【アメリカ関係の時事ネタ:2021.9.5】東京オリンピックへのテロ懸念とアメリカによる介入

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こんにちは。

オトメと申します。☺

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールおよび連載ストーリーを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

最近ようやくプロフィールおよびオトメのここ数年の激動のアメリカ人生を綴った連載ストーリーが完成し、

気づけば日本、アメリカ、オーストラリア、フランスなど方々からアクセスしていただけるようになりました。

オトメと一緒にこれからもアメリカのオトメ日常の疑似体験を楽しんでいただけることを願います😊。

さて今回のコラムは「東京オリンピックへのテロ懸念とアメリカによる介入」について少しあなたと一緒に考えてみたいとおもいます。

 

アメリカや世界が今や激動の時代へ

何だか2017年よりトランプ氏が大統領に就任して以来、世界では常にせわしなくありとあらゆる事件が起き続けていますね。

アメリカが2001年よりアフガニスタンに向かい、イスラム教狂信者たちのテロ軍団と戦い始めて約20年たちましたが、その間に軍事に回された資金は大変なものだったのではないでしょうか。

私オトメも実は2000年より20年間ちょっとアメリカで生き延びてきてしまったサバイバーです。

そして一応これでもバツイチ子持ちの40代半ばの女性です😊。

勉強ができず、勉強が大嫌いで、何か面白い生き方はないか、と就職大氷河期であった日本を2000年に脱出したあと、

勉強ができる → アメリカでの研究者キャリアを築く

のではなく、

生き延びるために仕方なく勉強して → 気が付いたらアメリカ政府に認められる研究者

になってしまっていたような人間です(詳しくは連載ストーリー参照)。

 

従ってアメリカという国における偏った医療システムや保険システムの在り方など毎日のように向き合っている話ではありますが、私オトメの面倒を見てくださったメンターの方たちによれば実際にアメリカの予算のほとんどを牛耳っているのは医療負担だそうです。

まあそれにしても、アメリカの経済を盛り立てるためだったのかなんだか知りませんが、相当な投資がこういった軍事にも費やされてきたことは確かでしょう。

 

そして、ちょうどトランプ氏が二回目の大統領選を控えた2020年の初めに世界中が巻き込まれたコロナ禍が始まりました。

もうかれこれ一年半ほど経ちますけども、まだまだ変異株などの影響で2019年までとは全く違う生き方、生活を求められるようになったのは変わりません。

これまでのように国際旅行をするのは簡単で楽しいだけのものではなくなりましたし、あまり人がたくさん集まるような場所にいくのも今までよりもさらに憚られるようになりました。

その代わりにと言っては何ですが、インターネットの世界が爆発的に発達し、ズームをはじめとして会議やテレビ電話、時には社交の場としてバーチャルの世界の可能性が無限に広がってきています。

あまり人と直接顔を合わせなくても、よほどのことがない限り何とかなってしまう、そんな世界になってしまいました。

土のグラウンドで出来た校庭が当たり前だったひと昔前からすれば、アスファルトとかもっと手入れの簡単な人工的な校庭になることで子供たちの精神的な成長が大きく心配されたことがかつてあったように、

コロナ禍により、子供たちがチームや集団で集まって何かをするという体験が激減し、多くの学校は一年半たってもインターネットを使った教育手段を取り入れたり、

課外活動などもってのほか、就学中もマスクをするかお互いの距離感を保たなければならない、という子供の精神的成長にはおそらく決定的な悪影響を及ぼすであろう異様な緊張感の中で学習する環境が強いられるようになりました。

 

よく世界の終わりをテーマにしたテレビドラマや映画などありますけれども、だんだん我々の住む現実も全く明日の予測のつかない状態へと突入してしまいましたね。

いつ世界の終わりがやってくるのか、ある日突然やってきてもおかしくないような、そんな時代になりました。

それに加えて、2021年と言えば無人客状態で開催された東京オリンピック、そしてその直後に強行されたアフガン紛争の突然の終結

バイデン政権が2020年にトランプ大統領がタリバン派とした約束に従って、2021年の東京オリンピックが終わった直後にアフガン紛争からのアメリカ軍の完全撤退を八月いっぱいをもって終了しました。

バイデン政権も今年から始まってまったく休みなしですね。

コロナワクチンの普及から始まり、東京オリンピック、アフガン紛争終結、そして今は夏の終わりの大型台風により史上かつてないほどの被害を受けているルイジアナ州の緊急援助にあたっておられています。

 

バイデン大統領は実は2008年よりオバマ大統領について副大統領を八年間務められた方でもあるので、ある意味彼ほどこの混乱の時代を乗り切るのにふさわしい技量を兼ね備えている人は他にはいないかもしれません。

コロナ禍においては、ビジネスの方面では長けていたトランプ大統領も医療問題に関してははっきりいってチンプンカンプンだったようで、それでアメリカ市民も彼に愛想をつかしてしまったわけです。

もう一つの分野に長けているとかいうタイプではアメリカのような国を引っ張っていくのは難しいのかもしれません。

リーダー的な地位で長年国の内外の情勢を観察し、あらゆる政策の成功例、失敗例を体験したようなバイデン氏のような人でないと、これだけ短時間で起きるこれだけ幅広い問題に対応しろなんて言われたって困りますよね。

 

他のコラム記事にも書きましたが、アメリカで今話題になっている連続テレビドラマ、The Handmaid’s Taleというかなりおどろおどろしい話によれば、今まさにアフガン紛争終了後に起きているアフガニスタンの状態、宗教の狂信者たちによる過激な国の立て直しが五つのシーズンにわたって細かく残酷に描かれています。

小説が基となったドラマらしいですが、見ているこっちもいつぞやアメリカすらも現在のアフガニスタンのような状態に陥りかねないか、私オトメも他人事でない気分でぞっとしながら見ているのです。

 

アメリカと日本の不思議な関係

この激動の二年間の間に、世界でそして日本とアメリカでありとあらゆる出来事がありましたね。

コロナ禍は世界全体を巻き込んだ出来事でしたが、東京オリンピックやアフガン紛争終結など、一見してアメリカと日本それぞれの出来事と問題が勃発したように見えますが、なぜでしょうか、心のどこかで

「これらはすべて繋がっているのではなかろうか」

なんていうオトメのでっち上げた都市伝説的な見方を思わずせざるを得ないんです。

それというのも、今の時点において、日本とアメリカそれぞれの国においてほぼ人生の半分ずつを過ごしたわけですが、それだけにそれぞれの国に対する愛着や理解が同じくらい育ったといってよいでしょう。

そうしてみると、どちらの国や文化に偏った見方をするわけでもなく、ほぼ真ん中の地点に立って両方の国を眺めるようになるわけです。

 

歴史的にみてアメリカと日本という二か国は随分と長い間国交を続け、そして第二次大戦によりアメリカによって徹底的にダメージを受け、まるで厳しくお仕置きをした子供をあやすように、マッカーサー司令官の指揮の元に国の再建を果たし、

妙にアメリカという国と文化に憧れながら同時に恐れを抱く二重人格的な関係が今日に至るまで日本とアメリカの間に出来上がってきたように思います。

私オトメが日本ですくすくと育っていた時も、日本人の英語文化に対する憧れと劣等感はとんでもないものでしたし、これだけインターネットやらYouTubeやらが普及した今においてもなかなかそういった態度は消え去らないようですね。

そして今度はアメリカにわたってから20年以上たった今においては、立場は逆となり日本人がアメリカ人を見るような目つきで私オトメを迎える日本の方が多くいらっしゃるようです。

アメリカで20年やってきました、なんていう私オトメを見世物小屋の見世物でも見るような好奇心と畏怖の念の混ざったようなまなざしで迎えられることが日本に帰国すると多くあります。

ただ、私オトメは実際は日本人なので、アメリカにおける生活を人生を根掘り葉掘り聞きたくて仕方ない、というようにありとあらゆる質問を投げかけられ、興奮したように会話が弾みだす、というのがその後に続く大抵の日本の方の反応ですね。

そして、それがある程度おさまり、いくらアメリカに20年以上いたからと言っても、やはり日本人は日本人であるのだ、という外来物としての私オトメは今度はある程度時間がたつと内輪の人間という立ち位置に収まるようです。

しかしながら同時に、それでもやはりアメリカでどうにかこうにか自力で20年以上生き延びた日本人という未知の存在であることもまた事実であるだけに、

しばらく時間がたって関係が深まってくると、年齢、性別問わず、ほぼ確実に私オトメの奇妙奇天烈なアメリカにおける20年間と彼らの過去20年間の比較が始まるのです。

環境も文化も全く違う中での20年間同士ですから、リンゴとオレンジを比べるようなものですが(ええ、これ英語の表現の直訳になります、もとは Do not compare apples to oranges. となります💦)、

 

それでもだんだん彼らの中では、初期のころの素直な憧れや興奮ではなく、今度は一種のひがみや競争心、また自分との違いに対する嫌悪感のようなどちらかといえばネガティブな気持ちが湧いてくるようです。

私オトメとしては、生まれたばかりの赤ちゃんだって20年も経てば成人式を迎えるわけですから、20年って過ぎればあっという間だけどその間に出来ることって本当にたくさんあるんだ、というだけで

その時間を体が毎瞬成長し続けるように自分の社会的成長に費やしていけば、それはそれなりの20年前からは想像もできなかったような自分になるだろう、って結構当たり前の話だと思っているのです。

そして社会的には例えばずっと専業主婦をしていたとか、一つの会社で没頭し仕事を続けたとか、またはずっと納得のいかない一時的なタイプの仕事をいくつか転々としてきたとか、必ずしもある程度目に見える達成を果たしていない20年だったとしても、

やはり20年の月日は経っているわけですから、ありとあらゆる変化が自分の中で起こっていて当たり前なのです。

それを自分が後から振り返って少しずつ思い出してやっているかどうか、それだけの違いだと思います。

 

日本の方は、いつも思いますが、本当に男女とも小ぎれいでお美しい方たちばかりです。

着るもの、持つものにもとても気を使ってらっしゃり、日本製の製品はどれをとってもトップレベルといえる質のモノばかりですね、たとえ百均であったとしても。

ただ、その傾向があってか、外面とは無関係な内面との向かい合いみたいな部分がすこし不得意なのかな、なんて思ったりもしています。

だからどうしても、私オトメのような一見派手な波乱万丈のアメリカ人生20年間の話を聞くとその派手さに引きずられてしまい、ネガティブな否定的な反応が出てきてしまうのかもしれません。

しかしどんなに派手な人生を歩んでいたって、自分の経験をちゃんと体験として落とせていなければ、何もせずに部屋でボーっとしている20年間とそれほど質は変わらないのだと思います。

日本の引きこもり、海外とは異質? 成人しても親と同居する文化も一因か | NewSphere

 

田坂広志さんという経営思想家の方がいらっしゃいますが、まさに彼がこの

 

経験を体験に落とし込める

 

という言葉を発していらっしゃいました。

何かの出来事に触れた時、それは自分の経験となるわけなんですが、その出来事自体には実は良いも悪いも上も下もない中立的なものなわけです。

例えばですが、大きな交通事故に会ったとする。そこで自分の体は打撲程度で済んだが、車はメチャクチャになってしまい、相手に対する賠償金まで多額に請求されてしまったとしましょう。

この出来事自体はショッキングであり、非日常的なわけですが、この出来事が自分にとってどんな意味を持つかは自分次第で決まってくるわけです。

もし自分の体が特に大けがもなく済んだ、という部分に注目すれば、

「ああ~よかった、不幸中の幸いとはこのことだ!」

と思うでしょうし、逆に多額の賠償金を払わなくてはいけないことに注目すれば、

「ああ、なんて自分は不運なんだ。ひどい相手につかまってしまったものだ。」

なんて落ち込むことになるでしょう。

在る出来事が起きた時に自分がそれに対してどのように心理的に対処するか、これが経験を体験として落とし込む過程だ、と田坂先生はおっしゃっていますし、私オトメも数々の派手な出来事を経験するたびに、その時その時ありとあらゆる形で体験として落とし込んでいきました。

経験ではなく、どれだけ豊かな体験をしたか、これが自分の20年間をどれだけ豊かにするか、の指標になるんですね、きっと。

そしてもし、あなたがこれを読んで「え?そんな意味なんていちいち考えないで20年間生きてきちゃったよ」なんて思っていらっしゃる場合、心配ご無用ですよ。

経験というのは細かく思い出せばきりがないほどいくらでも後から回想できる素晴らしさがあります。

経験したばかりのころは、「ああ~チキショー!!」なんていう体験化をしたかもしれませんが、10年くらいたってから振り返ると「いやぁ、あの時あの経験していなかったら今日はなかった」なんて感謝の気持ちをもって振り返ることだってあるのです。

これは実際に私オトメにも何度も起きた体験自体の変化です。

 

例えば最近の例で言うと、私オトメには二人の小学生の男の子がいるわけですが、長男はアメリカで彼が生まれた直後に日本国籍の申請をしなかったがために、実は彼にはアメリカ国籍しかないのです。

何年も何年もそのことを悔やみましたし、周りからも「馬鹿だねえ」なんて呆れられていました。国際的な両親として失格であると。

どう考えても良い方向に考えられなかったのですね。

しかしです。

コロナ禍に突入し、先ほども申し上げたようにアメリカの小学校の教育システムが一気に崩れ、一年間ほど缶詰め状態で家でバーチャル教育を強制された長男は毎日ヒステリーを起こすほどストレスが溜まってしまいました。

日本でしばらく学校に行かせた方がいいかもしれない、私オトメはそう考えたのです。

もちろん、学校教育を一時的に日本にお願いするということのほかにもいくつか理由がありました。

  • それというのも、これからの世の中、日本人の血を引いていても日本国籍がなければ日本の国に入ることができないなんていう時代がまたいつくるかわからない
  • アメリカ社会の激しい変動ぶりを見ていると、そのうち若者としてアメリカにいることが危険な時代がやってくるかもしれない、

そうだ、長男にも日本国籍を取らせよう、と決意したのです。

国籍再取得という形になり、その場合には日本に最低でも一年は滞在していなければなりません。

長男はもともと神経質な性格なので、一年も日本の学校についていけるのか本当に心配でしたが、

一年は最低日本にいなければならない、という規則の「おかげで」、長男とお世話になる私の母の意志はかたまり、なんとか一年日本でやっていけるよう生活と学習環境を辛抱強く整えていくことができたのです。

さらにいえば、もしすでに日本国籍があれば、日本にいるのが大変だとなればさっさと諦めてアメリカに戻ってきてしまったかもしれません。

日本の学校教育というのは、アメリカの公立教育とくらべるとかなり細やかですから、アメリカからいきなりやってきて普通学校に通うとなると子供にかかるストレスは相当なもののはずです。

だから一年日本にいなくてはいけない、という決まりはそのストレスと戦うには十分な動機を与えることができたのです。

さらに、もし日本国籍を持っていたとしても、日本社会でどう過ごしていいのかわからなければ、国籍なぞもっていてもあまり意味はないのです。

使ってなんぼの世界ですよね。そういった意味でも、なんとか日本社会でやっていく、という経験を積むことになったのは、全て「私オトメが長男が生まれた直後に日本国籍を取得してやらなかったという失態」のおかげなんですね(⌒∇⌒)。

 

日本とアメリカの出来事は全部繋がってる

日本とアメリカの不思議な関係についてなんですが、戦後マッカーサー司令官が日本の再建に大きく寄与して以来、一言で言うと日本はずっとアメリカにとっての

 

精神的な植民地

 

状態になっていると思います。

従って、日本人のアメリカに英語にどこまでも憧れそれと同時に劣等感を抱く、という複雑な精神状態が築かれたのだと理解しています。

またそれを強化するかのように、アメリカもまた日本の安倍首相が靖国神社を訪れたり、自衛隊強化について関心を寄せたり策を取ったりすれば、隣国の中国、韓国、朝鮮とともに激しくそういった行為を批判することで、

日本がまた軍力とともに自立精神と誇りに満ち溢れることを防ぎたしなめようとするのです。

アメリカ市民の間における日本人や日本文化に対する反応はというと、日本人による第二次大戦中の真珠湾攻撃などの歴史的事件に対する批判的な視点はあるものの、

日本人の教養の高さ、文化レベルの高さ、そして綺麗で清潔で安全である日本の国に対する好意は相当なものです。

あまり声を大にしては言いにくいのですが、日本人、というだけで他の東アジアや東南アジアとは全く違う目で見られ、明らかに一目置いているようなのです。

Douglas MacArthur smoking his corncob pipe.jpg

 

これはオトメ自身が経験したことなんですが、

私の研究分野や研究活動に日本で育った日本人に出会うことは滅多にありません。たまにラボ研究または基礎研究系に日本人の名前が挙がることはあっても、こういった臨床医学または公衆衛生系の活動においてまだ一人も日本人と出くわしたことはないのです。

そんな中で、やはりあまり日本人慣れてしていないアメリカ人の方たちと顔を突き合わせて共に仕事をするわけなんですが、

ある時、以前籍を置いていた研究所のレズビアンでもある中年の白人女性と会話をしていた時のことです。

確か彼女と私も含めて合計四人くらいでレストランにいた時だったと思います。

レズビアンであること、そしてもしそれに加えて有色人種、この場合には彼らは黒人といっていましたが、そうなるとこのアメリカ社会では本当に生きにくいものだ、なんてことを冗談半分で話していらっしゃいました。

私が「そうか、有色人種ならばじゃあアジア人女性のレズビアンもきっと大変な思いをするのかな。」

と質問を投げかけたところ、なんとこの白人女性、

「あのさ、日本人なんて悪いけど白人みたいなもんじゃん。関係ないでしょ。」

と言い切ったのです( ゚Д゚)。

ここまで人種差別が問題となるアメリカ社会においてこのように堂々と言い切った白人女性に対して、私オトメの開いた口が塞がらなかったものです。

「な、な、な、なにいってんだ、こいつは。」

という呆れた気持ちで彼女のことをボーっと言葉もなく見返していたのを覚えています。

 

そして、白人社会ではそうだと思いきや、今度は地域社会で貧困層の女性とその子供たちの国家福祉制度で有名な黒人女性が私の同僚にいまして、

彼女は今現在70代に突入しお孫さんもいるような世代の方ですが、以前に彼女との共同研究においてある有名大学の白人の先輩同僚の方たちと一緒に、地域社会の貧困層の女性の声を聴くためのグループセッションを行ったことがあります。

私オトメの住む地域社会の貧困層の女性たちというのは、やく70%が黒人、30%が白人で、その中の30%くらいがスペイン系だったりします。

要するに、有色人種が多勢を占めるわけですね。そういった彼女たちを相手にしたセッションを計画している時に、この年配の黒人女性が私に一言耳打ちしてきたんです。

「オトメ、あなた必ずこのセッションに来てよね。白人がセッションするとなったらだれも女性たち寄り付かないから。あなたがいないとダメよ。」

「えええ!そうなの?日本人って白人と一緒扱いされてんのかと思ってたけど(心の声)」

本当にびっくりしましたね。日本人、まあ私の場合は日本女性になりますが、日本女性って白人から見ても黒人から見ても

 

自分達の一部

 

として見えるらしいんです。

それでいて、日本文化というのそれ独特のアジアの文化基準を持っていますから、まあそれはアメリカ人の多くに大事にされる国民と言っていいと思います。

 

そうなると、日本とアメリカの関係の不思議さというのはこういう部分にも現れるんですよね、きっと。

つまりどういうことかというと、日本にはそれとしての自立精神と誇りをもってほしくはないが、この高度な文化と教養レベルをもつ国をどこまでも守り抜き大事にしたいという

 

日本に対する一種の強烈な父性

 

をアメリカという国に感じるんです。

だから一言で表現すれば、アメリカと日本の関係って

 

父親と娘

 

みたいなものだと思うんですよね。

 

それでは今回の一連の世界情勢で起きた出来事に戻りますが、この構図を当てはめてもう一度2020年のコロナ禍以来の出来事を見直してみると、何だか

 

アメリカの静かなる父性に満ちた日本に対する想い

 

というのを感じざるをえなかったりします。

もちろんコロナ禍が人為的に起きたものだとは考えたくもない発想ですが、コロナ禍のおかげで一気に水際対策が強化され、東京オリンピックの最中でさえ無人客で行われるほど外国人の出入りを徹底的に規制するにいたったわけですね。

従って、テロ事件を起こしたくとも、オリンピックの選手であるかその関係者でない限り実質的にテロを起こせない状態になったわけです。

実はトランプ氏がタリバン派とアメリカ軍撤退の約束を交わした時、時効は2021年の五月だったんですよね。

でも実際に実行されたのは東京オリンピックが終了した直後であった(正確に言えばパラリンピックと同時進行でしたね)。

私オトメはふと、こういうアメリカの日本に対する一種ひねくれた思いやり、徹底して植民地である日本を守る姿勢、のようなものを感じた時、

こういった世界情勢もそのアメリカの日本に対する想いの元に調整されて起きているのではないか、なんて妄想したりするのでした。

 

 

 

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