【釈迦-第20話】2004年4月8日に、私は宇宙になりました



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びび太です。

第20話、公開が遅くなってしまって申し訳ございません。

既に出来上がった作品を読み直し、感極まるものがあって、なかなか公開に踏み切ることが出来ずにいました。

今回の第20話だけは、本当に私の中での想いが強すぎて、あまりにもこの体験がもたらしたインパクトが大きすぎて、今、全てをもう一度読み直して、再考を掛けて、もう一度公開しようと自分の中で小さな儀式を終えたところです。

では、第20話お届けします。

 


《前回までのあらすじ》

12年前に履歴書で足切りされた大手外資系企業から、34歳で突如ヘッドハンティングされ、転職したびび太。
意気揚々と転職したびび太だったが、社員のレベルの高さに衝撃を受けてしまう。
その他にも、色々なことが重なりわずが数ヶ月で、びび太は “鬱病” になってしまった。
鬱病の薬でなんとか精神状態を落ち着かせていたびび太だったが、不眠症が続く中、徐々に自分の中に眠っていたあるものが目覚めていくことになる。
その覚醒のような瞬間をびび太は、会社のオフィスで迎えようとしていた。
だが、頂点に達する直前で江崎支社長にこの儀式がバレてしまい、びび太は出勤禁止となってしまう。
そして、2週間ほど自宅待機した後、江崎支社長の指示により、再び、重たい扉を開いたびび太であったが、そこで再会した『中田健二』の生い立ちを知り、遂に完全に出社できない状態へと陥って行った。
そして、鬱病発症から3ヵ月程度が経った2004年4月8日、遂にびび太に大きな異変が起こることになる。
びび太、君は生き延びることができるのか?


釈迦、第20話、どうぞ。

 

2004年4月8日 午前1時過ぎに起きた衝撃的な出来事

 

一旦、会社に戻った私だったが、中田さんの衝撃的な事実を知り、なんとも言えない感情に支配されてしまったのであった。

悲しみや苦しみ、同情や恐怖、そんなものでもない。

なんとも言えないやるせなさが、自分に襲ってきていて、私は完全に一睡出来ない状況に陥ってしまった。

これまでは、不眠症と言えども、記憶が飛んで、またすぐに目が覚めるということを繰り返すことが多かったわけで、ほんの1分、いや数秒でも記憶が飛んだ直後に、ほんのわずかな時間、瞬間的に眠りに就けていた。

それがこの時の私には、全く無くなってしまったのである。

1日だけならまだ良くて、誰にでも眠れないという経験はあるかもしれない。

2日間貫徹なんてことも聞くし、この程度なら本当に眠れなかったという方もいらっしゃることだろう。

ところが、3日、4日連続的に本当に一瞬も睡魔すらも訪れずに、脳がギンギンになった状態が続いた経験をお持ちの方は、この記事を読まれている方の中にはいらっしゃらないのではないだろうか?

私は、この状態がずっと続き、2004年4月8日、完全不眠状態の5日目を迎えてしまっていた。

実は、私のこの状態を妻はずっと心配してくれており、なんとか改善できないものかと、ありとあらゆる人脈を辿ってくれていた。

そして、2004年4月8日の朝に、私はあるお寺へ行くことになっていたのである。

そのお寺がどんなお寺なのかなんて、私には知る由もなく、またいつものように眠れない夜を迎えようとしていた。

この時に、私が妻に掛けた言葉を、今でもはっきりと覚えている。

 

「今日も眠れない夜が来るんだね・・・」

 

時計は、0時になろうとしていた。

 

2004年4月8日を
迎えようとしていた。

 

私はいつものように、どうせ効くことがないとわかっているハルシオンを、一気に口から体内へ放り込んだ。

そして、少し前の記事でも書いた、あの状態がやってきた。

足の先から感覚が消え、指先からも感覚が消え、胸元から顎へ、、そして鼻を過ぎて、目を通過して脳へ。

やはり、それでも、脳は激しく鼓動していた。

 

(「今夜もこの状態で
また朝まで過ごすのか…。」)

 

ふと、隣で眠っている妻を見た。

スヤスヤと小さな寝息を立てて、眠っていた。

その隣では、6歳を迎えようとしていた愛しの我が息子が、妻の胸元に丸まって眠っていた。
※う、、ここは今読み直しても涙が出る、、、、、。
私は強烈に息子を溺愛しすぎているため、、、、、。

ずっと眠れず、辛くて、苦しい自分だったが、この姿を見て、少しだけ安堵の気持ちになった。

 

と、そのときだった!

 

“急に視界が広がった”

 

一瞬、何が起きたのか分からなくなったのだが、天井に大きなスクリーンが映し出されるようなイメージが浮かび、そこに、私が生まれてから今に至るまでのフォト(写真)が凄い勢いで捲(めく)られ始めた。

 

(「な、なんだ!!
この現象は!!!!!」)

 

実は、私は過去にバイクで事故を起こし、この時に、足の手術を受けるために全身麻酔を受けたことがある。

その時に、私は一度、時間のない世界に迷い込んだことがあった
※ちなみに、麻酔はなぜ人間に掛かるのかということは科学的に証明できていないそうです。

この時には、時間という概念だけでなく空間すらもなく、色すらもない世界に行ってしまったのだが、今回の現象もなんとなくこれに似ていた。

時間の概念が無ければ、フォトが捲れることはないのだが、私の観念でフォトを捲るスピードをコントロールできることがわかった。

但し、それは意識的にやっているのではなく、無意識にそうさせていることもわかった。

つまり、自分の意識の超越(ちょうえつ)した状態である無意識が、私が顕在的に知ることができていない潜在的な要求に答えているという感じであった。

初めて起きたこの現象を、その時は冷静に判断できるはずもなく、ただただ捲れるフォトを私の肉体の外側から見ていた。

といっても、自分が生まれてから今に至るまでのフォトなわけである。

考えてみてもおかしな出来事だということに気付くことができる。

2004年4月8日時点の私の年齢は34歳。

0歳から34歳までのフォトがどんどん捲られているのである。

懐かしい光景も見えている。

赤ん坊、幼稚園、小学校、中学校、・・・

凄いスピードでフォトが捲られている。

私は、

 

「一体誰が
こんなに多くの写真を
残してくれていたのだろう?」

 

なんてことを呑気に思ってそれを見ていた。

でも、それはこの世のものではないということにも気付いていた。

後から知ったことなのだが、これは、

 

『アカシック・レコード』

 

と呼ばれるものであった。

 

~~~~~~~

アカシック・レコード:

アカシャ年代記と呼ばれ、人類の魂の活動の記録の概念である。

アーカーシャに映る業(カルマ)の投影像とされている。

~~~~~~~

 

信じられないかもしれないが、私は私自身の経験から断言できる。

私達が生まれてから今に至るまでの全て、そして、これから死を迎える迄の全てのものは、宇宙に記録されている。

そして、死を迎える瞬間に、この全ての記録を見ることが出来る。

アカシック・レコードは、死期を迎える直前に誰もが見ることになるものだと断言しよう。

と、ここまで、書いている私が、死を迎えずにこうして記事を書いていることを不思議に思う方も中にはいるだろう。

続きは、ここから更にエキサイトするのである。

 

 

では、話の続きをしよう。

アカシック・レコードを見ていた私は、ある若い男性の声が聞こえた。

 

「びびっちゃん・・・」

 

その声の持ち主は、私が18歳の頃に駆け落ちして辿り着いた日立市という街で、ブルースバンドを組んでいた頃の相方のギタリスト “アキ坊” だった。

 

「え?アキ坊!?!?」

 

後ろ頭の後頭部付近で、アカシック・レコードを観ていた私は、その声が聞こえた瞬間に後ろを振り返り、後ろ頭ではなく自分の瞳でアカシック・レコードを凝視した。

そして、凝視した先のアカシック・レコードのある異変に気付いた。

なんと!

 

“過去に犯した
過ちだけが
静止画として
止まっていた”

 

のである。

 

ここで、アキ坊の話をさせていただきたい。

私は今でもブルースをまとも聞くことが出来ない…。

 

 


 

“ブルースは、
黒人が奴隷として
扱われていた時代の
黒人の魂の叫びだ!”

 

私が初めてアキ坊と出逢った時に、アキ坊へ「どうしてブルースギターばかりを弾くのか?」と聞いたことがあり、アキ坊から返ってきたのがこの言葉だった。

アキ坊は、魂のブルース・ギタリストだった。

私は、当時、バリバリのビートミュージシャンであり、髪の毛を茶髪に染め上げて、BOOWYやら、BACK-TICKなどのコピーバンドをやっていた。

その時に、アキ坊の衝撃的なギターを聴いた。

私は、ギンギンに立てていた金髪の髪型を黒髪に戻して、革パンツや破れ被れのジーンズも脱ぎ、リーバイスの501に履き替えて、アキ坊とブルースバンドを組んだ。

バンド名は、

 

『日立市役所前ブルースバンド』

 

当時の私のビートファンは、私がブルースバンドへ転身したことで一瞬がっかりした様子だったが、直ぐにファンもブルース好きになってくれた。

アキ坊と私、サイドギターの英樹、ベースのヒロユキ、ドラムの田部さんは、週末になるとあちこちの居酒屋でライブをやっていた。

私のパートは、ボーカルとハーモニカ。

何もかも中途半端な私は、結局まともにギターを弾くことが出来なかった。

それでも、私のバンドはアキ坊の奏でるブルースギターに魅了される人達が増え、瞬く間に人気モノとなり、このまま行けば、プロにもなれるんじゃないかと思った。

しかし、その夢は儚くも実現させることが出来なかった。

この当時は、元号が昭和から平成に変わったばかりのバブル絶頂期であり、テレビでは『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(通称:イカ天)という深夜番組が大人気となり、日本列島はバンドブーム一色だった。

バブル経済の崩壊に共に、バンドブームも潮が引いたように去って行った。

我々のバンドも人気は一気に急降下し、出演オファーもどこからも無くなってしまった。

バンドは自然消滅し、それぞれ普通のサラリーマンに戻り、普通の生活をしていた。

一人、どうしてもミージシャンの道を諦めることが出来なかったのが、「アキ坊」ただ一人だけだった。

そんなアキ坊だったが、結婚が決まった。

お相手は、ライバルのバンドでキーボードをやっていた “律っちゃん” だった。

彼女は、名前の通り、旋律を奏でるピアノの英才教育を幼少時代から受けていた。

お似合いの二人に、みんなが喜び、何よりも律っちゃんが、アキ坊のことを愛してることがわかった。

 

そんな矢先に、結婚は破談となった。

理由は、アキ坊が所帯を持つことに自信を持てなくなったからということであった。

アキ坊のお父さんから、私に結婚式前日に電話が鳴った。

その後、私は茨城を去り、地元の福岡へ戻ってきた。

アキ坊のことは気になってはいたが、それぞれお互いの人生を歩んでいた。

サイドギターの英樹に聞いたところ、アキ坊はお父さんのコネを使って、日立製作所関連の会社に就職したと聞いた。

私は胸をほっと撫で下ろしていた。

それから、半年後、アキ坊は海に身を投じた。

5月の太平洋は、まだ冷たかっただろうに….。

結局、アキ坊は自分の夢が諦め切れず、路上でストリート・ミュージシャンをやっていたそうである。

しかし、理想と現実のギャップにずっと悩み苦しみ、大量のアルコールを摂取し、何度も線路に身を投げ出そうとしていたことも後になって知った。

たまたま、東京に単身赴任で出張に来ていた私は、アキ坊の訃報を英樹からの電話で知った。

英樹も東京で就職していたので、中目黒で合流し、そのまま常磐道を英樹の緑のミニクーパーでひた走った。

天気は快晴であり、走り慣れた常磐道を、英樹とこんな形で無言で走ることになるとは夢にも思っていなかった。

そして、告別式会場に着き、終始無言でアキ坊と再会した私は、会場を後にする瞬間に、出口付近で狂ったように叫んだ。

 

「アキ坊ぉおおーーー、
ごめんよぉおおおーーーー、
オレが、、、、
オレがぁああああーーーー」

 

英樹に抱きかかえられて、私は告別式会場を後にした。

 


 

アキ坊の声が、私にはっきりと届いたのであった。

 

「あ、アキ坊・・・」

 

思わず、声に出して、アキ坊の名を呼んだ。

が、そこには誰も居ない。

そして、目の前に、パラパラと捲れるアカシック・レコードのフォトの中に、何点か止まっているフォトが見えたのである。

ちなみに、この時、アキ坊から声を掛けられる前の私は、自分自身が捲れるフォトを少し違った感じで見ていることに気付いた。

後頭部の上あたりに目が付いていて、そこから後ろ上の方向にあるフォト(アカシック・レコード)を見ていたのである。

経営コンサルタントとして有名な神田昌典先生のフォトリーディングを受講されたことがあるお方なら、”みかん集中法” をご存知であろう。

私自身、フォトリーダーなのであるが、この “みかん集中法” と、私が体験した “アカシック・レコード” を見る方法はそっくりなのである。

で、何点か止まっているフォトというのは、何かというと、過去の経験で、人として犯してはならないことが止まって見えたのである。

 

  • 友達との約束を破ったこと
  • 女性を泣かしてしまったこと
  • 高校生時代、万引きで捕まったこと
  • 反抗期時代、母親を蹴ってしまったこと
  • 盗んだバイクで海を突っ走っていたこと

   :
   :
   :

 

これらは、おそらくアキ坊に呼ばれて振り返らなかったら、見ることがなかった停止フォトなのだと思う。

と、ここで、私はある事実に気付いた。

 

「私がもしもここで
振り返ることがなかったら、
アカシック・レコードは
フォトが停止することなく
34歳(この当時時点)の
私のところまで
一気に捲られていた。」

 

「そこまで来ていたら、
私は死を迎えていた。」

 

「でも、それに辿り着く前に、
アキ坊が私を振り返らせた。」

 

そして、更に極めて重要なことに気付いたのである!

 

「では、
なぜ停止フォトがそこにあり、
それを直接、
自分の肉眼で見ることが
できたのだろう…」

 

「ん?」

 

「ん??」

 

「ん???」

 

 

 

「そ、そういうことか!!!!!!!!!!?!?!?!?!?!?!?!」

 

つまり、

 

“過去の過ちがあったから、
こんな体験
(鬱病になって自殺しかけた)
をさせられてしまっている”

 

ということなのだ!

 

と、その瞬間に、目の前が一気に開けたのである!

 

 

 

※※※ここから先は、信じられないかもしれませんが、かなりリアルな体験談となりますので、覚悟してお読みください!※※※

 

 

 

私は、宇宙になった…。

目の前に無限が広がった…。

そこはすべてが満たされていた…。

『欲』という概念のない世界がそこに広がった…。

“時間” や “空間” という概念すらもそこにはなく、意識を持つ人間が欲するものは、そこには何の意味もない世界が広がっていた…。

つまり思い通りの世界がそこにはあったのだ。

言葉で表現することは極めて難しい。

私は素人なライターだが、例えば、どんなに有名な作家が私と同じ体験をしたとしても、その方の能力でも表現することは出来ない世界を私は見た。

欲がないということは、食欲や性欲、睡眠欲なんていうものはなく、そもそも全ての要求が満たされた “心” を埋め込まれていた状態なのである。

(それを欲しいと思う次元に居ることすらも低いことなのだと私は思った)

相手の気持ちを知ることもできるし、お金なんてものは不要だし、食べることも寝ることもセッ〇スすることも必要ない世界なわけである。

次元を完全に超越しているため、行きたいところへ行くことだってできる。

ド〇えもんの「どこ●もドア」が自分の能力として備わっていると言うと理解していただけるだろうか?

そんな力が私に備わったのである。

私は、冷静にその世界から現実世界を見ていた。

もう時間や空間は超えているのだ。

 

 

 

時計を見ると午前1時を過ぎていた。

※これが本当のことなのかを確認するために、私は冷静に時計を見たのだった。

現実世界をどうやって直視していたのかというと、地球の遥か彼方から自分の位置を見ているような感覚である。

よく、幽体離脱して、自分自身を客観的に見るような構図があるが、そのようなものではない。

完全に自分は異次元に居て、そこから観ているわけなので、距離とかそういうものは何も感じないわけである。

そこで、まず私が取った行動は、千葉に戻っていった友達である黒澤を遠隔透視してみることにした。

午前1時過ぎは、千葉に住む黒澤は、まずもって菓子類を食べながらネットサーフィンをすることが日課だった。

私は瞬時に黒澤のところへ行き、後ろから「お~い」と優しく声を掛けた。

当然、黒澤へ私の声が届くはずはないのだが、気配は感じていた。

坊主姿の黒澤は、私の気配を感じて、振り返ってキョロキョロしていた。

 

「おい、黒澤、
オレだよ、オレ!びび太!!」

 

と、声を掛けたが、届くはずはなかった。

アイツは霊的なものを怖がる一面があったので、気配を感じた自分を信じまいと少し苛立ちを感じながら、またパソコンを覗く姿が笑えた。
※本当に黒澤は霊的なものがとても苦手なんですw今でも。

 

次に、私は思い切って海外に本社がある日本オラ●ルの親会社のCEOのところへ飛んだ。

そう、この会社の日本支社で、私は鬱病になったのだ。

ここの会社の実態を知ってしまった私は、米国の本社へ行き、CEOへ直談判しに行ったのである。

向こうは丁度会社が始まった頃であり、タイミング的にばっちりだと思ったのだ。

そして、私はCEOに会った。

が、しかし、ここでは私は何もせずにその場をやり過ごした。

なんとなく、そこまでの勇気が私には無かった。

でも、海外までも飛べることが分かったのだ。

遠隔透視の力を充分に感じた私は、次に現実の私の生活をみつめてみた。

その当時は、住宅ローンもあり、子供の教育費の問題、将来の仕事の不安等々、挙げればキリのない問題ばかりが残っていたのだが、それらはすべて幻想に過ぎないことに気付いたのであった。

つまり、この状態で良いということに気付き、これらの問題は全て解決しているということに頭ではなく “心” が理解したのだ。

これは、正直嬉しかった。

私は、すぐに妻を起こた。

 

「おい、今すぐ起きてくれ!」

 

現実世界に戻り、私は妻の体を揺さぶり、寝ている妻を起こした。

そして、次のように言った。

 

「もう大丈夫だから。
すべての問題は解決できているから。
もう何も悩まなくていいから。」

 

猛烈に興奮している私を見て、妻は言った。

 

「もうわかったから、
布団に入って早く寝て!」

 

私は言った。

 

「いや、もう大丈夫だから。
オレは眠らなくても大丈夫になったから。」

 

妻からすれば、完全にチンプンカンプンどころか、私の気が狂ったと思って当然だと思う。

背中を向けて、無視をして、

 

「もう、本当にいい加減にして!!」

 

と言って、そっぽを向かれてしまったのである。

その時、私はふと冷静に、このことに気付けたのは、「これは誰のお蔭なのか?」ということを考えたのだ。

それは、紛れもなく “アキ坊” の「びびっちゃん」の一言があったからなのである。

この一言が無ければ、私は振り返ることをせずに、最後までアカシック・レコードを見てあの世に逝っていたのかもしれない。

4月8日は、お釈迦様の生誕日なのだが、その1ヶ月後には、”アキ坊” の一周忌が訪れようとしていたのである。

自分の鬱病に苦しみ、”アキ坊” があの世に逝ってしまってから1年が経とうとしていたことを、私は完全に失念してしまっていたのだ。

この無念さと、お侘びの気持ち、そして、強い感謝の気持ちが重なり合い、複雑な感情の波が怒涛の如く自分自身に押し寄せた。

私は、心臓から洪水が溢れ出てくるような感覚で嗚咽をあげて泣き叫んだ。

 

「アキ坊、、、アキ坊、、、、、、許してくれ、、、、許してくれぇーーーーーーー!!」

「お前を殺したのはオレだ、オレがアキ坊を助けることが出来なかったのが悪いんだーーーーー!!!」

「アキ坊、アキ坊ーーーーーー!!!!!!!」

 

私は34年間で、初めて嗚咽を挙げてまで、泣き叫んだ。

アキ坊の葬儀に参列して泣き崩れた時の何倍も激しく泣き崩れた。

おそらく10分以上、ずっと私は泣き叫んでいた。

深夜1時を過ぎていたが、自分でも止めることができない状態で泣き叫んだ。

途中で、妻が起きてきて、

 

「止めて、止めてぇーーーー!!!!!!」

 

と叫んで止めようとしたが、自分でこの悲しみと感謝が一体化した嗚咽を静止することは、もはや不可能な状態となっていた。

 

「止まらないんよ、それよりも、オレはアイツに酷いことをしてしまった」

「うわああああーーーーーー!!!!!!」

 

止まらないどころか、更に加速した。

部屋中のティッシュペーパーを全て使い切り、それでも足りずに新品のティッシュペーパーを無作為にこじ開け、ティッシュを鷲づかみにして、私は泣き叫び続けた。

そのうち、鼻と口から血が出始め、枕カバーが血に染まる位に泣き叫んだ。

そして、私の感情は徐々に落ち着いてきた…。

少し、冷静になった自分を客観的に捉えることができるようになったところで、本当にこの特殊能力が自分自身の身に付いたのかを確認しようと思った。

そして、もう一度千葉の黒澤を透視してみた。

相変わらず、ポテトチップスをかじりながらネットサーフィンをしていた。

次に、枕元に置いてあった小説に手をかざしてみた。

これは、私自身の直感になるわけだが、手をかざすだけで、本の内容が理解できると思ったのである。

結果、私は手をかざすだけで、小説の内容を理解し、感動してうっすらと涙した。

次に、隣の私の書斎に行き、壁に貼っていたマイケル・ジョーダンのメッセージに手をかざしてみた。

そこには、次のようなメッセージが書かれていた。

 

「I’ve missed over 9,000 shots in my career.
 I’ve lost almost 300 games.
 26 times I’ve been trusted to take the game-winning shot and missed.
 I’ve failed over and over and over again in my life.
 And that is why I succeed.」

 

英語が苦手な私は、このメッセージの意味を理解していなかったし、貼った当時は理解しようとも思わなかった。

そして、私はここでも号泣した。

手をかざしただけで、言葉の意味が理解できたのだ。

 

「私は9,000回以上シュートを外し、300試合に敗れた。
 決勝シュートを任されて26回も外した。
 人生で何度も何度も失敗してきた。
 だから私は成功したんだ。」

 

私が手にした力は、紛れも無い本物であることを確信した。

私はゆっくりと寝室に戻り、布団の中に入った。

そして、隣で目を瞑っていた妻に言った。

 

「安心して眠ってね。
 オレはもう眠る必要もなくなったから、
これからはずっと起きて、
〇〇(妻の名前)と祥気(本名)を見守るよ。」

 

そう言って、私は白い天井を見つめた。

こんなに安堵感に包まれた夜を迎えたのは、初めてだった。

すべての欲求が満たされている自分は、もう何も欲しいものはなかった。

 

 

そして、、、

 

 

気が付くと、朝になっていた。

 

気を失ったのか、眠ってしまったのかは定かではない。

 

ただ、事実を一つだけ言うならば、

 

私は普通の人間に戻ってしまっていた。

 

 

(つづく)

 


■今回のワンポイント

  • 悪いことをすれば、100%自分自身に跳ね返ってくる!!

《次回の予告》

第20話を書き終えて、あらためて思うことがあります。
「あーー、、オレはこのことが伝えたくて伝えたくて、この釈迦の作品を書いて来たんだなぁ~」
全てが事実ですからね、嘘偽り、一切書いていません。
私が、2004年4月8日に体験した全てを細かく書きました。
そして、このことって、私が特別だから起きたんじゃないってことです。
この記事を読んでくださっているあなたにも、同様に備わっているものです。
それをいつ体験し、気づく日が来るのか?だと思います。
既に私とビジネスを通じて関わっている人達は、結構近いところまで気づきを得て来てるんじゃないですか?
最近の私と一緒にビジネスをやっている方々の成績を見ていると、そう感じています。

さて、釈迦はいよいよ、次回最終回です。
お楽しみに!!!!!


 

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