれて初めて人生の旅において大きく舵を切って未知の方角へ、身も心も焦がすような愛をテーマへと、方向転換したということについてお話ししました。
まず身も心も焦がすような愛を求めるにあたって、よちよち歩きの私オトメがまず何に手を出したかと言えば、
出会い系サイト
に登録することでした。
インターネット上で誰かと出会い仲良くなるなんて、これまでの私には考えられないことでしたが、その時の私にはもうそれくらいしか選択肢がなかったのです。
この第十一話においては、おっかなびっくりの私オトメが出会い系サイトを通じてどんな体験および愛に対する理解を深めたか、についてお話ししていきたいと思います。
出会い系サイトへの登録にあたって
出会い系サイトに登録してみようとそもそも考えたのは、男女愛についてネットサーフィンを重ねていたときに思いついたアイディアだったと思います。
インターネットくらいしかアップデートされた日本諸事情に触れる機会がないので、目的もなくいろいろな関係するキーワードを使ってネットサーフィンをし続けていたのだと思います。
そのときに、出会い系サイトについて詳しく説明しているサイトに出会いました。日本人用の出会い系サイトでもいろいろあるんだなあ、と初めて見る世界に驚きながらも興味津々でした。
中高年の男女が恋愛目的で出会うにはこのサイトがよい、というサイトを見つけたので、早速登録してみることにしてみたのですが…
まず日本の携帯番号がないと登録できないんです。
日本に住んでいれば当たり前の基本的な個人情報を持ち合わせていないため、まず登録の段階で躓(つまず)いてしまったのです。
その時日本人の人でこういった目的のために携帯番号を借りる相手など、考えつくのは自分の両親くらいでした。
母親には子供たちのことで散々お世話になっており、これ以上心配をかけたくなかったので、なんと父親に連絡して頼むことにしたのです。
私の父親は、貧しい漁師の家に育ちながら、俳句の大家ともなり、その地域の教育委員会を牛耳っていたような、熱くてやり手な母親に厳しく育てられたせいもあり、基本的にすべてに関して用心深く疑り深いところがあります。
本人も、かなり有能なサラリーマンで、外資系の複雑な人事関係を何とか乗り越え、天下りの人間を差し押さえて大手企業の役員にまでなった人間ですから、常にガードが固く、まず周りを心理操作して制覇(せいは)する、という対人関係の結び方をします。
そして残念なことに、実の娘に対してもそういった究極の自己防衛的なそして攻撃的な姿勢を取るわけで、父親に常にいろいろと相談に乗ってもらいながらも、父親のそういった私への対応が、いつもどこかで私自身が完全に自分に自信を持てずにいたことに少なからず影響していると思われます。
その時も、「もちろんお父さんはいつでもオトメの味方であるし、サポートしようと思うよ、しかしこういったサイトでは出会ってから人殺しに会うとか、詐欺にあうとか、そういった話をよく聞くから気をつけろ」と正論をかましておりました。
ではだからといって、他に出会いにおける名案があるわけでもなく、父親がだれか紹介できる人間がいるわけでもなく、そのうちに、
「例の昔からの知り合いの日本人とかはどうなんだよ。」
と別に男なら誰でもよいだろ的な、自分が価値を見ていないもの、つまりこの場合は娘の男女関係に当たりますが、に関しては、
親身に相談に乗っているふりをして思いっきりいい加減な対応をし、いかに話の内容に価値がないかを、間接的に表現してくるのでした。
私がどれだけ精神的に苦しんでいるかなどは、彼にとって下らない内容である限り、父親にははっきりいってどうでもいいことなのです。
そして、彼にとって下らなくない内容、例えばキャリアについてなど、の場合においては、ぬるま湯につかるような真似だけはするなと、私がどれだけ心身ボロボロになっていても、いつもけしかけるようなことしか言いませんから、
どちらにせよ、後でどこかで聞いた話ですが、血の繋がっている相手だからと言って、なんでも容赦し、自分が辛い思いをし続ける必要はない、別に交流しなくてもいい、いやむしろしないほうがいい家族関係だってあるのです。
というのは全くあれだけ会話を重ねたにも関わらず、基本的な父親からの対応が20年以上も変わらない、自分と父親に関しても当てはまる話であり、後になって、いくつかの日本男性との関係を経て生まれて初めて父親に対して自分の気持ちを親子関係よりも最優先するという選択を2020年においてするに至ったのです。
そんなの、一人の大人として当たり前の選択じゃない?なんてあなたは思われたかもしれませんよね。
そして私も他人に対してはそういう助言をしていたと思います。
でも自分のことって意外に見えていないんですよね。結構理解できていないっていうことが、ここ最近の出会いを通じてもわかりました(詳しくは第九話参照)。
要するに、日本の親子関係でいったらきっとよくある話だとは思うのですが、どこかで自分の気持ちや願いよりも親の気持ちや願いを優先し続けてしまっている自分がいるってやつです。
自分も周りもまさか好き放題アメリカでやってきたオトメにそれが当てはまるわけないだろう、とは思っていたと思うのですが、心の奥底ではやはりどこかで父親の望みや意見を自分のはさておき優先させるという心の動きが常にあったようです。
どうりでだんだん20年もたてば無理がたたるわけですよね。
自分で自分の心の声をどう大事にしてやっていったらよいのか、そもそもその経験を両親から教わっていないわけですから、「自分一番で考えればいいじゃん」なんて簡単に言えるほど自然に出来ないんです。
無理やりそうしても、心のどこかでまたは両親などから「また自分のことばっかり、少し勝手すぎない?」と横やりが入り、また自分を大事にしない状態に逆戻りです。
これはいつも自分に対して否定的な人に向かって「無理やりでもいいからポジティブでいなよ。」というようなもので、うまく好転すればよいのですが、気を付けないと自分の気が付かないところで実はどんどん負の想念が溜まっていってしまったりもするわけです。
だから自分で自分の愛し方がわからないために、外部にその癒しを求める、日本男性との会話に随分癒されたわけですから、当然その路線で癒しを求める、「愛って何さ?」の旅の矛先となるわけですね。
そしてこの時初めて気が付いたのですが、実は私オトメは父親に対して暴言を吐いたことはその時まで一度もなかったのです。
相変わらずサポートしたつもりになって実のところ自分の娘に対してはマウンティングばかりして結局自分が気分良くなりたいだけ、という父親に対して、
自分の気持ち、つまり、「馬鹿野郎!」という彼に対する気持ちを、そののちメールにて生まれて初めてぶつけることとなりました。
そして、それは何も父親を拒絶するような話とはまた違い、ただ徹底して距離をおく、という話です。
父の日と父親の誕生日には彼のお気に入りのお茶を送りますが、その後お茶は要らないと言われたので子供たちの写真を送りますが、会話をするのはしばらく、というかかなり長い間お休みさせてもらっています。
そして、この自分の中での親子関係に対する大きな決断に伴って、何とか父親の携帯番号を使って無事登録に至った出会い系サイトでの出会いやその後の日本男性との出会いや交流、また元夫との関係性にも徐々に大きな変化が現れてきたのです。
出会い系サイトを通じての経験
さて、おっかなびっくりで登録した出会い系サイトでしたが、実は出会い系サイトというのは私が想像していたよりもはるかに数多くの種類があることが後からわかりました。
そして、実は幼馴染(おさななじみ)が出会い系サイトを通じて現在の旦那さんと出会った、ということもあとから母親に教えてもらったのです。
結構みんなインターネットを通じて出会っているんだなあ、と今まで完全に未知の世界だった出会い系サイトがとても身近に感じられるようになりました。
ただ、幼馴染によれば、残念なことに私が登録したサイトはあまり評判がよろしくない、とのことでした。
それというのも、一時の体の関係を求めている男性、「パパ活」目的の男性、またはいわゆるセフレを求めている男性が数多く登録しているからだ、ということでした。
しかしながら、その時の私にとっては、どんな目的であれとにかくいろんな同年代の日本男性と触れ合ってみたい、という想いが最優先されており、
また同時に、アメリカなんて遠い国にいる子持ちの40代の女性なんかにまともに交際を申し込んでくるような日本男性がいるとは、よっぽどのことがない限り、到底考えにくかったのです。
したがって、まずはどんな男性がいるのか、と検索してみたところ、意外と普通の感じの男性達があとからあとから出てきたのです。
そして後から検索してみてびっくりしたのですが、同年代の女性の数が私も含めて本当に少なかったのです。
ほとんど若くてきれいな20代の女性ばかりで、一体何が起きているのか理解できませんでした。
これもあとからわかったことですが、これらの若い女性のほとんどがいわゆる「さくら」というやつで、要はプロの業者の方々であるようです。
中には女性の写真を登録しておいて実は中年のオジサンであることもあるようです。
そういった場合には、多くの場合は何かの商売をもくろんでいたり、詐欺目的だったりするらしいです。
また、私くらいの年代の一般の女性も多くの場合登録している方々の中には、一般の女性として時間や体を売ったりしている人たちも数多くいるようです。
そういった女性の場合、なんと性病を抱えている場合も少なくなく、体を重ね合わせた男性にその病気を移してしまった、なんてこともあるようです。
そういったあらゆる「女性」についての情報交換をしてお互いの身と心を守ろう、とそういうサイトから派生して男性登録者同士の間だけで情報交換をする秘密のサイトなどもあるそうです。
そういったこのサイトの裏事情を全くと言ってもいいほど知らなかった私は、あまり過激なことを書いていない普通そうな男性達のプロフィールに適当に「いいね」を押していきました。
これもあとから知ったのですが、女性はそう簡単にいろんな男性のプロフィールに「いいね」を押していかないそうです。
また「足跡」といって、どの女性が自分のプロフィールを拝見したか、なども全部記録されているようなのです。
全く初心者だった私は、そういった基本的な出会い系サイトの文化にもうとく、とにかく面白半分にいろんな男性のプロフィールを見たり、いいねをしたりしていました。
もう同年代の日本男性と仲良くなることもないのかな、と本気で思っていましたので、こんなにも簡単に地球の反対側に住んでいる同年代の日本男性達とつながれる現実に嬉々としておりました。
そして、登録したその日か次の日当たりに、すぐにある中年男性からメールをいただきました。
と、思いきや、あとからあとからいろいろな背景の男性達からメールを毎日のようにいただくようになり、それをちゃんと読んで返事するだけでも忙しい毎日となったのです。
なんだか急に日常が新しいオンラインでの出会いで色づいたようで、登録するまでの気分とは打って変わってなんだか楽しい気分になってきたのです。
最初にメールをいただいた男性とは軽快なやり取りがしばらく続き、その他にも二人ほど全く性格も背景も違う男性とメール交換をしておりました。
面白いなと思ったのは、全員既婚男性であったことです。
別に全員家庭環境に不満があったわけでもないのですが、一人を除いては要はセックスレスが家庭内において続いており、
精神的には円満で満足のいく家庭を築けているが、40代に入って男性としての自信を失いかけており、その辺りにおいて性的に満たしあえる秘密のパートナーを探している、ということでした。
皆さん全員子持ちでしたし、子育てにも積極的に参加している、いいお父さん達でもあったようです。
私オトメは彼らの家庭事情、結婚事情を学んで、とても面白い、と感じました。
なぜなら、セックスレスの状態が続き、その状態に二人とも満足していたり、また公認で外部に性的関係を持つ異性がいたり、というわけでもないのに、離婚しないでいる、というのはアメリカ社会ではなかなか理解しがたい関係だからです。
アメリカ社会では、50%のカップルが離婚しているのが現状ですから、そんなストレスの多い関係ならばさっさと離婚に踏み切った方がお互いのため、というわけなんだと思います。
結婚関係というのは、欧米においては男女の関係が成り立っていることが前提ですから、男女の関係のない結婚関係というのは定義上矛盾するわけです。
それに比べると、日本においては昔においてはお妾さんがいて当たり前とか、漁師の村などにおいては、夫がほとんど夜の時間帯に漁に出て家を留守にしているので、いつのまにか妻が妊娠していたり、村全体で子育てをしたりするのが一般的だったりしたそうですから、
日本文化では歴史的に婚姻関係と男女関係が必ずしもオーバーラップする必要はないのかもしれません。
出会い系サイトから始まったおつきあい
二人の男性は割と早くから性的関係を結ぶことのみに興味がある、とお知らせをいただきました。
一人の男性(ここでは仮にレイ君としましょう)はものすごく直接的に彼の希望を具体的に文章やら写真やらで伝えてきました。
もちろん「身も心も焦がすような愛」という定義において、彼の希望は定義の半分ほどを満たすことになるのですが、
やはり心も焦がすような愛でないと、お話ししていて楽しいのですが、それ以上会話や関係とともに私オトメの気持ちが深まっていくことはありませんでした。
ただいろいろ私が日ごろから疑問に思っていることや日本男性に対して聞いてみたいことなどについて快く相談に乗ってくれたり、丁寧に返事を返してくれたり、とそれはそれで実のある交流ができたと思います。
二人目の男性(ここでは仮にジュン君としましょう)はメール交換をするうちに徐々に彼の希望が明らかとなっていきました。
彼の主義としては、いきなり女性に性的関係を求めるようなことをしてもつまらない、あきれられるだろう、という想定からお互いに慣れるまである程度の時間を取って
じつは「やましい」関係を望んでいるのだ、という彼の本当の意図が伝えられるに至りました。
2020年に日本に行ったときにどちらの方とも一度だけ面会させていただいておりますが、メールや写真で伝えられていたイメージとは随分異なる様相に私はかなり戸惑いました。
レイ君はかなり直接的に要求を突き付けてくる人でしたが、実際にあってみると40代にしてかなり中年太りが進んでおり、顔つきや手つきを見ると本当に女性的で、なんだかとても人が好さそうでした。
本当はそうではないのですが一瞬男性同性愛者かしら、と疑ってしまったほどでした。
駅ビル内にあるレストランに行って一緒にご飯を食べ、そのあとお店を変えて少しゆったりとカフェにてお茶をしました。
その時結構悩んでいた人間関係について相談したり、美容と健康に関する話をしたり、またレイ君のご家族の写真など見せてもらいました。
レイ君自体はなんともコメントしがたい様相をしているのですが、彼の奥さんに当たる女性は中年ながらもとても美しい方であり、従ってお子さんたちも美男美女、文句のつけようのない、明るくあたたかなご家庭を持っている人でした。
しかしながら奥さんの方で体の関係を拒むようになり、そうなるとどんなに美しい女性でもレイ君は彼女に対して恋する気持ちは持てなくなってしまうわけです。
とにかく家庭持ちの方ですからお忙しく、その日もさっさとご家族のお家へと帰っていきました。
一方で、ジュン君にも直接会うに至ったのですが、ジュン君は実は直接会うまで写真すら見せてもらえず、会ってからのお楽しみという約束でした。
なのでお互い相手の洋服と描写を頼りに待ち合わせ場所で無事会うことができたのですが、実際にあってみるとメールで醸し出していたエスコートの上手な大人の男性的な雰囲気ははっきり言って
ゼロ
でして、とても普通の感じの中年男性であり、また信じられないかもしれませんが、会っている間ほとんど目を合わせてくれなかったのです。
「私そんなに御めがねにかなっていなかったのかしら?」
と自信をなくしかけるほど、なんだか存在自体を無視されているような、楽しそうな様子が微塵(みじん)もなかったのです。
彼も家庭持ちでしたから会って数時間で帰らなきゃと焦ったように去っていきました。不思議なことに、メールで会話していた時のほうがよっぽどジュン君は生き生きとしており、自分らしくいたと思います。
本当に会った人がジュン君だったのだろうか、と、首をかしげてしまうほどの激しいギャップに単純な私オトメはショックを受けてしまいました。
そしてさらに不思議なんですが、会った後にはまたいつもの様子でメールを打ってきたりするわけです。
さすがに理解に苦しむし、
これでは身も心も焦がすような愛どころか、身も心も凍り付いてしまう
とコロナ禍などを理由に連絡するのをやめてしまいました。
したがって、どちらの男性ともある一定以上の気持ちのこもった深い男女関係に進展することは残念ながらありませんでした。
そして三人目の男性(ここでは仮に意識高い系君としましょう)とは、お互いの仕事の話などして割と実のある会話をメールでたまにしていたのですが、実際に会ったときに驚くほど会話が盛り上がったのを覚えています。
とくに親密になることを期待していなかっただけに、これはうれしい驚きでした。
彼も同じように感じていたようで、長年日本を離れていてもこのように話のテンポが合って、
私が一方的にはしゃいだり勘違いしたりするのではなく、お互い同じような気持ちになるなんてことがあり得るのだ、という事実に感激したのを覚えています。
それというのも、日本を離れる前まではこのようにお互い同じような気持ちを持つ、本当の意味で気が合う、という体験を同年代の男性と一度もしたことがなかったからだと思います。
40代にして生まれて初めての体験だったわけです。
出会い系サイトも悪くないじゃん!とアメリカに帰国してからもメールやらテキストやら電話をするような仲に発展していきました。
先ほど述べましたように、なぜかこの出会い系サイトで交流を持った男性達は皆既婚者であり、意識高い系君も子持ちの既婚者男性でした。
奥さんにあたる女性とは長い結婚生活においていろいろ確執があったようで、心身ともに健康を害してまでも、まだ子育てのために婚姻関係を続ける、という彼の家庭の状況をなんとも不思議な気持ちで見守っておりました。
性格上一生懸命彼の話を聞いて少しでも理解できればと務めましたが、結局最後には
「どうしてそこまでして?」
という大きな大きな?マークで頭の中が埋め尽くされている状態でした。
自分の心身の状態が最適でない状態においては、気持ちも不安定で落ち込み、体も弱まり、
自己犠牲的な行動というのは結局なんだかんだ言って自分のみならず自分の周り全てを台無しにしていくことに間違いないからです。
そういった状態においては
自分の幸せはおろか、他の誰の幸せもあり得ない
ということになるわけです。
つまり、自分さえ我慢すれば、という考え方は結局自分を破局に追いやるだけでなく、自分に関わる全てを破局に追いやることになるわけですね。
そして面白いことに、私が一生懸命彼の状況に寄り添おうとし、彼と一緒に未来を語ろうとすればするほど、なんと彼のほうがどこかでそれを拒むというか、ある一定以上の敷居を跨(またが)せないというか、
要するに、心の距離を縮めさせてくれないわけです。
当時の私は何が二人の間の交流に起きているかなど客観視する力も余裕もなかったので、なんとなくぼんやりと
いつもどこか一人取り残されているような孤独感
を感じ続けたのです。
意識高い系君は意識が高いだけあって、知識も理解力も豊富でしたし、私の話にも本当によく付き合ってくれたと思うんですが、それでもやはりひとたび交流が終わるたびに
…また、一人ぼっちで闇の中で体育座りしているオトメ
というイメージがぴったりくるような気持ちへと落ち込んでいくのでした。
それでも何とかせっかく深まった交流関係を大事にしようと必死でしたし、どうしたらこの不可思議で矛盾した精神状態を解決できるのか一生懸命考察もしました。
それでも渦中にいる当事者である以上、どう頑張っても客観的に状況をとらえることができずに、
ある時何でもないやりとりにおいて彼が電話の約束が守れないとかなんとかいう理由で取り繕って言った言葉に対して
急に私オトメの中で怒りの気持ちが沸き起こった
のです!
条件反射的に彼に対して、
自己犠牲的な取り繕ったような愛情表現をされても馬鹿にされているようにしか思えないといったような激しい内容の返事をしてしまいました。
おそらく自分にこれより少し前に起きた父親との関係においての気づきがこの条件反射的な彼に対する嫌悪反応に大きく関与していると思うのですが、
この第十一話の冒頭でも申しました通り、自分の父親との交流において、自分はなぜか常に惨めな気持ちになってしまっていたことに、何十年も交流し続けて初めて気が付いたわけです。
常に惨めな気持ちになっていた一つの大きな原因として、父親が自分の私に対する重要性を間接的に主張し続けるために(だと思いますが)、
私に対する描写は基本的にいつも、私オトメは宇宙人だかなんだか、ゲテモノみたいなわけのわからない存在だから
父親が仕方なく付き合ってやるしか、他に相手にしてくれる男性も理解してくれる男性もいない、という視点に基づいたものだったと思います。
もちろん父親は完全にそういった私に対する描写をでっち上げていたとは思いませんし、自分の多くの実際の体験が彼の描写の裏付けとなっていたことも確かです。
しかし、私はそれだけの存在ではもちろんないですし、非常に繊細で女性的な部分もしっかりと持ち合わせているわけです(と、後から意識高い系君も含め男性カウンセラーなど何人かの日本男性にそのように教えていただきました)。
したがって私はいつも自分の相手をしてくれる人間に対してどこか申し訳なさを感じていたと思います。
そして、帰国子女として日本社会でもアメリカ社会でも受け入れられなかったという人生背景を持つ私の母親もそういった自分の存在への
罪悪感
といったものを感じ続けていたと思うので、要するに私は父親との交流において、私の母親の反応パターンを真似ていたのかもしれません。
だから、取り繕うような反応をされたときに、可哀そうな存在だからお付き合いしてあげている、という私が父親からずっと感じ続けていた、自己満足的な雰囲気をまたもや相手の態度にどことなく感じ取ったのかもしれません。
惨めな罪悪感
をもろに実感し、自分の中でわずかに残っていた自尊心を振りかざして、
「馬鹿にしないでよ!」
という条件反射的反応をしたんだと思います。
ここでもう一つ付け加えておきたいことがあるのですが、この意識高い系君と私の父親はありとあらゆる面において
酷似
であった、ということです。
したがって、彼の私に対する扱いは、当然父親に酷似であってもおかしくはないわけです。
異性の親に似た相手に惹かれる、という話はよく聞きますが、意識高い系君と私の関係においても例外ではなかったわけです。
その直後から、意識高い系君は一気に想いが覚めてしまったようで、むしろ何を言いだすかわからない私に対して警戒心を抱くようになったようです。
その後何度か交流を試みましたが、彼もかなり無理をして私と交流していたことを自覚したようで、その後は徐々に交流の数も減っていき2020年の夏ごろにはもう会うこともない、という状態にまで達してしまったのです。
残念な終わりを遂げた一方で、私が父親の私に対する対応についてどうして違和感、罪悪感を覚え続けていたのか、いったん理解できてしまった今では、
もう同じような相手に惹かれることはまずない
と断言できますね。
だって、どこの誰がどういう理由で自分からわざわざ惨めな想いをしに行こうと思うでしょうか?
意識高い系君との交流において、
繰り返し起きていたある一つのパターン
があることに交流が破綻(はたん)してから随分後になって気が付いたのです。
それは実は英語で言うところのBreadcrumming(パンくず、を基にした動詞)という、今割と多くみられる中途半端でうすっぺらな男女関係でよくみられる現象なんですが、
自分は相手の気を十分に、いえ十二分に引いて、(たいていのばあい肉体関係も含めて)相手を求めるわけですが、それでいて相手が実際に振り向いてしっかりと自分と向き合おうとすると途端に
時間的に、エネルギー的に、努力的に、ありとあらゆる方面において、自分が求める分を自分は相手に返していかないという行動パターンです。
意識高い系君の場合は、彼なりに時間的にそして一生懸命、誠心誠意私に対応してくれていたと思うので、本人はそういうつもりは全くなかったと思います。
実際周りの人に相談したときも、私が相手に求めすぎなのではないか、というコメントを何度か受けました。
したがって一見Breadcrummer(パンくず、を基にした人称代名詞)だとはとても思えないのですが、彼は実際のところ
私の全て
を求めていたのに対し、彼自身は
その時々の対応に一生懸命
という根本的なレベルで次元の違う行き違いが起きていたのです。
意識高い系君とはもう本能的なレベルでその相違を違和感を感じていた、としか言いようのない感覚的レベルでのBreadcrummingが起きていたわけです。
これはまた最近の出会いを通じて理解し始めた自分や自分の母親に共通する部分なのですが、母親もしかり、自分もまたアメリカでの激しい20年間を通じて相当スケールのデカい人間にならざるを得ませんでした。
そして、そうなってしまうと、日本のみならずアメリカででさえ、その器の大きさに対応できる相手というのがかなり限られてしまうみたいです。
母親を見て育っていますから、自分も無意識で相手のスケールに合わせて自分を無理やり合わせようとするわけで、そうなるとどうしてもその人間関係においてストレスが溜まっていってしまうわけです。
自分らしくいられないのですから当たり前と言っちゃ当たり前です。
さらに質の悪いことに、そこで人間関係がギクシャクしてしまったときに、母親などは相手のせいにして終わらせてしまうのですが、
私の場合は(おそらく父親ゆずりで)今度はうまくいかなかった原因を自分の責任にしてしまい、途方もない罪悪感に襲われ、自分を激しく責め立ててしまうようになるのです。
そしてその関係に執着してなんとか修復しようと余計に自分に無理をさせてしまう、という最悪の悪循環へと陥っていくわけです。(なんまいだぶ…)
さらに最終的にはやっぱり自分みたいな人間と付き合ってくれるような相手は父親くらいしか世の中にいないんだ…なんてなんとも頓珍漢(とんちんかん)な結論に至るわけです。
これも自分が自分のことをちゃんと見えていない、価値を理解していない、認めていない、ということにすべて起因するわけです(詳しくは第九話参照)。
この部分が成り立っていない状態でいくら外部に癒しを求め続けても、残念ながら父親との関係をありとあらゆる人と繰り返し続けるわけですね。
これも最近の出会いを通じてわかったことですが、自分らしさ全開で生きてこられた方々というのは多かれ少なかれこういった傾向が人間関係で起きているのではないかと察します。
もちろん関係の在り方は人それぞれだとはおもいますが、どこかでやるせなさ、窮屈さ、いら立ち、どこかで無理がたたり、いずれストレス大爆発、それでいて周りからはワガママだとか自分勝手とか頭おかしいとか言われるわけですね。
大体自分らしくいられる人間関係においては、自分らしさを生かせる人間関係というのは、お互いにとって喜びでしかないはずなんですってまだ今のところ検証中ですが…笑
自分も生き生きするし、相手のことも大切で仕方ない、そうなると思うんですよね。それも自然と。ええ、もちろんまだ今のところ検証中なんですよ、まだ(笑)。
このあたりについてはまた第十二話以降にて詳しくお話しできればと思います。
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