こんにちは。
オトメと申します。☺
今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。
プロフィールおよび連載ストーリーを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。
最近ようやくプロフィールおよびオトメのここ数年の激動のアメリカ人生を綴った連載ストーリーが完成し、
気づけば日本、アメリカ、オーストラリア、フランスなど方々からアクセスしていただけるようになりました。
さて今回のコラムは「競争の反対は創造である」についてお話しできればと思います。
研究職という超エリートな環境
私オトメは日本でバッチリ大学卒業まで育っておきながら、その直後よりなんと20年以上にもわたりアメリカという世界のフロンティアを行く国で自力で生き延びてしまった、バツイチ子持ちの日本女性です。
勉強ができず、勉強が大嫌いで、何か面白い生き方はないか、と就職大氷河期であった日本を2000年に脱出したあと、
勉強ができる → アメリカでの研究者キャリアを築く
のではなく、
生き延びるために仕方なく勉強して → 気が付いたらアメリカ政府に認められる研究者
になってしまっていたような人間です(詳しくはプロフィールおよび連載ストーリー参照)。
つまり、今私のキャリアが成り立っている環境というのはいわゆる
超エリート
しのぎを削り合うような環境なんです。
そもそも学士の中での最高学士である博士号を取った人間達が集まるキャリア環境というだけで基本的にはいわゆる学識の高いエリートの集まり、ということになりますが、
その中でも選りすぐりの人間達が私オトメが食いぶちを稼いでいる研究職となります。
博士号を取得した後に何が起きるかというと、大抵の場合三つくらいの方向性が可能性として考えられます。
- 大学で教員として職を得る
- 専門を生かした職に就く
- 博士研究員になる
といった感じですね。
大学で教員として職を得る場合には、教鞭をとって大学生および大学院のクラスを教えることを専門とする教員もいれば、学生の指導と研究活動を半々に行う教員も要れば、研究活動を主とする教員もいます。
基本的に任期なしの教授職を獲得するには最初からその道がある程度約束されている形で大学の方に雇われなくてはならず、その場合には大抵学生の指導、研究活動、そして大学組織運営に携わることを要求されます。
要はこの場合には大学という大企業のサラリーマンとしてのキャリアをスタートさせているわけですね。
そして、教鞭をとり学生の指導のみに当たる教員の場合には給料は安定しているといえども、小規模な大学でない限り教授職というよりは、塾の講師的なイメージで特に大学内の政治や昇進競争に関わることもなくマイペースを保つ立場となるようです。
小規模な大学または私立の学生指導に最も重きを置いている大学などでは、いかに有能な生徒を生み出すか、生徒に喜ばれる刺激的な指導ができるか、などで大学内における昇進が決まってくるようですね。
そして研究活動に重きを置く教員の場合は、これは実は大学内では最も給料が良い場合が多いと同時に、それほど大学から直接的なサポートなしに国家研究費やそれに相当する研究費を大学に自分で稼いでこないと大学でのポジションを失う、というかなり過酷な立場に置かれるのです。
つまり、大学に籍を置きながら自分の給料は自分で稼ぐという、英語でいうところのいわゆる Soft money ということになるんですね。この立場は本当にきついです。
よほど上下関係に恵まれているか、たまたま研究内容が時代にぴったりであるか、または既にある程度の知名度を持ち、社会的信用の元ありとあらゆる方法で研究費をひっきりなしに稼ぐことができるか、等々ある程度の条件がそろっていないと厳しい立場となります。
大抵の場合、こういった研究中心の立場につく人というのは博士号を取った後に数年の間、博士研究員という安月給をもらいながら専門のトレーニングを積むという期間がを経た人であることが多いです。
専門を生かした職というのは、薬理会社や、学校機関、大企業内の専門部門、治療センターなどなど、ありとあらゆる機関において見つかるのですが、博士号まで取った人間となると、やはり専門性の高い仕事内容だったり、企業内でも最初から管理職的な地位についたりするようです。
そして、最後の博士研究員はたった今述べたように、研究費を所持する大学院や研究所のある先生について、そこで行われている研究活動に直接携わることで自分の研究者としての専門性を磨いていくわけです。
この期間は一時的ですので、一年で終わることも在れば、三年くらいかかる時もあるし、場合によってはなんと10年も博士研究員をしていたなんて言う人もいます。
こういった極端な例というのはたいてい生物学など、古くから存在する学問分野で大学の籍が高齢化社会のおかげで中々開かず、それでいて安月給で雇う程度の博士研究員としてのポストならば開いている、という中途半端な状況のために起きてしまうようです。
あまり健康的な状況だとはいいがたいと思います。
なにしろ、ものすごい頑張って勉強し、必死の思いで博士号を取り博士研究員まで上り詰めたものの、その先が真っ暗闇となってしまうわけですから。
一時日本の受験戦争においても医学部に入学できずに何年も浪人をを続けているような学生たちがいましたが、それの博士研究員バージョンということになりますね。
私の大学院時代からの同僚にも一人生物学の方へ転部をはたし、無事ある有名大学の博士研究員にまでなったアジア系の男性がいましたが、非常に優秀な人間であったにも関わらず、狭い人間社会の中で何年も先の見えない状態で生活費を切り詰めながら博士研究員を続けていました。
社交性のあった彼は結局その後ある大手の薬理会社のメディカルリエゾンという、取り合えずの名目上中立の立場から科学的情報を医療従事者などを相手に説明し製品を宣伝していく、という高給取りの職業へと転職していきました。
もう二度と学問の世界には戻らない、と固く決意していましたから相当経済的にも精神的にも余裕のない生活をしていたのでしょう。
博士研究員を終えると、その後は先ほど述べましたように大学に任期なしの教授職または研究員として籍を置く、非営利団体としての研究所に籍を置く、または企業に研究職か専門知識を生かした職を得る、などの方向にそれぞれ散らばっていくようです。
私オトメの場合は国家研究費で自分の給料を自分で稼ぐという非営利団体としての研究所に籍を置く研究者となりました。
2018年に億単位の国家研究費を授与されたのですが(詳しくは連載ストーリー参照)、その時は今の研究所に転職することが決まる前、随分といろんな大学から任期なしの教授職および研究職に関して声をかけていただきましたが、
やはり外から見ていると優雅に見えても一旦大学の中に入ると周りの人間とのしがらみからのプレッシャーも含め、とんでもなく過酷な世界が待ち受けていることをよく知っていたので、現在籍を置いている研究所にたどり着いたわけです。
今でもどうして大学からの誘いを断ってまで今の研究所に転職したのか、と聞かれますが、国家研究費を間も途切らせずに稼いでくるだけでも大変なのに、それ以上に大学内の政治抗争や上下関係によるしがらみ、学生指導や大学運営に関する仕事等々、私から見るととてもじゃないですがまともな精神では乗り切れるような環境ではないと今でも感じています。
また、大学内で地位が上がっていけばいくほど皮肉なことに自分の研究分野や研究課題を大成していくどころか、その反対に大学の学部長や学長の方針に従って研究をするように命令され、
まさに大企業でいうところの役員のように、自分の魂を大学に捧げていくことを求められるのです。まさに大学奴隷です。
最初からどんな研究でどんな貢献をしていきたいかという明確な想いがはっきりしている私オトメにはとてもじゃないけれども相性がいいとは言えない環境ですよね。
つまり、大学や企業に身を置いていると、マイペースに仕事をしたり個性を活かしたりすることが本当に難しいようです。
簡単に言ってしまえば、名声を上げたり昇進を狙ったり大学組織を改革ようとしたりと、いろいろな野心が飛び交う環境でもあり、基本的な在り方としては
競争社会
そのものなんですね。
もともと学業に長けているエリートな人たちが博士号まで取り、その先の道を進んでいくわけですから、最後にたどり着く組織内というのはそういった輩の巣窟となるわけで、競争に勝つことしか頭にない人間達で溢れかえっていて当然なわけです。
そして、博士研究員まで終えたような人間達が溢れかえる研究職というのはもう必然的に超エリート集団ということになるようです。
私オトメの場合は、自分が満足できるような自分に合っていると思えるような道筋が他に見つからなかったせいもあり、気が付けばこの超エリート集団の仲間入りを果たしていたのでした。
しかも皮肉なことに、もともと出来るタイプの人間でもありませんでしたから、そういった環境においての浮きぶりは半端じゃなかったのです(詳しくは連載ストーリー参照)。
研究職で求められることは
さてそれだけの競争社会を勝ち抜いてきた超エリート集団でもある研究職ですが、国家研究費などを授与してもらって従事する研究っていったい何が求められているのでしょうか。
国家研究費を申請する際に作成する申請書というのがありますが、この申請書を作成するのは一夜にしてできるものではありません。
どんな共同研究者をどの割合でどんな役割で引き入れ、どんな設定で研究をするか、国の税金を使ってまでしなくてはいけない重要な研究とは何なのか、どんな風に研究課題を達成していくのか、
そして何よりもこのコラム記事において重要となってくる部分が
提案する研究はどれだけ革新的(Innovative)か
となります。
もちろん他の誰も今まで研究したことのない世の中に大きな影響を与えて医学を進歩させる課題だからこそわざわざ何か月もかけて申請書を作成していくわけなんですが、
こういった研究費に頼って食い扶持を稼いでいる人間達は、世の中を改善するためでなく、自分の稼ぎを得るために申請書作成をするという負のスパイラルに陥ることが往々にしてあるのです。
それというのも、申請書を作成して提出してそれがすんなりと受け入れられ、研究費が降りれば申し分ないのですが、実は研究費が降りる確率というのはなんとたったの
10%(10回申請したら1回だけ通る確率)
なんです!
これじゃ投資で生活費を稼いだ方がよっぽど稼げる確率が高いということになりますね。
従ってもう一字一句に至るまで神経を張り詰めて目を血眼にしてプランや論理に穴がないか、書き間違えなどの基本的なミスはないか、もうそれはそれは大変な騒ぎとなるわけです。
提出数週間前ともなると、人によっては徹夜を何日もしたり、当然のように週末も夜もその申請書完成に向けて全神経集中し続けるのです。
従って、完璧なチームを組まなくてはいけないですし、絶対に研究がうまくいく設定を考えなくてはいけないですし、どれだけ研究課題が重要かを訴えなくてはいけないですし、そして絶対に遂行できる穴のないプランを建てなくてはいけないのです。
そしてそれに加えて革新的であることがさらに求められる、というまあ経験、洞察力、人脈および想像力の限りを尽くして、それでも研究費が降りない可能性のほうが強いわけです。
まあそれなりに専門分野に頭を突っ込んで時間を過ごしていれば、その分野において何がなされる必要があるのかは大体わかってくるものです。
しかし、何がなされなければならないか、と革新的であるかどうか、というのは時に一致する話ではなかったりするわけで、そこで多くの研究者は躓いてしまうのです。
多くの研究者は超頭の切れる人たちですから、世の中に対する問題意識を掲げそれを論じることは割と得意だと思います。
綿密な高等教育を受けている人たちでもありますから、細かなプランを立てること、流れるような論理的な卒のない文章を書くことなども随分得意とします。
彼らの綿密さ、目利きの細やかさにはどちらかと言えばがさつなオトメから見れば、それはそれはため息の出るような几帳面さだったりするのです。
しかし多くの場合に彼らが最も躓くのがこの革新的であるかどうか、という部分です。
これまでなされてきた研究を土台に、卒のない革新性を訴えることは頭のいい彼らのことですから朝飯前なんですが、
医学の現状を揺るがし大きな進歩の可能性
を垣間見せてくれるような、そういった革新的な研究課題や課題の革新性は優秀な彼らからは中々導き出せなかったりもするのです。
私が博士研究員だった時のメンターであったドクター・メンターもかつておっしゃっていたことですが(詳しくは連載ストーリー参照)、
「どんなに優秀な大学に籍を置いているからと言って、そういう人間が必ずしもアッと驚くような面白い研究や仕事をしているとは限らないんだよな。」
ということです。
むしろ、ドクター・メンターや私オトメのように、行き当たりばったり的な、一見連続性に欠けるような人生だったりキャリアだったりを積み上げている人間のほうが、突拍子もない視点を掲げたり、常識に反するような研究を提案したりする傾向にあるようですね。
実際に私オトメがドクター・メンターの元から旅立ち、次の本格的な研究者としての就職先を探している時に、Y大学という有名校で研究教員としてのポストの面接を受けたことがあります。
結局当時の医学部長が交通事故によって突然死してしまったために、外部から人を雇っているどころの騒ぎではなくなってしまったわけですが、その事故死の直前の面接で私オトメが自分のそれまでの研究活動の概要を説明していたとき、
面接官の教授「うーむ。君の研究活動というのに一貫性がないんだよなあ。行き当たりばったりというか。君はつまり行き当たりばったりでキャリアを積み上げているのかね。」
私「え。ああ、まあ、そう見えるかもしれませんよね💦。」
面接官の教授「ちょっともっとちゃんと一貫性が見えるように、私に一貫性がわかるように説明してくれないかな。」
私「え、は、はい!!ええと、あのですね。云々。」
面接官の教授「…うーん。なんかダメだな。はい、もう一度トライしてみて。」
私「は…はい。」
なんていう場面に遭遇したんですよね。
結局二回目の説明で何とか納得してもらい、二週間後に実際にその大学のキャンパスで面接をするはずだったのですが、例の突然の事故死によって全てがおジャンとなりました。
しかし、今から考えるとその有名校に行かなくてよかったと思います。
一貫性を常に大事に掲げるような超エリートな集団の中では私オトメはいつまでたっても二次的な存在でしかなく、心から自分に自信をもって研究者の道を歩むことが出来なかったと思うからです。
結局そのおジャンになった面接の後に、今現在住んでいる地域に移動し、二人目のメンターとなった、オバマ政権で大臣をお勤めなさった研究者でもあるドクター・大臣と巡り合ったわけですから、人生何がどう転ぶか分かったものではありませんね(詳しくは連載ストーリー参照)。
おそらく世界で自分にしかできないこと
そんなこんなで、私オトメの研究キャリアというのはかなり行き当たりばったりで他には見られないユニークなものとなっていきました。
博士研究員となるつもりも最初はなかったんですが、2008年当時はブッシュ大統領のタリバンとの戦争に国家の予算の多くが割かれ、共和党が優勢な内閣において国家研究費なんていうのは最も優先順位の低い議題であり、国中において多くの研究者たちが研究費の捻出に四苦八苦していた時代です。
博士号を取った後の人間が職を探すのに使う専門のサイトにあるリストを何度も見直し、ありとあらゆる分野のありとあらゆる職種に連絡を取っていましたが、隣の州の専門教育を施す学校におけるディレクター的な臨床教育的な仕事くらいしか見つからず、
もう最後の最後と決めて、もう一度だけリストを見直していた時、国の反対側に位置する州において博士研究員の募集があるのを見つけたのです。
もちろん博士研究員の募集というのはありとあらゆる大学で行われているのですが、この募集の目を引いたのは、自分の専門分野が活かせるということと女性健康学とまたがっているという何とも奇妙な研究内容であったことです。
選択肢が他にあるわけでもなかったので早速メイルを送って連絡を取ってみたところ、後に博士研究員としての私を指導してくださったドクター・メンターと電話面接をするに至ったのです(詳しくは連載ストーリー参照)。
そして、先ほども申しましたように、博士研究員をみっちりと三年務めあげてからそののちの就職先を探している時に、有名校であるY大学またもう一つ有名校であるD大学において研究教員としての面接を取り付けるに至ったわけですが、
Y大学においては何ともひどい不幸に見舞われたおかげで私オトメの面接も含め全てがおジャンとなってしまいました。
D大学においては最終面接までたどり着いたと思いきや、やはり国家研究費が降りなかったとか何とかで、外部から人を雇うことができなくなってしまったのです。
全く天の導きなのだかなんだか、気が付けば後に私のもう一人のメンターとなったドクター・大臣との出会いを果たした、ある有名大学の付属でもある小規模の研究所へと就職し、今現在私オトメが住居を構えるこの地域へと引っ越してきたわけです(ドクター・大臣については詳しくは連載ストーリー参照)。
あまり論理的とはいえないむしろ行き当たりばったりなキャリアの道を歩むため、最初は他に前例のない研究者としての歴史をどのように一つの形としてまとめ上げていけばよいのか、かなり頭を悩ませていました。
実際に、Y大学の面接官の教授の方が私オトメに詰問してきたのと同様、その後私の二人目のメンターとして私のキャリア発展に大きく貢献してくださったドクター・大臣も
「君はさ、いろんなところに頭突っ込んで、いろんな人たちと話して会議しているのはいいんだけどさ、ちゃんと理由とか意味を考えてそういうことしているわけ?」
なんていう厳しい突っ込みを入れられたことも在ります。
またさらに、ドクター・大臣によれば、
「自分のキャリアを築くに際し、三つの柱を建てなさい。それを統合するよう心掛けなさい。」
という貴重なアドバイスもいただきました。
※よくよく世の中のいろんなものを観察してみると、カメラの三脚だとか、イーゼルのスタンドとか、三脚または三つの柱で成り立っているものって結構たくさん見つかりますよね。
一つの何かを大成するにあたって、三本柱って最低必要条件なのかもしれません。
三つの柱と一言でいっても、それはいろいろな解釈をしていいのです。この範囲で、とかこの分野内じゃないとだめ、とかそういった決まり事や制限は自分の中で作る必要はありません。
そうしてしまうと、それぞれの個性が生かされて行かないからです。
実際にまだ研究者としての自立への道を歩み始めたばかりのオトメもこの教えをきちんと自分のキャリアの中で落とし込めたのはごくごく最近と言っていいでしょう。
ドクター・大臣がご自分にこのアドバイスを当てはめた時、かなり具体的な研究課題を三つほど組み合わせていたように記憶していますが、
私オトメの場合はありとあらゆる分野を大学院時代、博士研究員時代に学んできてしまっていたので、どちらかというと研究課題というよりは研究分野の交差となりました。
具体的に言えば、
- 大学院時代に所属していた専門分野
- 博士研究員時代に初めて学んだ医学専門分野ー第一
- 博士研究員時代に初めて学んだ医学専門分野ー第二
といった具合に、この10年間でなんと三つも全く新しい専門分野を学習してしまっていたのですね。
そしてさらに、また違った切り口で私オトメのキャリアを見直してみると、
- 大学院時代および博士研究員時代の実験的・治験的な研究活動
- 研究者時代初期で現場医療や公衆衛生対策に還元するような研究活動
- 現在所属している研究所に転職してから始めたビジネスモデルとしての研究活動
という、研究内容自体ではなくて、むしろ研究活動のスタイルに関しても三つの柱がいつの間にか自分の中で出来上がっていたと思います。
世の中ですでに行われているある一定の研究活動の流れにさらりと乗り、わかりやすく小ぎれいなキャリアのレール上を進み続ける、そして
そのレールに乗っかるために他の優秀な人間達と競争し勝ち組として生き残っていく。これがきっとY大学の面接官の教授が見たかったエリート路線なんですよね。
しかしドクター・大臣やドクター・メンターのようにご自分の想いに従ってキャリアを築いてきた方たちを見ると、ちょっと周りから見ると一瞬理解に苦しむような、そんな研究課題や研究活動をされています。
でもドクター・大臣がおっしゃったように、ご自分たちの中ではしっかりと筋を通されているのです。したがって、質問されれば自分のユニークな視点から自分のキャリアで起きていることを説明できるのです。
そう、ここで大事なのは
他の誰にも見えていない自分だけの視点
を持つことなんですよね。
じゃあ、どうやったらそんな視点が持てるようになるの?とあなたは疑問に思ったかもしれません。
私オトメも随分この部分で悩みました、が、結構答えは簡単だったりして、
自分が歩んできた人生を振り返って要素を見つける
だけでよいのです。
10代の時は、20代の時は、そして30代の時は自分はどんな環境で何をしていたのか。
もしまだこれを読まれているあなたが20代の方であるとすれば、まだ柱は三つに達しておらず発展途上なのかもしれません。
そして自分の中に建てる三つの柱は何も一種類だけじゃなくてもよいのです。
研究者としての自分を離れ、もっと人生全体を見渡した時、私オトメの中では自分らしい人生を創り上げていくには以下の三つの要素が必須である、と2020年あたりで思い当たりました。
- 自分が何をしたいかービジョン
- 自分が誰とつながりたいかーネットワーク
- 自分がどうやって経済的に独立するかー経済的自立
この三つのバランスが取れていれば、どんな内容の人生であれ、自分らしい人生を創り出していくことができるでしょう。
※これはかの有名なスターウォーズの重要キャラクターであるヨダですが、実はこの三本柱って監督でもあるジョージ・ルーカスが唱えたものでもあるのです。
と、私がそれを誰かに唱えた時に相手の方に教えていただきました。ちょっとびっくり💦
自分らしい人生を創造する、というと自分がワクワクすること好きなことを追究して、他の誰もが創ったことのない何かを作り上げる、というイメージが一般的にまかり通っていると思います。
もちろん広義の意味ではこれが正しい解釈だと思うのですが、
こと国家の税金を消費するとか、ある分野の専門家となることで、一定の社会的責任を背負った立場の人間が創造するという活動について向き合う時、これは単純に自分個人がワクワクする好きなことという広義では解釈できないという状態になってしまいます。
また、私オトメの場合において言えば、二人の偉大なメンターがみっちりと訓練した外国人のマイノリティの女性、が私のアイデンティティであり、これはこれで一つの大きな社会的責任を背負っている自分でもあるのです。
もちろん、最後には自分を自分で守るしかないわけですから、そんな社会的責任が逆に私オトメの心身に異常をきたすようであれば、さっさと日本にでも帰って養生すればいいと思うのですが、
でも本当に機能不全に至るまでは、やはりこの社会的責任を個人的な感情如何で放りなげてしまうのは、これまでの自分を否定することにもつながりますし、
自分が動くことで世の中で長く置き去りにされてきた自分の専門分野が改善する可能性が大いにあることを、みすみす自分勝手な行動で置き去りにして知らんぷりすることは憚(はばか)られます。
そして、どんな方でもこの社会に一人の人間として生きてきた以上、何らかの社会的自分というのは自然と気づかないうちに創られて行っているはずです。
三位一体とはよく言ったものですが、
- 個人としての自分
- 社会や集団の集合意識の一部としての自分
- 自分の人生全体の創造物としての自分
自分、と一言に行ってもこのようにあらゆる段階から見る自分という定義がどの方にも存在するわけです。
こうしてみると、一研究者としてのオトメ、専門分野を生かし社会を改善していくオトメ、そして人生全体の総合物であるオトメ、という三つの視点からそれぞれの三本柱が成り立っていたことになりますね。
競争とはむしろ真逆の道が創造の道
こんなことを考えながら今回のコラム記事を書き上げてみました。
皆さんも私オトメと一緒に三段階のご自分から、それぞれの三本柱を見つけ出し、自分らしい人生を謳歌してみたいと思われたならば、ぜひ以下の公式ラインに登録してみてください。
私オトメが見つけた日本の方たちのネットワークです。アメリカをそして世界を舞台に個々の繋がりを大事にするネットワークを通じて、精神的にそして経済的にお互いを支え合い、社会をともに変えていこう、そういった共通するミッションを基に一年以上一緒に活動させていただいている方たちです。
このブログもこのように日本の方たちと心からインターネットを通じて繋がりを持てるようにと彼らのサポートを一身に受けて実現するに至りました。
この公式ラインを通じて、皆様お一人お一人と直接お話しできることを楽しみにしております。
※波乱万丈で神秘的な人生をおくり、のち精神的豊かさを経済・人生の豊かさへと具現化させ、オトメを絶望の淵から心身ともにそして経済的に見事に救ったカウンセラーおよびリーダーの人生音声レター「びび太の部屋」公式ライン(音声ダウンロードには800316uを打ち込んでくださいね)
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