【アメリカで自分らしく生きる⑤】日米間での理想的なバイリンガル教育って?

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こんにちは。

オトメと申します。☺

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールおよび連載ストーリーを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

最近ようやくプロフィールおよびオトメのここ数年の激動のアメリカ人生を綴った連載ストーリーが完成し、

気づけば日本、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、アジア、カナダなど方々からアクセスしていただけるようになりました。

オトメと一緒にこれからもアメリカのオトメ日常の疑似体験を楽しんでいただけることを願います😊。

さて今回のコラムは「日米間における理想的なバイリンガル教育って?」についてお話ししてみたいとおもいます。

 

 

アメリカ社会にいる日本人の実情

私オトメはかれこれ2000年より20年間ちょっとアメリカで生き延びてきてしまったサバイバーです。

そして一応これでもバツイチ子持ちの40代半ばの女性です😊。

勉強ができず、勉強が大嫌いで、何か面白い生き方はないか、と就職大氷河期であった日本を2000年に脱出したあと、

勉強ができる → アメリカでの研究者キャリアを築く

のではなく、

生き延びるために仕方なく勉強して → 気が付いたらアメリカ政府に認められる研究者

になってしまっていたような人間です(詳しくは連載ストーリー参照)。

そして何をどう間違えたのか、今では女性に重きを置いた臨床系、公衆衛生系の医科学研究のプロとなってしまいました。
まあ、こんな感じで生きて来てしまったので、当然いわゆるエリートちゃんではないわけです。

とすると、英語が全く得意でないまたはその反対の人間を見て「かわいそうに。きっと言語に関するセンスがないのね。」なんて言葉で片づけることはないわけです。

また、英語における理解力やコミュニケーション能力を鍛えていくかたわら、気が付いたことを申し上げますと、日本語以外つまり英語でコミュニケーションを取るうえで一番問題となるのは

 

言語より文化的理解

 

であるということなんです。

日本人の英語に対するコンプレックスは世界でも群を抜いて強いですが( ´∀` )、

実は日本人以外の人たちがアメリカにおいて一番頭を悩ませている問題がこの文化間の理解なんだそうです。

実は私オトメがまだ博士研究員だったころに、自分の専門分野における多様性があまりないということで、同年代の外国人を相手に質問紙をEメールで配布してデータ解析したことがありました。

その時に彼らの中で一番フラストレーションがたまっている問題は実は

  • 文化理解に関する問題
  • 言語に関する問題
  • ビザ等移民に関する問題

といった具合で、日本人ほど英語英語と大騒ぎしている外国人の大学院又は学生はいませんでした。💦

 

これは実は日本で育った者からすると面白い結果でもあります。

それというのも、私オトメがアメリカに来てからこの土地で出会った日本の方たちというのはアメリカにいる年数が少なければ少ないほど、自分がいかに

 

アメリカナイズ

 

されているかを自慢する場合がむしろ多いからです。

つまり日本の文化様式がアメリカにおいて通用しないとか理解されないとか現地のアメリカ人に馬鹿にされたとか、そういった悩みどころか自分がいかにアメリカ人ぽく振舞えているかを誇りに思うようです。

ところでアメリカ国内における日本文化に対する評価というのはかなりトップクラスであり、実はとても敬意を払われている文化なのです。

そして年数を重ねてくると今度はアメリカ国内で日本人としての自分がいかに評価されているかを実感し始めるためか、多くの在米日本人の方は生け花や太鼓、または日本文化に関係する活動を始めたりするようです。

 

因みに私オトメ自体はどうであったかと言えば、最初の数年間は言語・文化への慣れと大学院の勉強でアメリカナイズな自分を楽しむどころか、いかにアメリカ人と肩を並べて対等に渡り合うかという目標に向けて必死に頑張っている状態でしたね。

そしてある程度軌道に乗ってきたところにおいて、ついに心身の健康を害し、10か月ほど当時の彼氏と一緒に同棲しながら養生しておりました。

そしてその後は自分のキャリアを学んだ学問をベースにどう築いていくのかにおいて先の見えない未来に対し常に不安を抱えていましたし、

余暇の時間ではいったいある程度年齢を重ねた女性としてどこの誰とどんな男女関係を築いていくのか、そして

身体芸術活動(例:タンゴとか)にしごく傾倒していましたから、その方面から自分をどう磨き続けて行けばいいのか、さらに心の奥底では常に

自分の心身の健康状態はいかがなものか、を常に模索していた状態でしたから、実は今から振り返ってみればあまりアメリカ人との言語的そして文化的な確執にこだわっていたり頭を悩ませている余裕はなかったかもしれません。

ただこんなオトメも身体芸術の方面から実は自分は日本発の身体芸術を何も知らないということに気が付かされ、日本発の身体芸術というのは当然胴長で小柄な体型を最大限に生かした類のモノなのであろうと

 

日本舞踊、書道と柔術

 

をひょんなきっかけで学び始めました。

Martial Arts, Aikido, Japan, Black Belt, Sports, Sport

 

実際に日本舞踊などから学ぶことは多く、西洋の身体芸術にはない、曖昧で曲線的なそして体全体で情景を想像させるような描写的な動きが多いのでそういった身体表現は西洋の身体芸術の動きに混ぜ合わせると一種の憂いとか優雅さを醸し出すことができました。

また柔術などは日本人のような小柄な体型を持つ人間にだからこそ有利な型や動きが多く、これも小柄で声色の高いアジア人である自分が西洋の人間に対して潜在的に持つコンプレックスを自然に解消してくれる、一種のセラピー的な役割を果たしてくれたと思います。

よく気合いを入れる、といいますが、これってつまりどういうことかといえば、

自分の気持ちの持ちようでどんなに言語的に劣っていても、身体的に迫力がなくとも、それらとは無関係に自分の想いを大切にそこだけに焦点を当て

 

ブレない自分で自分らしい人生を生きる

 

ってことになるんだと思います。

因みに…書道は漢字馬鹿にならないように、という理由で未だに遠隔で続けております( ´∀` )。

そしてその流れで一時期は博士研究員時代にさらに三味線なども少しの間ですがたしなんでおりました。

まあそしてこういった活動の後に妊娠・出産・研究職などに追われここ10年くらいは離婚・離婚同居も含めた家庭経営およびキャリア構築で大わらわだったわけですね。

 

そして子供が産まれれば当然半分は日本人の血が混ざっているわけですから、今度は自分がというよりも遺伝的にミックスの子供達にどうやって日米のバランスを保ちながらいわゆる

 

バイリンガル教育

 

を施していけばよいのか、が大きな課題となったわけです。

 

日本人とハーフの子供達の実情

さあ、子供をアメリカで持つと国籍取得から始まって、ある程度の年齢に達するとだれがどの言語を子供にどのように教えていくのか、これは日本人とハーフの子供を持つ両親の大きな関心事・心配事になります。

私オトメにとって言語教育はアメリカ人とのハーフである息子達を育てる母親として最大の関心事・心配事であります。

それというのも、連載ストーリーにも少しだけお話ししましたが、実は日米の狭間で育った子供たちに適切な言語・文化教育を施さなかったため、精神病を発病するに至った私オトメの可哀そうな従妹のお兄さんのことが常に頭にあったからです。

私オトメの従妹兄弟は数歳年上ですが、実はあまり離れていない地域に在住しているのです。

今は従妹家族とはほとんどと言ってもいいほど交流がなくなってしまい、最近は脳腫瘍にて叔父がコロナ禍中に他界してしまったわけなんですが、

この従妹兄弟の人生というのは深く考察するに値するわけです。

二人はとても完全な日系アメリカ人ですが、とても優秀でかつては地元の日本語学校にも通っていたようです。

ただ両親は二人とも家庭内では英語で彼らに接していたようですから、彼らは日本語はあまりうまくありません。

それでもお兄さんの側の方は日本語や日本文化に深い憧れを持っており、大学院に通うために日本に留学までしています。

ところが悲しいことに、彼があまりにハンサムで背が高く、レディー・ファーストの和らかな女性への対応、英語はもちろんペラペラ、なんてきていますから女性にモテまくってしまい、同性の男性達から陰湿ないじめにあってしまったようなのです。

日本のいわゆるシカト・陰口攻撃に会い、あっさりとした分かりやすいアメリカ文化に慣れていた彼は妄想や幻聴に悩まされる、いわゆる精神病を発症してしまったのです。

もう何十年も前に起きた話なんですが、その後強い信仰心をキリスト教に持つようになったものの、妄想・幻聴は今に至っても治らず、優秀な大学を卒業したにもかかわらず未だ定職も定まらず、一児の女児を設けた元奥さんのヘアサロンの経営を一時期手伝ったりしていたようです。

妄想が何しろひどいので、元奥さんに対しても常に妄想的な疑惑心で一杯であり、台湾出身だかの彼女も相当気が強い女性らしいので家庭内での喧嘩も相当ひどいものだったようです。

相当プライドの高い良家出身の叔母もさすがに疲れ果てて、離婚してくれても構わないというようになりました。

勿論この一例だけを前にはっきりとした結論など出せませんが、この過程を人生かけて傍で観察してきた私オトメにとって日米間の狭間でハーフの子供たちを育てることの責任の重大さを実感せざるをえない事例であったことは確かです。

silhouette of person standing inside the building facing the glass mirror watching the city

 

従って、まだ長男が赤ん坊のころから地元の日本語学校をいろいろ見て回り、「まだ早いわよ~」なんてからかわれていたものです。

当時は日本語学校入学の希望が殺到していましたから、入学の確率をあげるためにも、代教だのなんだの自分の専門等を活かした日本語学校への貢献の意思表明も欠かしませんでした。

無事長男の幼稚園入学が決まったのですが、丁度その前後に次男の出産、それと同時に住み込みの日本人のシッターさんを雇うなどなど、本当にてんやわんやだったことを覚えています。

まだ授乳中の次男を抱っこ紐で抱えながら、泣き叫ぶ神経質な長男のサポートをし、同時にそんな状態でありながらもいきなりハーフの小学校高学年の子供たちが集まるクラスの担任を任されたりしたのです。

今の自分から考えたら、

 

  • 自分の研究キャリアさえ安定しているとは程遠い状態だったというのに、
  • さらに当時の元夫の職業状態もかなり不安定で、
  • 次男が産まれたばかりにつけて、住み込みの日本人のシッターさんのサポートしなければいけない状態、
  • 何よりも二人目の子供を持ち、住み込みのシッターさんとの共同生活という新しい生活形態に慣れなければいけない状態において、

 

なんでそんな仕事を引き受けることにしたのだろうと、未だ持って当時の自分の精神状態を理解することはできません。

さらにそんな状態で私に仕事を任せたにもかかわらず、任せた側の教授陣も理解を示すどころかはっきり言って半分いじめ的な扱いばかり受け、それに対して私オトメも不甲斐なさを感じるどころか、なぜだか

 

人の好いことに罪悪感

 

を感じてしまっていた、という今の私が傍で見ていたら自分も含めてその場の全ての人間に喝を入れたくなるほど

 

ハチャメチャな状況

 

だったのです。

そして残念なことに、その後今度は中学生のクラスに移動となり、少しは生徒たちとのコミュニケーションが取りやすくなりやりやすくなったりしたのでが、

それでもいつも周りの専業主婦兼教師陣の女性たちはどことなく私に不満があるようで、2020年における教職からの退職そして今年の2021年に最終的に息子たちの退学にいたるまで心から元気に楽しい時間を過ごしたという記憶は残念ながらありませんでした。

実際に、2020年のコロナ禍直前に退職してからまず気が付いたのは、自分の本職でもある研究のクオリティがいきなり改善したということです。

自分としては時間のマネジメントをしっかり行っていたつもりなのですが、それでも本職である研究職というのはそれだけの知的・精神的なエネルギーを必要とするわけで、週末などは研究で本領発揮できるよう自分の心身の状態を調整すべきなのです。

 

そして、欲求不満状態であったのは教師である私オトメ一人ではありませんでした。

私のクラスにいた日本人とハーフの子供達全員がそういったフラストレーションを感じていたように思います。

これは日本人の母親を持つ人間の多くが感じることだと思うのですが、

 

こうあらねばならない

 

という母親の中の強いこだわりというのが母親の言動のみならずその母親の所有物とされる子供達にも人生を通して強要され続けるのです。

そして多くの日本語教師が教師の経験があると同時にほぼほぼ専業主婦でもあるわけなので、自分の子供に拘りを強要するように、生徒や周りの人間にもある一定の在り方を強要していくようになるのです。

従って、こだわりの強い教師にとって彼女たちの思う通りに生徒たちが行動しないと常に不満を抱える状態になるわけです。

アメリカ社会の良さというのは多様性を受け入れ、差別が横行するなかでも出来る限り柔軟に公平に対応していくところにあります。

従って、こだわりを周りに強要するというのはそのアメリカ社会の様相とは真逆の方向を向いていることになるのです。

そういった環境に本当だったらゆっくり羽を休めるべき週末に毎週のように通わされるというのは苦痛以外の何物でもありません。

実際に私オトメのクラス内は時として

 

動物園化

 

しておりました。雄たけびが鳴り響き、ゴリラが走り回り、モノや食べ物が空中を飛び交う…まさにサーカスのテントの中をのぞいているような光景でしたね。

とてもじゃないですが、日本的な教室の光景ではなく、私一人ではとても無理だということでもう一人のとても日本的な教師とチームを組んで教えるように言われました。

Ape, Monkey, Primate, Animal, Mammal, Animal World

 

しかしながら、私オトメも彼らの気持ちがよく理解できてしまうため、まずはあまり抑圧しようとせずにどちらかといえば彼らの立場に寄り添って理解することを心がけました。

そうなんです。日本語学校で嫌な思いをしたときというのは、私の方で息子達への世話と教師業が上手く務まらなかった結果の失態を私が「なまけているからだ」と決めつけてかかってきたような場合でした。

彼らは理解をしようとしません。決めてかかるのです。

これはアメリカ社会の常識とはかけ離れています。どんな場合にも、どうして遅れたのか、何があったのか、をまず弁明することが当たり前の社会だからです。

従って理解しようとする前に、「お前のやっていることは間違っている。悪い。」と決めてつけてかかるような対応をされれば、多感な時期のハーフの子供たちは本当に嫌な思いを何度もしたと思います。

また、心のどこかで「自分はこの文化に適切ではない」という罪悪感さえも感じるようになったでしょう。

まずはありのままの彼らを前に、抑圧ではなく会話をこころがけ、理解しようと努めました。

間違いではなく、個性であると受け止めるようにもしました。

それでも多くのハーフの子供たちは多感な時期に入るとほとんどの場合日本語・日本文化に対して嫌悪感・疎外感を感じるようになっていきました。

 

こういった経験をもとに、私オトメは2021年の春に二人の息子達を東京の小学校に疎開させることにしたのです。

東京在住の母のおかげで彼らは今とんでもなく充実した生活を送るに至りましたが、私が退職した後も、コロナ禍中は、オンライン授業など性に合わない授業体型で特に長男などは発狂寸前でした。

幸いなことに、コロナ禍直前に滑り込みセーフで住み込みシッターとしてやってきた知的で英語も堪能なブラジル人の若い女性が文句ひとつ言わずに懇切丁寧に息子達と家庭経営のサポートをしてくれたので、

発狂寸前であった長男は別として、世界がコロナでひっくり返っている最中においても全体的には私オトメの人生はかなり上向きになったと思います。

Visualization of the coronavirus causing COVID-19

 

理想的なバイリンガル教育とは

今現在母の下でお世話になっている私オトメの息子二人は東京の公立の小学校に通っていますが、二人とも本当によくやっていると思います。

まだ小学校に転入してから半年もたっていませんが、長男の日本国籍再取得の為に最低一年は日本にいなければならないということで、二人とも覚悟をきめて母と共にがんばっているようです。

私オトメが育った時とは打って変わり、最近の公立の小学校は非常に質が高くなったと思っています。

私達の時代で言ういわゆる体罰教師のような存在は今の公立小学校ではありえませんし、少子化がすすんだおかげか一人ひとりの生徒を大切に扱う傾向がみられます。

学校に電話しても対応は非常に丁寧ですし、担任の先生も何かあればきちっと保護者に連絡をとってきます。

ハーフの子供達の数が東京の公立の学校内でも増えてきたせいか、昔のように見かけが日本人ぽくないからという理由で激しいいじめにあうとかそういうこともあまり聞きません。

そして次男の小学校入学式に参加した時にびっくりしたのですが、母親オンリーの同伴者なんて私オトメくらい。

ほとんどの家族は父親同伴で入学式に参加しておりました。私たちの時代には考えられなかったことです。

担任の先生も日本語がほとんど分かっていない息子たちの面倒を丁寧に見てくださっています。

長男などは学校の勉強のレベルが随分上がってきてしまっており、学校にとりあえず通ってくれさえすればいいやくらいに最初は思っていたのですが、

「長男君以外にも算数や漢字が苦手な生徒はいますから~」なんて優し気な若くて元気な女性の担任の先生が長男をしっかり前列のど真ん中に据え、彼が緊張で泣き出してしまっても優しく明るく指導してくださったお陰で

なんと今では長男はクラスで一番できない組を抜け出し、算数でも漢字でもブイブイ言わせているのです。

帰国子女にとって日本の社会の時間程、辛い授業はないと思われます。

国語や漢字は言語的な問題に収まりますが、社会となると日本のことを知らない彼らにとってはダブルパンチをくらわされたようなものなのです。

にもかかわらず、先日長男はなんと

 

社会のテストで満点

 

を取って意気揚々と帰って来たそうです!

テストの問題を先生が音読してくれたおかげで、内容に集中できたとのことです。

次男などは最近は日本にどっぷりはまりすぎて、今度は英語のほうが心配になってきてしまったほどです。

Teacher, Property, Plant, And Teaching, Teaching

 

元々子供の適応能力というのは大人から見ると目を見張るものがありますが、それにしても本当によく頑張っていると思います。

もちろん、まったくいじめらしきことがないわけではありません。

そして長男など頑張れば頑張るほど、その変化や喜びに満ちた表情を見て周りの男子たちがひどい言葉を投げかけることだってありました。

学校でもいきなりすれ違いざまに「馬鹿」とか怒鳴られたことがあるそうです。

ロボット教室に週一回通っているのですが、そのクラスで助けてくれていると思っていた同じ小学校の男子がやはり長男に向って「馬鹿」と言ってきたそうです。

最近になって学校のサッカーチームに参加し、週末サッカーの練習に行くようになりました。

ボールを追いかけてみんなで走り回るのがすごく楽しいらしく、とても気に入っていたのですがある日コーチが

「お前は下手だから試合に出さない」

なんて、まあ事実だからなんでしょうが、歯に衣を着せないような言い方を長男にしたそうです。

帰ってきた彼は急にサッカーに興味がなくなったような様子でした。

ところがです。

ここで面白いことがおきました。

長男は数日後、帰ってきて母に向って「学校の友達のサッカーがとてもうまいんだ。どこかのプロに習っているみたい。」と言ったそうです。

母は早速そのプロのコーチを探し出し、今はそこに週一で通っているそうです。

そのプロのコーチは相当なレベルまで行った人のようで、教え方もうまく生徒の好い所を見つけては褒めて伸ばすタイプです。

帰国子女の息子達にはそのやり方がとても合っているらしく、一か月もしないうちに毎日練習したおかげでなんと以前は出れなかった試合に出させてもらえるようになったそうです。

ところが、そういった急激な成長を見て周りの男子たちは「え~、あいつが?うそだろ。」と言い始めしまいには「お前アメリカ人だろ。死ね。」とか言い放ったりし始めたそうです。

ただ面白いのは、こういった言葉の攻撃を受けても長男はあまり気にしないようなのです。

少しは落ち込んだりしても、すぐに学校の成績の向上やサッカーの上達に向けて夢中になって忘れてしまうようです。

Child, Soccer, Playing, Kick, Footballer, Ball

 

恐らく本人たちの性格も大きく関係しているとは思うのですが、ここでオトメは二つの事を考えました。

一つ目。アメリカで幼少期を過ごしたことは正解だったのではないか、ということです。

勿論日米を何度か行ったり来たりしていましたから、日本の様子は肌で感じてきています。

それにしても、従妹のお兄さんに起きたような精神的な混乱は長男には一切起きません。

勿論従妹のお兄さんもずっとアメリカで生まれ育ってきています。

ただ彼らは英才教育なるものを受けてしまった恐れがあります。

アメリカにても幼少期からのエリート教育システムというのは存在します。

現代版のモンテソーリなど高学歴の両親を持つ子供達であふれかえっています。いわゆる英才教育を施す場所です。

私は息子達には絶対そういった場所に通わせることはしませんでした。

在る基準にむけて達成しようとする、非常に画一的で私見の狭い教育方針になりがちだからです。

また周りの生徒たちも似たような背景を持つ子供達であふれています。多様性に触れる機会を失うのです。

これは私オトメが20年前にアメリカに来た時に経験した事ですが、語学や大学院での勉強内容というのはある程度コツを掴めば、それ自体のレベルは大したことはないと思いました。

一番苦労したのは、冒頭でも申した通り、文化的理解です。

ある程度英語が話せるようになると、今度は自分の個性を失わずにどうやってアメリカ人と肩を並べて対等にしのぎを削り合っていくのか、そしてこの社会において突出していけばいいのか、学力など大した話ではなく処世術とか戦略、まさに

 

生きる知恵およびそれを活かす勇気

 

が求められるのです。周りの人間達の言動に右往左往しているようでは、アメリカ社会で自分の立場を確立していくことなど不可能です。

従って、ありとあらゆる経済的または国際的背景を持つ子供たちが集まる保育園に息子達を通わせました。

そこのディレクターの女性は天使のような方であり、決して子供達の能力を勝手に判断するような言葉を投げかけることなく、暖かく元気に遊ぶ彼らを見守っていました。

この期間に息子たちはいわゆる

 

自分の思った通りに行動する

 

そして

 

周りに惑わされない

 

という精神的強さを身に着けたのではないでしょうか。

 

そして二つ目。小学校の間は日本の公立義務教育が理想なのではないか、ということです。

まるで息子たちの教育環境が理想って言っているようで少しお恥ずかしい限りなのですが…

やはり、小学校期間は学力の基礎、そして生活態度の基礎を固める時期です。

懇切丁寧な学校教育、そして東京というどこでも自由に自立して移動できる安全で清潔な生活環境というのはこういった生活を営むそして学習の基礎を固めるには最適な環境なのではないかと思うのです。

もちろん、母親の宿題を毎日やらせる、という私たちを育ててきた頃からの信念も功を放っていると思います。

お陰で息子たちは日本語にも文化・教育にも慣れ、友達にも囲まれ、本人たちも生き生きと楽しく生活できるようになったのです。

勿論アメリカでも同じことは可能です。

が、やはりちょっと不便なのは、都会に住んでいるとそこまで安全で清潔ではない、そして田舎・郊外に住んでいる場合には常に大人が車で送り迎えをしなくてはいけない、ということです。

近所の子供たちと遊ぶにしても常に大人の目の届く範囲にとどまっていないと大変なことになります。

実際におかしな大人や、人さらいというのは頻繁におきるのです。

都会においてはわかりませんが、郊外においては課外活動のオプションも随分と限られていますし、親の介入も相当なレベルで求められます。

勿論息子たちの送り迎えについては母親に頼っているところが随分とありますが、時間の拘束具合などみるとアメリカのほうが効率が良くないと思われます。

そして最後には公立学校教育ですね。

コロナ禍中のズーム授業を何度か観察していましたが、クラスの人数が日本よりも随分と少ない割には、親との連絡、宿題等、また一人ひとりの生徒に対する注意の度合いなどかなり詰めが甘いようでした。

学校からの宿題らしい宿題もないので、読解や算数に関しては住み込みシッターさんに随分助けてもらうことになりました。

 

日本では小学校及び中学校までが義務教育とされています。

つまり公立の学校に通っている以上、こういった丁寧な学校教育が中学卒業までタダで受けられるということなのです。

ただ小学校高学年および中学校に上がると受験勉強のため、周りの同級生は塾に通い始め、もしかしたらクラスの雰囲気も徐々にピリピリしてくるのかもしれませんが。

まだ私オトメの息子たちは小学生という年齢のため、ハーフとして公立の学校でお世話になり続けることでどういった経験を積んでいくのかはわかりません。

しかし今のところ、行き当たりばったりで日米間を行き来している息子達ですが、何となく全体的に彼らの成長ぶりを見ていると最終的には上手くいってるようだな、と満足している今日この頃です。

 

 

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