【ブログ講座:第02回】プロフィール ~ここに注力することでライバルサイトとの差別化が図れます!!~



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《前回の概要》

完全ブログマスター講座の第1回目は、「はじめに」と題し、なぜこの講座を始めようと思ったのかといったことや、ブログの概念(単にWeb上にLogを書くようなものではなく、価値の提供によりビジネスチャンスとなること)などについてお伝えしました。
第2回目の今回の記事に目を通してくださっているあなたは、前回お伝えした内容をご理解され、私・びび太が推奨する稼げるブログの作り方をもっと知りたいと思っていただけたことと思います。
どんどん進めていきますので、シッカリとこの先の続きもお読みになってくださいね♪
では、第2回目の『完全ブログマスター講座』をスタートしたいと思います。
よろしくお願いします。

 


 

あらためまして、こんにちは。びび太です。

早速『完全ブログマスター講座』 の続きをお届けしましょうね。

第2回目となる今回は、タイトルにもあります通り「プロフィール」についてお話します。

 

「ブログとプロフィールに何の関係があるの?」

 

と思われたあなたへ。

あなたは、あなたが欲しい情報を、検索エンジンの入力欄に検索キーワードを入力して、インターネット検索であなたが求めているサイトを探し当てた時のことを思い出してみてください。

とても良い記事を読み進めているうちに、きっと「ところでこの記事を書いている人って、どんな人なんだろう?」って思い、”プロフィール” のリンクを見つけてクリックし、そこに現れるサイトオーナーの写真と経歴などを読んで「あぁ、、この人の書く記事なら信用できるな」って思われたことってありませんでしょうか?

 

ここがミソなんです!!
この『完全ブログマスター講座』のっ!!

 

ほとんど多くの方は、プロフィール欄を無視して、日常の他愛もない記事を毎日ひたすらせっせと書いています。

雨の日も、雪の日も、、

せっせ、せっせと、、

雨にも負けず、風にも負けずに、自分にとって都合の良い記事をせっせと書いているブロガーさんって、結構居るんですよね。

インターネット・ユーザー(読者)の目線に立って、本気で記事を書きあげている人って、そんなに居ないんです。

その証拠が、プアなプロフィールばかりだということです。

プロフィールの設定をしていないブロガーさんも居ますよね。

ところが、ネット上でシッカリと稼いでいるお方って、大抵、プロフィールがギッシリ書かれているんです。

中には、YouTube動画なんかでご自身のプロフィールを熱く語っているお方もいらっしゃいます。

これって、完全にユーザー目線ですよね?

“何はともあれ私を知ってください” 、“こんな経験や体験をしている私なんですから、信用できないわけがないでしょー!” という心の声まで聞こえてきそうな位のプロフィールを仕上げているブロガーさんを見つけた時は、「あー、、この方、本当にネットのことわかってらっしゃるんだなぁ~」って私は思ってしまいます。

そして、私自身も、そのお方のプロフィールにグイグイ引き込まれ、この方の勧めるサービスや商品だったら買ってみたいな~って思ってしまうこともあります。

 

この心理なんですよっ!!

プロフィールを作成することに、
あなた自身も
強く意識してみていただきたいのですっ!!

 

ということで、この『完全ブログマスター講座』を制作している私・びび太のプロフィールをご紹介したいと思います。

ちなみに、プロフィールの書き方については、本講座の後からジックリと書き方をお教えしますので、楽しみにしていてください。

まずは、私自身のプロフィールをお読みください。^^

 

(ご注意)
以下からの私のプロフィールは、1万文字を優に超えています。
この長文となったプロフィールを読まれた読者の方から、次のような質問が届きました。
「1記事を長くするプロフィールよりも、連載形式にしたプロフィールの方が良いのでしょうか?」
といった内容でした。
これは、確かにその通りであり、本ブログ講座の根幹を成す部分です。
このことについては、今後の連載の中で詳細にお伝えしていきます。
ただ、この時点であなたに知っていただきたいのは、プロフィールというものは、『長編』『中編』『単編』で作成できるようになっておいて欲しいということです。
ここでいう『長編』とは連載プロフィールのこと、『中編』とは以下より示す1記事にまとめてプロフィールのこと、そして『単編』とは無料ブログとかでよく見る1000文字程度のプロフィールのことです。
それぞれ用途が異なるためです。
このあたりも、今後の連載の中でお伝えしていきたいと思います。
まずは、私のプロフィールをシッカリとお読みいただければ幸いです。

 

びび太のプロフィール ~二度の人生の挫折から40代後半でV字回復したサクセスストーリーを本邦初公開!!~

 

☆氏名☆

ネットネーム:びび太(※本名秘密)

 

☆年齢☆

40代後半

 

☆出身☆

九州のどこか

 

☆家族構成☆

複雑系w

 

☆経 歴☆

  • 16歳:パチプロデビュー
  • 18歳:関東へ上京
  • 18歳~26歳:パチプロ&IT系サラリーマンを兼業
  • 27歳:副業で始めたアパレル関連のサイトがブレイクし、コピーライター糸井重里氏の目に止まる。オリジナルブランドをネットでリリース。
    人気ブランドとなり、某大手アパレルメーカーより類似商標として訴訟を起こされそうになり解散。
    ※おそらくネット上で国内初となるプロダクトローンチで成功を納めた事例になっていると思います。この模様は、筑摩書房より全国版で出版されました。
  • 30歳:某大手メーカーへ転職し、まともな(?)サラリーマン人生を送り始める
  • 34歳:特許等多数取得し、外資系ソフトウェアベンダーからヘッドハンティングされる
  • 35歳:人生初の挫折、鬱病&パニック障害し、自殺を試みる
  • 40歳:副業で始めたMLMで成功し起業する
  • 43歳:与沢翼氏と出会う。与沢塾へ入塾。あるエリアのチーム代表となる。
  • 45歳:SEOを専業として事業を再スタートさせ、現在に至る。
    現在、年商2,000万超となっている。

 

☆プロフィール(簡易ストーリー)☆

最初に言っておきたいことがある。

人生の成功なんてものは、成功書をいくら読んだところで掴むことなんて出来ないし、成功している人からどれだけのノウハウを教わったところで実現なんて出来っこない。

成功したければ、こんな人生で終わってたまるか!と反逆の精神を持ち、人の顔色なんて一切伺うことなく、執念を持って自分の力で勝ち取る以外、方法なんてものは何一つない。

これだけは最初に言っておきたかった。

 

34歳で鬱病とパニック障害を併発させ自殺し掛けた男、それが私・びび太である

 

「人生は、あなたの思い通りになる」

 

成功哲学で有名なナポレオン・ヒルのこの言葉は、おそらく多くの方は耳にしたことがあると思う。

この『完全ブログマスター講座』をお読みになられている位なので、人生の成功には少なからず、いやいや、、大いに拘っていることだろう。

「私達は成功するために、この世に生まれてきた」「成功とは思い通りに人生を送ることである」どこの誰が言ったのかは忘れてしまったが、私はこの言葉が大好きだ。

しかし、先ほどの冒頭で掲げた「人生は思い通りになる」というのは真っ赤なウソっぱちだと思う。

“人生なんて思い通りになんてなるわけがない。もし、そうだとしたら、世の中の人はみんな大金持ちになって成功してるよ。”

この言葉は、私の古くからの友人がよく私の耳元で発していた言葉だ。「なんてこいつはプラス思考とは程遠い哀れなネガティブ野郎なんだ」と当時の私は心の中で思っていたのだが、今になって確かにその通りだなと、冷静に笑って聞くことができる。

人生なんて本当に思い通りになんて行かないよ。行くわけがない。

ただ一つ、

 

「人生は、あなたの決めた通りになる」

 

このことだけは確かである。

決めるということは、決断するということ。

あなたが、成功したい、すなわち、思い通りの人生を送りたいと心底願ってやまないのであれば、決断することである。

もしも、今あなたが人生の成功を収めるための手段を手に入れているのであれば、余計なものは全て捨ててしまうくらいの覚悟は必要だ。

物、仕事、趣味や遊び、そして、、人。

あなたの成功にとって粗大要因となるものは、全て断捨離し、環境を変えることをお勧めする。

迷っちゃいけない。捨てることを躊躇しちゃダメだ。

思い切って断捨離すべきだ。

後は、自分の決断した道に大信念を持って立ち向かうだけである。

人の顔色なんて一切気にせず、あなたの時間を泥棒する人たちとは一切の縁を断ち切ることだ。

付き合いが悪くなったとか言われたって構わない。

相手があなたの人生を変えてくれるわけではない。

あなたの人生はあなた自身で変えて行くしか方法はない。

そのことで、離れていった人達は、所詮それだけの付き合いだったということも確認することができる。

本物の親友は、あなたが失敗したり挫折したりしても関係なくあなたの傍から離れないよ。

でも、決めたことを成すためならば、そんな親友達も、少しの間、あなたが成功するまでの間だけ関係を閉ざす勇気も必要だ。

大丈夫。

親友達は、あなたが成功した後に、笑顔であなたのことを歓迎してくれる。

だから、あなたは自分の進むべき道が決まったのであれば、そのことだけに集中して徹底的に結果を出すことだけに拘って突き進んで欲しい。

 

では、決めた通りに進み、決めた通りの結果を手に入れた私・びび太の過去から現在までのストーリーを公開したいと思います。

 



 

私は、34歳の時に鬱病を患い、パニック障害を併発した。

人から裏切られ、約束を破られ、自らの力の無さに自信を失い、それまでの生き方を他人から否定され、自分自身も否定し、私は完全に未来の自分像が描けなくなってしまっていた。

先行き不透明となった自分の人生に終止符を打とうと、鎖に縛られた足を引きずるように出社していた会社の13階のビルの上から身を投げ出そうとした。
(その時に、震える私の体を強く抱きしめて止めてくれた同僚も、数カ月後にはそこの会社から居なくなったことを風の便りで聞いた)

 

人生初の挫折だった…

 

それまでの人生は、波乱万丈ではあったが、失敗を失敗と感じることのない自由奔放な生き方を私はしてきたように思う。

この人生初となった34歳の挫折時より遡ること8年前の26歳の時、趣味が高じて立ち上げたインターネット上のファッションサイトが人気となり、何度かTV番組にも出演し、数々のIT系雑誌で特集を組まれ、筑摩書房から出版もした。プロデューサーは、コピーライターの糸井重里さんだった。

その後も、やることなすこと全てが上手く行き、30歳の頃には年収1,000万円を超えていた。

地球全体は、自分を中心に周っているのではないかとさえ思うこともあった。

 

その後に自分自身の株価が大暴落することは完全に想定外であったし、このことは人生の上り坂の後に訪れる下り坂ではなく、私の中では、”真坂(まさか)” の青天の霹靂であった。

私は、還暦を過ぎた母の膝の上で、親離れ出来ていない幼児のように号泣した。

 

34歳当時、私には妻と5歳になる一人息子が居たが、メンタルが完全にイカれてしまった私は、家族を守る大黒柱という責務を完全に放棄し、失意と絶望の崖っぷちの底辺を彷徨い続けた。

2004年の幕開けと同時に始まった私の “まさか” の挫折物語は、その年の5月のGW時期も引きずってしまっていて、誰もが幸せを感じるであろう初夏を感じる暖かさと、どこまでも晴天が続く真っ青な空を見ても、私の心の中は梅雨明けしない九州北部を停滞する梅雨前線そのもののようであった。

 

心の風邪が回復傾向に向かったのは、その年の夏が終わりを遂げる2004年9月頃だった。

私は、ある恩師に助けられ、地元の一部上場企業に拾われ、なんとか再就職することができた。

“九死に一生を得た” と思われたが、そこで待ち受けていたものは、敗北者扱いされた挙句の左遷(要は社内の評価なんて受けるに値しない者としてレッテルが貼られたという意味)と、鬱病前の所得の約50%ダウンの年収という住宅ローンとこれから教育費が膨大に掛かる家庭持ちの私には残酷すぎる制裁であった。

20代後半の時に掴んだ数々の栄光は、忘却の彼方へと消え去ってしまっていた。

そして、このことは夫婦の絆にも大きなダメージを与えた。

私の栄光をずっと見てきた妻からは三行半を下され、私への信頼を完全に喪失させてしまった。

私はなんとか年収を元にゴールデン時代の年収1,000万円に戻すために、化粧品と健康食品の販売をする、ある外資系企業のネットワークビジネス(MLM)を始めたのだった。

歳は既に34歳を過ぎていて、これが人生のラストチャンスと捉えて、ひたすら我武者羅に行動した。

IT業界での開発経験しか無かった私にとっては、無謀とも言えるチャレンジであったが、四の五の言ってられなかった。

日に日に成長して行く我が子を見ると、背水の陣で挑む他、選択肢は無かった。

そして、私は5年の歳月を経て、「サラリーマンの収入」+「MLMの収入」が当初の目標であった年収1,000万円を突破させることに成功したのだった。

 

鬱病からの復活の後に待ち受けていた過酷な制裁

「(これでようやく普通の生活に戻れる)」

そう思った矢先に、1通の社内メールが届いた。

“至急本社へ来るように” とのこと。

不吉な予感がした。

私の心は、何らかの事件の容疑者として出頭命令が下された感覚だと思った(注:私は前科持ちではありませんw)。

本社に行くと、目の前には会社の役員連中が5、6名、私の目の前に腕を組んで座っていた。

 

「びび太くん、座りたまえ」

 

役員の中でも、一番偉そうな男性が私に指示を出してきた。
※会社の組織に興味なんてなかった私は、ここの会社の役員の顔なんて知る余地も無かった。

 

「はい」

 

恐る恐るというわけではないが、もうこの時点で私は「副業がバレたんだな」と悟っていた(当たり前かw)。

 

「君ね、〇〇〇というネットワークビジネスをやっているよね」

 

先ほどの役員からいきなりの質問だった。

 

「いえ、やっていません」

 

凛とした姿勢で私は回答した(たぶんw)。

 

「社内から通報が来てるんだよ」

 

やっぱり、どっかの腐れ野郎が通報しやがったのかと思った。

私は自分で言うのもアレだが、結構人の心を読むのが得意であり、自分勝手・自分本意にネットワークビジネスを人に勧めるようなことは絶対にしない。

つまり、社内通報なんてものは、普通に考えると起きるはずが無いと思っていた。

ただ、やはり相手によっては、私の成功を妬むヤツも出てきたとは思う。

既に私は、自分が取り組んだネットワークビジネスの主催会社からの収入が、サラリーマンの収入をとっくに超えていたし、会社でビジネスの提案をした連中にはこの結果を見せていた(要は通帳を見せていたわけです)。

決して自慢げに見せていたわけではなく、可能性を感じてもらうためのエビデンス(証拠)、つまり “論より証拠” だという自論からの手法だった。

しかし、人の心なんて実のところ読めるわけなんてない。それが本当のところだ。

誰かが私の成功を妬み、会社側からのペナルティを課そうとしたことに間違いはないと思ったが、起こってしまったことを悔やんだり、恨んだりすることは、自分にとって何一つプラスになることなんてないことは私自身、既に学んでいた。

なので、ここは徹底的に “一切知らぬ” で押し切ることにした。

 

結果的に、一切の証拠がないことを理由に、私は副業には手を出していないことを会社側に認めさせ、この件は一件落着したかのように思えた。

しかし、私自身の心が、このことをリセットさせることが出来なくなっていた。

その後の私は、社内で更に隅っこに追いやられているような感覚を強く持ち始めるようになったし、極力発言しない、自分を出さないように努めた。

MLMの活動も自粛し、MLMの売上と報酬も徐々に下降の一途を辿ることとなった。

 

あと一歩で会社にも辞表が出せるギリギリまで来ていただけに、この一件は、結局のところ私に大きなダメージを与えることとなったのであった。

 

終わりは始まり。そして僕は途方に暮れ、最後はリアル半沢直樹とし化して会社を退職することに・・・

その後の私の社内評価は最悪だった。

もう本当にここの会社で、私が日の目を見ることは金輪際無いと確信した。

それほどまでに、私の社内評価は、毎年下降を続けたのであった。

前々職でIT業界のトップに君臨し続けてきた私(特許を取得したり、社内の技術賞を受賞したりしていましたw)でしたが、ここの会社ではこれまでの開発経験が一切活かされることのない社内設備機器のメンテナンスを行う部署へと飛ばされたのであった。

異動させられた部署で待ち構えていたのは、社内でも有名なパワハラ上司(クソ野郎)のいるところであった。
※よくコイツをのうのうと管理職にしているのかが意味不明だった。この会社は相当に頭のイカレている奴らの集まりとしか思えなかった(今もそう思っている)。

コイツに関しては、今ではとっくに縁が切れているが、私の中で永遠に記憶から消し去られることはない。

私の中での殺したいリストのワーストナンバー2位に堂々たるランキングを果たしている。
※ちなみに1位は殿堂入りしているお方がいらっしゃいます。ここは順位が入れ替わることは絶対にありませんwまあ、男の世界ってそんなもんですってwww

このパワハラ野郎は、これまでに既に6名の社員を鬱病へと追いやり、協力会社の1名の方に対しては癌を患らわせ、命を奪っていた(直接の原因ではないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はコイツのパワハラでストレスを感じて癌になった可能性が高いと睨んでいるのであえてこんな書き方をしています。ご容赦願います)。

そして、ここの社員で鬱病になった者は、その後に別の部署へと異動となっていった。

私がこの部署へ異動となった時、コイツは、まさに1名の社員に対してパワハラの真っ最中だったのである。

血尿を出し、給湯室で震えていたこの社員を、私は優しく抱きしめてあげた。

その後に、この社員は鬱病が悪化し、お決まりの部署異動となった。

「なんて腐った外道だ」

心の底からコイツのことを最低な野郎だと思った私だったが、なんとコイツの次なるパワハラのターゲットを、私へと照準を合わせて来やがったのである。

最初の頃は黙って耐えてきた私だったのだが、残念なことに私はそんなに我慢強いタイプではない。

歴代の鬱病になった人達と同じようには行かなかったわけだ。

そっちがそうなら、こっちもこうだ。

丁度タイミング良くテレビ番組で半沢直樹のドラマをやっていたこともあり、私は「やられたらやり返す、倍返しだ!」のルールを自らにも課していた。

私は、このイカレ野郎に対して、上の空で返事をするようになっていた。

 

例えば、

 

「びび太、これやっとけ!」

 

と私に言ってきても、

 

「私がですか?何の目的で??」

 

なんて返すようになり、パワハラ野郎を逆上させていた。

私の中では、ここでコイツを逆上させて私に手を出させることを狙っていたわけだが、そこはコイツの場合、ちゃんと理性が働いていたようで、私に暴力的な危害を加えることはなかったのだ。

よく、チンピラ学生が「おい、顔は止めとけ。ボディーにしろ、ボディーに」というあれだよ、あれ。

あれを態度で示していたんだろうなw

最後には、周囲の兵隊(部下)を巻き込んで、私に対しては一切の口を利くなと言わんばかりの箝口令を出していたようだった。

周囲から見離された私は、これをチャンスを言わんばかりに、好き勝手に自分のやりたいことをやっていたわけだが、流石にそれでは業務が回らなくなってきた。

ヤツにこっちから頭を下げるしかない状況になり、泣く泣く頭を下げたところで、これ見よがしに罵倒を浴びせてきやがった。

自分自身の正当性を大声で怒鳴りつけるという、見世物ショーの始まりなわけだ。

慄(おのの)く周囲を横目に、私は完全に堪忍袋の緒がブチ切れた。

まずは退職届を準備し、総務部長を別室に呼び出し、部署の内情やこれまでの鬱病者達の心の声をブチまけてやった。

流石に、そこまで酷いことをやっているとは総務部長も思っていなかったようで、事の重要性を初めて認識してくれた。
※実は、この総務部長だけは、私の副業事件以降、ずっと私の様子を陰で見ていてくれていて、私が業務をキチンとこなしている男であることを理解してくれていたのである。

「とにかく私はこの会社を去るが、単に嫌で辞めるわけではない。自分でやりたいことがあるので辞めることにした。ただ、この部署は杜撰すぎる。ここを是正しないと残された仲間が大変なことになる。パワハラ野郎を島送りにしてくれ」

こんな訴状めいたことを私は総務部長に伝えた。

総務部長からは、「それはみんな共通の認識なのか?」と聞かれたため、「部署にいる社員全員と面談するなり、アンケートを取るなりやってみて欲しい」と言った。

総務部長からは「わかった。善処するよ、ありがとう」と言われたのだった。

パワハラ野郎の部署にはナンバーツーが居て、彼もコイツから結構ヤラれていたため、私は自分がここを辞めることを先に彼に伝えた後、現状を総務へ曝け出し、パワハラ野郎を島送りにしてやるから安心しろと約束していた。

総務部長へ直談判し、良好な回答を得た私は、このことをナンバーツーの彼に報告した。

彼からは「ありがとう、助かるよ。でも、本当に会社が動いてくれるか・・・」そう言って、心配そうに私の目を見つけてきた。

「心配するな、絶対に上手く行くから」私はそう言って、いよいよパワハラ野郎に辞表を叩き付ける状況まで漕ぎ付けたのだった。

 

その日のパワハラ野郎は、先日の私からの勝利を勝ち取ったことを誇らしげに机上のパソコンモニターを見ていた。

 

「ちょっといいっすか?」

 

ヤツはこちらを振り向くことなく、モニターを見たまま

 

「何か用か?」

 

と言ってきた。

 

「私、会社辞めるんで」

 

そう言って、ヤツの目の前に辞表をそっと置いた。

 

この時の一瞬に変わった空気感は今でも忘れられない。

 

「なんや、お前・・・」

 

と来たので、すかさず

 

「ま、そういうことなんで」

 

と返し、更に

 

「これまでお世話になりました。もう暫くココに居るんで気を付けてくださいね」

 

と言った。

 

その瞬間に、彼の顔が怯(ひる)んだことを私は見逃さなかった。

 

「気を付ける?どういうことだ?」

 

体ごとこちらに向けて、ヤツは私に問った。

 

「それは自分が一番わかっていることなんじゃないですか?」

 

そう言って、私は自席に戻った。

私の心はすっかり有頂天となっていたことは言うまでもない。

 



 

そこから、私が退職するまでの間、ヤツ(パワハラ野郎)は、手のひらを返したように私に話しかけてきやがった。

 

「お前、会社辞めてどうするんだ?」

 

とか、

 

「色々やってくれてありがとうな」

 

なんて、今まで発したことのない言葉を私に投げてきた。

全ては保身のためであることは、誰の目から見てもわかることだった。

 

「(こいつは本当に情けない弱者だな)」

 

もう私には呆れて何も言葉が見つからなかった。

 

「(来年の春には、辞令が出てお前は島送りになるんだよ、バ~カ)」

 

こんなことを心の中から、コイツに返していた。

 

そして私は、会社を辞めた。

決して気持ちの良い退職では無かったが、まあ、何度も転職経験のある私は、そんなことはどうでも良かった。

それよりも、次のステージへと自分の駒を進めることだけに集中しようと考えていた。

 



 

ここで、お伝えしておきたいことがある。

会社を辞める時、私は総務部長へ直談判し、パワハラ野郎を島送りにするための計画と実行を行ったわけであるが、この結果をここで発表しておきたい。

結果は、”人事異動ナシ” だった。

このことは、私が退職した2カ月後の3月に、私の元いた部署のナンバーツーからLINE通知が来たことでわかった。

ナンバーツーの彼は、「ほらね、これが大手企業だよ」との補足メッセージも添えられていた。

彼は私の退職時に、目に悔し涙を浮かべて「最後までありがとう」と一言、私に言ってくれていた。

それ故に、私はこの時ほど無念さを感じたことはなかった。

 

「すまん、〇〇。私の力不足だった…」

 

全ての行動に責任を持って対応すると決めている私は、滅多に人に謝るということをしないようにしていた。

“謝るという行為は、責任逃れの一つである” とある方から教えられた時から、ずっと一貫してそうして来ていたのだが、この時だけは、無意識に詫びを入れた。

 

そして、今、この記事を書いている現在も、パワハラ野郎は同じ部署で同じポジションで居座っているとのことだ。

この部分は、半沢直樹のラストシーンに似ているw

 

 

45歳からの初起業!果たして成果は出せるのか?準備万端でスタートさせたはずだったが・・・

 

私は、鬱病を患い、縁故で拾われた地元の上場企業を10年で退職した。

しかし、ここでの給料は鬱病前に勤めていた企業の約半分という有り様に、私は副業を始めた。

つまり、10年間の間、私はメインの仕事とは別に副業で稼ぎ続けていた。

上場企業で安定感のある会社だったこともあり、私はWワークで仕事を続けて行こうと考えていたが、世の中はそんなに甘くはない。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺があるように、やはり両方を上手くやることには限界を感じていた。

ただ、”一兎をも得ず” は間違いだ。

それは、中途半場にやって諦めていった者達に使われる言葉であり、私は副業側のMLMにかなりの尽力を注ぎ続けた。

その結果として、こちらの方はサラリーマンの収入を上回るようになり、いつしか私は自らで起業する道を選び、黙々とMLMの活動をこなした。

ところが、ある密告者により、勤めていた会社から副業がバレそうになり、そこからはサラリーマンの方の評価が下落し、これに比例して、MLMの報酬も下降の一途を辿った。

といっても、MLMの報酬というのは、基本的には権利収入である。

消耗品であれば、愛用者はリピーターとなって製品を愛用し続けてくれる。

MLMの報酬は一瞬は下がったものの、権利収入としてはサラリーマン以上の収入を毎月獲得し続けていたのだ。

そして、早期退職制度という有難い制度に便乗し、私は地元の上場企業を退職した。

この時、既に年齢は45歳を迎えていた。
※早期退職制度が45歳以上かつ10年以上勤務という条件であったので、この条件に合致させて退職したのです。

ということで、私はMLMの権利収入と退職金があったために、それなりの準備が整った状態で起業できたと思っていたのである。

しかし、恥ずかしながら、この時点ではまだ自分がどの分野でどんな事業を主軸とした会社を経営していくのかが明確にイメージ出来ていなかった。

実は、数年前に私は自分の会社の法人登記は済ませていた。

ちょっとある事業が上手く行き掛けたので、一気に法人化し、独立しようと試みたことがあったのだ。

ただ、この薄っぺらな構造は半年持たず、急遽法人を休眠化させてしまっていた。

この時の苦い経験がトラウマとなり、復帰させた法人ですぐに何かをやるということを決めたく無かったのかもしれない。

私にはMLMの実務経験もこの時点で10年以上は備わっていたし、その気になれば、MLMだけで結果を上乗せさせることはさほど難しくないだろうと鷹を括っていた。

しかも、実際のところ、法人はすぐには復帰させることをせずに、サラリーマン経験が長かった私は、無職となった半年間は、国から失業手当をもらえることもわかっていたため、ノンビリとしていたように思う。

このような堕落した考えのもと、ようやく手に入れた自由を満喫することばかり考えていた。

退職後、数カ月間は、ろくに起業準備すらすることなく、ダラダラとした日々を過ごした。

そして、そろそろ色々と始めようと、久々にMLM活動をやったり、ネット上で適当に集客をやってみたりしたのだが、これが何故か上手く前に進んで行かないのである。

やることなすこと、全てが上手く行かず、少しずつ自分の中で “焦り” が生じてきた。

新規事業が上手く行かないのならまだわかる。

経験値が無いものをすぐに結果を出せるようにするような器量の良さは、私には備わっていなかった。

「(何かがオカシイぞ)」

そう思った私は、インターネット上に転がる様々な怪しげなお金儲けに関する情報を購入し始めたのである。

ご存知の方も多いかと思うが、この手の情報の「誰でも簡単に楽して稼げる」なんてあるはずが無かった。

ここで私は、私の勤めていた会社を私よりも1年早く会社を辞めたOさんのことを思い出した。

「そういえば、Oさんって、今何しているんだろう?」

そう思い、すぐにOさんをLINEで見つけメッセージを送ってみた。

すると、「楽しく稼がさせてもらってますよー」的な返信が返ってきた。

これはチャンスかもしれない!と思った私は、すぐにOさんに会ってもらえないかと打診をし、その日のうちに近所のカフェでOさんと再会した。

Oさんは、バイマというブランド品の転売ビジネスで結果を出されており、生活する分には何一つ困ることのない充分な収益を上げていた。

この結果を聞いて、私もバイマにチャレンジすることにした。

心優しいOさんは、二つ返事で私のサポートをしてくれることになり(今思っても凄く心の広いお方だと思います)、次の日から早速バイマの転売ビジネスをスタートさせた。

ところが、このバイマの転売ビジネスは奥が深すぎた。

私の中では、海外のブランド品を安く買って、日本のサイトであるバイマで高く売ればいい程度に捉えていた。

しかし、実際にはどのブランドのどんな商品が消費者のニーズが高く、そのブランド商品を扱うライバルを研究し、ライバルよりも質が高く、価格も抑えての出品がマストとなることを知った。

ただ、これだけならば、ちょっとした経験で稼げるようになるように思えるのだが、実際には、安く商品を購入するための海外のサイトをくまなくチェックしたり、関税を計算したり、海外の仕入れ先のショップのディスカウント情報を逐一チェックしたりと、あまりにやることの多さに、早くも挫折し掛けていた。

「(これは私には向かない仕事だ)」

そう心の中で思っても、せっかく懇意かつ丁寧に教えてくださっているOさんに、そのことを伝えることなんて出来るはずもなく、毎日、ひたすらバイマを続けてみた。

そこから数カ月が経過し、私がバイマで稼いだ金額はせいぜい2、3万円程度だったように思う。

そして、私はOさんに、正直にこのビジネスは私には向いていないので辞めたいということを伝えた。

そこからは、もうかなり自暴自棄な域に達してしまったように思う。

MLMの商品を、体当たりで美容サロンに向けて飛び込み営業を始めたのだ。

結果は、成約ゼロ、0である。

1とか2とかではなく、どこまでも無限に続く000000000000という結果に、遂に私の精神は崩れて行った。

もうとっくに失業手当の支給は終わっていたし、家族に支払う生活費は、私のへそくり通帳からお金を引き出す以外方法が無かった。

もしも、万が一、稼げない時には、その保険として早期退職制度で得た退職金があると睨んでいたのだが、これは愛想をつかされた妻がシッカリと握っていて、子供の留学費用として一切手を付けさせないとまで言われた。

まさに、背水の陣となってしまった。

34歳の時に味わった挫折、そして、自分ではコントロール不能となった鬱病への恐怖が途端に襲い掛かり、お決まりの眠れない状態になってしまっていた。

とにかく、なんとか稼がなければならない。

しかし、何をやっても上手く行かない。

完全に負のスーパースパイラル状態に陥ってしまったのであった。

 

結果、私の起業は失敗に終わった。

 

どうしようもなくなった私は、また昔の上司に連絡を入れ、再び助け船を送ってもらったのだった。

 

 

再びサラリーマンに戻るのか!?普通の時間に縛られた生活に戻って行くびび太に、一筋の光が差したあるものとは?

 

こうして、私はまた昔の上司に救われたのだった。

気づいたら、私は派遣社員として、ある民間企業の開発現場の椅子に座っていた。

まさかの再びITエンジニアへ復帰することになったのだった。

昔の上司による、半ば強制的な連行行為のようなものであったが、それでも私は、いや、私の家族全員は一命を取り留めたことは事実だった。

しかも、ここはパワハラとは程遠いのどかな職場であった。

これが本来の職場の雰囲気なのかもしれないが、独立して1年近く売り上げも上がらずに、もがき苦しんでいた自分を思い出すと、この派遣先は楽園のようにも思えた。

ここの席に座って、黙って定時まで開発をやれば、月末には一定の生活できるお金が自分の銀行口座に振り込まれるのである。

こんな当たり前のことに、私はいたく感動を覚えていた。

自分の会社を再び休眠させることになるかもしれないなんてことは、正直、どうでも良かった。

ところが、こんな私にある不思議なことが起きた。

何気なくスマホの画面で、あるサイトの売上を見てみると、チャリーンと成果報酬が上がっているではないか!

「なんだこれ?」と思い、調べてみると、私が半年前に自暴自棄に陥って自分にやれることは片っ端からやっていた時に、必死になって作っていた化粧品のアフィリエイトサイトから化粧品が売れていたのである。

しかも、それは1回こっきりではなきく、ほぼコンスタントに毎日売れ始めたのである。

多い時には10本売れたりしていて、これが毎日平均1万円、月合計30万円程の売上を上げてくれるようになったのである。

私は、このことに可能性を強く感じた。

 

「(もしかしたら、これでもう一度復帰できるのではないだろうか?)」

そう思った私は、ネットで知り合って仲良くなっていた1人の女性にあるお願いをした。

 

「オレ、これでもう一度会社復帰させようと思っているから、君もこの仕組みをマスターしてくれないか?」

 

彼女は賢い女性だったので、私が作ったサイトを水面下で私の指示通りにメンテナンスをしてくれ、私が不在の間も、ずっとネット上からアフィリエイト報酬が発生するようになったのである。

これに手応えを感じた私は、派遣の仕事が終わった後に、毎日夜遅くまでアフィリエイトサイトを制作することに没頭した。

 

こうして、ろうそくの灯火(ともしび)のようにフッと吹きかけると消えてしまいそうになっていた私の会社は、これを契機に復活を兆しを見せ始めたのであった。

 

 

完全復活は『完全ブログマスター講座』から♪そうなのです、私・びび太はあなたと共にこのネットビジネス界に戻ってきたのです!^^

 

独立起業して約一年間、何も成果が出せずに、派遣社員まで成り下がってしまった私でしたが、また自分の会社を復活させることが出来ました。

派遣社員になってから、既に3年以上の歳月が流れていました。

3年前の挫折時にバイマの転売ビジネスや化粧品の飛び込み営業など、とにかく手当たり次第、自分に稼げるものはないかと必死にやってみていた中で、たった1つのアフィリエイトサイトから1本の化粧品が売れたことが転機となったのです。

人生なんて何がキッカケとなって、良い方向に進むのか、悪い方向に進むのか、本当に誰にも分りません。

今、こうしてこの記事を書いている時点で、私の収入は3年前の底辺時の売上の10倍以上となっています。

もっと具体的に話すと、3年前の起業時から1年足らずで月収20万円にまで落ち込み、このままでは家族を養って行くことなんて出来ない状況になって、派遣社員になったという経緯があります。

その後に、様々な方々からのアドバイスを聞くと、私の家族構成の場合で、ネットビジネスで起業する場合には、その10倍となる月収200万以上にならない限りはネット起業はすべきではないということがわかったのです。

そして、その数字を目標に掲げてこの3年間、ずっと水面下で目標達成に向けてやり続けてきたというわけです。

前章で、ネットで知り合って仲良くなっていた1人の女性にアフィリエイトサイトのメンテナンスをお願いしたと申しましたが、彼女と二人三脚でなんとかこの数値目標を達成させ、今では彼女は当社の取締役に就任してもらっています。

そして、今現在、当社の運営しているメディアは、最初の売り上げがあがった化粧品サイトを含め、約20サイトあります。

これらが当社の資産となっているわけですが、メディアが資産というよりも、これらのサイトを制作し、SEO対策を実践してきた経験値こそが当社の財産となっています。

この3年間を振り返ってみるだけでも、インターネットの色々なものが見えてきました。

この3年の間にも、Googleの検索エンジンの仕様は、頻繁に変更になり、当社で新たに制作したサイトの中で、メインの売り上げを誇っていたサイトが検索エンジンのランキング圏外に飛ばされたりもしました。

ここからの学びが本当に大きかったです。

そして、これらの経験の中で、ある一つの確信が生まれています。

それは、

 

“ホワイトハットSEOこそが、これからメディア運営を行う上で最も重要になってくる”

 

ということです。

このホワイトハットSEOとは、主に記事コンテンツのことを示すのですが、要するにユーザー目線の立場に立った記事で構成されたサイトとなっているか?ということが、Googleの評価基準となっているということです。

そして、この評価基準は、今後も変わらないどころか、どんどん強化されていくことと思います。

つまり、シッカリと丁寧にユーザー目線に立った記事になっていないと、永遠に検索エンジンの上位にランキングされることはないように今後はなっていくことが想定されます。

本『完全ブログマスター講座』は、このことにフォーカスしています。

 

今回、このように私のプロフィールをストーリー化して長文記事をお届けしているのですが、これこそが私が提唱する “ホワイトハットSEO” なのです。

 

実際、ここまでの私のプロフィール・ストーリーを読まれているあなたは、引き込まれる記事とはどんな記事なのか?ということが、感覚的に理解できていると思います。

そのことが理解できていなければ、こんな長文をここまで読み込んでくれるはずがありません。

あなたにも、これから本講座でストーリー性のあるプロフィールを作成していただきます。

どんな観点や視点で、プロフィールを仕上げていくのかについては、本講座の連載の中で、どんどん詳細に掘り下げてお伝えしていきますので、シッカリと付いてきてくださいね♪♪^^

 

私(と申しますか、当社)は、ホワイトハットSEOで作成されたサイトオーナーのチームを作りあげる計画であり、既にその動きを取っています。

ホワイトハットSEOで作られたサイト同士のリンクは、外部SEO対策としても適していると考えているからです。

 

私はこの3年間、本当に様々なSEO対策を行ってきました。

この『完全ブログマスター講座』こそが、これまでの集大成となっていることは間違いありません。

 

この記事を読まれているあなたも、ご自身のプロフィール・ストーリーをシッカリと作ってみてください。

そして、プロフィール・ストーリーが完成しましたら、是非、私にご連絡ください。

あなたのプロフィール・ストーリーを是非当サイトでご紹介できればと切に願っております。

 

 

まとめ

 

『完全ブログマスター講座』の第2回目は、私・びび太の「プロフィール」をお見せしました。

あなたとの距離が、グッと近くなったと願っています。^^

ただ、今回私が自分自身のプロフィールを公開した目的は、単に私のことを信用していただきたいという思いだけではありません。

この講座をお読みいただいているあなた自身に、「プロフィール」の重要性をご理解いただくことと、そして、あなた自身が「プロフィール」を仕上げて行く上で参考にしていただくための模範例としてお読みいただきかったという合計3点が実は目的でした。

 

以下、『完全ブログマスター講座』第2回目の3つの目的をまとめますと、

 

  1. びび太の信用と信頼の獲得
  2. 「プロフィール」の重要性の理解
  3. あなたが「プロフィール」を仕上げる上での模範解答

 

となっていたわけです。

 

インターネットと言っても、所詮は人と人なわけです。

顔を出さない、本名も明かす必要がない、これで商売が堂々と成り立つ世界がインターネットなわけです。

このように書くと、ネット上で正々堂々と実名で顔出ししてネットビジネスをやっている人達からはブーイングが起きそうですよね。

私は、ネット上では実名も顔出しもする必要はないと思っています。

なぜなら、それがネットのカルチャーですし、実名や顔出しをしないことで人間の本音が話せると思うからです。
※実名で顔出ししている方は、本当の心の奥底で思っている本音を100%出せますか?YESでは無いでしょう。

無論、このこと(実名や顔出しをしないこと)が逆効果になることがあることもわかっています。

言いたいことが言えますからね。

ウソや偽りの記事だって書けてしまうわけですし、実際にそのようなことから事件に発展するケースも起きていることも事実です。

しかし、やっぱり人は人の本音が知りたいと思っています。

そのためにも、実名や顔出しをしない場合には、情報提供者の「プロフィール」が必須であることは間違いありません。

ネットユーザーは、どこで信用を得ようとするのかを考えてみると「プロフィール」やあなた自身の「ストーリー」しかないわけです。

それと、、私のプロフィールをお読みになられて、言葉使いが荒かったり、汚なかったりして、あなたは嫌悪感を持たれたかもしれませんね。

実はこれ、意図的に仕掛けています。

敢えて “強い言葉” を使って、あなたの記憶に定着させています。

これも、ネットならではのウェブライティング手法なのです。

このあたりのテクニックは、今後の連載が進む中でより具体的な方法をお伝えしていきたいと思います。

以上、今回の第2回目の講座の目的は、ご理解いただけたことと思います。

 


 

今回も最後までお読みになっていただき、ありがとうございました。

自分自身に落とし込めるまで、何度も何度もお読みになっていただければ幸いです。^^

 

 


《次回の予告》

次回は、ブログで稼ぐこととはどんなことなのかについて概要や全体像について端的にお伝えします。
そして、ブログで稼ぐということに対して、より具体的に落とし込んだノウハウを連載形式でお話していきますので、次回以降もシッカリと学んで実践して行ってくださいね♪
お楽しみに☆彡

 

 

びび太

 


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