こんにちは。
オトメと申します。☺
今このページに辿り着いているあなたへ、貴重なお時間を割いていただき大変感謝しております。
プロフィールを読まれた方でもそうでない方でも、きっとこのサイトの何かにご興味を持たれてお越しくださったのだと信じております。
このページは、ここ最近の数年のオトメのフロンティア人生を連載ストーリー化した第十四話が掲載されています。
第十三話にて、私オトメがドクター・大臣によってパートナーシップの自分の人生における重要性を知らされ、知らず知らずのうちに医学者君との出会いからとってもスピリチュアルな世界へといざなわれ、
自分という存在、価値、そしてパートナーシップについて徹底的に向かい合い続ける、精神的にはかなりキツイ数年間を過ごしたこと、そしてその精神的な放浪の旅のなかで、ありとあらゆる人たちによって支えられてきたことについてお話ししました。
第十三話の最後でお話ししたラインコミュニティの方たちとは今現在においても交流を続けておりますが、その時に支えてもらった男性カウンセラーの方とも後々になって話していたときに、
ドクター・大臣が最も私みたいな人間に対して懸念していたであろうことが浮き彫りになったことがあります。
ドクター・大臣というのはかなりフロンティアなキャリアを歩まれた方であり、研究者の分際にしてアメリカ歴史上はじめて内閣に大臣入りを果たした方であり(詳しくは第二話参照)、
本気で臨床・公衆衛生研究を基にアメリカ社会を世界の状態を改善していこうと、そして見事改善していかれたその姿勢は、
実は信じられないかもしれませんが、多くの彼の研究同僚には理解されない類のものであったようです。
結局ご自分で無一文の状態から地域医療に貢献すべく、小さな研究所を設立し、私たちの分野においてその名を馳せたわけですが、
やはり、こういった過程において、
心から信頼できるパートナー(達)の存在は絶対的であった
ようです。
そんな彼が目をかけていた私のことですから、彼も当然私がこのままいけば、ある意味で彼の二の舞になりかねない、だから早くから察して私にパートナーシップの重要性を説いていたのだろうと思われます。
このことを悟ったのも、その男性カウンセリングの方も私も自分の道は自分で切り開いていかなければならなかった今までがある、という共通点がありまして、
自分の先を行くメンターのような人間がいないキャリアの道を歩む場合、ゆくゆくは自分が心から信頼の置けるパートナーの存在が強い心の支えとなる、という点について共感できるという話になり、
実際に彼も今のパートナーの女性と出会えたお陰で、どれだけ彼女の存在がそして彼女との時間が自分の支えとなってきたかについて実感している今日のこの頃だそうです。
さて、長い前置きとなりましたが、この第十四話においては、2020年のコロナ禍とともに、一体私オトメの生活や生き方にどんな変化が現れてきたのかお話ししたいと思います。
自分って地球上ではどんな存在?
宇宙人なんて言うあだ名がよくつけられた私ですが(プロフィール参照)、それでは逆に言えば宇宙人な私オトメの地球における立ち位置って具体的にはどんなんなんでしょう。
渡米してきて以来、私はよく自分を言葉で色づけるとすれば、
- 国際人(日米を行き来する生活をしているから)
- 有色人種またはマイノリティ(アメリカ社会ではそういう位置づけになります)
- 女性
だな、といつも意識してまいりました。
臨床医学・公衆衛生に関連する健康医学研究を行っておりますが、なんだかんだいって
- 女性関係の社会・健康格差、
- アメリカ国内における有色人種またはマイノリティの社会・健康格差、
- アメリカ国内外における研究、
といった具合にこの自分への色付けが結果として研究内容、研究環境、そして研究の仕方にも大きく大きく影響を及ぼしています。
そもそも、自分の分野においてももうすでに引退されてしまったドクター・大臣および博士研究員時代にお世話になったメンター氏のお二人に一対一でメンターシップを受けた人間は
実はこの世で私一人
なんです。
しかもドクター・大臣が引退されてしまった以上、この分野における研究の世界での私の存在の唯一性というのは一生続くわけです(詳しくは第二話および第五話参照)。
人によりけりかもしれませんが、私個人的にはこういう立場にはかなり大きな責任感を感じる方ですし、
どんなに嫌でも逃げるわけには行かない、
どうにかしなくてはいけない、
何かをしなくてはいけない
という常に大きなプレッシャーを勝手ながらに感じているのです。
そして、パートナーシップに対する考え方と同様、自分という存在にとって研究キャリアというのは自分を作り上げる大事な、でもほんの一部でしかない、という意識もやはり今日に至るまで強くもっているわけです。
それというのも、研究キャリアに突入したのは2008年の博士研究員になってからですから、それまでの八年間という、アメリカ社会で自分の歩む道を見つけるために悪戦苦闘し続けた人生があるわけです。
最近になってですが、知り合いから、何度か日本語のキャッチコピーを英語で表現してほしい、という依頼が来ました。
翻訳・通訳というのは博士研究員になるまで何度もありとあらゆる場面において行ってきたのですが、キャッチコピーを英訳するという経験はごく最近になってからの話です。
この時に、短いそれでいて想いのつまった日本語のキャッチコピーを英訳するのって、すごい難しいが楽しいということに気がついたのです。
一応依頼人達からの英訳も見たのですが、どうしても彼等の場合ですと、ある程度海外経験があったとしても、どうしても直訳っぽくなってしまうのです。これは致し方ないことです。
そして、もし逆の立場、つまり、日本語をある程度わかる人間が英訳しようとするときにも今度は日本語のキャッチコピーにつまった想いや背景を汲み取りきれない、という問題が起きてくることは簡単に予想されます。
つまり、日本語のキャッチコピーを英訳するのって、実はかなりの言語・文化的理解が日本語および英語の両方において必要とされる、というわけなのです。
そしてさらに、キャッチコピーを作成した側、およびキャッチコピーを見る側、両方の心理・文化的背景もしっかり把握していないと、作り手の想いがちゃんと意訳された、それでいて受け手の心をひっつかむようなキャッチコピーにはならないわけです。
まさに最近見つけた新しい私オトメの存在が十二分に活かされる分野ですね。
また、私は二人のハーフの子供を持つ母親でもあり、自分の学問的背景は教育面でも応用が効くものですから、最近は長男がお世話になっているAIの教室の先生ともバイリンガル及びグローバル人材を育てていく教育論についても熱く議論を交わしています。
きっといつか何かの役に立つであろうと、とりあえずのところは節税目的で
Enjoy Bilingual LLC
なんていうLLC子会社まで立ち上げてしまいました。
私が今現在に至るまで参加させていただいている女性の自立を応援するコミュニティに対しても、自分の存在や背景が十二分に活かされる居場所であると感じます(詳しくは第十三話参照)。
コミュニティの運営者の方々もちょうどありとあらゆる方面において海外展開を視野に入れていたときだったので、良いタイミングで関わらせていただいたと思います。
シッター君(詳しくは第九話参照)の在米生活を応援する関係で、全く縁もゆかりもなかったアメリカ社会での起業事情、海外の方達のアメリカ国内に置けるビジネス展開、などについて随分と学ぶ機会があり、
彼等との出会いによりその時に学んだ知識や体験が活かされる機会にも恵まれましたので、人生において何事にも無駄ということはないんだな、とこのときも改めて実感しましたね。
またさらにさらにごく最近になって、何十年も連絡をとっていなかった、なんと高校時代の吹奏楽部で一緒だった友達からもいきなりフェースブックを通じて連絡が入り、二人で久しぶりにお食事をしたのですが、
彼も昔ヨーロッパに留学しており、行政書士としての資格も保持し、国際的ビジネス交流に役立てているとのことでした。
近い将来私オトメもこういった方面においても学習して世界各地と日本をつなげるような活動に活かせていけたらいいな、と思う今日この頃です。
それというのも、また他の方とのつながりで学んだことなんですが、外国の方が日本で就労ビザを取得しようとする際、どんなに書類が完璧であっても最後の最後に法務省の裁量という難関が待ち受けておりまして、
ここで彼等がうーんと唸ってしまったが最後、全く理由もなくどんなに素晴らしい人材であったとしてもビザの許可が降りない、なんてことがあるそうです。
こういった方面においても、心理・文化的背景・理解を持ち合わせていることがいかに重要かおわかりですよね。
これに関係しますが、私オトメが昔、博士研究員だった頃に、アメリカ中にいる自分の分野に絡む国際的な同僚たちに向けて
あなたにとってアメリカ社会にいることで最も大変だったことはなんでしたか
という質問紙調査をメールにてしたことがあります。
面白かったのは、総じて彼等が最もアメリカ社会にて苦労していた側面は
言語ではなく文化的相違
についてだったのです。回答者の中には相当アメリカ人・アメリカ社会について毒づいているような人もいて、英語英語と大騒ぎしがちな日本人からしたら
英語を習得した先が最も辛い
なんてあまり聞きたい話ではないのかもしれませんね。
つまり、結局どんなことをするにせよ、自分の国や文化を離れる場合には、
どんなにAIが発達した将来においても、双方の心理・文化的理解・経験というのは、人間が人間社会を作り上げる以上、人間特有の無形財産となるのかもしれません。
そしてまた、研究に関しても健康医学研究への貢献のみならず、
国家研究費を得るまでにどれだけ安定したかつ質の高い研究インフラ構造を作り上げるか、
さらに国家研究費を取得し何らかの結果を出したあとに、それを実際の社会へと何らかの形で還元していく政策として推進のためのインフラ構造をどう作り上げていったら良いのか、
こういった自分を色づけた人生背景と経験を基にして見えてきた課題は研究一つとってもまだまだ山積みなのです。
今現在のところ、これまで通りに今の研究所にて研究課題を推進し続けるとともに、徐々にですが、
- これぞ、と思えるこれからの世代を形作る人材をかき集め、ありとあらゆるサポートをしあうこと、
- そしてまずは自分の経済状況において研究費への完全なる依存を避けること、
この二点を充実させていっている最中です。
研究費への依存状態に陥ると、先程述べたような研究以外の活動に従事する事自体に罪悪感と焦りを覚えるようになりますし、
研究活動のみ従事するといっても、先程述べたような幅広いインフラ構造を創造するどころの騒ぎではなく、研究費を獲得するだけのロボット、つまり研究奴隷になってしまうからです。
自分の地球における立ち位置および活動内容がはっきりしてきたら
別に自分がやりたいことが山積みのようにある人ならば、わざわざ一歩下がって客観的に自分の地球における立ち位置など考えてみなくてもいいとは思いますが、
それでもあえてそうすることをお勧めするのも、そうすることで自分らしい人生を歩むうえでの全体像が掴みやすくなるからですね。
全体的なイメージを持っていることで、時々ふと自分の人生を振り返るときに、それが一つの道しるべとなって自分の人生を導いてくれるでしょう。
そして気づけば自分の意識の追い付かない勢いで自分の人生そのものが勝手に生命を宿し、加速し、さらに広がりを見せ、まるで何かに導かれているように人生が自ずと展開していくようになるようです(詳しくは第十二話参照)。
バタフライ効果、という言葉をあなたは聞いたことがあるでしょうか。
蝶々がパタパタした、その小さな日常的な現象が地球の反対側で台風を巻き起こす、カオス理論をもとに、まるで螺旋(らせん)階段を上るように、何気ない自分の日常が世界レベルの現象を引き起こす、ということだってありうるわけです。
これを人生観に当てはめてみると、自分らしさを日々追求して自分の心と体が喜ぶ日常を送ることで、その日常が徐々に人生全体の調子そのものとなり、はたまた自分という範囲を超えた世界や地球全体の調子に影響していく、という過程が想像できますね。
つまり、自分が人生を創造しているのですが、同時に自分自身がそのうち自分の人生によって創造されるようになり、世界や地球全体へ影響を及ぼし、世界や地球全体で起きている事象が自分自身をまた創造していくようになる、
つまり、自分らしさを追究するところからはじまり、一つの自分と人生と世界の循環ループが完成するわけですね!
よく言われるワンネスという考え方もこれに近いものがあるのではないでしょうか。
多くの歴史的人物はこれを実証するような発言をしております。例えば、車のフォード会社を設立したヘンリー・フォードなどは「できる、できない。どちらも正しい。」と言っているわけです。
要するに、何かを発明するにしてもオリンピックで優勝して金メダルを獲得するにしても、できると思って日々行動していればきっとできるだろうし、できないと思って日々行動していればきっとできないのです。
歴史的に悪名高いヒトラーなどは、まだ彼が世界を動かすずっと前の時期に、その後の政治的活動において青写真となる「我が闘争」という本を出版し、その本に書いてあるとおりに活動していったわけです。
できる、どころか、どのように実現させていくのかまで細かく記述しはっきりとイメージしていたわけですね。
自動書記によって書かれた本によれば、物理的な距離をもとに時間という概念というものがそもそも作られたわけで、過去・現在・未来というのはあくまで人工的な考えでしかないそうです。
つまり、今現在にこれまですべての過去が詰まっているわけであり、過去が現在から独立して存在しているわけでもなく、
そして同時に未来というのはある意味ですでに今現在起きてしまっている「可能性」のことを指し示しているようです。もう未来は今現在に種として実在しているわけですね。
となると、一体想像しうる限りのありとあらゆる可能性の中から、自分自身がどの種に水をやっていくのか、どの可能性を現実世界で現実化していくのか、という話になります。
そうすることで、数ある多くの未来または創造の可能性のなかから、自分が実際に自分の心身を使って体験したいものを選択していくわけですね。
自動書記で書かれた本によれば、こういった自分が人生を創造しそして創造した現実を自分が受け取って体験してというループを、神を体験する、というらしいです。
つまり、自分自身をも含め目の前のどんな現実も自分が創り出しており、そして自分が創り出した現実を自分自身が体験しており、そしてその結果としての自分もふくめた創造物としての現実がただ存在する、というわけですね。
というかの有名な哲学者、クリシュナムルティも、ありのままに創造し、同時に受動的であることにより広がる無限の創造の可能性という状態が自然と出来上がってくるのだと思われます。
クリスチャンの方が寝る直前にバイブルを片手にそっと思想にふけるように、私は彼の書いた本「自我の終焉」をアメリカに来たばかりのころ、寝る前に「寝落ち用本」として枕元に常時置いていたことがあります。
当時まだ米国に来たばかりの2000年頃、インターネットやユーチューブもまだそこまで活性化しておらず、話を聞いてもらう相手もおらず、電話代が高くて両親に電話することもそうそう出来ず、そもそも誰かに相談する時間もなく、
いつも精神状態が台風19号並に吹き荒れている中、訳も分からず、意味も理解できずに、ただひたすらにこの本の文字列を目で追っていたんですね。
なぜか意味は全く理解できないなりに、文字列を追っていれば少し心が落ち着いたのです。
その本には繰り返し「ありのままに」という言葉が書かれていました。最近日本語のサイトでもよく「ありのままに」という言葉を見かけるようになりましたが、
あなたは「ありのままの自分でいる」って言われても、実感はわきますでしょうか?
私の場合、散々自分の望まない状況に身を置かざるを得なかった過去を踏まえ、今でこそ自分らしくいる、という意味が感覚的にわかるのですが、当時まだ20代の私には漠然としすぎていて「そんなこと言われましてもぉ~」ってな感じで、全く実感がわかなかったんです。
やはりありとあらゆる人生の側面を経験しまくって初めて人って「自分らしいってどういうことか」感覚的にわかってくるのではないでしょうか。
自動書記の本にも書かれていますが、自分じゃない、または自分を忘れ去った状態を現実を何度もいろんな形で経験するからこそ、自分らしさを徐々に「取り戻す」または「思い出す」のだ、と言います。
きっとみんな同じことを言っているのですよね。
そしてこれは年を取れば自然にわかる、ということでもなさそうです。この本は、実は自分の父親にもらったものです。
当時今現在の私の年かかそれよりも年上だったと思いますが、
「こいつ、カッコつけてクリシュナムルティ語ってるけど、じぇんじぇんわかってないだろ。」
ということが娘の私にですら簡単に見抜けてしまうほど、実は当の父親自体もあまり実感が伴っていない様子でした…
自分らしさってなんなのか、わかんないけどでも今の状況は自分らしくないぞ、嫌だなあ、じゃあどんな状況なら自分らしくいられるのか、自分らしくいるってそもそもどんな感覚なんだろう、って日ごろから試行錯誤していてこそ、ようやくつかめてくる感覚なのかもしれないです。
自分でない自分や自分らしく入れない状況を経験して初めて自分らしさを知る…なんだか一見矛盾しているようにも見えますね。
そういう相反するイメージの言葉が共存することを英語ではoxymoron(オキシモラン) なんて言うんですよね。
しかしどうも人間の脳みそというのは、相反する「そうでないもの、自分でないもの」を前にして初めて自分をイメージすることができる、相反によって学習・創造する生き物らしいですよ。
男がいるから女である自分を意識する、みたいな感じですかね。
またそう考えると、自分の中で嫌だと思う存在や体験も、実はそれらによって自分らしさが創られていくわけですから、なんだかそう考えると、自分が好きなものも嫌いで苦手なものも
全部自分づくりには必要不可欠な要素
つまり
自分の一部
という、本当にOxymoronなことになりませんか?
最後にまとめますと、
それではいよいよ最後となりますが、最終話にてオトメならではの人生を基に、私オトメが最終的にどんなパートナーシップおよびパートナー像、そしてその先に広がる理想の社会を想像しているかについてお話しますね。
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[…] 第十四話にて、私オトメが自分の地球上における存在を見直し、どんなふうに自己創造活動に励んでいっているか、そして自分を確認し、発展・拡張していくということはどんなことなのか、についてお話しました。 […]