【アメリカ関係の時事ネタ:2021.8.17】アフガン戦争からのアメリカ軍撤退についてーアイデンティティ

こんにちは。

オトメと申します。☺

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールおよび連載ストーリーを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

最近ようやくプロフィールおよびオトメのここ数年の激動のアメリカ人生を綴った連載ストーリーが完成し、

気づけば日本、アメリカ、オーストラリア、フランスなど方々からアクセスしていただけるようになりました。

さて今回のコラムは「アフガン戦争からのアメリカ軍撤退」についてお話しできればと思います。

 

バイデン大統領の突然の決断

先週末からアメリカ国内では大変な騒ぎとなっております。

コロナ禍、東京オリンピックに続き、全く暇なしでイベントフルな2021年の夏休みでございます。

今年よりアメリカの大統領に就任されたバイデン大統領ですが、20年にわたるタリバン派とのアフガン戦争から突如アメリカ軍の撤退を命令されたのです。

そして今週に入ってからのバイデン大統領のスピーチを聞いていた私は本当に気の滅入る思いで一杯になってしまいました。

そもそも2001年の9.11のアメリカ同時多発テロ事件で、ニューヨークのマンハッタンにそびえ立っていた双子のタワー、ワールドトレードセンターがハイジャックされた飛行機二機に突っ込まれて崩壊し、ついでにワシントンDCに位置するアメリカ国防省のペンタゴンビルディングも部分的に破壊され、アメリカ史上最悪のテロ事件として大変な惨事となってしまいました。

 

そしてこの惨事を引き起こしたのはアフガニスタンからのイスラーム過激派テロ集団であるアルカイダであるとされ、その瞬間からアフガン戦争が勃発、その後2021年までの二十年にもわたりこの紛争は続いたのです。

このテロ集団アルカイダをかくまったとされるのが、アフガニスタンを1996年―2001年にかけて統治したタリバン派というイスラム聖戦主義者(ジハーディスト)のグループであり、欧米諸国を完全に敵対視しており、実際に同時多発テロ事件の指揮をとったとされるオバマ・ビンラディンを暗殺するという目的の元、アメリカがアフガン戦争を始め2001年以降の10年間続いたと言います。

しかしながら、その後の10年間もタリバン派からのゲリラ襲撃の中、アメリカ軍は命を張って経済を張ってアフガン政府を応援し、軍事強化、国家建設に勤め続けたと言います。

それでもバイデン大統領によれば、そういった投資や努力もむなしく、アフガン政府はタリバン派によるクーデターが起きた時に、官僚たちは自力で戦おうとするどころか、全てを投げうって一目散に逃げようとした、これを見たアメリカ政府はもうこれ以上何をしても意味がない、とついにアフガン政府に見切りをつけ、突然と言えば突然にアメリカ軍のアフガニスタンからの撤退を命じたのです。

 

私オトメは実は2000年に大学卒業と共にアメリカにわたり、アフガン紛争と同じくらい長い間、20年以上にもわたりアメリカという世界のフロンティアを行く国において自力で生き延びてしまった、バツイチ子持ちの日本女性です。

勉強ができず、勉強が大嫌いで、何か面白い生き方はないか、と就職大氷河期であった日本を2000年に脱出したあと、

勉強ができる → アメリカでの研究者キャリアを築く

のではなく、

生き延びるために仕方なく勉強して → 気が付いたらアメリカ政府に認められる研究者

になってしまっていたような人間です(詳しくはプロフィールおよび連載ストーリー参照)。

完全に大学教授同士のコネに頼ってとにかく日本脱出を図ったため、アメリカに来た当初などハーワーユー以上の英会話もろくに出来ず、TOEFLの点数も当然大学院入学には足らず、受け入れ先の大学院の先生に完全に呆れられてしまったような人間でした。

 

それでも一年くらいたったころに、9.11テロ事件が勃発したのです。

ただまだ当時の私の英語力では、インターンとして通っていた仕事場がなんだか不穏な空気に包まれているな、くらいしかわからず、突然に帰宅命令が出されてまだ自分の車を持っていなかったので同僚に送ってもらいながら、一体何が起きたのか必死に同僚に聞き込み、

同僚「ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだんだよ!」

「ワ、ワールド?え、なにそれ、何どこの話?」

同僚「あのね、ニューヨーク知ってるよね、マンハッタン。そこにさ、ワールドトレードセンターがあるでしょう?」

「ええとぉ…ワールド…(心の声:えーん、マジでわかんない。興奮して早くしゃべってるから余計わかんない~)」

同僚「ほらぁ、ツインタワーで知られているビルディング、知らないの?」

「…えええ!それ知ってるよ、私の叔父さんが働いてるところ!(これは本当です)。」

同僚「えええええ!!!!だ、大丈夫かな、ええ~。」

「どうしたの、何があったの?」

同僚「あのね…飛行機が突っ込んだんだよ、そのビルに…」

「はあ!?」

というくらい、もったもたした通じてるんだか通じてないんだかわからない英会話を続けていました。

それでもどうやら当時の私は何とか同僚の助けを借りて、その日の朝に何が起きていたのか理解したのでした。

そうして、その週末はアメリカの電話線が飽和状態に達し、叔父さんの家族である従妹に電話をかけようとしても繋がらず、ずっと話し中の状態が続きました。

ええ、まだ2001年当時は携帯電話とかWiFiとか一般的ではなかったのですよね。

また携帯電話を使用していても、WiFiとかインターネット回線ではなかったため、一斉に国中の人間が安否を心配してまたは事件の真相を聞き出そうと電話をかけ始めたたため、電話回線が飽和状態に達してしまったらしいのです。

アメリカのどんな田舎においても、みな次はテロ事件が自分の町で起こるのではないか、と恐怖と不安におびえ、夜は一人ではいたくない、とレストランなどで特に意味もなくただ同僚達とたむろしていたのを覚えています。

 

この事件が起きた時、ちょうど日本では夜のゴールデンタイムだったようで、今でも私の両親がまるでリアルなハリウッド映画を見ているかのような感覚で、突然に映し出された凄まじい光景、飛行機が次々にド派手にビルディングに突っ込んでいく様をあっけに取られて見ていた様子を興奮して私に話しているのを覚えています。

何しろ私たちの親戚がそのビルの60階にオフィスを構えていたわけですから、他人事じゃなかったんです。

それでも叔父さんは無事生き残り、ハドソン川の橋を歩いて渡り、歩いて家までたどりついたそうです。その叔父さんは最近になりコロナ禍の中、脳腫瘍で静かにお亡くなりになりました。

というわけで、このアフガン戦争というのは、私オトメにとっても遠い国の無関係な出来事では当然なくて、むしろ自分が直接的間接的に経験したテロ事件を基に始まった、20年にわたって共に生きた悪夢であったと言ってもいいでしょう。

 

アメリカ人のアフガン撤退に対する反応

あまりにも長く続いてしまったアフガン紛争に対し、多くのアメリカ人は

「ふう~、やっと終わったよ。やれやれ。」

という心持でいらっしゃるようです。

一方で、アフガン紛争に直接的にまたは中近東付近に駐在して間接的に関わっていた軍人、元軍人、その家族やアフガン紛争関係にNPOなどの関係で関わっていた人たちは

「俺たちのこれまでの努力と犠牲と信念をよくもメチャクチャに踏みにじってくれたな。」

とバイデン大統領の突然のアメリカ軍撤退に対してやるせない想いと怒りで一杯であるようです。

そりゃそうですよね、死に物狂いで戦地で戦い、仲間を失い、一生引きずるようなトラウマやケガを負い、家族や友達たちは常に戦地に向かった戦士たちの安否を気遣い…そういった費やされた命、エネルギー、時間、肉体、精神、これは実はすべて無駄でしかなかったんだと当のアメリカ大統領に宣言されてしまったようなものですから、やり場のない気持ちで一杯になっていることでしょう。

だからといって、このまま永遠にアフガン紛争を続けるのも未来のない話です。

要するに、怒りで一杯のアメリカ人たちが言いたいことは

「撤退するという決断に必ずしも反対しているわけではないが、撤退する際にこれまでの10年間が無意味であったというニュアンスでことを済ませないでほしい。意味を見出してほしい。」

という心の叫びだと思うのです。

これは私オトメも賛成の意見です。

 

それというのも、実は何度か私オトメのブログにも登場してきている方で、世界最強の軍隊と言われているアメリカ特殊部隊で八年間務めあげたアメリカ人の白人男性がいらっしゃいます。

オトメの研究活動の一環でひょんなことから知り合った男性ですが、気品と誇りに満ちていながらも物静かな様子からは想像もつかないようなとんでもない人生体験を積んでいる方なのです。

彼のことは元特殊部隊さんとお呼びしてきていますが、この特殊部隊出身の人間というのは特殊部隊卒業のころには世界のどこででもなりたいプロになれる、という

 

プロとしての訓練

 

を徹底して受けるらしいのです。つまり職業関係なく、プロとは何かという真髄を心で頭で体でもって学ぶわけなんですよね。

※特殊部隊の訓練卒業式のときにこのトレードマークとなる緑のベレー帽を被ることから緑のベレー帽というニックネームがついたそうです。

 

こういった訓練は特殊部隊特有のものであって、通常の軍隊で施されるものではないようです。

実は私オトメがこの男性とコロナ禍に入ってからズームで会議をしたときから、この男性にはしっかりと自分の研究者というプロとしての誇りを認めてもらえているな、と何となく彼の言動から感じておりました。

従って、この特殊部隊について学んだ時に本当に驚いたものです。

それもそのはず、私が彼から受けていた印象そのものが彼自身の姿だったのですから。

そして同時にとてもうれしく思いました。プロとは何ぞやという真髄をついている人から自分はプロとして認められているんだ、と思ったからです。

そして、特殊部隊について学ぶ前に、やはり直観的に私オトメも彼に対してなぜだか

 

絶対的な敬意

 

を感じておりました。

不思議なもので、二人の間に流れるエネルギーというのはお互いに対する絶対的な敬意と名付けられるのです。

お互いがお互いに対してそう感じている、その点において両思いである、つまりそういうエネルギーを二人の関係の中で創り出しているんですね。

 

最近になってですが、私の随分後輩にあたるインド系の女性である大学院生と話していた時にまた彼女から面白い見解を聞きました。

「(私オトメのように)一人の外国人が見知らぬ土地で人生を切り開くのは、(元特殊部隊さんのように)活発な戦地に出向いていく戦士と同じくらい危険で恐ろしくて大変でストレスのかかることだと思う。」

彼女自身、実はインドからの移民であるご両親の元で育ち、ご自身も二年間海軍にいらしたそうです。実際に戦地に向かったことはないようですが、そういう環境に身を置いていたわけです。

従って、私と元特殊部隊さんを足して二で割ったような存在であり、その彼女が二つの経験を結び付けていたので、本当に驚いたものです。

まさにそれは私が彼に感じていた感想だったからです。

お互いに積み上げてきた経験はそれぞれ全く違うのだけれども、そこで生き抜いてきたサバイバル経験は同じくらいの重みを持つのではないだろうか、

つまり、私オトメのこのアメリカでの20年間はまるでたった一人で戦地で戦い抜いた戦士の経験にかなり近いものがあるのではないだろうか、元特殊部隊さんを前にふとそんなことをそっと感じていたからです。

 

私オトメが元特殊部隊さんを前に感じたこと

さて今回のアフガン戦争からの突然のアメリカ軍の撤退事件について、まだアメリカ国内では大騒ぎが続いております。

まるでイランで起きたように、そして香港でも起きつつあるように、タリバン派にアフガニスタンが乗っ取られた後のアフガニスタンとはいったいどうなってしまうのだろう、

私オトメの研究所のボスも特に心配しているのがアフガニスタンの女性や女子の学習や社会的権利がどんどん奪われていくことです。

時代の流れが後退していくような事態というのはイランで実際に起きていることですから、考えすぎだとは言えないわけですよね。

もちろんイスラーム過激派からしたら時代が後退するなんて考え方はとんでもない、むしろ在るべき時代の姿がやってきたのだと考えるのでしょうが、欧米諸国や世界全体の時代の流れからするとかなり後ろ向きな原始的な社会が待っているのではないでしょうか。

やはり個人の尊厳を守るとか思想や選択の自由を認めるとか、そういう考えは一定の思想や宗教を国全体に押し付ける考え方とは真逆であり、一旦個人が自分の存在に対する誇りを感じてしまうとその逆を行くのはまるで個人としての自分を殺せといっているようなものなのでしょう。

 

そしてアメリカ国内において情けをかけられている人たちはまさしくアフガニスタンにて軍事・立国活動に貢献してきた軍人、元軍人、元軍人の友達や家族たちです。

前にも述べましたが、彼ら自身も怒りとなるせなさで一杯なんですが、傍で見ている私たちもこれまではアフガニスタンに在住していたなんて聞けば、「わぁ~お国のために命を懸けてきた勇者だなあ!」と単純に敬意といたわりの気持ちで目をキラキラさせていたものですが、

今こんな状態となっては彼らも胸を張って誇りに思える経験どころか、「わ…そ、そうなんですね、それはご愁傷さまでした。大層なお怪我もなく戻ってこられてよかったですね。」なんていうまるで

 

全く無意味に自分の命と体を捧げてきた単なる勘違い

 

な人としてそして重い過去と他人には死んでも理解してもらえないトラウマを引きずって生き続けなければならない、下手をすれば社会から疎まれてもおかしくない存在にすらなってしまうわけです。

 

実際の経験自体がどうのこうのではないのです、むしろ

 

自分の過去の経験に対する誇りと意味

 

をアメリカ政府の突然の撤退によってメチャメチャに踏みにじられてしまったのです。

もちろん私オトメは戦地に出向いたことなどありませんが、アメリカという土地で20年間以上戦い続けてきた者として彼らの気持ちを痛いほどわかるのです。

私オトメ自身もやっと長く続いた修行を抜けて研究キャリアにおいて天国を見るのかと思いきやトンネルの先には永遠に続くやもしれぬ地獄しか見えなかった、という精神状態に陥った時から(詳しくは連載ストーリー参照)

「一体全体自分は何のために20年以上もアメリカでもがいてきたんだ」

と全く持ってこれまでの人生の意味を見失い、それはつまり未来への希望も失うことであり、完全に身も心も停止状態、これから生き残る自信を完全になくしいわゆるうつ状態へと突入してしまったからです。

2020年前半が特にひどかったのですが、これまでの20年間が普通ではなかったために余計に当時の自分にとってはかえって重荷、むしろ女性として見た時に汚点でしかない、とさえ思ったものです。

つまり究極の経験というのはその個人をとてもユニークな存在にもしてくれますが、一歩間違えれば劣等感や罪悪感の根源にもなりかねないわけです。

 

だからこそ、内容は違えども同じくらい激しく究極の経験を積んできた私には今この事件を通して元特殊部隊さんがどんな面持ちでいらっしゃるのか、それはもう手に取るようにわかるのです。

ああいった精神状態はもう二度と経験することもないでしょうし、したいとも思いませんが、一つだけ今になってよかったと思えるのは

究極な経験をしたがために、むしろ自分の存在価値を踏みにじられたような気持ちになるということがどれだけ絶望的なことかメチャクチャよく理解できる、ということです。

日本語でも日本語英語でいうとは思いますが、まさに Identity Crisis ってやつですよね。

 

俺って私っていったい何者?

 

ってやつですね。

 

元特殊部隊さんとは普段会議以外ほとんど会話をしませんが、さすがにこの事件を前に彼の存在を無視するわけにもいかず、思わず柄にもなく自分がいかにショックを受けているかについてテキストを送りました。

ほとんど普段からテキストをしあうような仲ではないのですが、それでも五分ほどですぐに短いお返事をいただきました。

「オトメさん。(一行空白…意味深)そうですね、これは本当に憂慮すべき事態です。」

私オトメは世界で何がどうなろうとも、この元特殊部隊さんに対して感じる絶対的な敬意が揺らぐことはないでしょう。

 

因みに2020年前半に知り合い徐々に一年以上かけて仲良くなり今ではお互いに精神的そして経済的に支え合う仲間となった、そしてこういった日本語でのブログを書くようになったきっかけにもなった、

「女性の自立を応援するラインコミュニティ」を通じて徐々にですが、自分自身を客観的に見つめなおすようになり、自分の唯一無二の人生だからこそ生み出された世界で一つの決定的な価値というものに気づいてやれるようになりました。

※因みにラインコミュニティの方たちは日本の方たちなので、もしご興味があればこのページの一番下にある、そのコミュニティのリーダーでもある男性の波乱万丈な人生音声レター「びび太の部屋」へぜひライン登録してみてくださいね。(音声ダウンロードには800316uを打ち込んでくださいね)

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