第九話:やっぱり孤高の人では嫌だった

こんにちは。

オトメと申します。☺

今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。

プロフィールを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。

このページは、ここ最近の数年のオトメのフロンティア人生を連載ストーリー化した第九話が掲載されています。

第八話にて、オトメがどのようにして転職後にひたすら孤高の人への道を歩み続けたか、についてお話ししました。

在宅テレワーカーとして物理的に転職先の研究所で隔離された環境になり、そしてポピンズ女史のチームも含め、国内外関わらずにどのグループにも迷惑をかけるかうっとうしがらるか、そして(自分の手掛ける研究に携わる共同研究者も含めて)搾取されるか、

というネガティブな経験ばかり積み重なり、精神的にも孤高の人になってしまったのです。

あらすじ:こういった研究上における波乱万丈な数年を送っている間、同時進行で家庭のサポートをお願いしていたありとあらゆる住み込みのシッターさんたちとの交流がありました。
2020年に入るまで、基本的に子供たちに私の代わりに日本語や日本文化・習慣を教えてもらうために、住み込みのシッターさんたちはいつも日本の方でした。
しかしながら、2020年に入ってから雇った若い日本人以外のシッターさんとの共同生活があまりにもラクチンでして、それまでの日本人のシッターさんたちや彼らをめぐって関わった日本の方たちとの交流を振り返ってみました。それでは第九話をお楽しみください!

 

じゃあ私の育った日本の関係ではいかに?

自分が研究などで十分に時間が取れないために、なるべく子供たちに日本の文化、言語、生活様式に触れてもらおうと、二人目の男の子が産まれて以来住み込みのシッターさんを日本から雇ってきました。

今でこそ在宅テレワーカーとして子供たちと触れ合う機会が大分増えたものの、当時は朝早く家を出て夜帰るまで子供たちとの直接的な交流は皆無でしたから、これはとてもいい解決方法でした。

 

ただ、日本人とは言えども、全く知らない人間を家族の一員として迎え、共同生活を営む、というのはやはりストレスがかかるものです。

私とは生活様式や常識が一致しても、子供の父親とは英語でちゃんとコミュニケーションも取れないうえに、生活様式や常識も全く異なるわけです。

そうなると、日本からのシッターさんの場合、わざわざ英語圏にまでやってくる勇気がある割に、私オトメにすべて頼って物事の解決を期待するのでこちらとしても本当にストレスになるわけです。

 

今現在はコロナ禍の関係で、日本の実家にお世話になることにもなり、アメリカでの住み込みのシッターさんに関しては、逆に英語が堪能なことが必須条件となりました。

初めて日本人以外の方をシッターさんとして迎えましたが(ここでは仮にミス・シッターとしましょう)、驚いたことに

 

まあそれはそれは楽なことといったら!

 

どれだけ今まで日本人のシッターさんたちに対して気を使ってきたのか自覚症状がなかっただけに、新鮮な驚きでした。

 

この時点において、残念ながら認めざるを得なかったことは、私オトメはもう若い日本人の方達と生活をともにすることは無理かもしれない、ということでした。

まず英語が堪能なので、私オトメに精神的負担があまりかかりません。私がいちいち言語的コミュニケーションにおいて間に立たなくてすむからです。

そして、これは日本人かどうかとは無関係に、彼女のモラルの問題だと思いますが、生活をともにしている以上、助け合って支え合ってお互いに気持ちよく毎日を過ごすということが自然にできるのです。

 

私は年齢や人生背景を武器に、お付き合いする相手に威圧的な態度で臨(のぞ)むことはせず、基本的には気楽でフレンドリーに接します。

これは単純に性格上の性質だと思います。単純に明るく楽しいコミュニケーションが好きなだけなのです。

しかし自分が相手に対して隙だらけだからといって、相手に対して「どうぞ、漬け込んでいいですよ」と言っているわけでもありません

この辺の感覚はどちらかといえば、アメリカ人同士の感覚に近いものがあるかもしれません。

もちろん、会社や組織における上下関係においては、アメリカ国内でだって日本や他の国と同じようにしがらみだらけの世界ですが。

 

そしてこのミス・シッターは自分の人生において何に価値を見出すのかがはっきりしており、自分の考え、思い、直観などを重んじる人でもあります。

自分という意識がはっきりしていると、話している相手側の方も、まさに私は私、あなたはあなた、という自分と相手という立ち位置がはっきりするので、

相手から妙な威圧感を感じたり、拒絶感を感じたり、依存されて重荷になったり、ということがありません。そこには相互理解しかないからです。

 

お互いの間に違いが合って当たり前のアメリカ文化においては、このようにお互いの違いを認識しながら、お互いの立ち位置を把握しながら、それぞれの存在を称(たた)える、という相互理解に通じるコミュケーションが比較的取りやすいとは思います。

もちろんそんなことに興味のない相手との交流においては、これまでお話してきたような尊厳もへったくれもないような扱いを受けたりもしますが。

要するに、若い日本人の方達全員がそうだとはまさか思いませんが、少なくともシッターさんとして来た日本の人達のほとんどは基本的には私とは依存関係にあったと思います。

自分と相手という境界線がはっきりしていない状態においては、感情的にも精神的にも常にお互い振り回されるようになるので、それは疲れると思います。

 

ただ日本人と同居することで、日本の文化に触れることができたのは、とても嬉しかったと思います。

シッターさんの中には料理のうまい方や、他の日本人と積極的に交流する方、そして日本文化によく精通している方もいましたから、その辺においては良い刺激となり、日本人としての部分が随分癒やされたと思います。

まあそれも最初のうちで、だんだん精神的負担のほうが上回っていく、というのがパターンでしたが。

 

そして、英語圏のミス・シッターに移る前にシッターさんも含め数人の日本男性と交流を深める機会がありました。

一人は若い男性のシッターさん。もうひとりは近くに身内の不幸があり、独り身となってしまった昔からの知り合いの同世代の男性でした。

若い男性のシッターさんとは性格的にも気が合い、子どもたちもよくなついてくれたので、かなり深い付き合いとなりました(ここでは仮にシッター君としましょう)。

サービス精神の旺盛な方でしたから、家のことや家事のことに関しても随分とお世話になり、頼りになる存在でした。

 

私もできることがあればと、日本では大学を中退して根無し草状態だったようなので、どうせだったら契約期間が終了してもアメリカに滞在できるようにと、

シッター君の日本の食文化に対する知識と経験を生かした起業活動に投資したり、波に乗るまでいろいろと助けたりアドバイスしたりしました。

食を扱った中小企業の集まる場所や、ネットワークというのは実は地元にちゃんと存在していて、日本関係の起業者がいないということで、シッター君の存在は彼等にとても喜ばれました。

そのネットワークを仕切っている中年男性の娘さんが日本好きで、ちょうどシッター君と同い年である、ということからもしかしたら。。。なんてピンク色の可能性も私オトメは勝手に感じたりもしていました。

 

まあ、それでもミス・シッターが来てから実感したことなのですが、本人が心から目の前にある人生の可能性に価値を感じていないのに、いくら素晴らしいサポート環境が整っていてもモノにはならないのですよね。

周囲から見ているともったいないの一言に尽きるんですけれども。

それでも、かなり孤高の人状態であった私としては目の前にいる根無し草状態ではあるが明らかな可能性の包まれているシッター君を自分の数少ない大切な仲間としてなんとか引っ張っていこうとしてしまうわけです。

ただ、そうしていながらも、常にどこかで全く根拠もなく、自分は結局は相手に都合よく利用されているだけというか、都合がいいから関係が成り立っているだけで、

 

相手が私という存在に価値を見ているわけではない

 

となぜだか直感的に感ぜざるを得なかったのです。

 

母がよく「感謝の気持もないくせに」といった言葉を父や私、他の多くの人間に対して投げかけていましたが、

これはつまり母という人間、彼女の存在にたいして価値を感じていないだろう、という彼女なりの直感を表現していたのだと今では思われます。

 

こちらとしては自分がしたいからしているだけなので、結果として相手から感謝されていようがされまいが、自分のしたいようにして勝手に満足していればいい話なのですが、

自分は相手の存在に価値を見出しているにも関わらず、その逆がない関係においては、自分から

 

自分より相手の方が価値がある

 

と認めているようなものですよね。

そして、どうして自分は相手の価値を認めているのに、相手は自分の価値を認めていない、という事態がおきるのか…

え、それは単純に相手の方が自分より魅力的で可能性に満ち溢れてからじゃないの?なんてあなたも含め多くの方は考えるのかもしれません。

実際に私オトメもそんなふうに考えてしまっていたからこそ、どこかで相手に執着し、共依存的な関係に陥っていたのだと思います。

 

しかしながら、最近私オトメはとても面白いことに気が付いたんです。

ある自動書記によって書かれた本によれば、自分がそうして欲しいように相手を扱いなさい、そうするといつの間にか自分がそのように扱われているから、という件(くだり)があります。

英語で表現すると、Treat the other person the way you want to be treated. みたいな感じになりますかね。よく使う表現です。

自分と相手、というのはあくまで物質的に見れば二つの別々の存在であり、それぞれに歩んできた歴史も全く異なる二人なわけですが、

人間、という言葉は人の間と書くように、二人の交流というのは一緒に作り上げている一つの産物である、わけだから、相手を大切に思い大事に扱うという状態は自分が相手に与えているだけでなく、二人で一緒に創り上げている状態である、というわけですね。

そうすると、その状態にある自分もいつの間にか相手に大事に扱われていることに勝手になってしまうわけです。

 

実際に、私オトメもそれをはっきりと自覚する人間関係というものをついぞ最近になって経験しましたよ。

このブログの冒頭でも少しだけ触れたのですが(詳しくはプロフィール参照)、最近研究の関係でお知り合いになった元アメリカ特殊部隊の軍人さんだった白人男性の会議中の言動に、なぜだか私への敬意を感じさせる、といういう経験をしました。

あとから、アメリカ特殊部隊の軍隊というのは世界最強として恐れられていること、彼らの徹底した日々の訓練はどんな分野でも通用するプロフェッショナルを育て上げるという内容であること、さらには、その軍隊のモットーおよびミッションは「抑圧からの解放」であること、などをインターネットを通じて学びました。

ぼんやりと直感として「この男性は私にプロとしての敬意を払ってくれている」と感じてはいましたが、まさか彼がプロ中のプロであり、彼の骨身の髄にまでしみ込んでいる「抑圧からの解放」という姿勢はまさに私オトメが一生かけて体現してきた人生そのものである、なんて思ってもみませんでした。

そしてぼんやりと彼のことを考えているうちに、一つ自分でも気が付かなかったことに気が付いたのです。

それは、実は私オトメは一番最初にこの男性と交流した日からずっとなぜだか彼をとても大切に思い、大事に扱ってきていたのだ、ということでした。

でも、どうしていきなり会った初日からそうだったかって?

私オトメは基本的にとても自分に対してプライドが高いというか誇り高いところがあると思うのです。自分のハチャメチャな女らしいとは程遠い人生を正当化するための自己防衛であると思います。

なので、自分が自分に対してそうするようにおそらく会う人会う人みんなに対して同じように相手らしさを称え、個性を認め、相手の誇りを大事にしているんだと思います。

ただ、それは相手が相手自身に対してそうしているか、というのとはまた別の話で、私がそのように相手に接することで相手が私に感情的に依存してしまったり、逆に嫌味を言っていると思われたり、私に付け込んだり、という事態にもよく陥りました。

ただ、この白人男性に限っては、彼は実際に個性豊かに自分らしく勇気ある人生を歩まれてきているので、私オトメもとても簡単に最初から彼を大事に扱うことがうまく表現できたんだと思います。

従って、その想いも彼に通じて、彼も次第に私を大事に扱い敬意を表するようになったのではないでしょうか。

またかなりお互い個性的な人物であるがゆえに、研究という共有する場を通じて、自然とお互いに与え合い助け合える機会に満ち溢れるようになった、ということが起きていたのだと思います。

 

つまり、相手の方が自分よりも魅力と価値があるから、というのはむしろ幻想で、

実際の状況はその逆、つまり、私オトメが自分の価値を認めてやっているように相手に接すると相手は相手自身に対してそのように自分を認めてやっていないがため、相手が私に感情的に依存し始めるんですよね。

そしてまたタチの悪いことにそれを意識して行っているわけではないのです。

また私を通じて自分の価値を見出そうとする相手の姿というのは、残念ながら無理をしているようにしか見えないのです。

自分自身の価値を理解していないために、相手を通じての仮想の自分を演じるわけですから当たり前といえば当たり前ですよね。

そして、そのようにして相手を操りたい人間ならまだしも、私などは自分自身も惨めな気持ちになっていきましたし、無理をしている相手を見て

 

やはり自分が置かれているみたいな環境にいると他の人は辛いだけなんだ

 

とまるで蟻地獄に相手の足を引っ張って陥れているような気分になり、さらに暗い気持ちになりました。

つまり、当時の私は自分がどれだけ自分自身の価値を「すでに認めてやっているか」に気が付いていなかったんですよね。

むしろ、なんだか必要以上に大変な人生歩んじゃって、もっと女らしく優雅に美しく生きれればよかったのに、と後悔してもし切れないような自虐的な気持ちでしかなかったわけです。

要は、顕在意識、自分の意識できる範囲においては、自分自身に対して価値を感じるどころか、なんて女として、プロとして、母親として、元妻として中途半端な人生を歩んでしまったのだろうか、と自己嫌悪と後悔の塊でしかなかったのですが、

潜在意識、自分が随分あとになってから気づき始めた自分自身の姿、は全く逆で、実は自分はものすごく自分を誇りに思い自分の価値をちゃんと認めてやっていたわけです。

従って、今の私はこういった共依存のループにハマることはもうないでしょう。

なぜなら、自分が自分に対するように相手に敬意と誇りをもって接しているわけですから、当然同じように私に接する相手と関係を深めれば自分自身が喜ぶということがわかっているからです。

 

話を戻しますが、当時の私はシッター君に向かってやけっぱちになって、

「こんなところにいるよりも、日本で活動したほうがよっぽどあなたのためになるんじゃないの。」

みたいなことを、後ろ髪を引かれる思いで言い放ったりしてみたところ、まるで鏡のようにシッター君も同じように

「なんか使命感を感じて必死だったけども、実は楽しくもなんともないんだ。」

と言い始め、それでいてまだ日本に一度帰ってみるまでどうしたらいいかわからない、というどっちつかずの状態をずっと続けていました。

 

自分自身の本来の姿が見えていないと、このようにお互いに対する扱いの違いからくる顕在意識上の自己嫌悪感に振り回され、何とか関係を通じてそこから抜け出そうとする、

感情が常に乱れてばかりの全く体にも心にも良くない依存関係が出来上がってしまうのだと思います。

ここではっきりしておきたいのは、別に依存関係にあることが悪いことだ、とは言っていません。

そして、私の周りでも多くの人間関係、男女関係は依存関係の元に成り立っていると思います。

さらに、これは日本やアメリカに限らず、世界のどこでもよくある話だと思います。

 

ただこの時点で私オトメが切実に感じていたことは、お互いの自己嫌悪感が支配する、感情的な依存関係って疲れるという感覚でした。

そして、依存状態にある人間関係には得てしてお互いの感情が良くも悪くも激しく揺さぶられるという現象が起きると思います。

それも無理はないと思います。何しろ、自分の手に余る自己嫌悪感を相手との関係でどうにかしようとするわけですから。

しかしながら、私オトメはその時は漠然とした状態でしたが、相手の状態にただ感情で直反応し続けるような関係ではなく、お互いがそれぞれの立ち位置から主体的に関係づくりに取り組むような、

 

未来を見据えた、創造的な性質のある関係

 

がいいなと思っていたように思います。

 

そもそも、ほぼ同じような環境で育った双子でさえもありとあらゆる相違があるというのに、

二人の人間の間に交流が起きているならば、そこに相違がないわけないのです。

もし自分みたいな人、という言い方を使う場合があるとすれば、それはすでに作り上げられた状態や内容の類似ではなくて、

相違をもってしても、自分が歩み寄るように相手が自分に歩み寄り、そして二人で一緒に交流の場を、一つの創造物を作り上げていくことができる心の状態にある

という二人が出会ったあとのこれからの活動および存在のあり方についてむしろ言及しているのではないでしょうか。

もちろん、ある程度の共通項というのはそういう二人ならば自然と持ち合わせているものでしょうが。

 

 

まだまだ都合のいい存在である私

シッター君および私のどっちつかずな心理状態が続き、なかなか次のステップが見えてこずに、もどかしい思いを続けていたところ、

たまたま連絡を取った、長らく知り合いであったやはり日本から10数年前にアメリカに来て大学の職員を務めている同世代の男性が(ここでは仮に学者君としましょう)、実は大変な状況に陥っていることを突然知らされたのです。

どうやら身内に大変な不幸があったらしく、その事後処理に追われていてとてもではないが連絡を返している場合ではない、という話でした。

 

私もまさかの突然の出来事に唖然としてしまい、同時にアメリカに身寄りのいなくなってしまった学者君のことがとてつもなく心配になってきました。

なにしろただでさえ人と深い信頼関係を築くのが難しいこのアメリカの環境で、いきなりひとりぼっちになってしまったら、学者君はなにかとんでもない行動に出るのではないだろうかとか、

いままで築き上げたものすべてを投げうって突然日本に帰国するなど言い出すのではないだろうかなど、いろいろ考えてしまったわけです。

 

そこで、月一回程度会合して学者君の様子を見ようと思いました。わざわざうちのほうまで運転してきてくれるので、どうせならと家での飲み会をしたり、うちに泊まってゆっくりしていけばいい、ということになりました。

ちょうどまだシッター君もいたころだったのですが、学者君はシッター君のおもてなしにいたく感激し、彼とも酒や音楽に関する趣味が随分合うようで、アメリカにいながらこんな時間が過ごせるなんて、ととても喜んでいたようです。

とりあえず、物理的なそして心理的なよりどころができたようなので私オトメも一安心しましたが、三人で飲み会などしていると、なぜだか心のどこかで

 

私は二人と同じ土俵で話をしていない

 

という妙な気後れというか蚊帳の外みたいな感覚をかんじるようになりました。もちろん他の二人はそのつもりもないのだと思いますが。

何と言いますか、三人で会話をしているはずなんですけども、よくよく会話の流れを観察してみると、私が何かを言えば二人がまたはどちらかが反応するのですが、

後の時間は私が黙っていれば二人だけでずっと盛り上がっているような状態なんですよね。

もちろん男女の違いから会話の合う合わないの度合いがあるだろう、とあなたはおっしゃるかもしれないんですが、やはり数少ない日本人同士の集まりなんですから、もう少し三人で出来る会話を楽しめたらよかったのになあ、と私オトメは考えざるを得ないわけです。

 

回想するに、おそらく一番の問題は、彼ら二人にとって興味のあることに私が興味を持てないでいたこと、それに対してそれはそれで話を広げようとする気持ちも相手側になかったこと、などが挙げられると思います。

シッター君との間柄も徐々にこのあたりからおかしくなり、お互いにストレスを感じるような依存関係へと発展していきました。

私自身が何事にも真正面から徹底的に向き合い突き詰めていく質であるため、それに付き合わされる相手としてはたまったものではない、というのが本音でしょうが、そうであってもどこかで完全にそれぞれの分かれ道を行く、という決断もシッター君は出せないでいるため、

 

火花などがたまに飛び散る勢いで、オーバーヒートした状態で回転し続ける車輪

といった比喩がピッタリくるような関係性に至っていたと思います。

 

毎晩のように「うーん、やっぱりさあ、これから子供たちとのことも含めて、どうやってこういう関係って続くのかな、発展していけるのかな…」みたいな同じような内容の会話を切り出し、

その度にシッター君から「でも今この場で答えを出せと言われてもまずは日本に一旦帰国して自分を白紙の状態に戻してからじゃないと先のことについては何も言えないってば。」

とまあ、今から考えればはぐらかされていただけだとは思うのですが、それでも本人が目の前にいる間にその時点で少しでもこの先のことがわかることはないだろうか、と思わず何かを模索(もさく)し続けるような会話を繰り返してしまっていました。

今から考えれば、現在も過去も未来もなく、その時点においての相手と自分の状態に関係についてのすべての答えが明確に出されている、

つまり私たちの場合においては、関係性がはっきりしないままシッター君が逃げるように距離を開けつづけ、そのうち環境の変化に伴って風化していく類の関係、とそのまんまが二人の関係の本質なわけです。

 

もどかしさから、何度も学者君に相談したりもしたのですが、学者君は考え方や性格がとてもシッター君に似通っているためか、結局はシッター君の想いを代弁するだけの反応しか返ってこなかったと思います。

そしてその中核となる視点は常に、

 

どれだけ僕を愛してくれてるの?

 

という、相手への依存をベースにしたものであり、そこにお互いが貢献しともに作り上げていく関係という考え方は存在せず、むしろどちらかといえば他力本願で成り立つ関係を願う姿勢がありました。

同じ共依存関係でも、お互いがお互いに頼りながら、お互いに同時に与え合う、というのであれば、エネルギーの循環が起きていますから、疲れる関係にはなりにくいと思います。

それでも今のオトメからすると、相手に頼る時には必ず自分が相手に与えられるものを自分なりに考えて与える、という姿勢を徹底することが重要だと思うようになりましたが。

 

しかし他力本願な依存関係においては、そこに相手から投げかけられる想いやエネルギーというものは当然感じないわけで、自分がいつもなぜかおざなりな状態になっているように感じていたのも当然の話だったわけです。

なぜなら、関係を共に構築する、交流の場をともに作り上げていく、という相手から関係構築や交流に対する積極的な参加がなく、常にオトメが相手への愛を何らかの形で証明し続けるというプレッシャーに置かれているような、

言ってみれば私オトメの一人芝居だからです。

常に自分がおかしい、私が劣っているから普通じゃないからワガママだから、関係がうまくいかないのだ、場が乱れるのだ、とずうっっっっっっっっと幼い時から日本で言われ続けそのように思い込まされて育てられてきた私にとって、

この明らかで単純明快な関係におけるエネルギーの構造を心から理解し、腑に落としていくことで、

 

ああ、私のせいでもなんでもなかったんだ、関係自体がそもそも偏(かたよ)っていたんだ

 

なんて自分だけの力で悟っていくことははっきり言って至難の業でした。

 

そして、自分一人で納得しようと思ってもそもそもの視点が完全自己否定型に陥っているため、さらに自分を貶(おとし)めるような考えにハマっていきますし、

かといって学者君やはたまた学生のころからよく対話をしてきた父親を通して客観的に起きている事態を理解しようとしても、

「お前がーーーーからいけないんだ。」

「私オトメがーーーしていないからだめなんじゃないの?」

「そもそもどうして周りのことばかり気にするんだ。」

と事態を理解しようという意図に反して的外れな反応ばかり帰ってきて、しまいにはしつこい、同じことばかり話す、などといってうんざりされてしまうわけです。

そして、すっきりしない気持ちのまま、なんとか泥沼にはまっている心理状態から抜け出そうと、またもや同じ関係、交流パターンを繰り返し、それらと向き合うしか他にどうしようもない自分がいたのです。

 

しかも、これまでお話ししてきた通り、この二人の日本人をなくしては私は心の底から孤高の人という現実を前に、私もこの関係を何とかせねば、と必死になっていました。

孤高の状態になってしまうことを極度に恐れていたんだと思います。私オトメにとってはもうそれは精神的な死をも意味していました。

多くの人はそうだと思いますが、孤高の状態になることを恐れ、どんなに現状が辛くても無理があっても現状維持を続けてしまうことってあると思います。その時はまさに私オトメもそんな一人でした。

しかし、自然に発展していかない人間関係、自分が何とかしないといけない無理をせねば成り立たない人間関係にあって、果たして幸せな状態といえるのでしょうか。

どちらの道を選んでも結局はこれまでと同様、暗闇の中でもがき苦しみ続けるだけの未来が待っているようで、オトメの絶望的な精神状態に加えて、さらに心身ともに疲労困憊(ひろうこんぱい)の状態へと陥っていったのです。

 

結局学者君が何度も私に勧めていたように、私の相手への想いを相手が納得するまで証明し続ける、などという気力も体力も時間も自分には残っていない、ということが時間と共にはっきりと実感されてきました。

私オトメは何かと向き合う時は何かが見えるまで、実感として感じられるまで、誰にも手に負えないほど徹底して真剣に突き詰めてしまうようですが、

どうもそうしているうちに、精神的そして肉体的に自分にはできることをしつくした、出し切った、という地点に達すると、なぜか自然と散々向き合っていた対象からふと注意がそれる瞬間というものがあるようです。

これ以上自分のエネルギーをぶつけても仕方がない、という壁にぶち当たるという実感があるからでしょうか。やり切って、心の底からあきらめたっていうことですよね。

 

そうこうしているうちに、シッター君は日本へ帰り、私の実家にてさんざん迷惑をかけた挙句、社会のどこかへコロナ禍の始まりに紛れていつのまにか過去の人となっていったのです。

こうして私オトメは孤高の人となりつつある自分から逃げようという最後の試みさえにも失敗し、文化と社会のはざまを浮浪する孤高の人であり続けるのでした。

それでは第十話にて、オトメの愛を求めての旅について綴っていきます。

 

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コメント

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